仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2011.11.07
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カテゴリ: 雑感
先週のこと、新しい国語辞典が欲しいと小学生の娘が言う。明日学校に持って行くからすぐ買ってくれ、と。家にあるやつで良いじゃないか、言葉なんてそんなに変わらないし、と30年くらい昔の辞書を持たせてやることになった。ただし、今回は納得してもらったが週末に新しい辞書を買う約束になった。地球温暖化が載ってないじゃないか、という娘の鋭い意見が勝ったのだ。

さて土曜日の夜に、駅前の丸善で真新しい国語辞典を買ってやった。どれがいいと聞かれたが、何種類か並べて開いてみて娘自身に選ばせた。念願かなって新品を手にした我が子だが、しかし、明日からは開かずに本棚におさまるだけだろう、そう思うと、また親のケチ根性が湧き上がってくる。今が大事だ。辞書を開かせなければならない。

日曜は私もヒマがあったので、珍しく朝から社会の勉強している娘に向かって、人名はどこまで辞書にあるのかな、徳川家康はあるだろうけど伊達政宗は出ているかい、と水を向けると喜んで辞書を開く。載っていない、でも、独眼竜のところで伊達政宗のことと書いてあったよ、と反応。よしよし、卑弥呼や小野妹子はあるか。娘もどんどん読み始める。夕方にテレビで出てきた意味のわからない単語も、いつもどおり親に聞いて来るので、ヨシ来た、それは辞書を開いてみろ、と。娘さっそく手を伸ばす。その後は、辞書ゲームやるぞ、と我が子が目をつぶって開いた任意のページで指をあてた語句の意味を、親が答えてみる。当然辞書どおりには答えられず、はずれると子は喜ぶのだが、実は言葉の意味を解説しようとする作業は実は難しくもあり、また面白くもあるものだ。そんなことの一片でも伝われば良いのだが。

私は高校生の頃、古語、漢和辞典と英語辞書(LDCE)は自分のものを買った。英和は兄のものを活用したし、国語辞典は家にもなかったと思う。ほかにさほど書物もなかったので、暇に任せて辞書の解説欄を読みふけって文法や歴史や発音を我流で理解したり、似たような言葉を比較したり集めたり、また、たまに誤植を見つけて喜んだりして、そんなことがある程度は言葉の豊かさや歴史文化の悠久さに目を開くことになったのではないかとも感じている。

ことばの世界に我が子はどう向き合っていくのだろうか。自分なりで何でも良いから、おもしろさを見いだして欲しい。親は何をどうやって助けてあげられるのだろうか。

ともかく今は、本屋に払った3千円のモトをとらなければ。一日二日なら真新しい辞書を手元に置くだろうが、明日にも辞書は娘から離れるかも知れない。ああもったいない。明日もまた、ケチ親父の本領発揮だ。





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最終更新日  2011.11.08 00:24:08
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