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通勤路にある文房具店の軒先で、「50%セール!」の広告が出てたのですが、何かと思ったら取り立てて変わった所の無い便箋でした。例えば平均の定価が100円とか200円だったとして、必要が無いのに50%値段が下がったからと言われても、私は買いません。通貨とは、本来、物々交換だと共通の基準を設けることが難しいので利用されるようになったもの、の筈です。例えば、100円で買えるものとして、ノート1冊、りんご1個、ジュース1本、ボールペン1本があったとします。その取引の中間にある物、価値の基準として、100円はそれぞれのものに等しいと信用を受けて使われてる"筈"のものだと考えてみて下さい。モノの量や、需要にはそれぞれ限度がありますが、お金は計算上どこまでも増えていきます。先日の日記の中で触れたLTCMが135兆もの取引を組んでたりとか書きましたが、これは現在の日本政府の一年の税収の2.5倍に当たります。この時点で何かおかしいと私は感じます。お金が独り歩きを始めてしまっている。そんな感覚です。日本国内の投資顧問会社(121社)の昨年末の契約資産残高だけでも、100兆円を越えたそうです。ほぼ有り得ませんが、彼らが全部まとまった動きをすればデリバティブで100兆の100倍の取引(実際にそれを受ける相手がいないでしょうが)が計算上可能になります。地球上のどの国の国家予算やGDPよりも大きくなるのです。何か、おかしいですよね?通貨がモノの価値を表す為にある存在だとしたら、地球上に存在するモノの価値の総計よりお金の総量が大きくなることは無い筈です。が、金融的な視点からすると結論は異なるようです。そんなお金の出所は、モノの需要を生み出す人々が預けたお金という事になる筈なのですが、機関投資家とかお金そのものは別個の意思を持って動き始めていて、それが通貨を発行している国々の存在やお金を投資した(預けた)人々の生活まで不安定にさせています。お金は人の便利の為にあるだけのものに過ぎない筈なのに。米国とか韓国とかで蔓延した(している)プラスチックマネー(VISAなどのクレジットカード)も、だから本来の需要(収入)以上のモノを供給しようとして本来存在しないお金の利用で失敗した例という事になるのでしょうか。日本でいうと個人消費者金融とかの乱用による個人破産とか。企業は作りたいだけのものを作って、各国政府は刷りたいだけお金を刷れば全ての経済的な問題が解決するかというと、そうではない。冒頭に書いた便箋の例の様に、いくら手持ちのお金の余裕があって、対象の商品の値段が下がっていたとしても、本来の需要というもの以上に供給は伸びない(少なくとも一定の制限を受ける)。これはお金を供給すれば済む問題では無いけれども、本来の需要や供給の関係を超えて、まるで錬金術のように金利計算と金融工学の仕組みだけでお金はマルティプライ(倍増)を繰り返す。それが今日の世界経済の混沌の源でもあると私は思います。次世代の政体を考える時に、だから国債の発行を許すのか、税収以上の予算を組む事を許すのかという選択が、非常に大きな分かれ道になると思います。許すのであれば、遅かれ早かれ現在の日本と同じ様な状況に陥る可能性が出てくるわけですから。許さないのであれば非常な高税率になるか、従来には無かった全く別の収入の道をつけるか、公的サービスの提供の方法を根本的に変えるか、という選択肢になってくると思います。もう一つ、個人的に、存在する以上のお金の存在には一定の歯止めをかける必要を感じています。破綻したLTCMだけで135兆円の取引を組んでいたとか、元手は13兆円だったわけですし、10倍、100倍の取引が出来る仕組みというのも野放しにして良いものでは無いと思います。ただ単純にそれを禁止すれば良いという問題では無いのが難しい所ですが。さらに一点付け加えるなら、次世代の経済からは為替リスクというものを取り除く必要も感じます。それぞれの通貨の背景には異なる国々と経済政策があるので簡単にはいかないでしょうが、為替変動というほぼ予測できないリスクを取り除く事によって世界中の資産がもっとスムーズに移動できるようになると思います。世界統一通貨の様な存在ですね。これについてもいろいろ考えてますので、まとまったら書いてみます。2005/4/6参考資料追加参考資料:(03年末の世界の金融資産総額、GDPの3倍規模に=調査) 世界の金融資産 GDP(文中の値からざっくり計算)2010年(予測) 200兆ドル ? 2003年末 約118兆ドル (40兆ドル:金融資産の1/3)1993年 53兆ドル (25兆ドル:金融資産の1/2)1980年 12兆ドル (12兆ドル:金融資産と同額)
2005.02.28
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「ミミズをください」にやられた週末だったわけですが、それはとりあえずおいときます。笑昨日までの続きで無税金政府の可能性について考えてたのですが、これまた長い話になりそうなので、外堀から段々に埋めていくことにしました。タイトルのマイナス金利が何かというと、お金を預けて増やすのが与信行為な筈なんですが、減らしている機関があります。誰かというと、日本の信用の総元締めでもある政府その人(?)です。お金は少なくとも、現金で手元に持っておけば、増えることは無くとも減ることもありません。これを金利0%の状態といいます。老後の支払いを受ける為に支払うお金を、だから手元に蓄えていった方が、将来自分が受け取るお金がより多い(貯めた分と等しいから)ということになります。日本政府が借金まみれでも破綻していないのは、国債の国債による買い付け(実質的な政府/日銀引き受け)と、郵貯や簡保などの"税収以外のお財布"の存在があるからです。(もちろん先日から触れてる借款債とか60年償還ルールもありますが)年金も国が将来への保障として強制的に集めてるお金の一種類なわけですが、これも周知の通り、破綻しています。タイトル通り、マイナス金利になっているのです。ちょっと話が脇にずれますが、東大法Iを出た人が大蔵省に入るのが通例になってたそうですが、『なぜ法律を学んだ人が経済に携わる役職に就くのか?』と不思議に思った事はありませんか?現在の金融工学とかマネー経済とかデリバティブとかは、法律は絡むかも知れませんが、はっきり言って全くの畑違いです。国の役人が国債買ってれば運用になっていたという時代ではありません。『国に預けておけば(任せておけば)安全だ』というのはだから幻想にしか過ぎない日が来た、ということでしょう。少子化と恒常デフレ(需要<供給)でGDPもマイナス成長を続ける可能性がありますが、現金を手元に置いておくという手段が現実としてある限り、人はマイナス金利を受け入れるとは思われません。(可処分所得の減少率<物価の下降率が恒常的に続くなら別かも知れませんが)さて、そして本題。w無税金政府を考える時、混同してはならないいくつかの考えがあります。・無税金政府は、無政府状態を指さない。・無税金政府は、無料政府ではない。・無税金政府は、無収入政府ではない。まず、『無税金政府は、無政府状態を指さない。』ですが、これは当然で、無税金政府の機能は現在考えられているものとかなり異なる形態になるでしょうが、やはり治安維持・外交(軍事)・通貨発行などの機能はおそらく保持するからです。(だから憲法そのものも相当程度変えることにつながる筈です。九条がどーたらとか女性天皇とか安保理事国とか言ってる場合じゃないのですよ。破綻してる国なのに)次に、『無税金政府は、無料政府ではない。』ですが、必要なサービスには必要な対価は徴収する形になるでしょう。何故なら例えば医療費や福祉費を全部政府持ちにすると仮にしただけで、日銀(中央銀行)は相当な紙幣を刷らなくてはいけなくなるわけで、そんな通貨の価値が安定するわけもないからです。実際に公共サービスが必要量使われた分だけ適時支払いを行う。詳細についてはまた別項で触れます。そして『無税金政府は、無収入政府ではない』。これがある意味一番大きくて、現在でも日本政府が破綻を宣言せずにいる(いられる)最大の理由でもあります。現在の日本政府の収入を大雑把に分けると、・税収・国債・公的預貯金や年金があります。まず税金ですが、無税金政府を名乗るのであれば完全にゼロになる筈ですが、話が長くなるのとまだ考えがまとまってないのでひとまずおいておきます。次に国債ですが、将来の税収から償還されるものなので、ゼロ-マイナス成長時代には、だから発行不可能になる筈です。可能であるとしたら、金利の為の与信行為ではなく、現金をそのまま預かるゼロ金利国債になります。(世間がデフレを続けていくのであれば、実質的な金利がつくことになる)ここで預けられたお金をもって、無税金政府が発行する通貨の信用の裏打ちをすることになるのでしょうかね。(マイナス金利国債というのは、将来の経済動向が予測できないので、保障がきついかと)最期に公的預貯金や保険、年金ですが、これは基本的に廃止でしょう。何故なら、民間資本や金融が未発達な国ならともかく、国が巨大な(自らの金融機関に)公的信用を与える事自体が民業の圧迫ですし、ソ連や共産圏の計画経済では無いですがお役人と利殖(金融行為)とは本質的に相容れないものなのです。畑が違うし、求められる専門性もスキルも経験も全く異なります。国や組合の様な存在が、医療や福祉費用を一部肩代わりするような制度はおそらく残るでしょうが、公的年金の代わりに国は物理的なセーフネットを設ける形の方が良いのではないかな、と思います。(その方がまだ固定費を計算できるので)(誤解を恐れずに言えば、超高齢化社会になってきたら、自らの命を自分の好きな様に絶つ権利という権利の行使も一部認められるべきだと思います。目安は70歳とか75歳以上で、親族がいればその承認も必要とか、悪質な金融や生命保険などが絡んでいない場合とか、条件はいくつか厳しく定める必要が出てくると思いますが、平均寿命が85~100に届こうという社会では、今までとは異なる仕組みやルールというものも必要になると思います。)・・・結局また長くなってしまいましたが、無税金政府の可能性について、たぶんもう少し(後日)続きます・・・。
2005.02.27
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さて、連日のしょーもない考えもそろそろ切り上げに。(できるのか?)で、前日分からの続き。・物価が下がる理由はデフレ要因だけなのか?まぁ200万するプラズマTVがあったとします。普通のTVなら1万~5万とかでも買えたとします。新車でも100~150万とかのラインアップが多い時、200万は「車より高い買い物」となります。(単なる比較)例えばこれは一家に一台売れるでしょうか?売れない、と思われます。さらに言えば、一家に一台以上買われるでしょうか?よほど裕福な家庭を除いて、おそらく無いでしょう。単純に言えば、メーカー側は需要に対して過剰な生産能力を有している事になります。どのメーカーも圧倒的な差別化を生み出せなければ、自然に価格競争が生まれ、価格は下がる事になります。(さらに言えば、多少の需要>供給が生まれたとしても、今日の工業能力からいけばすぐにその差は埋められます。価格は上げないまま。)一国の市場のニーズが一段落し飽和状態になったら別の市場で同じ事が起こるでしょう。結局どこの市場においても、同じ様な競争相手と同じ様な競争が繰り返されるので、売り上げは増えても利益は上がらない可能性さえあります。通常、高機能化、付加価値の追加で、商品の価格は上げられる、筈でした。しかしパソコンを例に取ってみれば分かり易いと思うのですが、10年前のPCの値段より遥かに良い物がしかも遥かに安く提供される世の中になっています。ipodみたいな製品にしろ、新製品の方が旧製品の定価より安かったりとかね。ISPなどの通信業界にしても投下資本は以前と同じくらい大きかったとしても、昔に比べて逆に安くなっています。携帯事業にしろ、本体価格は無料かほとんど変わらずに、その後のサービス料金で稼ぐというシステムはそのままで、しかし競争により例えばメール受信無料とか、定額制といった実質的な値下げ圧力が働いています。衣料品も、生産/流通システムが大幅に変わったせいもあり、逆に安くなっている。(ユニクロとかね)医薬品などは、人件費の安い発展途上国で生産という仕組みが適用されにくいので、微増かも知れませんが、マツキヨなどの流通の変化などで、実際には安くなってるものもあるかも知れません。それから時給で働くバイトやパート、契約社員などの労働人口の占める割合の増加によって、賃金増も起こりにくい土壌が出来上がってきていると思います。社員にしろ、固定給の勤続年数による増加を無くして能力給というと聞こえは良いのですが、『貢献度』という得体の知れないものを基準に給料を据え置いたり逆に減らしている事も広がっているかと。日本の生産業の生産力からいえば、売れるか売れないかを気にしなければ、極端な話作りたいだけ作れると思います。(製造費が支払えるだけ)デフレの定義を「需要を供給が追い越すこと」であるとするなら、まさにそんな状態にあるわけです。デフレの定義を「お金の供給量<モノの供給量」な状態とするなら、確かに金融政策でお金の供給量を増やせばモノの供給量に追いつく筈なのですが、原因が違えば的外れな事になります。その市場の需要がすでに飽和状態にあるなら(先述のプラズマTVとかね)、いくらお金の供給量を増やそうとモノの供給量は増えないことになります。