おしゃれ手紙

2020.07.03
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テーマ: 読書(8476)
カテゴリ: 読書
■千利休とその妻たち(上)■

【内容情報】(「BOOK」データベースより)
堺の豪商千宗易は茶の湯の達人として知られていた。
その妻お稲は、武将三好長慶の妹であることを誇り、茶道に打ち込む夫を軽蔑していた。
そんなある日、宗易は名高い能楽師である畏友・宮王太夫の妻おりきに出逢い、激しく心を奪われてしまう。
互いに想いを胸に秘めながら、二人は運命の嵐に翻弄されていく…。
茶聖千利休とおりきとの波乱に満ちた半生を描く感動の歴史ロマン。

茶道 ◎読書メモ◎
利休は、人生のほとんどを「宗易」と名乗っている。
広く知られた利休の名は、天正13年(1585年)の禁中茶会にあたって町人の身分では参内できないために正親町天皇から与えられた居士号である。
この小説も、「宗易」という名前で語られる。
鶴の香合 妻たち ■というタイトルの理由。
千利休は、二十歳の時、最初の妻を娶っています。
戦国最初の天下人とも呼ばれる武将・三好長慶の妹で、名は「お稲」とされています。

第二夫人、おりきは、前妻、お稲と違い、茶の湯に精通し、利休にとっては、よき補佐役、理解者であったようです。


さらに、利休には、正式な妻以外の女性との間にもうけた子どももいたようで、千利休には、6人の男子と6人の女子がいたとされる説もあります。
●正妻「お稲」と「おりき」を主に描いているが、他にも多くの女がいた。
「お稲」は、武将・三好長慶の腹違いの妹。
堺の実質的支配者であった三好氏の御用商人となり、財を成したと推測されている。
その三好氏を追いやったのが、三好氏の家来だった松永久秀。
大河ドラマ・麒麟が来る ■で■ 吉田鋼太郎 ■が演じている。
その松永久秀は、おりきに思いを寄せ、かなわぬとなると、おりきの家に火をつける。
とあるが、このあたり、本当のことなんだろうか?
松永久秀は、狂気じみたところがあるのは知っていたが・・・。


堺の建て倒れ
*江戸時代に、「 京都の着だおれ、大阪の食いだおれ、堺の建てだおれ 」ということわざがあった
「正徳3年(1713年)刊の浮世草子(『商人職人懐日記』)に、『京は着て果、大坂は喰て果、堺は家で果る』という諺が引かれている」
●昔(利休よりずーっと前の時代)の茶室は、二階の桟敷に設けられた。

当時は、茶の湯といわず「茶寄合」といった。

十種類の茶を次々と点てそれを飲んで銘柄を当てて遊んだ。
●第二夫人、りきがキリスト教の信者になるというところは、三浦綾子らしい。
●生涯●
和泉国・堺の商家(屋号「魚屋(ととや)」)の生まれ。
家業は、納屋衆(倉庫業)。
塩魚を独占的に扱う商人(座)ないし、そういった商人たちに倉庫を貸す「問」だったとされる(利休が切腹時に書いた遺産分け状の冒頭に「問の事、泉国ある程の分。同佐野問、塩魚座賃銀百両也」とある)。

17歳より茶の湯を習う。
19歳で父を失い、それと前後して祖父も失う。
祖父の七回忌に無財のため法要ができず、涙を流しながら墓掃除をしたとの日記が残る(不審庵蔵『緑苔墨跡』)。
当時、応仁の乱の影響で、特権的商人たちは独占に対する保護を失い、苦境に立たされていた。

「利休とその妻たち(上)」は、利休(宗易)28歳から50代後半までの物語。

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Last updated  2020.07.03 09:40:55
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