October 11, 2023
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カテゴリ: 気になるTV番組
2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。

この回は、国内を統一して天下人となってますます強大な
権力を持った豊臣秀吉(ムロツヨシさん)に、このままでは
いけないと考える徳川家康(松本 潤さん)が、初めは命を
かけた進言をし、次は秀吉とは違った形で人生経験を重ねて
成長した家康だからこそ言える、強烈な諫言が見どころと
なった回でした。

特に後半の、家康が秀吉の脅しをさらりと受け流し、秀吉を

猿!」とまで言ったあのシーンはぞくぞくしました。

秀吉が織田信長に仕え、皆に蹴飛ばされていたあの若い頃
から知っている、秀吉が信用できるのは信長と自分だけだと
わかっている家康だからこそできる、あの言葉でした。

松潤@家康の成長がいいですね。
信長に対しては、とにかく怖くて仕方がなかったけど、終盤
では信長を「お前」と呼んで意見できるようになりました。
そして秀吉に対しては、臣従する前でさえ言わなかった「猿」
呼ばわりをして秀吉を諫めました。

家康なりに人生経験を重ね、もう若い頃の「言われっぱなし・
やられっぱなし」じゃない、強運だけでなく真の実力もついた


そしてもう一つ、別の戦いというか対立ができました。
家康の側室・阿茶(松本若菜さん)と秀吉の死後に豊臣家の
権力を握る淀の方の茶々(北川景子さん)。

特にこの阿茶が、後に豊臣家の女たちを相手にどんな交渉を
繰り広げていくのか、これもまた楽しみであります。


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天正20年(1592)5月、朝鮮への出兵を決めた豊臣秀吉(ムロツヨシさん)は
肥前の名護屋(現在の佐賀県唐津市)に巨大な城を建造し、全国各地から大名を
集結させて10万を超える軍勢を朝鮮に送り込みました。
開戦してからの日本軍は快進撃を続け、名護屋城に残る徳川家康(松本 潤さん)ら
大名たちの間で宴が開かれることもありました。
またこの頃、秀吉は関白職を甥の豊臣秀次に譲り、自らは太閤と称していました。
(この宴のシーンは2016年の『真田丸』を見ていた人は、すぐに第26回放送の
『瓜売』の「やつしくらべ」が頭に浮かんだと思います。同じシーンを描くのでも
音曲の囃子を入れて皆でニギヤカに歌うと印象が全く違ってくるのですね。)



日本勢は朝鮮に上陸して1カ月余で半島をほぼ制圧し、名護屋城での軍議では
いよいよ秀吉本人が唐入りする準備が進められていました。
勢いづく秀吉は諸将らに、自分の唐入り後は大唐の都に天皇を移す、さらには
天竺(インド)や南蛮も手に入れる、“褒美”は無限と皆を鼓舞しました。(まず
褒美を念頭に置くあたり、いかにも秀吉らしいと思います。)
秀吉の話に一同が歓喜にわく中で、家康ともう一人そう思えなかった武将がいて、
浅野長政(濱津隆之さん)が「どうかしておる!正気の沙汰とは思えない。」と
声をあげました。
「殿下は狐にとりつかれている。殿下はもう昔の殿下じゃない!」ーー自分への
批判が許せなかった秀吉は長政をその場で手討にしようとしましたが、そのとき
家康が間に入り、長政にはよく言って聞かす、自分に預けてほしいと秀吉に願い
出て、その場はなんとか収まりました。



しかし快進撃を続けていると思われていた日本勢は、実は藤堂高虎の水軍が敵に
やられていたという噂を他所の陣で服部半蔵(山田孝之さん)が耳にし、すぐに
家康に報告しました。
家康はそんな話は聞いていないと言い、本多忠勝(山田裕貴さん)もこの噂がもし
真なら本当の事は自分たちには伝えられていないという事だから仔細を探らねばと
考え、半蔵のほうを一瞥し、家康も同様でした。
半蔵は、今は自分たちは忍びではなく武士である、今さら忍び働きはと言いつつも、
結局は大鼠らとともに仔細の探りに動き出しました。



家康はまずはこの噂を秀吉が知っているのかと石田三成(中村七之助さん)を訪ね、
三成に訊くと「この戦の取り計らいは我らに一任されている。何を伝えて何を伝え
ないかは我らの裁量。」と答えました。
忠勝が「水軍がやられたら補給路が断たれて一大事。皆かの地で食糧も援軍もなく、
勝ち進んで戦場が広がるほど苦しくなる。」と説明し、家康も「この戦は難しい。
やるべきであったのか。」と本音で意見しました。
さらに家康は秀吉と諸将らの間に立つ三成の立場を理解しつつも、秀吉が間違った
ことをすれば自分が止めると言ったのでは?と三成に言いました。



