おしゃれ手紙

2016.12.26
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カテゴリ: 父の麦わら帽子

姫路から横浜まで新幹線で行った。
新幹線に乗ることが私にとっては、はじめての体験だった。

横浜からは、船でソ連のナホトカに行き、
そこから陸路列車でハバロフスクに行く。
ハバロフスクから空路、モスクワへ。
そこから、陸路、列車でフランスに行き
船でドーバー海峡を渡るという「ナホトカ航路」
での旅だった。
地図でしか見たことがない、町の名前に、心細かったが、横浜からの船の中で不安は消えた。

★関西弁の賑やかな、N村さんとその友人 が同じ船室になったからだ。

彼女たちは、賑やかだった。
二人連れだったから、不安などなかったのだろう。

★私たちの隣の船室は、関西の私立大学生・Y口氏とその友人N田氏

Y口氏は、フランス人の彼女を作って、フランス語を習得し、大学で教えるということを
真顔で語っていた。

N村さんとY口さんは、同じ尼崎出身ということが分かり、大いに盛り上がった。

彼らのおかげで、私までひとりでも無敵だった。

しかし、お互いの行き先が違うため、モスクワでみんなバラバラに別れた。
★ひとりぼっちで、ロンドンに着くと、私は、 姫路の英語学校で知り合った友人 に電話した。
彼女は、ロンドン在住のカナダ人の家で、住み込みで家事の手伝いをしながら、英語学校に通っていた。
彼女とカナダ人家族の好意で私は、2~3日、居候を決め込んだ。

その後、セントポールに近いユースホステルで、一人いたら声をかけてきた人がいた。
★東北出身で、東京の私立大学生、S倉クンだ。
彼は、一人でブライトンから自転車でやってきたといった。

私が、絵葉書を出して帰ると、船で部屋が隣同士だったY口氏がそこにいたのには、ビックリした。
船と列車で数日間一緒だっただけなのに、懐かしかった。

その後、S倉クンとY口氏は、フラット(アパート)をシェアし、日本人がよくたむろしていた。
私も、そのうちのひとりだった。

そうそう、ひとりで、列車の旅をしていた時、Y口氏の友人N田氏にバッタリ会った。


★フィレンツェでは、東京のS井氏にお世話になった
体調を崩した私は、駅でぐったりしていると、付き合ってくれた。
体調が回復してからも、市内を案内してくれた。

他にも、沢山の人にお世話になった。
一人旅の私は、みんなのおかげで、楽しく過ごせた。

いい思い出が作れた1972年だった。
その旅は「ナホトカ航路」から始まったが帰りは、飛行機だった。
たった一回しか乗ったことがないけれど、沢山の思い出が今も残っている。

横浜港とソ連のナホトカ港を連絡していた「ナホトカ航路」の旅で出会った人々・・・。
お元気ですか?
私は元気で、今年、夫と■ イギリス ■に行ってきました。


時々、ナホトカ航路で行ったはじめてのヨーロッパ旅行であった人々を懐かしく思い出す。
ナホトカ航路
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Last updated  2016.12.26 23:30:12
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