Alexandria
紀元前332年にマケドニアのアレクサンダー大王によって建設された。
大王の行くところ、あちこちにアレキサンドリアという都市が造られたがここは第一号。
大王の死後、側近のプトレマイオス1世がファラオとなる。
いきなりギリシャ人のファラオってどうだったんだろう。
それから200年間、近親結婚を繰り返し、エジプト人の血は入らなかった。
王家以外の人々はエジプト人とギリシャ人、うまくやってた?住み分け?
その後、ローマに征服されてもアラブに征服されてもアレキサンドリアの名が変わらなかったのが不思議だ。
古くはテーベ→ルクソール
コンスタンチノープル→イスタンブール
サンクトペテルブルグ←→レニングラード
何故「アレキサンドリア」は残ったんだろう。
カイロと比べるとアレキサンドリアはヨーロッパの街並みに近い気がする。
「皆さん、まずはカタコンベに寄ります。
顔が私、体がスフィンクス。
へろへろだったので、しゃがむだけでしんどい。
2-3人の女性は朝食時からどうも様子が変で、トイレに駆け込んでいる。
気付かないふりしてた方がいいな。
真っ青でふらふらと歩いてるのが痛々しい。
カタコンベは内部撮影禁止。
禁止じゃなくても、撮ろうと言う勇気はないけど。
イタリアのどこかにある骸骨だらけのカタコンベとは違った。←ふー。
馬の骨は公開されていたけど・・馬とは言え、骨を見るのは気持のいいものじゃない。
地下深く掘られていてらせん状に下って行く。←勿論また登るということ。
お金持の遺族がお参りに来て、座れるスペースがあったりする。
なんとなく、テンションが下がったまま、ぼーっと幽霊のようにワイロさんに続く。
トイレに行くと、すごい迫力の女性がチップ係。
あ゛ー、いくらとられるんだ。
やっぱり日本人は1ポンドで欧米人の2倍だ。
ツアーの子が20ポンド紙幣しかないと言ったら、むぎゅっと紙幣をもぎとり、おつりなんて知らないって顔をしている。
ちょっとぉー、19ポンド、返しなさいよー。
みんなで抗議するも、こういう時は英語がわからないふり。←憎々しい。
5分くらいあーだこーだともめ、やっと救世主現る。←女性ガイド。
私達が見えなくなるまで、ずーっと、ずーっとチップおばさんは悪態をついてた。
こ、怖すぎ。
★ブログランキングに参戦中↑子犬をclickして頂けると頑張れます
エジプト さよならー! March 1, 2009 コメント(10)
カイロ考古学博物館 ミイラ行く? February 28, 2009 コメント(8)
カイロ考古学博物館 男の子が倒れた! February 27, 2009 コメント(10)
Calendar
Category