おしゃれ手紙

2018.12.14
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テーマ: ■雑学王■(728)
カテゴリ: トリビア
 今日は、12月14日、赤穂浪士の討ち入りの日。
(*12月14日は、旧暦。太陽暦でいえば、1月30日あたり。)
討ち入りのさい、赤穂の元家老、大石が打ったという「山鹿流の陣太鼓」について。
山鹿流といえば、歌舞伎・人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』 ■のなかで、
赤穂四十七士の吉良邸討ち入りを指揮する大星由良助が合図に叩いた「山鹿流陣太鼓」が有名だが、実際には山鹿流の陣太鼓というものは存在せず、物語の中の創作である。
■山鹿流と九州・平戸藩との関係■
山鹿流の祖、山鹿素行の
直系、血縁者で山鹿流を受け継いだのは、
平戸藩の山鹿男系と、津軽藩の山鹿女系である。
肥前国平戸藩では山鹿素行の一族の山鹿平馬が家老に、素行の次男である藤助が兵法師範に採用されて山鹿流が伝来、平戸松浦藩学として栄える。
 一方、赤穂藩も山鹿流の兵法を取り入れた。

赤穂山鹿流伝系


*勝海舟まで!!
 討ち入りの際、吉良の屋敷の隣が、平戸藩の元藩主が住んでいた。

本所の吉良上野介の屋敷のお隣さんの松浦 鎮信(まつら しげのぶ)。
*「松浦」と書いて、「まつら」と読む。

平戸藩(今の長崎)の元藩主で、討ち入りの際はすでに隠居の身。
四十七士が
「隣に討ち入ります」と挨拶に行くと、戦いやすいようにと塀越しに提灯をかかげてくれる人。

松浦 鎮信(まつら しげのぶ)が赤穂の浪士に戦いやすいようにと塀越しに提灯をかかげて、味方したのは、山鹿流つながりだそうだ

(平戸のガイドさんの話)

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Last updated  2018.12.14 00:04:48
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