December 28, 2023
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カテゴリ: 気になるTV番組
2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。

松本 潤さん演じる、徳川家康を1年かけて描いた物語が、
いよいよ最終回を迎えました。

この1年、松潤の顔立ちの良さを随所で実感しました。
月代になっても想像以上に似合い、晩年の家康もゾクゾク
するほどカッコ良くて、アップになっても全然かまわない。

つまり土台(顔立ち)がいいと、何やっても似合うという
ことを実感しました。

私はよく見惚れましたが、松潤も同じでした。

でもこのドラマが良かったのは、松潤一人が全ての回の
中心だったわけではなく、メインキャストの誰かがその回
その回で話の中心になっていたことでした。
脚本の古沢良太さんの解釈もなかなか面白くて、時々は
受け入れたくないストーリーもありましたが、それでも
1年を通して、良いドラマだったと思います。

この最終回は、前半は大坂夏の陣での豊臣家の滅亡を、
そして後半では、この1年の間に何度か話に出てはきた
けど、その内容が結局誰の口からも語られることなく次の
場面に進んでいった「鯉」エピソードでした。


なく、主君と家臣が互いの存在を感謝に思う流れになって
いき、それが家康の幸福な往生になっていったという、
これまた今までの家康ドラマにない展開でした。

そしてグランドフィナーレが「えびすくい」。
まさかこの「えびすくい」がはじめから終わりまでくる

からも愛されていたのだと感じました。

この1年、『どうする家康』関連で、他の歴史番組でも
戦国関連のものをたくさん見ました。
研究が進んで、数年前とは違った解釈が出ているものも
あって、なかなか面白かったです。

来年は『光る君へ』で平安時代になりますね。
またイロイロと新たな歴史の勉強ができそうです。

こちらでは様々な意見がでていて参考になります。
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慶長20年(1615)5月、徳川家康は京の二条城で出陣の身支度を整えて出立し、
茶臼山にに陣取って馬印の金扇を敵からよく見える位置に掲げさせました。
一方、豊臣方の軍議では後藤又兵衛が討ち死になど苦戦が報告され、総大将の
豊臣秀頼(作間龍斗さん)も大野治長(玉山鉄二さん)も、この戦に勝つには
家康ただ一人の首をとることと考えていました。
「戦では、ひっくり返せるときが必ずくる。」ーー父・昌幸の教えを思い出した
真田信繁(日向 亘さん)は真田勢が家康のいる茶臼山に向かうことを志願、戦
支度をした茶々(北川景子さん)や千(原菜乃華さん)も皆々を鼓舞しました。



徳川家康(松本 潤さん)の馬印は遠くからでもよく見え、それを確認した豊臣方は
真田勢を先頭に猛然と突撃していきました。
決死の攻撃で防護柵を突破してくる真田勢に家康はあえて呼びかけて己の位置を
知らせて挑発しました。
家康のお側衆が本陣に乗り込んできた敵と戦って家康の側を離れ、家康が一人に
なったときに家康の眼前に信繁が迫りました。
「乱世の亡霊たちよ、わしを連れていってくれ。」ーー家康は心の中でつぶやき
ましたが、結局は信繁が討たれました。
家康は本多正信と共に、年老いた自分たちが再び生き残ったことを実感しました。
(でも家康が思い浮かべた亡霊たちは、信長、信玄、秀吉といずれも戦乱の世を
なくすという大志があったから、家康は連れていってもらえなかったと思います。)