完全に満腹な人に1kgのステーキを食えといっても、それは出来ないのと同じことと考えてください。とすると新たに供給されたはずのお金はその経済に吸収されないまま宙に浮いた状態になります。(これに関してはまた後ほど)では、例えば年収300万の人の手取りが500万に、500万の人の手取りが700万に増えるところまでお金を供給すれば、そこでやっと今まで売れなかった(買いたくても買えなかった)人達にも先述にプラズマTVが買われる可能性が生まれる事になりますが、その時には、彼らの所得が増えた分だけプラズマTVの値段も上がっている事になりますので(お金の価値の下落。この例の場合は明らかなインフレ)、結局は新たに200万(から400万に値上がりした)プラズマTVは本来の需要よりは売れない事になります。(公明党とかの地域振興券はだから、この所得分だけをわずかに増やそうとした小手先の技ですが、大バカです。公明党支持者の人は早く目を覚まして下さい。そのお金は結局券を配られなかった人を含めた税金で賄われていたのですから。怒)需要<供給(能力)はだから、皮肉なことに企業の競争力や生産能力を高めていけばいくほど、崩されない不等式になります。(だから大切な事は、新たな需要を創出し、そこに自らの商品を供給すること、になります)デフレになる要因がまぁ他にもあるにしろ、私は少子化=人口の減少を含めて書いてみます。単純に人口の多さとGDPを比較する事は出来ませんが、一人当たり所得が同額であるなら、その人口が多いほど、その国のGDPも大きくなるし、国としての市場も大きくなるわけです。つまり、一人当たり所得が同じであるなら、人口が減れば減るほど、GDPも減るし、国としての市場も縮小します。(連鎖的に税収も減る事になります)単純に、日本の人口が1000万なり2000万なり減った場合、先述の『需要<供給(能力)』の需要は、市場規模に連動していると考えられるので、ますますデフレ要因は増えていくわけです。(お金の価値が上がるわけではないので注意)単純に考えた場合、人口が減って需要が減る速度の方が、供給(能力)が減る(落ちる)速度より早いと考えられます。何故なら、供給側は機械化やコンピュータ化などで、人手がかからない方向にどんどんと進んできているからです。人口が大幅に減るのだから、当然、企業数=勤め口も減ります。(学校の競争率などは上がらないでしょうが)生産人口も減少するのだから、GDPも税収も減っていく事になります。そこにいくら通貨だけを供給しようと、本来の需要が増えていないのだから、値札の数字だけが増えていくことになります。(実際に購買されるモノの数は増えない=企業の売り上げもインフレ率を除けば伸びていない事になる)つまり、人口の増加率がマイナス(負)でGDPが比例関係にある時、その市場の需要も人口の減少率に比例することになります。この場合はだからお金の供給量は、需要の増加には(ほぼ全く)貢献しません。需要は満たされているし、お金の増えた分だけ値札が書き換わるだけなので。最近デフレ傾向が落ち着いてきたけれども個人消費が伸びていない、というのは、新たな需要が生まれていないから、という事にもなるのかと思います。人口が減る→GDPも減る→税収も減る→政府負債も増える→将来への不安は増すというスパイラルはだからこれからもっと明らかになっていくでしょう。先日の日記で、現在のペースでも2008年頃には政府負債が現在の広義流動性を追い越すほどになるでしょうが、そんな政府がもしも2050年頃まで生き延びたとしても、だからその頃には税収の75%~90%以上は国債による収入かも知れませんね。なので今度は、実質的には税収以上の国債発行によって(のみ)運営されてる政府なのですから、極論として、無税金政府が可能なのかどうか、考えてみたいと思います。(不可能という人は、今でさえGDP<国債発行残高で、その残高の6割近くが日銀を含めた政府機関で保有されてる現状、つまり国債で国債を買っている状態と、今年の税収が47兆しか無いのに新規国債発行額は170兆、つまり3倍以上でもまだ政府が破綻していない現状を説明して下さい。)(企業でいえば、不渡り手形で新たに不渡り手形を切っているような状態です)(まぁ単純に言えば、国会議員が既に政府財政は破綻しているのでデフォルトさせて下さい、と言えないだけなんだろうけどね。みんなその役をやりたくないだけかな)
2005.02.26
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今日(金曜)は『日本国債の研究』(著者:富田俊基)という本を読み終わったりしたのですが、それも加えてふらふらと思ったことを書いていきます。今回のテーマを大きく分けると・なぜ破綻してる国の国債が買われるのか?・物価が下がる理由はデフレ要因だけなのか?の二つになります。まず、私も全体の規模は把握できてない(良い資料も見つけられなかった)のですが、現在の実体経済とマネー経済の規模は1対9となっていて、だから貿易統計とかだけ見てると全く実情に合わない事になります。日々の為替の動きとかも、ダウがどーこーとかって適当なWBSあたりのたわごととかでは全く説明がつかない世界に入ってます。今では普通に50銭~1円50銭以上高下しますからね。一日で。そんでマネーって言葉の定義も結構あやふやなのですが、例えば預金とか生保とかに預けられたお金って、全て利息が付けられているのです。つまり預けられた側はそのお金を増やさなければならない(増やす事を商売にしているので)。そんなお金が例えば1000兆の1000倍くらい一日中世界をかけめぐっているとしましょう。1000京(ケイ)。その全てが上記の利息付のお金だとするとどうでしょう?とんでもない圧力になりそうですよね。それを仮に<自己膨張の圧力>としておきます。例えば郵貯一つとってみても240兆くらいの預金量と言われているのですが、その全てが上記の<自己膨張の圧力>を持っているのです。日本の民間銀行の預金にしても同じです。M3+CDや広義流動性までを含めると少なくみても、日本国内だけでも、1000兆以上のお金が<自己膨張の圧力>を持っている事になります。国内がデフレだろうと関係ありません。銀行が、「今デフレなのでお約束したお利息を払えません」と預金者に言ったらどうなるか想像してもらえばお分かり頂けるかと思います。前置きが長くなりましたが、そんな世界中の圧力を持ったお金の行き所はだから、非常に限られている事になります。1個の塊が大きくなればなるほど、その資産の運用先は絞られてくるのです。例えるなら東証一部の一日の出来高にしても1兆ちょいにしかすぎません。東証の時価総額の合計にしても約360兆です。あのトヨタの時価総額にしても14兆くらいなのですから。最初に触れた本の中で、年間の国債取引が3800兆とか1000兆(1987年度時点)とか出てたので、これはざっくりした見方ですが、現在で同程度としても一日当たりにすると100兆円くらいでしょうか。(資料が見つからなかったので・・・)巨額のお金が動く代表の一つでもある外為に関しては、この資料の中ではデリバティブを含めて、一日当たり150兆円くらいらしいです。(東京市場2001年 4月中の一営業日当り平均総取引高)例えばあなたが100兆円を預けられたとして、「1年で0.1%増やして下さい」と言われたら、それは1000億円も増やさないといけないことになります。1%ならその圧力は1兆円にもなります。それがどのくらいの巨額かというと、あのトヨタの一年当たりの利益が1兆円。180兆もの資産を持つと言われる三菱東京とUFJの利益が08年度でやっと1兆1千億。預金や信託の利払いの圧力というのはだから、ものすごいわけです。儲けた分からしか払えないのですから。1998年のロシア危機で経営破綻したあのLTCMで約1000億ドル(当時の日本円で13兆円!)預けられていた。その預金(信託されたお金)をデリバティブで1兆ドル(当時の日本円で135兆円!)もの取引契約を世界中でしていたらしいので、これで現在の経済の雰囲気が何か伝わるかと思います。(1000兆の1000倍というのもだから、当てずっぽですが、つまりそんくらい桁が知れない、と思って頂ければ充分)で、ですね。こっからが本題。(前置きナガッ!^^;)預けられたお金を10倍とか100倍で運用できる金融・投資機関が世界中にいるわけです。彼らは各々の規模に応じて10億なり100億なり1000億なり1兆や10兆といった金を稼ぐ事を命題付けられています。日本の国債市場でいえば、海外で所有されている分は全体の5%未満に過ぎません。(そのリンク先の表だと政府機関所有は50%超)しかし国外の債権市場などは常に為替リスクを伴うので、国内の1000兆円以上のお金はだから、利率が低くても国債を買わざるを得ない。市場の規模の大きさからして、それだけ多額の資金の受け入れ先が他にあまり無い、という事情があって初めて、国債が買われている。(もちろん対政府の特別な事情があって動いているにせよ。)で、例えば極端な例え話として、日本が国債の発行を停止し、今までの既発国債の償却も全部済ませてしまったとしましょう。つまり、(現状からすると有り得ませんが)日本の国債市場が無くなったと仮定します。(クラッシュなどを起こさずに)すると当然、今まで日本の国債市場に向かっていたお金が、どっと海外に流れ出たらどうなるでしょうか?海外にとって喜ばしい部分もあるかも知れませんが、例えばそれが100兆円以上の規模だったとすると、とんでもないインパクトが生じるわけです。スマトラ島沖震災の津波くらいの衝撃を受ける市場が出てきても不思議ではありません。先程触れた通り、東証一部の出来高でさえ1兆円ちょいなのですから。(アジアとかアルゼンチンの危機は外資の引き上げ)(まぁ日本が単純に破綻したら、世界中も単純に相当な危機に見舞われるというのが第一の理由にしろ)海外の国にとって日銀が日本政府の国債引受にもうるさくないどころかデフレ脱却策(&政府延命策)として推奨してるのは、そんな日本国内の預貯金の<自己膨張の圧力>をガス抜き場としての国債市場の必要性を認めているからなのかなぁ、とか思いました。前置き長い割りに最後の一段落くらいでも良かった気がしましたが、長くなりすぎたので、・物価が下がる理由はデフレ要因だけなのか?は翌日分に書きます。
2005.02.25
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下手な考え休むに似たり。とはいえ、最低限の職務はこなしつつ、日銭も稼ぎつつ、なので許して下さい。(誰に言ってるんだか)で、まぁ、最近の考えの続きです。しかし本屋に良く並んでるようなノストラダムスの予言ぽい戯言は書きたくありません。日本破綻の日!とかいう類の煽り系ですね。私は、私が分からないことを分かりたいから考えている。で、考えたことを書いてみてる。それが大切な事だと思うし、単純に、そうしたいから。なので普通の日記記入ペースよりも落ちてますが、それは仕様が無い。(働きながら調べ物しつつ本読みつつ書き物だとどうしても、ね)さて、昨日の分で、借款債+60年償還ルールという無敵コンボの自分なりの理解を書いてみたわけですが、あれにも弱点があって、どうしても現金で市中に還元しなくてはいけない機会が発生します。それが、国債とかの満期時の償還の支払いとか、郵貯とか簡保とかの満期支払いとか、厚生年金や国民年金の積み立て不足金とか、その他詳しくは触れませんが一般に隠れ負債と呼ばれたりするものの借金とか。それらを全部含めると国の借金は軽く1000兆を超えてるとも言われますが、内訳については興味のある方は各自で調べてみて下さい。ここでは話を国債に集中しておきます。それで、まずご覧頂きたいのが、これ。・国債発行額(市中消化分)の年限別推移(実績ベース)これをご覧頂くと、ここ数年の発行は短期債2-3年以内と1年以内ものが多い事がはっきりした傾向として現れているかと思います。で。先程の無敵コンボの弱点として、現金として償還額を払わなければいけない機会というのは、だから短期債の方が手っ取り早く現金は手に入るけれど、その分支払いも近い、という事になります。金利が低い時は長期債を発行し、金利が高い時は短期債を大目に。何故かというとその方が金利の支払い(利払い)額が少なくて済むし償還支払いも遅らせる事ができるから。というのが国債発行の基本の一つの考え方らしい、のですが、これ以上ほぼ落ち様が無い程金利が落ちている時、さらに言えばデフレから脱却したい(=インフレ方向に持っていきたい)筈の政府(日銀)からすれば長期金利の基準となる10年債の発行を増やした方が良さそうな気がしませんか?結論から言えば、日本政府も日銀も、金利は上げたくないのです。インフレにもしたくないのです。何故かというと、自分達の負債が増えるから。新規に国債を発行した時に、より高い金利を設定しなくてはいけなくなるから。まぁこんなのもご覧下さい。・最近10年間の年度末の国債・借入金残高の種類別内訳の推移短期借入金(5年以内)が52兆円もあります。これは、一般会計予算の税収額よりも多く、一般会計の中で発行してる国債の額よりも多いのです。いわゆる自転車操業状態ですね。笑つまり10年(以上の長期債)の発行を本来増やしたいのでしょうが、国債発行額がGDPを上回るくらいにまでなれば、『ほんとに返せるの?』と疑われて当然でしょう。償還までの期間が長ければ長いほど不履行(日本政府の破綻)が起こる可能性は高いわけですから。