早く唐入りしたくてたまらない秀吉に、家康と三成は進言しに行きました。
三成は天候を理由に今はやめたほうがいいと伝え、家康はもし秀吉に万一のことが
あれば天下がまた乱れるから考え直してほしいと伝えました。
そのとき茶々が現れ、秀吉に早く唐入りするよう催促していました。
しかし家康の態度を見て秀吉は茶々を下がらせました。
家康は秀吉と茶々の間に生まれた鶴松が夭折したことに触れて進言したら、秀吉は
「茶々は関係ない。日ノ本と朝鮮の民のためだ!と怒りながら立ち上がりました。
退室しようとする秀吉を三成が、自分たちが先に朝鮮に渡って準備をしておくから
と止めようとすると、三成は足蹴にされました。
しかし家康が、どうしても唐入りするのなら自分がこの場で切腹すると短刀を差し
出して対峙すると、秀吉は気が鎮まってそのまま去っていきました。



7月、肥前にいる秀吉の元に大政所で母の仲(高畑淳子さん)が危篤だと知らせが
入り、秀吉は急ぎ大坂に戻りました。
しかし時遅く、秀吉は母の臨終に間にい合いませんでした。
寧々(和久井映見さん)は仲の最期の様子を夫・秀吉に語りました。
「息子が皆に迷惑をかけた。自分のせいだ。貧しくて何も与えてやれんかった。
秀吉は自分でもわからんようになっとる。自分が本当は何が欲しかったのか。」
ーー仲の言葉を伝えた後、寧々は秀吉に「これ以上、何が欲しい。何が足らん。
この世の果てまでも手に入れるつもりか。身の程をわきまえなされ。」と。
寧々の厳しい言葉に秀吉は怒りの顔を向けたけど、寧々はかまわず「かか様の
代わりに言っている!」と夫を叱り、秀吉もその言葉を考えていました。



秀吉は茶々(北川景子さん)に、自分がいない間は前田利家に相談するようにと
言っていましたが、茶々は家康のところに来ていました。
茶々は父・浅井長政と母・市のことを語りながら、初めは離れて座っていたけど
気持ちの高ぶりとともにだんだん家康に近寄っていきました。
そしてしまいには家康の手を取り、自分を守って欲しいと情をこめて訴えました。
家康は冷静に「私にできることがあれば、なんなりと。」と返しましたが、その
光景は傍から見たら家康が誤解されるようなものでした。
するとそこへ家康が同道させている側室の阿茶(松本若菜さん)が来て、二人の
間に割って入りました。
阿茶が主の家康に狐が憑いたら退治すると例え話をしたら、茶々は阿茶に狐退治に
励むようにと言い、退室していきました。



冬が来て小雪が舞う季節になった頃、朝鮮で戦っている武将たちの様子を書き
記したものを捜して忍び働きをしていた服部党が、その証拠となるものを持って
家康に差し出しました。
それには、朝鮮攻めが滞っている、敵に明国の大軍勢が援軍がついた、兵糧は
尽き民衆も進軍してくる日本勢に激しく抗っている、朝鮮の冬の寒さはこちらの
比ではない、などとありました。
やがて秀吉が大坂から名護屋に戻り、家康はまず茶々を遠ざけるよう秀吉に進言
したのですが、それが癇に障った秀吉は怒りを露わにして家康に「図に乗るな。
徳川くらい潰せるぞ。」と家康に迫りました。
しかし家康は動じることなく「かつての底知れぬ怖さがあった秀吉なら、そんな
ことは口にしない。」と返し、自分の胸倉を掴んでいた秀吉の手を掴んで外し、
「目を覚ませ。惨めぞ、猿!」と言い放って秀吉を畳の上に転がしました。



家康と秀吉がそんな状態のとき、かつて織田信長に室町幕府の将軍職を追放され
(1573)、今では秀吉の庇護を受けて名護屋城に来ていた足利義昭(古田新太
さん)が勝手に部屋に入ってきました。
義昭は「一杯やろう」と手酌で酒をつぎ、将軍だった頃の話を始めました。
「将軍だった頃は、この世の一番高い山の頂上に立ってて、下々がよく見えた。
何もかもがわかってた。・・・と思い込んでいた。だっが実は何もかも逆で霞が
かかって何も見えてなかった。周りがいいことしか言わないから。自分はそう
ならんと思っていても、なるんじゃ。遠慮なく厳しいことを言ってくれる者が
おって、どれだけ助かったか。信用する者を間違えてはならんの。」と。
昔語りと称して秀吉にそう言うと、義昭は退室していきました。
義昭の言葉が胸に響き、母・仲の言葉を思い出したとき、秀吉は家康に自分を
見捨てないで欲しいと思いを伝えました。



秀吉は茶々に肥前・名護屋から京の淀城に帰るよう命じました。
翌・文禄2年(1593)5月、秀吉は明との戦を休止させました。
三成らは秀吉が望む成果が出せなかったことを詫びましたが、前田利家(宅麻
伸さん)のとりなしもあり、秀吉は三成らをねぎらいました。
秀吉は家康と利家に明国の使いを丁重にもてなすよう命じ、諸将らが退室しよう
とした時、淀城の茶々からの文が届きました。
文を見た秀吉は言葉にならない声をあげ、皆が何事かと思ったらなんと、茶々が
また身ごもって秀吉との間の子ができた、とのことでした。






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Last updated  October 11, 2023 03:12:26 PM


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