内堀もない大坂城は防御の力もなく、城全体が炎に包まれていました。
秀頼・茶々・千たちは山里曲輪に逃げ込んでいて、大野修理から千を徳川に返す
と申し入れがあり、千は秀頼と一緒にいたいと激しく拒否しましたが、結局は初
(茶々の妹、千の伯母)に伴われて大坂城を出てきました。
千は祖父・家康の顔を見るなり土下座して、茶々と秀頼の助命を嘆願しました。
千は家康に、豊臣には戦う力はないし秀頼は素晴らしい人だから若き才を救って
ほしいと一生懸命に訴えます。
家康は千の訴えを、優しい言葉で拒否します。
しかし娘の千が強く訴える内容は、現将軍である徳川秀忠(森崎ウィンさん)に
とって聞き捨てならぬことであり、秀忠が進み出てきました。
秀忠は毅然と「私が将軍として命を下す。秀頼には死を申しつける。」と言い、
この戦の指揮を自分に執らせなかった父・家康の真意を理解して「最後くらい、
私に背負わせてくだされ。」と家康のほうを向いて言いました。
必死の願いが聞き入れられなかった千は父と祖父を鬼と罵って暴れ、侍女たちに
力づくで連れられて戦場を後にしました。



炎に包まれた山里曲輪で、秀頼たちは死を覚悟しました。
まず秀頼が切腹し、絶え絶えの息で母の茶々に自分の首を持って生きてほしいと
伝え、そして大野治長に介錯され絶命しました。
秀頼の死を見届けた家臣や豊臣方の武将たちも後を追って次々と自害していき、
大野治長の介錯は茶々がしました。
最後に一人残った茶々は業火の中で「己の夢と野心のために、なりふり構わず力
のみを信じて戦い抜く!かつて、この国の荒野を駆け巡った者たちは、もう現れ
まい。」と最期の思いを吐き出し、そしてあの世にいる父母を思ったのか、天を
仰いで「茶々は、ようやりました。」と自分を認め、そして自害して果てました。
茶臼山から燃え尽きた大坂城を見て、家康はそっと手を合わせました。



かくして天下泰平の世が訪れ、徳川家では家康の偉業を正しく後世に伝えるために、
南光坊天海(小栗 旬さん)が家康の歴史書を編纂していました。
天海が「いい話を集めよ。」と皆に指示するので、秀忠は父・家康のことなれど
立派な話ばかり残すのはいかがなものかと意見しました。
しかし天海は「世間では悪評が立っているが、かの源頼朝公だって実のところは
どんなやつかわからない。周りがしかとたたえて語り継いできたからこそ、今日
全ての武家の憧れになっているわけで。」と、そして「(家康は)人ではない。
大権現!」と強調して進言しました。



元和2年(1616)家康は駿府城で重い病の床に臥していて、若い者たちは畏れ
多くて誰も近寄れないため、側室の阿茶が家康の世話をしていました。
家康の見舞いに訪れた本多正信(松山ケンイチさん)は、もう身体を起こせない
家康の枕元まで行き、これまで自分を信用して傍においてくれたことへの深い
感謝の意を伝えました。
そして自分もだけど皺だらけになった家康の手を取り、乱世を生き抜いて長きに
わたって泰平の世をつくってきたことへの労いを伝えました。
見舞いの後で正信は阿茶と二人で、家康の人生を思いました。
家康は果たして幸せだったのか、戦無き世をなしこの世の全てを手にいれた、が、
本当に欲しかったものは…(手に入ったのか)、と。



そして元和2年4月17日。これは家康の夢の中なのか現なのか。
気分が良いのか身体を起こし、力の入らない手で木彫りの人形を作っていました。
そこへ37年前にこの世を去った正妻の瀬名(有村架純さん)と長男の徳川信康
(細田佳央太さん)が、あの当時の姿のまま現れました。
二人は家康のこれまでの働きをねぎらいましたが、家康はそう言われて嬉しくも
なく、望まぬことばかりしてきたという思いでした。
するとそこへ孫の竹千代(後の家光)が、絵が上手に描けたと言って持ってきて、
御簾の下から紙を差し出して去っていきました。
その絵には白兎が描かれていて、瀬名は「あの子はあなたが狸でも神でもないと
わかっている。あの子が戦場に出ない世の中をあなたが生涯をかけてつくった。
ご立派。」と家康を再びねぎらい、家康は少し心が軽くなりました。