本来はそのリスクが金利に反映されるべきなのでしょうが、それをデフレ対策、量的緩和の合唱で強引に金利を下げている状態、なのでしょう。(金利に関する用語はここが分かりやすいかも)だから夕刊新聞的な見出しの裏読みでいくなら、デフレ脱却!、インフレ傾向が定着!、の見出しが躍り始めたら、それが何かのサインになるのかも知れません。で、この中では、インフレとかデフレとかに関係無く、国債発行額や政府短期借入金や他の数値との比較だけで、数学とか金融の専門知識が無くとも、『あー、もうダメなんだな』と思える境目となる指標を考えてみました。まず、国債の総額を、ざっくり600兆に設定してみます。(借入金なども含めると平成16年度見込みで既に800兆)東証一部時価総額 約360兆例えとしては適切では無いでしょうが、東証一部上場の企業を仮に時価総額で全部売り切ったとしても、その総額は360兆円になります。(株数×株価で計算)非常にざっくりした考えですが、東証一部上場してる企業を全部時価総額で売り払ったとしても、借金の半分にも満たない、という見方も可能かと思われます。実質GDP=約500兆大切なのは、基本的に税収というのは、このGDPを越える事は決して(ほぼ)有り得ないという事です。年収300万の人に所得税300万+消費税を+α取ろうとする事自体は可能かも知れませんが、所得税がもし天引きであるなら、消費しようにも消費する為のお金が手元に残っていませんから。(その前に飢え死にするでしょうが。笑)企業にしても売り上げから100%取ろうとしても、そんな事をすれば取引先への原料費とかの仕入れ代や社員への給料も払えなくなるので、これも会社を倒産させる事になるでしょう。つまり、本来税収の中から債務への利払いと償還をするのが国債ですから、 国債の利払い+償還費<実質GDPでないと国が破産することになります。実際には上記で少し触れた郵貯や簡保の満期支払いとか、借り入れ金の返済とか、年金の支払いとかも、上記の不等式に入りますので、大雑把に次の不等式が成り立ちます。政府の年間支払い金額<実質GDPこれが仮に等式となった時、政府は実際にはからっけつで実質的に倒産するので、私的に<政府倒産の不等式>としておきます。(日銀が支払い不足分の紙幣を刷れば良いという理論は、実質倒産の延命にしか過ぎないという事で、倒産という事実は変わらない事にしておきます)(何をバカなことを今更と分かっている方々には言われるでしょうが、そのくらいのことから私は整理していかないと分かりません。)さてさて、続いてよちよち歩きしてみます。実際には国債だけに限ってみても、既にGDPは超えていますが、国債の総額ではなく当年度の償還や利払いやその他借金の支払い金額がGDPを超えるなんていう事は有るのでしょうか?ここで上記の<政府倒産の法則>の説明の中で、実際には税率が100%を超える事は出来ないという限界に触れてましたが、100%で収入を断てば貯蓄を取り崩して何とかそれが尽きるまでは生活しようとするでしょうが、例えば消費税100%という無茶な税率をかけておけば、国民の大半(過半数以上)は生活出来なくなるでしょう。これを仮に<税率100%の限界>としておきます。実際問題、税率100%は不可能ですので、現状の税率と同じとしてみましょう。種別毎の税率に立ち入るとややこしいので、一年の税収額全体で50兆円としてみましょう。乱暴な計算ですが、これはGDPを500兆とすると、その10%に当たります。なので政府から国民の生産量に対する総合税率(私的な造語)は10%と仮定します。で、これを上記の不等式に追加するなら、 政府の年間支払い金額<実質GDP×総合税率もし上記不等式中で支払いが足りないのであれば、だから政府は総合税率を上げる必要があるということになります。倒産を防ぐ為には。(日銀に不足分を刷らせるというのは、この場合、現金で補充するか、金利も償還も無い債券で不足額を充当することになりますが、いずれにせよ、倒産している事実に変わりはありません)というわけで、GDPの10%、現在であれば約50兆にあたるのですが、特別会計も含む予算全体で見れば既に支払おうと思っても支払えない金額にはなっています。借款債だけでも今年度100兆発行予定なのですから、本来であれば支払わなくてはいけないものの2倍がそこだけでも不足していることになります。(60年償還ルールの、もう一つの穴は、最初に借りた借金とかは消えていくだろうけど、総額としての借金は新規国債発行(及び借入を)続ける限り決して減る事は無く増え続けていく、という事実です。例えば税収が50兆しかない国が、借款債で60年ルールなんで3000兆までいけます、なんてのは理屈では通ったとしても、上記の<税率100%の限界>をその国に存在する全ての資産、例えばその国に存在するマネーサプライの総額に当てはめたとして、資産よりも大きな負債をその国が負う事が出来るかどうか、という本来ならば考えるのもバカらしい事態に、今近づいています。個人金融資産として考えられる広義流動性が約1400兆未満で、それを全部借金の担保に充てたとしても(国が税金で取り立てたとしても)借金を返済出来ないとするなら、その国に存在する資産(まぁ不動産入れれば別とか言う人もいるでしょうが)以上の借金は持てない事に、基本的には、なる筈です。基本的にはと書いたのは、日銀が以下略だから。)上の()内を式化するなら、政府の借金<広義流動性となり、仮にこれを<政府の金融モラルの境界線>とでも称しておきます。まだ破産していない国においては、必ずGDP<広義流動性が成り立つ筈ですので、<税率100%の限界>を広義流動性にまで当てはめるのなら、これを超えて政府の負債が膨らんでいくというのであれば、それは(日銀などの本来有り得ない活動によって存続が支えられているという事で)<負債超過の政府>と仮に呼び、その政府(と日銀(中央銀行)が<政府の金融モラルの境界線>を超えて存続している国の通貨は、<負債通貨>(有利子通貨)となります。この時点で、その国の通貨と国債などの全ての債権と資産は、 信用<不信用となります。言うまでもないでしょうが、信用の無くなった通貨は通貨ではありません。日本に当てはめるなら、平成16年度まででも国債と借入金残高だけで810兆円で、増加ペースがまぁ70兆平均だとしても、広義流動性1400兆円未満まで到達するのに8年くらいですか。<政府の金融モラルの境界線>を超える前に勘定の算定の仕組みなら何やらを変更しそうですが、ね。(国際的な圧力には、あまり期待しない方がよさげです。それはまた次回)で、と。だいぶ話がわき道に寄りましたが、政府の年間支払い金額<GDP×総合税率を現実的に日本に当てはめるなら、一般会計の歳入の国債依存度が51%以上になれば、黄信号という事になるんでしょうね。(本来はもっと危ないのでしょうが)消費税の税率を1%上げると約2兆円税収が増えるとかいう計算があるそうで、例えば現在の5%から15%へ上げたとして税収が単純計算で2×10=20兆増えたとします。現在80兆の一般会計予算が100兆になるわけですが、先程も触れた通り、47兆の税収が67兆になっても全体としては足りないわけです。借款債+60年償還ルールを最大限に活かす為には、新規国債発行を止める必要があるのですが、現状で30兆発行してる分を単純にもし消費税だけで埋めるなら、15%は上げないといけない事になります。計20%の消費税に上げておいて、でも消費そのもののペース(総額)は落ちないというのは虫が良すぎる考えですが、それでも国全体の支払いから考えるなら支払いは足りない事になります。(特に借金を返していこうという考えなら)ちなみに政府の全歳入が日銀(中央銀行)との間で、国債とお金のやり取りだけで済まされるようになるのが、無税金政府ということになります。この場合、基本的に政府の収入は無限大になりますが、信用は反比例の関係になります(の筈)。とりあえずこの項は、ここまで。まだちょっと続きます。(たぶん)
2005.02.24
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水曜は帰った後疲れが溜まってたか体調が少し崩れてたかで、帰宅後から倒れ込むように寝てました。そんでもって、最近取り組んでる国債というか、なんで数百兆の借金抱えてても日本が倒産しないのか、自分なりに調べて何となく分かりました。(たぶん)昨日の分の日記で、借款債というもので借り直し、それが去年から既に国家予算(特別会計分除く)を越えてると書いたのですが、それでも『国債の借金はいつか消えるから問題無い』とwebで書かれてる人がいたので、ここ数日はそれがどういう仕組みになっているのか調べてました。ひとみいごさんのコメントへの返答の中で60年償還ルールというものに触れてましたが、これが日本を延命している法律そのものと言っていいでしょう。(極論するなら)例えば60兆の国債を発行したとします。(10年もの金利1%と仮定)毎年6000億ずつが利払い。10年後には満額と最後の利払いをするわけなのですが、この時償還する為のお金(財源)が無ければ、ここで借款債の登場です。借金の借り換えですね。で、この借款債そのものの消化方法なのですが、これを考えた人はものすごく頭がいいといえばイイ。というよりは、まともに考えれば『反則技だろ!?』と思えます。だって、今から60年前といえば1945年ですよ?wwwで、ここら辺の国債の整理に関する法律がいつ定められたかというと国債整理基金特別会計法という明治39年に制定されたものらしいです。ちょっと脱線しましたが、60兆を借款債で借り換えて、特別会計の方にそれが計上され、単純計算すると、一年で1/60ずつ、一般会計から国債整理基金特別会計に繰り入れ、国債償還の原資に充当するのです。実際には、前年度末の国債残高の60分の1に相当する額、なのですが、上記の例で言えば、毎年1兆円ずつ一般会計から特別会計へと繰り入れていけば、60兆の借金はいつか消える事になります。600兆なら一年で10兆ずつですね。で、ここがミソなのですが、普通、借金を返すとなったら、現金で返すことをイメージしますよね。無いお金を切るという手形ではなく?一般会計予算から繰り入れているということで、その分のお金を割いているといえばいえなくもないのですが、その分のお金も新規国債で充当したとすればどうでしょう?おやや?そうすると、例えば10年国債でその分を埋めたとすると、繰り入れ分の1兆なり10兆なりの借金の借金の返済が更に10年+60年とかに延びていくことになります。そうして最初の60兆の借金はいつのまにか消えたことになります。すごくないですか、この仕組み考えた人?笑現金は、あえて言うなら新規発行しなおした分の利払いの部分だけを払えば良いことに。自分には関係無いと思う人。そうかも知れませんが、例えばたばこ吸ってる人なら、その特別税はこの償還部分の繰り入れに充てられたりしてますよ。焼け石に水みたいな存在ですがね。笑(私はたばこ吸ってませんが)(まぁ、また後で少し書き足します) 参考・借款債による公債償還の仕組み・減債制度の仕組み・最近7年間の国債整理基金の国債、借入償還財源の繰入額等、償還額等、年度末基金残高、借換額の推移・国債整理基金特別会計
2005.02.23
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今朝起きがけに見たニュースの1本目が、『男性人口、戦後初のマイナス』というものでした。これ、人口減少関連のニュースは個人的にずっと気にしてるけど、すごく重いニュースだと思う。(これからおそらく人口は増加に転じないのだから。持つ意味合いは高齢化社会なんて狭い範囲に留まりません。)で、その次が、駅伝を終えた学生の列に自動車が突っ込んで16人死傷というニュースでした。以前こんなのを書いてた事もあり、(今回の死者は一人だったものの)やはり有り得る出来事なのだなぁ、と怖くなりました。で、昼間なのですが、優良サイトを見つけてそこの記事を熟読(?)してました。(ォィマーケットの馬車馬札割れについて調べている時にこちらのサイトにヒットしたのですが、金融政策論議の不思議という連載のシリーズもかなり秀逸で、量的緩和がなぜインフレにつながらないか、といった話や、国債とお金の距離がほとんど無くなっていて、違いは国債が金利を持っているというだけのこととか、もう本当にいろいろご紹介したいことが山ほどあって、とりあえずその第一回目のリンクと、別のblogさんとの議論のページなどにもリンクを貼っておきます。・金融政策論議の不思議(1) 量的緩和とは一体何だったのか(リンク先の一番下の記事からお読み下さい)・bewaad氏と馬車馬氏の議論集各論や細かい話なども含めて関心がある方は疲れない程度にゆるゆる休み休み読まれるのがよろしいかと思います。内容についてはリンク先をご覧頂くのがいいとして、お二方のサイトとか議論を見てて思ったことを書いてみます。先日の『ルワンダ銀行総裁日記』とか『よくわかる経済ニュース』とか読んだ時も強く感じたことなのですが、べらぼうに良く分からないものの上に乗っかって生きているんだなぁ、と今回もですが、つくづく実感しました。車の免許を持ってない人でも、キー入れてエンジン起動してアクセル踏めば車は進むかも知れませんが、私達が暮らしてる日本とかアメリカとかいう近代国家の特に通貨や国債などの仕組みや流通に纏わる事は、ほとんどジェット機の操縦とか宇宙船乗組員並の専門性が求められています。おそらく誇張ではなく。例えば、1円がなぜ1円の価値を持っているのか?100円で買えるものは本当に100円の[価値]があるのか?