仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2008.09.15
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カテゴリ: 宮城
昨日(14日)は芭蕉が涙を流した壺の碑を子ども達に見せようと出かけた。思いがけず、観光ボランティアガイドさんに丁寧に説明していただいた。親の私が言い聞かせるより、こどもたちにとっては、ずっと良かっただろう。

080915多賀城碑1

080915多賀城碑2

大化の改新の意味は、単に蘇我入鹿を討っただけではなく、律令の政治を及ぼしたこと。全員の戸籍を作った。この多賀城も単に蝦夷征伐の拠点とかつては考えられたが、今では律令政治の統治拠点(遠の朝廷)と考えられている。
ちょうど多賀城碑のある辺りは、外郭の南門があったが大変立派なもので、また外郭はすべて瓦の屋根で、しかも基礎工事には土管のような高度な排水技術が施されていた。
ここから政庁に至る直線道路は一般人は通れない。

などと、子ども達にわかりやすく説明していただいた。

編集長も質問した。城内の政庁以外には人が住んでいたのですか。いいえ、外郭の内部は政庁のほか役所があり、人々は仙石線の方に住んでいました。
もう1つ。碑のあるここの土の盛り上がりは最近のでしょう。いいえ、これこそ当時の外郭なのです。エーッそうですか。これは驚きました。

そんな訳で私も大変勉強になりました。

そして、碑を見学。日本三古碑の一つだが、その大きさと形状は比類がない。約400年土中に眠っていたために風化を避けて文字が読める。などの説明をいただいた。碑の上に西の文字があるが、意味は不明。また、奈良時代の1里は5百メートルくらい、靺鞨の国界を去ること三千里の靺鞨とは沿海州のことで、当時は秋田を経由して交易があった、など。


ということで、碑の裏側(東側)にある二つの穴を教えて頂いた。

080915多賀城碑3

これは面白い。それにしても、素朴な疑問にわかりやすく的確に答えていただいた、観光ボランティアさん、本当にありがとうございました。編集長もちょっとした修学旅行気分。

最後の画像は碑の付近から望む政庁方向。
080915多賀城碑4

今回思い立ったのは、先週おくのほそ道の写真と俳句から成る紀行書を読んだから(植田正治 黒田杏子『「おくのほそ道」をゆく』小学館、1997年)。
芭蕉は、この碑を眼前にして、古人の心を閲し、行脚の一徳、存命の悦び、旅の労を忘れて泪も落つるばかりに感激した。

それにしても、多賀城は古代の東北経営の拠点だけでなく、歌枕に詠まれて日との京人の憧れとなり、芭蕉が涙し、かと思えば太古の海の名残も。悠久の歴史を感じます。


■関連する過去の記事
船形山神社の仏像と多賀城 (07年8月30日)
加瀬沼から多賀城六月坂地区へ (07年4月16日)
多賀城跡の風景 (07年2月19日)
多賀城の基礎知識(後編) (06年8月8日)
多賀城の基礎知識(前編) (06年8月7日)
岩切の寺社をめぐる (06年1月3日)
平泉への道 (06年1月11日)
芭蕉が感激した「おくのほそ道」岩切・多賀城 (06年1月25日)
古代東北の理解 (06年5月31日)





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最終更新日  2008.09.15 11:58:53
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