家康の意識は、今度は永禄10年(1567)の、嫡男・信康と織田信長の娘・五徳
との祝言の日の岡崎城に飛んでいました。
目が覚めると家臣たちが何やら大騒ぎしていて、話によれば信長が「両家の絆と
繁栄の証に」と言って贈ってきた鯉3匹がいない、とのことでした。
そして見つかったのは鯉の骨で、もしこのことが信長に知られたらと家老の石川
数正(松重 豊さん)や酒井忠次(大森南朋さん)も頭を抱えていました。
家康が重臣一同を集めて問いただすと、長老の鳥居忠吉(イッセー尾形さん)が
自分が食べたと言いだし、家康は忠吉を手討ちにしようと構えました。
そして忠吉も、誰かが責めを負わねばならぬなら、この老いぼれが責めを負うと
言って家康の前に座りました。



しかし家康は、結局は忠吉に刀を振り下ろすことはできませんでした。
「大事な家臣を、鯉と引き換えにできぬ。」ーー刀を置いて、そう言って家康も
座りこんでしまいました。
忠次と数正が信長にどう対応するのか尋ねたら家康は「正直に言う。もし逆鱗に
触れたら、そんな相手はこっちから縁組は願い下げだ。」と言い切りました。
そして「鯉はしょせん鯉。食うて何が悪い。」と言い、その言葉に安堵した皆は
すでに“お造り”となった鯉を運んできて、皆で笑っていました。
呆然とする家康と、「信長の鯉にまでへつらっていられるか!」と口々に本音を
言い、早く鯉を食べようと笑っている家臣たち。
主君・家康を担いで戯れたことを夏目広次(甲本雅裕さん)は詫びて許しを乞い、
信長は多忙で岡崎には来ないとわかったら家康は急にホッとして力が抜け、その
姿を見て家臣たちはまた大笑いしました。



「主君を一同でからかうとは、なんという家臣どもじゃ!」ーー家康がそう怒ると、
「それが殿と家中のよいところ。」「殿は手討ちにしないと信じておりました。」
「皆ようわかっている。殿というお人を。そのお心を。」と口々に言いました。
そして忠次が膝をついて座り、姿勢を正してあらためて「殿、まことにありがとう
ございました。」と礼を言うと、皆も次々と家康の前に進み出て座って姿勢を正し、
「ありがとうございました。」と礼を言いました。
「何もかも殿のおかげ。」「いつまでもお支えします。」「わしらはずっと殿と
一緒じゃ。」「どこまでもついていきますぞ。」
自分を囲んで皆が次々と言ってくれる心からの言葉に家康の目からは涙があふれ、
「こちらこそじゃ。」と言って家康もゆっくりと座り、そして「心より感謝申し
上げる。」と言い、家臣の皆に両手をついて、頭を下げて礼を述べました。



家康は床から起き上がり、両手をついて頭を下げて礼を言う姿でいました。
夢の中か幻か、若き日の家康は家臣の皆に「わしは幸せ者じゃな。ハッハッハッ
ハッ・・。」と言って泣き笑いしていました。
そして温かい気持ちになり、和らいだ表情で深くうなだれ、座ったまま永眠して
いきました。(享年73)



天に昇る家康の魂が真っ先に思い浮かべたのは、信康の祝言の日に家臣の皆で祝って
踊った「えびすくい」だったのでしょうか。
世はまだ乱世で平らかじゃないけど、若殿の祝言のこの日だけはと、岡崎城では
楽しそうに歌って踊る皆の声がこだまします。
その光景を妻の瀬名と共に幸せそうに眺め、そしていつか、戦無き泰平の世が来る
と信じる若き家康がそこにいました。
秀吉の命で江戸に入り、そこで徳川の皆が一丸となって開拓して、家康が将軍と
なって幕府を開いた江戸は、やがて現代の東京の姿になっていくのでした。(完)






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Last updated  December 28, 2023 10:23:02 PM


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