クレジットカードの決済には、実物の貨幣は移動しないままに実体経済の通貨が右から左へと移動するという現象が起きてる事の意味も含めて、とにかく、全体像が掴めないのですよ。それを端的に言い表すにはこんな質問が適切かも知れません。『地球上に、現在、円という通貨は、どれくらい存在しているの?』何を知りたいかというと、円という通貨の持つ経済規模。逆に言うと、その規模は日本と言う国の経済規模と、ほとんど等しいかなと漠然と捉えていたのですが、上記のクレジットカードの例の通り、通過の形を全く取らない経済活動もあるわけです。(デリバティブとか金融派生商品の経済を含めるのであればもっと話はややこしく・・・) 実体経済とマネー経済の差異。言葉としてはやはり茫漠としてしまうのですが、国債がほとんど現金化してる現在、その両者の違いを可能な限り知っておく事が非常に大事なのです。これ、いろいろ調べてたんですが、GDPとかM2+CD、広義流動性で表されるものとも違うんですよね。GDPの成長率にしても、昨年一年間日本の市中に流通した通貨流通高から新規発行高を除いたものでは、単純に、無い。自分でこう書いてても頭の中がぐちゃぐちゃで、書き出す前はもっと、端的に言えば、ブルーになってました。鬱になったことが無いので分からないのですが、鬱になるとこんな感じなのかな、という状態で、何故だか分からないけど無性に悲しくて泣き出したくなってるような状態でした。おそらくは自分の知りたい事、分かろうとしてる事に対して、自分の脳力が追いついていないという事に対する悲しみだったのではないかと思います。そんな自分に今日トドメを刺してくれたのは、こんな記事(表)でした。(最初に見たのは昼間でしたが)・平成17年度国債・政府保証債の発行予定額この表の赤字借款債の項目の金額に注目して下さい。去年一年で84兆円。今年一年で100兆円発行される予定です。これが何かというとこちらを見て頂くと分かりやすいのですが、大雑把に言うとこういう事になります。今年は50兆円返さなきゃならないけどお金ないから70兆円新たに借り直すね。新しく国債を刷って。来年は60兆、その次は70兆、次の次は80兆という感じで、借金をまるごと借金で借り直しているのです。通常予算の中の30兆円国債新規発行なんて、だからクソです。ごまかしです。17兆円が償還に充てる分とかいうので少な過ぎると思っていたら、国家予算をも上回る額を丸ごと借り直していやがりました。今年2005年は100兆ですよ?大笑それが120兆、140兆と、年々続いていくわけです。(おそらく、ね)これが笑い話でなくてなんでしょうか?(日本の個人金融資産は1400兆あるから大丈夫なんて言ってる人達も、私はその大丈夫という根拠も否定しますが、日本の赤字借款債(借金借り換え債)がその規模を上回るのは、そう遠い日のことではありません)予算編成なんてだから「おままごと」です。そこで200億だの2000億だの何兆円だの「財源が足りない」なんて言ってる連中、全員クビです。既に国家予算を上回る額を丸ごと借り直し続けている現状からすれば、そこらのホームレスの人を連れてきて予算組ませても同じです。だってお金は全部無い所から調達されてきているのだから。現実的な収入の範囲内で予算を組んで政治を動かせないのであれば、無い金を使って自由に何をやってもいいのであれば、国会議員はだから全員職務放棄してることになります。言い様の無い悲しみと怒りに包まれました。現代国家の政府を少しだけ弁護するとしたら、実体経済とマネー経済を計画経済で管理しようとしている(通貨・国債の発行や金融政策という行為そのものが計画経済という側面を持っている。)現状こそが、そもそもの悲劇かも知れません。上記の馬車馬さんの議論の中でも触れられていましたが、現実問題として、政府の歳入を全て国債(=最終的には日銀買取です)でまかなえるのであれば、税金を取る意味は全く無いどころか有害ですらあるのです。無税金政府が、実質的に、可能であるという前提で、今日、今この瞬間の日本が、動いているのです。(違うという人は、去年や今年の赤字借款債計180兆円超無しでも政府が動いていける策をだから示さなくてはなりません)無税金政府が実質的に可能である状態で、何故税金が有害かというと、実体経済で流通している(吸収されている)通貨(お金)を、政府が税金として吸い上げて(引き剥がして)しまうからです。ここ数年の政府と日銀は(少なくとも表向きには)、自分達のからくりで水増ししたお金を何とか実体経済(市場)に吸収させようとやっきになっているのですから。日銀当座預金残高が例えば今日50兆円でそれを増せば増すほどインフレの方向に動くというのであれば、逆に日本政府が『明日からは税金取らないで日銀とだけやっていきますね』と宣言した方がよほど簡単に、しかも即座に、インフレになる筈です。現在の租税収入35-50兆くらいとその当座残高、ちょうどつりあってよろしいんじゃないでしょうか?笑(ずいぶん話が乱暴になってる部分がありますが、馬車馬さんとか議論されてる相手の方とかの記事は実際に政府の金融政策に触れ合った現場の人の感覚が含まれてますし、彼らの記事内のリンク先には世間一般で信用されてる話が載ってますので、そちらでお口直しをされて下さい。)
2005.02.22
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まぁ、どうでもいいんですけどね。笑日テレの「今日の出来事」を見てて、日テレ側のアナとコメンテーター二人のあまりの程度の低さにピクピク来てました。まだまだ修行が足りませんね。ライブドアはどっかで経営破綻するとは思いますが、どっかのしゃべり場の十代じゃねぇだろうに、公開されてる株を買っただけの人を、「敵対買収だ!」て、生放送中に罵るなよオイ・・・。例えば道に立ってる売春婦なら、自分を買おうとしてる客を選べるだろう。しかし、上場されてる株に関して言えば、自由に、売られている。その額面さえ払えば、どこの誰が買っても文句は言えない。それが嫌なら、現在の経営サイドで外部から口を挟ませない程自社で保有しておけば良かっただけのこと。それをせず売り(市場)に出していたものを買われた。それだけのこと。とにかく日テレは、経済とかマーケットに関するニュース番組は今後全て自粛すべきでしょう。ホリエモンはどーでもいいのですが、参考までにその番組内の質問をコピペしておきます。(これ見つける為に久々に2ch見たり。w)Q1 ニッポン放送やフジテレビの番組内容に口を出す? A1 「あのねー、そういうしつもんやめてください こういう質問されるんだったら帰りますよ」 Q2 でも、氣志團の番組は多くなるかもしれない? A2 「くだらない質問はやめてください」 Q3 ライブドアと提携したテレビ局は、視聴率も上がる? A3 「あのね・・・」 Q4 ニッポン放送の社名に「ライブドア」の文字を入れたい A4 「本当にくだらない質問ですね・・・」 Q5 ニッポン放送株、過半数を絶対獲得する? A5 「市場で買うってことはですね・・・絶対とか言えないですよ」 Q6 リーマンがライブドアの筆頭株主になる可能性がある? A6 「調べてもらえば分かることなんですが、彼らは特定の金融グループ以外の事業会社を傘下におさめることは、彼らにとっては商売にならないんですよ。 (取得した株は)基本的には売るんですよ、市場で売っていく形でやられている」 Q7 最近、食欲が減った? A7 「・・・減るわけないじゃないですか(苦笑)」 Q8 フジテレビ株を買い増すつもりだ A8 「なんでいまフジテレビの話をしなければいけないんですか? ノーコメント」 Q9 村上ファンドはフジテレビではなくライブドアに売るだろう A9 「わかりません。 高い値段で売りたい、といわれているだけです」 Q10 ライブドア以外にも、放送局買収を考えているベンチャーを知っている A10 「知ってるわけないじゃないですか」漫画『金と銀』じゃないですが、数十億、数百億以上の仕手戦を戦ってる人を生(放送)で見れる機会なんて、そうは無いという意味でも、この一コマを見た価値がありました。堀江個人の評価やマスコミへの露出の仕方がどうであれ、そんな張り詰めた、一種誰よりも真面目な人に、公共の放送の中で、いい大人が尋ねるべき質問では、決して無かったように私の目には映りました。
2005.02.21
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夢の続きが見たくてつい長寝してしまう。そんな経験ありませんか?夢の内容こそもう覚えていないのですが、金土の夜ともに、半端ではなく、長寝しました。元々平日の夜でも3、4時くらいに寝るのが珍しくない私なので、週末に寝貯めする習慣になってました。でも今週はちょっと改めようかと思い立ち、金曜夜はなんと午前2時には就寝してました!(ハヤッで、起きたのが午後3時半頃・・・。11時間半ですか?笑土曜は4時過ぎに開き直って寝たのですが、9時45分にセットした目覚ましは一旦起きて問答無用で止めた記憶もありやはり起きたのは3時過ぎくらいでした。週末だけで1日分寝てるって、どうなんだろ・・・?ま、まぁ今日はずっと買おうと思ってたデジカメ買ったり、黒澤明の『七人の侍』買ったりしました。NortonInternetSecurityとかも。システムが不安定なので、再インストールする時に入れようと思います。(PC新調してからアンチウィルスソフト入れてなかったらしい)なので今朝も4時過ぎに寝ました。(で、また続きを見たい夢見て危うい時間に起き出した私)(欲求不満な夢かというと、そんなんでも無いのですがね。笑)
2005.02.20
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(よい子のみなさんはまねしないでください)えーと、金曜夜に起こったことなんだけど、ゆうべのダウンで書こうかと思ったことが飛んでしまったので今日の分にまわします。用意するもの:TSUTAYAのカード実験場所:み○ほ銀行のATMはい、もう分かりましたね?笑いや、そんなつもりはなかったのですが、間違えてTSUTAYAのカードを入れてしまいました。まぁ、財布の中でたまたまATMのカードより手前にあっただけで、すぐエラーで吐き出されてくるかと思ったのですよ。当然ですよね?きませんでした。笑いや、そのまま手順進めるとどうなるかに非常に興味はあったのですが、やめときました。だって、人が来てエライことになったらイヤですもの。^^;まぁ、土曜日は、黒澤明の『影武者』見てたりしました。評価は5段階なら4てとこですね。役者はすげーうまかったんですけど、ロングショットが多すぎて顔の見分けがつかない場面多すぎとか、ね。(題材的に仕方無いのかも知れないけど)
2005.02.19
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まぁ、よるべない毎日なわけですが、期待されていた(?)ニュースはやはり飛び込んでくるわけで。クルド、政教分離を要求 憲法起草で早くも火花お笑い種なのですが、本心で言えば独立して自分達自身の国を作りたいクルド勢力が、イラクのイスラム教国教化の歯止めの最先鋒になりそうなわけです。だから独立過半数を持つ勢力が、今後もその数と勢力を維持すると仮定するなら、クルドの独立を支持してやる代わりに、イスラム教の国教化を認めろ、という取引をしてやるのが、一番手っ取り早いでしょうね。で、ここからが本題なのですが、例えば国民の100%がある宗教を国教化する事に賛成した場合、それは民主主義の結論として「そうされるべきこと」になります。政教分離というのは、あくまでも、考え方の一つにしか過ぎないわけですから。民主主義国家という言葉の内実として、憲法一つをとっても、どの国の間でもその内容は違うのですから、当然の帰結として、『ただ一つとして同じ憲法を持つ民主主義国家はいない』ということにもなります。唯一の例外としては、その統一憲法の元にまとまろうとしているEUの国々があるでしょうね。そしてイランの核開発問題について言えば、例えばイランが民主的な選挙に選ばれた民主的な政体によって、『核兵器を装備したい』という事を選択した場合、これを外国の圧力で否定する事は、すなわち当事国の選択の自由の侵害であるわけです。この問題に関してはだから、当地の人達の意見は抹殺されていることになり、『人々の意見は平等である』という考えは建前にしか過ぎません。アメリカ国内の一票と、イランその他の国々の一票はだから、全く重みが違うという事になります。新生イラクが将来イスラム教を国教化するかどうかに関していえば、されないでしょう。アメリカが否定するだろうから。笑イラク政党の議員全員が、国会で核兵器の装備を決めたとしても、これは絶対に国外からの圧力で潰されます。100%です。となれば、もうお分かりの通り、イラク国内で何を決めようと否定される事は否定されるという、民主主義なんて屁みたいなもの、という結論が導き出されるわけです。遠い遠い将来に、中東の国々が全て民主的な政体に変わり、EUのようにまとまったとしても、その軍備に核兵器が含まれる事は、EUやアメリカその他の国々によって否定されます。皮肉な事に、最低でも中東からの石油資源が枯渇しない限り、否定され続けるでしょう。人と人は等しい存在では無い。そんな証明の一つだと思います。
2005.02.18
