仙台出身者さんありがとうございます。

地名の由来としてこの冊子にも書いてありました。地元の人の手記として、「昔この辺で遊んでいたいた時、古い人骨が時々地面にころがっていたし、雨の夜には人魂が見えたり、鈴の音が聞こえて怖かった。」「終戦後母子寮が建てられたが昭和35年頃に廃止。無縁仏のお墓は原町の陽雲寺で供養したそうです。」「昭和56年頃に保育所が建てられました。保育所の横に桜の大木が一本あり、その下に石碑があったらしいが今はみあたりません。」

それと「天還前上」「天還前南」に隣接する現在の宮城野図書館あたりは、「原町小田原字念仏壇」だたそうで、処刑された人の霊に念仏を唱えたり香を焚いて弔ったのでこの地名がついたということだそうです。

「地元学」は興味深いですね。ありがとうございました。 (2007.08.21 05:58:23)

仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2007.08.18
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カテゴリ: 仙台
良い響きの名前だ。松原街道とは、塩竃街道の別称で、原町から燕沢までの松並木の美しいあたりを指していう。

■仙台市市民センター資料( 松原街道
■宮城野区役所  地元学の会のページ

原町から比丘尼坂に至る街道の両側に、見事な松並木が続いていた。伊達政宗公が植えたといわれ、樹齢300年以上、幹周が5mのものもあった。戦時中は、松の木の幹は輸送船用材に、松の根からは松根油をとるため、近くの住民から人力を徴用して松の根を掘り出し、鶴ヶ谷方面で採油作業をしたらしい。戦後、搬出されなかった松は放置されたままで、家庭の燃料として切られ、最後には松の根まで燃料にされてしまった。

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 まず見事な並木だったっちゃ。
 そんな見事な松も戦時中(昭和17年頃)ガソリン不足で、松根油(しょうこんゆ)を採る為に、ほとんど伐採されて、昔の面影は全く残っていません。
 根回り2メートルくらいあったので、持って来れなかった。その辺さ、ごろごろ、してたんだよ。

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これは地元の方のことばだ。

■出典  地元学の会『松原街道にそったまち ひがしせんだい 東仙台一丁目~五丁目・松岡町』みやぎの区民協議会(宮城野区役所)、2005年

同書からもう1つ。
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 松原街道踏切の近くに根元亜炭屋(今の根元自動車)さんがあって、その向かいに大沼茶屋がありました。今でいう、ドライブインだね。
 当時は、馬車の往来が盛んで馬車引きの休憩の場所でした。疲れたときは、牛や馬を休ませ、餌をやり、馬方は酒を飲んだり、うどんを食べたて一休み、気分が良くなった馬方は馬車の上で寝てしまい、馬はそのまま家まで帰っていったとか。
 この辺からは、遮るものが無かったから、泉ヶ岳や六丁の目まで見渡せました。まず、松並木はあるし、景色も良いし、まるで絵を見ているようだったネェ。
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そんな風景を目にしたかった。松のある街道、日本人の意識の根底にある美的感覚を呼び覚ます。

そんな松原街道ですが、今は新道や鉄道で分断された。坂下交差点からガス局前交差点に出る県道は新幹線の下をアンダーパスするが、ちょうどその新幹線ガード下からラジオ塔の南側を回って現在の利府街道に合流する細い旧道がある。これが昔の松原街道筋だ。原町からの旧街道とつなげてみると、アンダーパスをはさんできれいにつながっている。



■関連する過去の記事(おくのほそ道・街道 関連)
  ○ 「おくのほそ道」を楽に読む方法 (07年3月19日)
  ○ 芭蕉最北の地 象潟 (06年12月24日)
松山街道 姫松、真坂あたり (06年11月05日)
  ○ 多賀城の基礎知識(後編 )(06年8月8日)
  ○ 多賀城の基礎知識(前編 )(06年8月7日)
  ○ 岩切の寺社をめぐる (06年1月3日)
  ○ 平泉への道 (06年1月11日)
  ◎ 仙台百景画像散歩(その3 東仙台案内踏切 )(06年03月22日)
  ○ 燕沢の名前 (06年03月17日)
  ○ 芭蕉が感激した「おくのほそ道」岩切・多賀城 (06年1月25日)
  ○ 古代東北の理解 (06年5月31日)





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最終更新日  2007.08.18 07:40:54
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牢屋の話題と関連  
仙台出身者 さん
>ちょうどその新幹線ガード下からラジオ塔の南側を回って現在の利府街道に合流する細い旧道がある。これが昔の松原街道筋だ

