おしゃれ手紙

2018.08.14
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カテゴリ: 映画
焼肉ドラゴン ■♪音が出ます!!

たとえ昨日がどんなでも、明日はきっとえぇ日になる。

万国博覧会が催された1970(昭和45)年。

関西の地方都市の一角で、ちいさな焼肉店「焼肉ドラゴン」を営む亭主・龍吉と妻・英順は、静花、梨花、美花の三姉妹と一人息子・時生の6人暮らし。
失くした故郷、戦争で奪われた左腕。
つらい過去は決して消えないけれど、“たとえ昨日がどんなでも、明日はきっとえぇ日になる”それが龍吉のいつもの口癖だった。
そして店の中は、静花の幼馴染・哲男など騒がしい常連客たちでいつも賑わい、ささいなことで、泣いたり笑ったり―。

そんな何が起きても強い絆で結ばれた「焼肉ドラゴン」にも、次第に時代の波が押し寄せてくるのだった―。

 よく笑った、よく泣いた・・・。
1969年から始まる在日朝鮮人の物語。

「むずかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、
そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」

これは、井上ひさしの有名な言葉だが、重いテーマを笑いを交えて映画にしていた。


*なぜ、「焼肉ドラゴン」のドラゴンなのか。

*なぜ、お父さんは片腕なのか。

*映画を見て、在日韓国人がなぜ故郷に帰らないのかも分かった。
帰ろうにも、戦争で家族が亡くなったり、故郷じたいがなくなってしまった人がいたのだ。

*終戦以降も朝鮮戦争がおこって、故郷がなくなった人がいる。

*帰ろうとして、船の乗ろうと決めていたが、体調不良で帰れなくなった人もいた。

*日本で暮らしているうちに、日本生まれの子どもたちは言葉をしらないので帰るのをためらったのかもしれない。
 末っ子の息子が学校でいじめられるシーンがあった。
その時思ったのだが、ソフトバンクの孫正義氏のこと。
彼は、高校に入学後
(ちなみに、弟も同じ高校で、弟の同級生に堀江貴文(元ライブドア)がいる。)退学してアメリカに渡った。


差別など嫌な思いもしたからではないだろうかと思った。

「演劇賞を総なめにした伝説の舞台」の映画化
だからほとんどが、「焼肉ドラゴン」の店内か周り。
今年一番の作品だった。
見逃さなくてよかった・・・。

コリアンタウン・鶴橋はなぜできた。

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Last updated  2018.08.14 09:46:59
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