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あなたが いなくなってから私は 初めて 息を吸うことができる目の前に 相手がいるから感じる 苦しみ抱いてしまう 希望受け入れられない 終わりがあるもう会うはずが無いと 覚悟を固め次に進めると 心のどこかで 期待していたのにその人を目にした途端全てが 揺らいだ自転車に乗っていた 体も固めていた 覚悟も会えないという 幸せを私の胸は ずっと後の日になってから初めて受け入れたあなたが いなくなってから私は 初めて 息を吸うことができるいつも いつも どうやったら 少しでも長く あなたの笑顔を見ていられるのかどうやったら 少しでも長く 手を握り合いどうやったら 少しでも長く 舌を絡めあっていられるのか考えていたあなたの心が ぼくから離れた後はどうやったら あなたの心を 取り戻せるのかそれだけを 考えたついに 別れの時が やってくるまであなたが いなくなってから私は 初めて 息を吸うことができるその別れの時が 過ぎた後ぼくは 自由な筈の時間の中へと漕ぎ出した筈だった彼女はあまりにも早く 再び現れた例えば 今なら もっとうまくやれるのだろうそう思い返すこともある年に1、2回 あるかないか ぐらいの頻度であなたが いなくなってから私は 初めて 息を吸うことができる眠れぬ夜の 午前三時そんな昔の思い出を呼び起こす歌に 出会ったそして 確かめたぼくは 今 自由に息をしている
2005.02.17
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朝、いつもより一本遅いバスに乗った。初めて見る女の人がいた。明るいブラウンのコートに白いマフラ。白基調の微妙な模様のバッグには隠されるようにシャネルのロゴが意匠されていて小気味良かった。そのバッグから彼女が取り出した白いレースのハンカチが、また自分のツボに入った。そんなものを持ち歩いてるOLは初めて見たし、それがぴったりと来る人というのも、だから初めて見た。彼女を見て微笑み、彼女もこちらを見て微笑みを返した。彼女は左手の薬指に、繊細な透かし模様を刻んだ金の指輪を嵌めていたが、それも、彼女らしさの一つとして映った。彼女と何も始まらないにしても、私は彼女を気に入った。駅につくと、すさまじい混み様で、ホームで電車に乗り込めるまでに20分以上を要した。会社について聞くと朝方にあった地震のせいだったらしい。寝てて気付かなかったと言ったら怪訝な顔をされた。まぁ鉄筋コンクリートで出来た十階建ての建物の一階に住んでて熟睡の極みを叩き起こされるような地震であれば、慌てて飛び起きる必要も無いだろう。起きる所は寝た時と別だろうから。東シナ海に突き出した日本の領土と思われる島に灯台を作ると日本の首相が言った途端、中国が大騒ぎしてるらしい。大前氏の本を昨日読んで抱いた中国観とはまた異なる中国観を抱いた。どちらも正しいのだろうが。仕事中、絵本のお話を考える感覚で、最近捉われている通貨の総量や価値の総量などについてお話のようなものを書き始めた。今も書き続けているが、まだ書き終わっていない。意味があるかどうか疑いつつ書いてるが、自分の頭の整理の為にだけ書いてると言い聞かせながら書き続けている。職場。例の使えない新人の処理がやっと進みそうな状況になった。やっと、である。彼に見切りを付けた約10ヶ月前と同じ過ちを今日も犯して、同僚から指摘されるまで当人は気が付かなかった。彼は自分の扱う水と油くらい異なる二つの商品群の区別が未だについていない。技術的な素養がどうとかいう問題ですらなくなっている。単純で深刻な悲劇であり喜劇でもある。当人だけが変哲の無い日常として捉えているらしい。サッカーの世界的なスター達が集い、スマトラ島沖震災のチャリティーという名目で試合をやっていた。見る人に希望と笑顔を。そんな心意気で、彼ら自身楽しんで、夢の様な時間を紡ぎ出していた。魅せる。そんなプロスポーツの一つの原点で競い合っていた。ロナウジーニョの笑顔が眩しかった。ジダンは決められる場面でも目の前で倒れた相手GKをからかうように何度もフェイントをかけてからパスを出した。ゾーラという38歳のプレイヤーの浮かせたトラップからのループシュートも見事だった。勝ち負けが問題ではなく、DFやGKにとってはある意味で辛い試合だったろうが、とても楽しい時間を私も過ごさせてもらった。EQ2。CityTaskというものを短時間で二つこなす。そのゲーム内でしか価値の無い『価値』を稼ぐ為に私は時間を使っている。そこに現実の通貨がどのような経路や理由であれ関連付けられた時が、通貨が経済に吸収された瞬間とでも言うのだろう。猫達、相変わらずかわいい。お休みなさい。
2005.02.16
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算数ができないこの身がつらい。複利計算とかがぱっとできればもっと楽だったろうにと痛感した一日でした。いや普通に働いてはいたんですがね。笑その傍らで今日は昼間から、13日に書いた日記の追記に熱中してたりしました。その内容は主にこんなことです。『(実質)GDPと国債発行残高が例えば等しい時、何故、何が問題となるのか?』実質GDPの成長率よりも、国債発行残高の利率の方が高い場合、何が問題になるのか?(両者の総計が同額と仮定した時)非常に大雑把な例えですが、500兆円だったGDPが550兆円に増えたとします。実質GDPの伸びた額が50兆円あったとしても、国債の元本償還費と利払費の合計が50兆円以上あったとしたら、その成長の意味は打ち消される事になるのだろうか?(実質GDPが伸びたのなら税収の増額は期待できるにしろ)で、もっと言うと、経済成長(実質GDPの伸び)率が0%で、昨年のGDP500兆円のままで増額が無かったのに、例えば国債が新規に30兆発行され、元本償還費と利払費の合計が20兆円あったとしたら、それは何を意味するのだろうか?その年実は新規に50兆円お札が刷られていたとしたら、それは重ねて何を意味するのだろうか?とかね。(答えはまだ考え中です・・・。)で、今日は帰りに『考える技術』という大前研一の本を買って読んだりしたのですが、いくつか得る所はあったものの、ある意味でさらに混乱しました。何故か?13日の日記でご紹介した『経済のニュースがよくわかる本』というのは、分かりやすくは書かれているのですが、経済モデルとしては(大前氏の言葉を借りれば)100年前のケインズ理論を元にしているのです。例えば景気を抑えるには金利を上げればいい。といったような考え方ですね。マネーサプライ(通貨供給量)を増やしていけばいつかインフレになる。というようなのも経済学者(例えば竹中大臣とかも信望してたりする)の説です。CMで言えば、日経良く読む、で世の中万事オッケーという考え方。外為で円やドルの価値が上がったり下がったりする理由は、WBSを眺めてればなんとなく分かった気がする。そんな幻想を打ち砕いてくれるのが大前氏の考え方です。(ここ数年で一般のニュースに乗り出した道州制を25年前くらいに提唱した人でもあります。)まぁ私も完全に考えとか状況を自分の物にして言ってるわけではないのですが、この本を読んで、例えばマネーサプライを増やせばインフレになる筈なのが何故ならないのか?(日本では通貨供給量を増やしてもデフレが続いているのか?)その質問に明快な解答が載っていました。『物価が上がるためには、お金がモノに替わらなければならない』追加供給された通貨(お金)が当事国の経済に吸収されない限り、当事国内の通貨流通量は増えない。吸収されなかった通貨は、より有利な条件を求めて当事国外の市場へ流出してしまう。具体的に言えば金利の高い方へと移動する。当時国内(外)の金融機関から国債という形で吸収されたとしても、それは直接経済活動には関係しないし、モノにも変わらないので物価にも反映されない。従ってインフレも起こらない。(もしくは限界が来るまではインフレも起こらない。債務不履行が先に来る?)この大前氏の本や経済のニュースが良くわかる本を再読して比較しつつ思ったのは、マネー経済の全体像をおぼろげにでも掴まないと、有効な対策も立てられないのではないか、という事でした。例えば、各国の国内流通通貨の増減や、新規発行通貨量、一日に、各国間で電子的に取引された為替や大前氏の言う所の『マルチプル経済』の空間の動き(自己資本の100倍や1000倍の取引がされる)。他にもまだまだいろいろな指数はあるにしろ、ダウや円ドルレートや日経平均株価とかTOPIXだけ追ってても(株やってる人はまぁ別にして)、経済の全体像は掴めないなぁとしみじみと痛感しました。まぁ掴めないものかも知れないし、つかめたとしても意味はあまり無いものなのかも知れませんが、気が向いたらまた徒労してみようと思います・・・。例えば月10万の収入があるフリーターの給料が11万に増えたとしても、利用してる消費者金融の月々の支払い額が給料の増額分より増えたら生活は楽にならないよね、て事でいいのかな・・・。(最後までわけわからなくてすみません)(頭の中でいろんなものがぐるぐると回ってる状態です。笑)
2005.02.15
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「ぼくが結婚することが将来あったとしても、お父さんは呼ばないから」家族が父から別居することを決めたあの家族会議からもうどのくらいの日が経ったのだろう。逞しく働き、大勢の家族や里子達を養った父。『自分の好きな事を頑張れて何が偉い? そんなの誰だって出来る。 誰もやりたくない事を頑張れて、初めて偉いんだろうが?』という言葉にはっとさせられたのはいつだったか覚えていないけれど、その言葉はまだ私の記憶に突き刺さっている。けれども、母がいるのに他所に女を作り、借金があるのに勝算の無い不動産に手を出して負債を増やし、自分の会社を継がせようと長男たる兄を引き込んだのに酒酔い運転で事故を起こし、その直後にあった家族会議で『私は全てから自由になりたいんだ。フリーに!』と現実から逃避するような言葉を吐いたあなたに、私も家族達も見切りを付けた。その日以来、私は実家に帰っていない。別の家族会議の時とか、転居先に突然父が現れて会ってしまった時はあったが、私は父を二度と受け入れる事は無い。彼が私の父という事実は変えようが無いが、私が彼と同じ屋根の下で暮らす事は、二度と無い。別居先でも度々父を再度暮らす道を模索し続けた母に私はいつもそう告げた。非情かも知れなくとも。父の言葉で私が幼い頃から大嫌いだった言葉がいくつか、ある。『誰がお前を養ってやってると思うんだ?』『イヤなら出て行ってもいいんだぞ?』周囲に子を持つ人達がいる年になり、それは親として当然の事をしているに過ぎないのだと肌で分かった。なのに他に生活の当ても行く先も無いのに子供からそれを取り上げるように脅すのは、しつけの方便かも知れなくとも、やはり脅迫に過ぎないと私は思う。ハタチくらいで結婚し、小さいながらも会社を興し、家族や社員や血縁でない里子達まで引き取って養った父の功績を私は忘れないし否定しない。しかしそれだけでは一緒には暮らせないのだ。家族が父と別居を決めた時、みんながふと漏らしていた言葉がある。『なんとかは死ぬまで直らない』父自身が最も良く使っていた言葉でもあった。愛の告白の日。そんな胸ときめく為に設定された日かも知れないが、暦の上でその日が近づくにつれ、私はそれが父の誕生日であることを嫌でも思い起こされる。それは父の思い出を掘り起こす事にも直結する。もし父の傲慢な鼻っ柱が完全に折れたとしても、私達家族が父と暮らす事は二度と、無い。将来私が誰かと結婚する事があっても、私は絶対に、父を呼ばない。それは思い出というよりは決意であり、父以外の家族が共有している事実でもある。そんな嫌な思い呼び起こす日がだから私は嫌いだ。例えもし将来私に恋人が出来たとしてもこの日だけは、好きになれそうには、無い。「ぼくが結婚することが将来あったとしても、お父さんは呼ばないから」後日家族会議に同席していた義理の兄から、「良く考えてみると、すごくキツイ一言だよね」と言われたが、私は前言を翻すつもりは、ない。自分の妻を家族を裏切った人に何故結婚式で祝福されたいのか、私にはそちらの方が分からない。聖なる愛の日らしいが、私はいつもそんなことを考えたりする。ぐるぐると。
2005.02.14