こんばんは。
松原街道筋のラジオ塔あたりは、現在の東仙台三丁目ですね。ここは昭和55年まで原町小田原字天環前と称していました。「天環」とは、天に還ること、
死んで昇天する、つまり刑場跡だそうです。
ここから市名坂に移転したとのことです。
(2007.08.21 03:12:25)

間違えました  
仙台出身者 さん
原町小田原字「天還前」でした。
失礼しました。 (2007.08.21 03:13:52)

Re:牢屋の話題と関連(08/18)  

Re[1]:牢屋の話題と関連(08/18)  
以前、宮城野図書館の上の公団の住人 さん
実は、私、宮城野図書館の上の公団に住んでいました。
高校生の時、着物を着た髪の長い女性の後ろ姿が夢の中出て来て、金縛りにあったことがあります。その当時は、勉強のし過ぎで疲れていたからだとばかり思っていました。その当時は、まだ念仏壇という住所でしたが、気にも止めませんでした。でも、今考えると、処刑場だったからだったんですね。


おだずまジャーナルさん
>仙台出身者さんありがとうございます。

>地名の由来としてこの冊子にも書いてありました。地元の人の手記として、「昔この辺で遊んでいたいた時、古い人骨が時々地面にころがっていたし、雨の夜には人魂が見えたり、鈴の音が聞こえて怖かった。」「終戦後母子寮が建てられたが昭和35年頃に廃止。無縁仏のお墓は原町の陽雲寺で供養したそうです。」「昭和56年頃に保育所が建てられました。保育所の横に桜の大木が一本あり、その下に石碑があったらしいが今はみあたりません。」

>それと「天還前上」「天還前南」に隣接する現在の宮城野図書館あたりは、「原町小田原字念仏壇」だたそうで、処刑された人の霊に念仏を唱えたり香を焚いて弔ったのでこの地名がついたということだそうです。

>「地元学」は興味深いですね。ありがとうございました。
----- (2013.03.04 23:31:21)

Re[2]:牢屋の話題と関連(08/18)  
以前、宮城野図書館の上の公団の住人さん
コメントありがとうございました。宮城野図書館にもタマに出かけます。その昔は市役所の東仙台支所だったように思います。

金縛り体験は処刑場の歴史に関係があったのかも知れませんね。私が仙台に来た頃はもう東仙台何丁目でしたから、念仏壇という地名の頃はわからないのですが、藩政時代のゆかりの地名だったとともに、貴殿様にとっても思い出深い大切な歴史ということではないかと思います。

またコメントいただければ幸甚です。ありがとうございました。
(2013.03.09 11:46:47)

Re:松原街道(08/18)  
以前、宮城野図書館の上の公団の住人 さん
こんにちは。
 何年かぶりに、ガス局付近行きましたところ、宮城の図書館・公団のあったところは、更地になっていましたねぇ。
 長町-利府断層がちょうど建物の真下にあったからだと聞いております。
 公団の住み心地は良かったし、あの当時、念仏壇という住所は全然気にしていなかったので、青春時代を過ごした公団が無くなったのは、すごく寂しい気分になりました。
 公団の8階に住んでいましたので、眺望は抜群で、海も見え、夜景もきれいだったので、集中して勉強できました(笑)。
 でも、もう1度住みたいかとなると、今は、念仏壇の名前の由来を知っちゃいましたので、ちょっと薄気味悪くて住みたくはないですねぇ。
 天環前のところにあった酒屋や内科の医院も今は廃業しているので、余計に薄気味悪さを感じます。
 あの辺は、昔やってた店も殆どが廃業して、ただの車の通り道になっちゃったという感じですねぇ。
 昔の想い出捜しに出かけると、みんな変わってしまって、昔の想い出が辿れなくなって来るのは非常にさびしいと感じちゃいます。
公団の想い出は、あの当時、心霊スポットという意識は全然無かったので、あの当時の公団での楽しい想い出が心の中だけで輝いてるという感じです。 (2017.12.05 09:55:45)

Re[1]:松原街道(08/18)  
以前、宮城野図書館の上の公団の住人さんへ
ありがとうございます。大晦日に通りましたが(2017.12.31)、すっかり更地になっていましたね。
子ども達が小さい頃によく図書館に行ったのが懐かしいです。東部急患センターにも一度お世話になった記憶がありますね。 (2018.01.02 08:38:46)

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