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(2/15、文末に一部加筆) 昼過ぎにやってた「いただきごはん!」とかいう番組で、パペットマペットが出ていたのですが、周りにいるゲスト達は番組内で出されていた料理を食べていました。え?と、当然思いました。そうです、期待に外れず、パペットマペットはカエル君がお箸をくわえたまま、『おれにどうしろと?』と悶えてました。笑隣にいた(おそらくメインの)司会役の人が、「ここから先は編集で切っておくからさ、(着けてるもの)外して食べなよ」と言いましたが、「これは何かのトラップですか?」と彼は誘いには乗らず、まさに手持ち無沙汰なまま芸をやらされていました。って、全然タイトルとは関係無いですね。てへ☆と、まぁこの連休で主にやっていた事の三分の一くらいは、『カリスマ受験講師 細野真宏の経済のニュースがよくわかる本』の世界経済編と日本経済編最新版を読んでました。この二冊を読めば、GDPとか量的緩和とか通貨切り下げとか空売りとかデリバティブとか、ゼロ金利政策と量的緩和の違いとか、公定歩合とロンバート型貸出制度の違いとかまで、まぁ本のタイトルの通り、良く分からないと一般に思われている経済(ニュース)の中身や仕組みなどが大変に良く分かる内容になってます。この限られたスペースで濃密でしかも分かりやすい内容をどうご紹介するか無い脳味噌を絞ってみたのですが、妙案が浮かびませんでした。本屋で立ち読みするか買うかネットで注文してみて下さい。日本の財政問題や通貨や世界との経済の関係が、何故自分にも関係のある事なのか、分かると思います。つまらん映画2本を映画館で見るよりは、絶対に、人生の糧になる2冊です。あまりにも内容が分かりやすくしかし多岐に渡っている為に、ここでは直接内容には触れません。実際に中身を見て頂く方が良いからです。なので私は、この2冊を読んだ雑感を書きなぐってみて、それでこの本の空気を感じて頂ければと思います。まず、先日の『ルワンダ中央銀行総裁日記』でもそうだったのですが、何でもかんでも絶対民主主義=多数決、が正しいとは限らない、という事実を再度強く感じました。今日の世界では、各国の中央銀行の総裁やその下の能吏達の果たす役割は、致命的に大きくなっています。はっきり言えば、不安定な選挙などで入れ替わっていく各国首脳や党幹部よりも、果たす役割は(特に世界経済の上で)重要です。人々の命は平等かも知れないが、考えは平等に扱うべきではない。そこには確かに優劣が厳然として存在しているから。例えば、この2冊の中でも何度か(異なる形で)持ち出され検証され(論破され)ていますが、景気が悪くなると必ず出てくる、『景気が悪いなら好きなだけお札を刷ってみんなに配ればいいじゃないか?』という考えがあります。現代の紙幣は金本位制から外れています。では何が裏付けになっているかというと、極端に言い切れば(ファンダメンタルズを無視する訳にはいかないにしろ)信用です。例えばコーラ1本が1ドルで、1ドルが100円とした時、円だけ好きなだけ、例えば1万倍刷ったとしたら?円だけじゃだめだというなら、ドルも好きなだけ刷ればいいじゃないかというのは、(円でもドルでも違う意味でそれに近い様な事が行われているにしろ)裏付けとなる商品が一万倍用意されるので無い限り、単純に紙幣をほぼ無価値にするだけの事に終わります。(実際はそれだけで終わりませんが)コーラなら買わなくても済むでしょうが、原油とか石油ならどうでしょう?(原油やその採掘量や埋蔵量に現実的な限度が有るのに、お札だけ各国が勝手に刷りまくったらどうなるでしょうか?)車に乗らないから関係無いね、で済む話では無いのは、特に日本に住んでる人であれば、お分かり頂けるかと思います。一国の通貨切り下げ(お金の価値を他国の貨幣、主にドルに対して下げ)ると、隣国の経済を直撃したりします。現在では中国の元を切り上げると甚大な影響が世界中に及ぶでしょう。で、この2冊を読んで改めて思うのは、そんな経済や通貨の政策を考案し決定する人を、何も分かっていない人達の中から選挙などという的外れな行為で選ぶ事に意味は無いし有害ですらある、という事です。厳密に言えば、政治も国債の発行量というような意味で経済に直結した行動を取るのですから、経済のド素人が国の最高責任者になる事は、国全体に対して非常なリスクを負う事になると言っていい。その場合は、分かっている人を担当に置く必要性が高くなるわけですが、問題は、分かっている人かどうかを判断する権限が、分かっていない人の側にあるという事でしょうか。先述のルワンダ中央銀行総裁を務めた元日銀職員の方の言葉を借りるなら、「その国の中央銀行の業務さえこなせないようであれば、独立国家である資格さえない」となるのですが、民主主義と資本(自由市場経済)主義がその根底と運営において背反する要素を持つ存在であるのに、その相反する得体の知れない何かの上に初めて自分達の日常が成立している事に戦慄を覚えました。日銀(国家の中央銀行)の職員や総裁の人事、及び運営内容などは、国会のコントロールから完全に外れているわけでは無いにしろ、選挙で決めていくわけでは無いのですから、その意味において、既に我々一般人のコントロールを離れた所にあるものと言って良いかも知れません。(それで良いという部分ももちろん多々有るのでしょうが、ただ、自分の国の中央銀行が行っている事の意味は理解出来ている必要は、有るのでしょう。)民主主義国家に住む、という事は、選挙権を行使する、という事だけに終わりません。自分の住む国の面倒を自分で見れるようにならなければならない。それがいかに難しい事か、再び、考えさせられました。(この週末やっていた事の残り三分の一の一つは、ガンダムの映画三部作を観た事だったのですが、ギレンの言うような事が正しいわけではないとするなら、それを証明しなくてはならないのは反論する本人でもあるわけです。『愚劣な民衆は優秀な(一部の)独裁者によって云々』という理屈を、一部ですが、我々は既に経済の実情として取り入れてしまっているのです。)===以下、追記部分===小市民伯爵さんの質問へのレスが長くなったので本文中に追記として置きます。>だけど国債は数百兆と刷ってるのに意外と>大丈夫なのを見ると、意外といけそうです>(何でこれで国家破綻しないのか不思議でならない)ロシアがデフォルト起こした例が最近ではありますね。1.紙幣刷り過ぎてハイパーインフレ<物価が数年で約2600倍に2.新ルーブルを発行:新1ルーブル=旧1000ルーブル3.IMFから援助を受ける代わりに、紙幣ではなく国債を発行するように言われてそうする4.国債を発行したがその利子が80%とかを超える事態になり、債務不履行へ(で、LTCMなどの西側金融機関も大打撃を受け、ロシア発世界的な経済危機に)アメリカのグリーンスパンにしても、ドルを刷りまくって日本や中国その他世界中がそのドルを買い支えているので(買わせているので)、インフレも起こさず何とか景気を底支えしているという見方もあるそうです。で、日本についていえば、図式はたぶんこうなります。1.政府が例えば1兆円分の国債を発行する(→裏付けの無い架空紙幣1兆円の発生)2.市中(民間)銀行がその国債を買い取る(現存する1兆円により買い付けられる事で架空紙幣である国債の価値を裏打ち)(ただしそのままでは市中銀行に1兆円の穴が開いてしまう)3.日銀が市中銀行からその国債を買い取る(紙幣を刷れる存在である日銀が1兆円で市中銀行の穴を埋める。これは既存であろうと新規に刷った紙幣で買い取ろうと、やっている事に根本的な差は無い。市場に新たな1兆円を生じせしめているという意味で)で、ここからが問題。(ロシアがつまずいたのも(要因は異なるけど)根本的には同じ部分)国債には利子が付随している。例えば国債10年物2%の利率で、1兆円の発行額なら毎年の利払いは200億円になる。この利息は『絶対に政府(国)が支払わなければならない』。(本来であればこの利息は税収(国民(市場)からのお金)が充当されるが、その税収が不足している場合、支払いに問題が発生する。ロシアは急激に高騰した国債の利息を払えなくなった為、債務不履行を起こした)4.政府は日銀に対して、上記1兆円の利息200億円を支払わなければならないのだが、それが不可能な場合、不足分を埋める為の国債を新規発行する。その場合10年分の利息と満額分の1兆円を合わせた1兆2000億円が発行額となる。(赤字国債の基本的な考え方がこれだと思います。WEB上の一般的な解説とは全然違いますが)5.4を現実化する為に1~3のプロセスを踏み、それは副次的に再度4のプロセスを発生させる。こうして、"発行額と利子支払いは膨らんでいくものの債務不履行は将来に先延ばしできる。"そう考えるのであれば、(赤字)国債=利息のついた紙幣、となる。ではどこで破綻が来るのか?・市中銀行(市場)が買い切れない額の国債が、市場に売れ残った時→日本の総資産が2500兆円くらい、個人金融資産が1400兆円未満、GDPが500兆円くらいと言われてますので、国の負債が総資産を上回る事があれば、実質的な価値の裏付けそのものが不可能になるでしょう。いくら日銀が直接買い付けをしようと。日本という国に存在している価値以上に国債に価値を与える事は出来ないからです。・一般に、国債は発行すればするほど利率が上がる(大量発行されればされる程価値(と信用)が下がる為)が、この利子支払い分が国家予算額を超えた時(厳密に言えば租税収入額を超えた時)→有り得ませんが、その時は明らかに、限界を超えたと市場から判断され、デフォルト(債務不履行)=利子の不払いが起こるでしょう。<余談>現状の予算では、支出(国債償還費)の2割17兆円に対して、収入の4割30兆円は国債発行に拠っています。国債にも様々な償還期間と利率が存在しているにしろ、国債償還は(元本+利息)であるとするなら、何か違和感を感じます。税収が47兆円しか無いのに支出全体は82兆円というのもおかしな事態なのですが、500兆円の国債発行高に関して17兆円しか返済しないでいるという事に関しても違和感を感じます。これに関してはまた別の項で。又、日本の国家予算を語る時、一般会計とは別に、特別会計(財政投融資)を含めないと全体像は掴めないのですが、これを含めると更に話がややこしくなるのでこれも又別の機会に。一部だけでも取り上げるなら租税収入が50兆に満たない国が外為に30兆突っ込んだりしてるだけでも、どれくらい異常な事が起こってるかお分かり頂けるかと)日中境界線の天然資源については、中国は絶対に止めようとしないでしょう。現実的に言えば日本も採掘すれば良い(だけ)なのですが、中国を止める事は憲法改正しない限り無理でしょうね。(軍事的な衝突さえ外交オプションに含めなくてはならないので)これに関しても別の機会に書きます。
2005.02.13
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昼間にやっていたとある番組で、あのヘップバーンが家族料理としてトマト味のスパゲティーを作っていたというのを見て、まぁご想像の通りカプリチョーザに出かけてトマトソースのスパゲティーを食べてきました名無之直人です。素直っていいですよね☆(ナニカチガウ)で、その料理を待ってる間に『司馬遼太郎が考えたこと3』を読んでたわけですが、この本との出会いがまた面白かった。先日社外のセミナーに参加してきたのですが、その帰り、沿線の映画館の上映スケジュールでも確かめようかと駅の売店で「ぴあ」を探してたらそれは無くて、ふと顔を上げたら、そこに何故か、3巻だけ、置いてあったのですよ。なぜかね。笑私は、1巻は西葛西のたまたま寄った売店でかなり以前に買い、2巻は品川駅近くの本屋で。その本屋にも3巻は置いてなかったのですが、なぜか、その売店には3巻だけが2冊くらい置いてありました。買え!いやむしろ買いなさい。と命令口調で呼びかけるように。そして運命に脅された私は素直に買いました。ええ、チキン素直ですからね!前置きが長くなりましたが、清沢満之(きよさわまんし)という江戸末期に生まれ明治期に生きた哲学者/宗教家に関するエッセイに面白い言葉がいくつかありましたのでご紹介します。仏教に私は疎いのですが、『南無阿弥陀仏と唱えれば死んだら極楽浄土へ誰でも行ける』というのは、聞いたことある人多いと思います。私もそんな仏教の教えを広めた人がいると小学だか中学の歴史の授業で教わった気がします。それは浄土真宗という親鸞という人が広めた教え、と言うと大雑把すぎる事になるかも知れませんが、清沢満之の到達した浄土真宗の祖とされる「親鸞」によれば、「来世の幸福のことは、私はまだ実験しないことであるから、ここに陳べることはできぬ」というもので、「極楽浄土の有無、霊魂の滅否は無用の論題也」というものだったそうです。なんか、固定観念として小さい頃覚えたものが引っくり返されるって、こういう感覚でしょうね。笑しかも親鸞は生前「私は一人も弟子をもたぬ」といい、「自分の信仰は自分一人のためのものである」といったそうです。本願寺という戦国時代や一揆と結びつくイメージと全然かけ離れてますよね。笑(たださっきネットで見てたら、そう言ったかどうかは別の見方もあるそうです)そしてさらにこの清沢満之は踏み込みます。以下文中のままに引用。(太字は私が意図的にしたものです)「仏・極楽は実在するか」 と問われたとき、清沢は、信仰は主観的事実である、と答える。ある・ない、というのは相対的世界であって、神仏はそういうところにはいない。そういう意味でいえば、「私はまだ実験したことがないためにいまだ知らぬ」(親鸞も『歎異抄』のなかでよく似たことをいっている)。しかしながら、神仏は存在する。つまり神仏が存在するから信ずるのではなく、信ずるから存在するのである。つまり絶対的世界に、神仏・極楽が存在している、というものであった。主観的事実。なんかものすごく格好良い言葉だと思いました。客観的事実という言葉は普段耳にして、皆その言葉を成立する為にあくせくと証拠となるナニカを用意して誰かを説得しようとするのだけど、この言葉は全くその必要を持たない。その努力を頭から否定して、悠々としている。誰かが誰かのことを好きとか嫌いとか、恋愛感情とかも、似たようなものだと思う。そこにナニカの証左や理由付けが発生する必要は無い。そうなってしまえばそれまでなのだから。主観的事実。私はこう思う。私はそう信じる。そう言い切る中でこそ、初めて息衝くものもある。仏とか仏教とか極楽浄土とかには興味が無い私ですが、なんかこの言葉はすごく気に入りました。主観的事実。お勧めです。笑
2005.02.12
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今日も今日とて、というか風邪からやっと復帰してEQ2などをやっていたら、銀行が閉まる直前についてお金を下ろせずシャッターは下りて悔しい思いをしたらしい名無之直人です。こんばんわ~!最近は風邪のせいにして手抜きな日記が続いていたので、ちょいと気合を入れてみます。(入れない方がいいという意見もどっかにあるのかも知れないけれど)そんで今週のSPA!なわけですよ。SPA!はゴー宣が連載してた頃は少しは他の記事も眺めてたけど、SAPIOに移ってからはそれも無くなり、電車の中吊広告の文句だけ「相変わらずだなぁ」と眺める日々が続いていましたが、今週はいくつかの特集が目を引きました。「20→30代税金ボッタクられ明細書」なんて真面目に突っ込めば突っ込むほどSPA!編集部は集団休暇取って学生にでも編集任せたのかと思うタイトル。さらに「ニート脱却[する/させる]プロジェクト最前線」なんてSPA!が自身の購読層に喧嘩を売ってるように感じませんか?(私の偏見だけだけど。笑)しかししかし、私のメインディッシュはそこには無かったのです。いやしくもグラビアアイドルなる存在のお色気写真(死語?)を巻頭に10ページくらい持ってくる雑誌が、下ネタ系記事を必ずいくつか載せてるはずの雑誌が、「6年の沈黙を破り『ガラスの仮面』最新刊発売! いよいよ完結間近!?」て、少女漫画ですよコレ?しかもずっと休載してた人ですよ?でも、『エッジな人々』というコーナーに呼んで、少女漫画作家の9割は怖気づいて断るであろう数百本の薔薇(しかも真澄カラーの紫)をバックと前面に配して、中年の太ったおばさんの写真をA4サイズの1ページにでかでかと載せるのは、すみません、インパクトありすぎ。てかヤリスぎ。まーでも美少年キャラおんりーな少年漫画の作者が逆パターンなんて枚挙に暇が無いだろうから、それはそれでいいとしてもさ、なんつーか、あの一枚の写真の為だけでも、なんとなくSPA!を数年ぶりに買わされてしまいました。(最後がいつだったかは覚えていませんが相当前)で、あれ、えっと、リキ入れた日記はどこに行った?・・・・・。とりあえずコンビニか本屋で今週のSPA!の134ページを見てみて下さい。何回も見てる内に他のことはどーでも良くなってきてしまいました。いやなくはなってないんだけど、インパクトが強烈過ぎて他の全ての考えを頭の中から追い出されてしまうというか。まとまりが無くなりましたが、その写真を見て頂けた方には話が通じるかと思います。さて、ナニで口直ししようかな・・・。
2005.02.11
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いや木曜は風邪が治らず悪化して会社を休み、一日ずっと臥せってたわけですよ。夜まで寝て起きて、『細野真宏の経済のニュースがよくわかる本』を読んだり、『アイ・ロボット』を観たり、それから翌朝3時半くらいまで寝て起きて、EQ2やりながら、TVをなんとなくつけてました。そんで朝のニュースが次第に始まったわけなのですが、「北朝鮮が核兵器製造を公表した!」とか、「チャールズ皇太子が再婚を発表!」とか、「温泉掘削現場が火災!」の3つが延々と、どのチャンネルに回してもホーミングミサイルのごとく、カミラさんとチャールズはずっと学生時代からの間柄でダイアナは最初から二人の間に挟まれつつ天然ガスに引火して核爆弾を製造したというのと核弾頭を開発したとでは全く意味が違うとかアメリカは脅しに屈しないだろうけどイギリス国民は祝福するのと祝福しない人達がだいたい3割くらいつつででもイギリス国教会は二人の結婚を認める方向らしくエリザベス女王は既に祝福してるらしいけどなんで最終予選で日本に負けた翌日に発表して日本を六カ国会議から除名するように伝えてきたのか単なる脅しだろうけどまだ鎮火してませんが薬品を地下の投入して数時間後には消化予定とか・・・。朝方過ぎてからは吉野家のニュースがそのルーチンに混ざりました。脳内でお好きにブレンドして下さいな。私はまた寝ます。(・・・たぶん)(『細野真宏の経済のニュースがよくわかる本』は大変良い本だったので気が向いた時にご紹介します)(アイ・ロボットは、・・・びみょ~でした。)
2005.02.10
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風邪につきまとわれて会社早退しました名無之直人です。こんばんわ。まだ日が高い内に帰るって妙な感覚ですよね。どーでもいいんですが、呪怨のCM、やめてくれないかな。TV点けたりチャンネル回してて、いきなりあの画面出されると、さすがにキモイ・・・。頭がぼーっとしてるので前置きはそれくらいにしておいて、本題に入りましょう。私はネットでニュースを見る習慣がついてて、多くはYahooから第一報を受けます。PCに向かってる間は横のTVつけっぱなしにしておく事も多いので、世間の雑多な情報もそこから受動的に受け入れる事も少なくありません。そんな私のニュースへの接し方なんですが、最近、人が死んだとか殺されたとかの報道の多さとかされ方に、なんか麻痺してきたように思います。例えばスマトラ沖震災でインドネシアだけで24万人死んだとか、男女8人が集団自殺したとか(これホント最近増えてきましたね)、横断歩道に車が突っ込んで8人死傷とか、子供が親殺したり、親が子供を手にかけたりとか、そんなニュースだけでYahooTopページのニュース6項目くらいの内4、5個を占めてる瞬間があって、さすがに食傷したように感じました。ナニを今更?と言われればその通り。でも、新聞とかの紙面から死亡や殺人記事とかを除いたら、どんな事になるんだろう?そんな想像さえしてしまいました。逆に、世界中のどっかのWEBサイトではあるだろうけど、殺人記事とか事故とかで、一日世界で何人くらいが死んでるのかという専門サイト(紙)があってもいいのかな、と思ったりしました。私も特に読みたいとは思わないけど。そんな専門誌があったとして、他の報道媒体からその手の報道が全て禁止されたとしたら、『そんな記事を読みたい人だけが読むようになる』ということになるのかなぁ、とか思います。知らなければ起こっていないのと同じことだ。という現実があります。地球の裏側や隣の家で殺人が起ころうと知らなければ起こっていないのと同じ状態に過ぎないということになります。(よく、老人の孤独死が死後数十日経ってからというのは、そういう事の一つの証左でしょう)だから知る権利や報道の義務(起こっている事を他の誰かに知らせるという行為そのもの)が大切なんだ、という意見をここで今更取り上げるつもりもありませんし、個人的には知る権利なんて妄想に過ぎないとも考えています。だって、その権利を与えている側が知らせる知らせないのコントロールが出来るのならば(完全では無いにしろ)、その当人から与えられている権利の範囲というものが制限されているのは自明の帰結だから。(あー、もう、頭ぼーっとしてます)話が完全にずれるかも知れませんが、ル・グゥインという人が書いたある短編にこんなのがありました。ある所に全住民がものすごく幸せに、満たされて暮らしている都市があった。でもたった一人、その都市の中で自由を制限され、責め苦を受けている男の子がいて、その子供に誰か一人でも優しくしたら、その都市の他の全ての人の幸せが崩壊する。そんな残酷なお話だったかと思います。で、子供達は一定の年齢に達すると、その男の子の所に連れて来られて、真実を初めて知らされ、悲憤するのだが、結局は元の自分の生活の場へと戻っていく。中には例外もいるが、彼らはその都市から去っていく。頭がぼーっとしてますが、そんな感じのお話だったかと思います。そう、知ってようが知っていまいが、最終的な結論(判断)には影響を及ぼさない事もある。翻って、テロや殺人や死亡事故などの望まれていなかった死のニュースの洪水を眺めると、どれほど悲惨なものであっても、自分の生活範囲に影響を及ぼさない限り、何の影響も無い。ただ、一人の命の重さというものを考えた時、数量という数える単位に、安易に、置き換えそうになる自分を、時々見つけて怖くなります。報道しなくなればいいとか言うつもりはありません。そんな目をふさぎ耳をふさぐようなことをしても意味は無いもの。ただ、見て聞いていても、何もできない自分にも慣らされていくという事が、自分が大人になるという事の一部分だとしたら、やっぱり、それは怖い事だと思うのです。なんとなく、ですが、ね。
2005.02.09
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で、研修のお昼休みに鼻風邪用の薬買ったら、『眠くなりますよ?』と釘は刺されたんですが、午後の部がもう始まってしまう時刻で『いいです!』と言い切って買って飲みきりました。いや全部は無理だけど。すると、午後の部の冒頭でやる部分が一人でやっててわからなくてある意味今日のハイライトでもあったのだけど鼻がつまってるのにじゅるじゅるな状態は治ったんだけどものの見事に眠くなってしまいました。気合だけは起きてたと願いたいです。ハイ・・・。で、帰り際には隣でやはり風邪引いてた人の咳までもらってやばい状態で帰ってきました。せっかくの直行直帰でも風邪もらって家についたらダウンとか意味無いですよね。昨日の日記の問題は簡単過ぎたかなと思ったけど、正解者のお二人には近日中か遠日中には何かあるかも知れませんので気にしないで待っててみてくださいな。笑てわけで風邪気味なので二度寝します・・・。何故か借りてきたアイ・ロボットの本編は寝てたくせにおまけで収録されてた『Tru』というドラマはちゃんと見たりしました。不慮の死を遂げた人の声を聞くと一日時間戻ってしまう女の子の話ですが面白かったです。(ERとかもそうだけど、一本のドラマの中にいくつもエピソードつめこんで手際よくまとめるのは、むこうの伝統芸能ぽくなってますよね)本来の目的よりおまけの方が当たりだったなんて良くありますよねっ!?・・・寝ます。
2005.02.08
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どうも眠くて零時過ぎに寝てみたら3時過ぎに目が覚めてすげーすっきりした人です。こんばんわ☆てかむしろおはようございます!なんか、普段から3時間とか2時間とかそれ以下しか寝てないと12時くらいに布団に倒れても体内タイマーはきちんと時間計ってくれるんですね。週末に10時間とか12時間とか14時間くらい寝たのと同じかそれ以上にすっきりとしました。これからも同じ事を試そうかとも思うのですが、難点は毎日零時過ぎというまっとうな時間に自分が眠くなるかどうか、なのです。笑いやマヂで。昨日(月曜午前2時過ぎ)に、帰宅する時、マンションとか団地とかの部屋の明かりが9割9分は消えてて、『ああ~、世間様はこの時間には就寝なさっているのね!』と無駄に関心したりもしましたし。(消灯した部屋でナニかやってるかも知れませんけどね)いやしかし、普段自分が床に就く頃に目が覚めるというのは、一種異様な雰囲気ですね。何故かというと、普段自分が寝る頃にやってるTV番組を見て、『ほ~。おれいつもこんなの眺めながら寝てるんだ』なんて思えたりするから。今日は外部の研修に参加して直行直帰でいつもよりゆっくり寝ようと思えば寝れたんだけど、早く起きすぎは三文の得なのかどうか、これから確かめてみようと思います。・・・とりあえず猫達にとっては、空きっ腹の時に誰か起き出してエサくれただけでもご利益(?)はあったみたいですが。さて、現在朝4時。これから出かけるまでの私の行動は何でしょう?!・布団で私を待っている太郎と一緒に寝る・EQ2で遊ぶ・資格試験の勉強をする正解した方の中から抽選で何かを差し上げる気になるかも知れませんのでよろしく!(結果発表は発想を持って替えさせて頂きます)(私も答えは、まだ、知りません)
2005.02.07
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道。それはどこかへ行くために作られた何か、つまり本来の目的の場所に至るための途中にある何かに過ぎない。そんな何気ない筈の道だけの写真集に出会い手に取り惹かれ迷わず買った。どこまでも続く道。Anywhere you want to go.そんな題名が付けられた一冊。世界の様々な場所で作者が立ち止まり息を呑み最高の一刻の訪れを待ちながら一枚ずつ撮っていったのだろう。息付いているのだ。何でも無い田舎道が赤い照り返しを受けて怪しく輝いていたり、ひっそりとした廃屋の中を通りまたどこかへと続いていくように見える道や、まるで指輪物語に出てきそうな高い木立に挟まれ足を踏み入れればその緑色に埋まりそうな、そんな道の数々が。ハイビジョンや3DCGといった技術の進歩を嘲笑するように、光景を純粋に切り取っただけの静止した一瞬が何故か心に残る。心の中の何かに響いてくる。ただ、道が写されているだけなのに。この本の作者のあとがきを最期にご紹介しておきます。どこかの書店で見かけたら、是非、手にとってぱらぱらとめくってみて下さい。それだけで、彼の感じた道の息吹が、あなたにも語りかけてくるだろうから・・・。『人生においてしばしば、自分に問うべき地点に出くわす。 次はどちらに行こうか、と。この地点を人は『岐路』と呼ぶ。 この私たちの選択を最もうまく象徴してくれるのは、本物の道である。 私はつねに変化を好む。 いろいろな場所に行ったり、人々に出会ったり、新しい国を見たりしたい、 そのようなところに私を導いてくれるのは、道である。 現代の道は複雑で、あまり魅力的ではない。 私たちはよく飛行機や渋滞したフリーウェイ、高速の鉄道や暗い地下鉄を使って 目的地へ行こうとする。だが、私を惹きつけてやまないのは、 好きなときに立ち止まり、思い切り深呼吸し、 そこにある風景や雰囲気を楽しむことができる、 なんの変哲もない、ただの道だけである。 私がもっとも好きな道は、目的地はさほど重要ではなくて、 ただ路上にいることが最もエキサイティングだと思えるような道、 次の曲がり角を過ぎればうれしい驚きが待っているような、そんな道だ。 ゆっくり行くという贅沢を覚えると、私たちはまもなく、 道とはこちらからあちらへの単なる移動手段ではないと気づく。 それどころか、道は、私たちの内にあらゆる感情を呼び覚ます。 期待、希望とともに寂しさや孤独。 また、生きることの喜び、過去のさまざまな思い出、すばらしい思い。 私は、ゆっくり行くという贅沢をゆるしてくれる、 変哲のない田舎の道たちにこの本を捧げたい』(『どこまでも続く道』、著者:ベルンハルト M.シュミッド、ピエ・ブックス)
2005.02.06
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クルド人問題で理解示す ライス長官、トルコ首相にとりあえず選挙が終わって何とか前進しそうなイラク情勢だけど、クルド人達の願いが叶う事は無さそうで。とすると、反米というような感情以外に、テロとか内戦が起こる可能性が出てきそうですね。スンニ派も何とか憲法制定には絡んできそうですが、民主主義という言葉は別に血が流れなくなる為のお約束では無いですね。
2005.02.05
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それはお昼、地下の食堂で、今まで一度も頼んだ事のない、ラーメンを、しかも大盛で頼んでしまった時の事でした。夜には会社の歓送迎会で、焼肉・寿司食べ放題が待ち構えていると、その時はすっかり忘れて・・・。そして列で順番待ちし、厨房の前でチップ(食券)をおばちゃんに渡した時、おばちゃんの面に緊張の波が横切っていました。今にして思えば。『お、大盛一丁!』その一言で厨房がざわめきに包まれたのは言うまでもありません。なかったけど。でも、私は驚愕しました。彼らが大盛用の洗面器のように大きな器を取り出し、タマを二つ入れるのを見た時・・・・・。しかも献立は唐揚げラーメンで、小さくない唐揚げが4つついてました。食い切った後、同じテーブルについてた全く知らない人達から『完食したらいくらもらえるの?』と話しかけられて話がはずんだりもしました。通路を横切る女性達の目がいつもとほんの少し違っていたように感じたのはおそらくいつもどおり気のせいでしょう。で、食べすぎな腹を抱え、夜の焼肉に挑んだ訳ですが、ここがバイキング方式で、最初にとりすぎると以下略状態に陥るまでたいした時間はかからないんです。私の正面にいた26歳男性は最も早くギブアップして、悲しげにナスを鉄板の上で転がし続けてました。私の周囲にいた中では、63歳の方とか50歳過ぎの方とかが順調に皿を積み重ねてて、やはりこの国は中年のパゥワァに支えられていると実感できました。同世代の面目約如としては、肉を数皿こなした後、ケーキとかアイスをてんこ盛りにした皿を、時間制限にかかるまでお代わりし続けた人がいたくらいでしょうか。(4回くらいまで見てましたが、ケーキ1個片付けるまで10秒以内と、何かの番組に出てきそうでした。実際に目の当たりにすると笑っちゃいますね、あーいうの)関係無い所では、気になってた事務のおねーさんの年齢が26歳だと分かったのはいいものの、一瞬だけ見えた携帯の待ち受け画像が小さい子供が二人映ってるもので、軽く右ストレートであごを打ち抜かれたような気分になりました。いや、結婚してると聞いてないし、指輪もしてないから、何も突っ込めないけどね。で、その会が終わり、帰宅し、EQ2は、朝方5時くらいまで同じギルドの人と遊んだ後、街に帰る途中で別のクエストを進めるグループ募集を聞いてそれに参加し、朝の7時過ぎまで蜘蛛みたいのをしばいてました。で、へろへろになりながら街に戻り、バザーを開いて、布団に潜り込んで起きたのは、17時45分でした。ええ、単純に時計の表示に10を足した感じです。胸の上には一昨日避妊手術を受けて保護服を着せられたミケが乗って寝てました。以上、そんな感じの夜でした。あ、あと、のだめカンタービレのまんぐーす着ぐるみにもやられた夜~朝方でした。(11巻まで読了。これの感想も後日)
2005.02.04
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といっても4日朝出かけで見たものなのですが、昨日の分としてUpします。ネットゲームやってると何が無くなるって、時間なのです。特に平日は、時間が溶けて過ぎ去る感じになります。だからプレイするのを止めると、時間の自由というものに再感動したりするのですが、まぁそれは余談。EQ2専用のサイト開設の為に、とある無料HPサービスに個人情報を極限までいい加減に入力しても認可がおりましたので近日公開します。(不正なアカウント作成阻止という明文があったにしろ、 2005年1月31日生まれとか、姓:いいか、名:げん 郵便番号999-9999とか、まぁ、ザルで助かりました。笑)で、本題に入ってニュースなのですが、朝のニュースで教育に関する事をやっていて、『むしろ丸暗記が正しい教育』という一言が紹介されていました。ちょっと引っかかりますよね?発言者の意図としては、特に古典などは、解釈は年齢や状況などで様々に異なってくるので、子供の頃は素読(声に出して読む)して、そのままの姿を覚える事が肝心なのだ、というような趣旨でした。なるほど『論語』とか古典に関してはそういった見方も出来るかも知れません。変な解釈を植えつけずにそのままの姿を子供の脳裏に焼き付けておくというのも一理あるかも知れませんが、そもそも解釈抜きで教えるなんて不可能に感じます。「先生、これどーいう意味なんですか?」「大人になったらわかるから、今は覚えておいて」では、絶対に次のテストまでしか覚えてないと思います。(ほんの一部の例外を除いて)英語の例文にしろ、歴史の年表にしろ、それだけ覚えていても無意味ですしね。んでもう一つが、日経の社説で『大学の全入時代に必要となること』というようなのを隣のサラリーマンが読んでるのを見て、自分も読んでみようかと買ってみたら載ってなくて、『ま、まさか当たり外れが?!』とは思わなかったけど、彼は昨日の夕刊でも読んでたのだろうか。紛らわしい・・・。で、もう一つ目についたニュースってのは、今朝の日経は二部構成になっていて、大学生の人気企業ランキングで、トップ10からソニーの姿が消えていました。11位以下を見たら、去年の5位から今年は11位まで落ちてました。サントリー、ANA、JTB、トヨタ、JALがTOP5なんて、サッカーでいえばトヨタ以外はJ1とJ2が全部入れ替わったような印象さえ受けます。以下、松下電器、三井物産、資生堂、電通、東京海上日動火災って並びなのですが、保険会社が10位ってのも目を引きました。ちなみにソニーの後ろ12位も、損保ジャパンでした。大学生の企業人気ランキングなんて、さほどの意味は無いにしろ、アンケートとしてはその世代の意識調査として面白いように感じました。サントリーがなぜ一位なのかとか、TOP5の中に、ANA、JTB、JALと旅行系が3社もいることとか。はっきりとした製造業(工業)としてはトヨタと松下しか10位以内にいないことも興味深いです。別段日産やホンダの業績が悪かったわけでも無いだろうし。(資生堂も製造業といえばそうなるけど畑が違う)ま、そんな感じで週末ですよ!今日も一日頑張りましょう!笑
2005.02.03
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最近読んでいるのは、司馬遼太郎の「余話として」という短編小説にするまでもないような人々の余話の数々が収められた本。彼のエッセイ集2冊を読んでいる時も、信長、秀吉、家康、または坂本竜馬などが何度も出てきて、結局彼らに触れずにはいられない、語れないことが多いのだなぁと思った。竜馬については、彼ははっきりと、好きだ、と言っている。たまたまTVを点けていたらやっていた『その時、歴史が動いた』(これもネタ尽きて強引に惰性で続けている番組だけどw)が、坂本竜馬が愛した女達、というテーマでやっていた。なので私も日本史上で好きな人物を数名考えてみることにした。(ネタが無かったからというのもある。笑)司馬遼太郎も触れる事が多い信長・秀吉・家康の3人の中で言えば、私は信長が一番好きだ。突き抜けた所がいい。本当にあった事かどうかは知らないが、彼の元を訪れた占い師が私は末永く生きます、と言った直後に斬り捨てたとか、そこまで行ってしまうとカッコヨイと思うのは私だけだろうか。今の時勢でそんな事したら殺人罪でしょっぴかれるだけだが、じゃあこんなことやってやろうか?、という思いつきみたいなものを思い留まらずやってしまえる人物というのは憧れる。(しかも彼は単純な思いつきだけの人物では、ない)明治維新期で言えば、坂本竜馬とか西郷隆盛の人気が高いのだが、私は大久保利通が好きだ。これも司馬氏の別の何かで読んだと思うのだが、実は西郷の方が自身の安全などには気をつけていて、常に大勢の供回り(護衛)を付けていたが、大久保は西南戦争後も、暗殺予告を受けてさえも、護衛をつけようとはせず、そして兇刃に倒れた。革命期の陰謀家という側面も持っていたとしても、新政府を興し、必要な政策を立案・推進していく彼の政治家としての能力は突出したものだった。国を私物化し、というような解釈も受けて殺されたらしいが、彼の死後財産はほとんど残っておらず、屋敷も抵当に入っていて、多額の借金が残されていて遺族は路頭に迷ったそうだ。借金は国の政策に私費を投じた結果らしい。(その意味でも、ラストサムライの大久保に当たる役の卑しさは納得できなかったし、映画そのもののスケールも落としたと思う。渡辺健がやってたのが西郷役。イメージ的にね)国会議員になって、何期か過ごすと財産が数億円以上に膨らむ現在の政治家とは、だから次元が違うし、同じ「政治家」(politician)として呼びたくもない。後は大村益次郎(村田蔵六)かな。司馬氏の作品でいうと『花神』の主人公。蘭学医だったが、長州の軍師として維新を実現した立役者の一人で、明治期の近代軍政を確立した人。西郷などの武士階級の反乱も予見し、その対策も予め立てておいた人でもある。ちなみに靖国神社に銅像が建てられているが、偏狭な右翼思想からはかけ離れた人であるし、逆に思想的には対極にいるといって良いと思う。右翼の宣伝カーの雑音など彼にとっては耳障りなだけだと思う。(書いてて思ったけど、この3人の性格やここの紹介の仕方だけでも、自分の性格の何かを象徴してるかも知れない。笑)普段歴史物読まない人でも、司馬遼太郎モノお勧めです。私が今読んでる『余話として』は、薄いし堅苦しくもない一冊なので、彼の作品の匂いをかいでみるくらいにはなるかと思います。(作品としては、『竜馬がゆく』『翔ぶが如く』『花神』『最期の将軍』辺りをとりあえずお勧めしておきます)
2005.02.02
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昨夜はEQ2のある事に開眼しつつ、新TOP画像作成とUp作業などで力尽きてました名無之直人です。自衛隊がスーダンにもPKFで派遣されそうな勢いの今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか?(強引だな・・・。)てわけで昨夜は力尽きて4時前くらいに就寝したので、翌朝の更新となっているわけですが、朝、目覚ましの音で起きた後、2度寝、3度寝としていき、目覚まし時計との根気比べに勝利した後(ォィ)、静まり返った部屋で、はっ!、と起き上がりテレビをつけました。そう、朝起きてまずするのはテレビを点けること。朝の占いを見るのではなく、時間を見るためです。(時々3chでやってるお話を見たりとかもします。)そこで、『たのみこむ』というサイトの紹介をしてました。ご存知の方は何を今更とおっしゃられるでしょうが、私は初めて知りました。要は、こんなものが欲しい、あったらいいのに!、と他の誰かに頼み込むサイトらしいです。ええ、とても前向きですね!wそこで「確率通りに目が出るサイコロ」なるものが開発され、検証されてました。まぁ詳しくはサイトの中とかご覧下さい。・・・。というわけでここまでの文章の流れからすると、私ならこんなものがほしい!、とリクエストするものを書いていったりするんでしょうか?・・・さぁ?と独りぼけてみた後で、ふと思いついたものを書いてみます。・・・・・。物理的な物、というのでは特に、無いですね。(無欲なのかな。笑)原作をむちゃくちゃにされたという意味でのリメイク映画(完全な撮り直し)だったら、エンデの「はてしのない物語」とかSキングの「バトルランナー(原題:ランニング・マン、だったかな)」が欲しいですね。あ~。あとはあれだ。自分が欲しい物じゃないし自分じゃ使わないだろうけど、絶対に音漏れしないイヤホンとか。(電車内での音漏れウザイ)たばこ全部の先に集煙フィルタ付けてそれを吸う人の鼻の穴にでも直結するパイプでも誰かに作って欲しい。(特に出勤中の間接喫煙根絶したいから。いやマジで)え?色気が無い?もっと季節柄なものが・・・?『たのみこむ』にたのみこむ類のモノでないのでいいです。笑
2005.02.01
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