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宮古島に移住して極小ビーチグラス昨日の「民宿・夢来人」の話題で、宮古島初のブログを終了しようかと思ってたんですが、最終版の話題はやはり「ビーチグラス」だろうと思い直して、今日も掲載することにしました。 昨日の朝もなぜか4時に目が覚めました。5時までウツラウツラしてたんですが、5時30分過ぎに宮古島の北方へ向けてドライブ開始。日の出は6時30分頃なんですが、6時前になると空が明るくなってきます。4時過ぎが干潮時間でしたので、うまくいけば6時30分前には一番お気に入りの場所に行けるかもしれません。お目当ての場所に着いてもまだ日の出前でした。空は明るさを増しつつありましたが、最初に降り立った浜辺のビーチグラスはまだよく見えません。日中には観光客もよく来る浜辺なんですが、ここは通り過ぎて次の浜へ。ここにも結構ビーチグラスは落ちてるんですが、(茶色が多いですが、水色・緑色・穴あき貝殻などが)その浜辺が途絶えて岩場になってもさらに前進すると、誰にも教えていない極小ビーチグラスで埋め尽くされている場所が・・・・・。そのすぐ近くには生きているシャコ貝もいます。でも、満ち潮に変わってすでに2時間。歩いて行く予定の岩場はすでに海中に没していて、目的地まで行けません。仕方なく引き返して、手前の浜辺で拾う事にしました。この頃にはお日さまの光が浜辺に差し込んでいて、良く見えるようになってきました。極小物を拾うのは結構大変なんですが、ついつい夢中になって時間を忘れてしまいます。拾ってきた物の一部ですが、成果は下の写真の通りです。 9月30日でアパートを出て、10月3日まで旅館に泊まり、4日に新居(京都府)に移り住む予定です。それでも、どこかでもっともっと宮古島にいたいという意識があって、朝早く目覚めるのかも知れません。 そんな事情のため、今日でブログ「宮古島に移住して」は終了します。 京都に転居後(たぶん10月中旬から)には「宮古島から移住して」と題したブログで再出発したいと思っています。これまでたくさんの方に読んでいただきましたが、10月中旬からの「宮古島から移住して」もよろしくお願いします。では、これでパソコンの電源をOFFにして、梱包します。しばらく掲載できなくなりますが、お忘れなくよろしくお願いします。
Sep 29, 2010
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宮古島に移住して夢来人の場所確認テレビで毎週放送されている「民宿・夢来人」がかなりの人気を呼んでいるようです。“ようです”というのは、「もうひとつピンと来ていない」という島民としての実感でもあります。先日、宮古島で唯一のA&W(ファーストフード店:沖縄では有名)で西川君を見かけました。もっと前には空港へ行く道路やビーチバレー会場でも見かけました。店内隅のカウンターでハンバーグ+飲み物=昼食?を食べながら、新聞を一生懸命に読んでいました。誰とも話さず、誰も話しかけず・・・・・。食べ終わるとすぐに店を出て行ったので、忙しいんでしょう。“そんな「民宿・夢来人」の場所が分からない・知っている人は教えて”といった記載がインターネットで目につきます。行ったことのある人も「目印が何にもないのですごく迷った」などの意見が多かったです。そこで、私も探検に出かけてみました(100」%ミーハー気分です)。 平良の市街地から熱帯植物園・かたあきの里の前を過ぎて、東海岸に向かいます。T字路を右に曲がって、島の周回道路をまっすぐ東平安名崎方面へ進みます。しばらく車を走らせると、「比嘉ロードパーク」(断崖の上から海岸線がきれいに見えます)にさしかかります。ここまで来れば、もう一息です。すぐに、あの有名な「宮古まもるくん」が道路左側(海岸側)に立っています。ここの「まもるくん」は最近立ったばかりです。観光客がたくさん訪れるので、交通事故が起きないように新しく設置されたようです。まもるくんが見守る方向に細い分かれ道が見えます。ここを入っていくと両側はサトウキビ畑です。で、キビの葉の向こうになにやら家らしきものが見えてくる・・・・・そう、ここが「民宿・夢来人」の全景です。民宿の手前(道路そば)には畑があります。玄関先が見えにくいので、もうすこしアップで撮影してみました。民宿前の道路は狭いので、通常は警備員が常駐していて交通整理をしています。そして、民宿から20~30m先には「駐車場兼パーラー」もありました。これなら一般の観光客もちょっとは過ごせそうです。日中は常に何人かの観光客が見物しています。平良市街地から夢来人までの所要時間は、車でおおよそ25分程度だったと思います。 もし行ってみたい人は参考にしてください。
Sep 29, 2010
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宮古島に移住して東平安名崎の日の出このところ、転居準備で、電気・水道・ガス・電話・インターネット・住民票のほかアパート賃借契約解約など、いろいろな変更手続きをしていました。合わせて、家財道具やビーチグラス(ガラス片・ガラス絵・ランプシェード)・貝殻などの片付けと処分・新居へ送付、更には、友人・知人の方々への挨拶や、やり残している事柄の早期処理などに励んでたんです。そんなこんなで、ここ数日ブログ掲載できずにいました。 でも、今朝なぜか午前4時に目がさめ、眠れそうにありません。しばらくは蒲団の上でグズグズしてたんですが、思い切ってドライブに出かけることにしました。行先は東平安名崎です。目的は「日の出を見る」。午前6時10分ころに灯台手前の駐車場に到着。徒歩で灯台近くまで行き、刻々と明るさを増す水平線を見たり、灯台を撮影したりして「日の出」を待つ事にしました。何組かの観光客もカメラで撮影したり、腰かけて静かに海を見たりしています。そんな時、ふと思いついて移動することにしました。東平安名崎全体が見えるスポットを思い出したんです。大急ぎで車を走らせたからか、日の出前に到着できました。でも、東平安名崎と日の出を一つの画面に入れることは無理なようで、ちょっとがっかりでしたが。その後5分くらいでお日さまの頭が水平線から見え始めました。見え出すとあっという間に上半分が見えるようになり、日の出完了まで5分もなかったように思えたのは気のせいでしょうか?1分もしないうちに、眩しくて撮影も困難なくらいに輝きだしました。帰りは、東平安名崎横の浜辺でビーチグラス・貝殻拾いを1時間ほど楽しんで帰ってきました。(東平安名崎の細長い岬越しにお日さまが顔を出しそうな瞬間です) 本当にきれいー!でしたよーー!!
Sep 27, 2010
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宮古島に移住して多良間島8月踊り、午後の部昨日のブログで端踊り(午前の部)は紹介終了と書いたんですが、あと数枚だけ追加で掲載したいと思います。美しい女性の一人踊りです。そして、男の子達のマドロスさん。女の子たちはチャイナ服で踊ります。学校の先生方(男性)も女踊りで頑張ります。いちばん右の方が校長先生。正面を向いている先生は非常に上手でした。指先まで気持ちが行き渡っていて、女性と間違うほどです。こうして、朝の10時から始まった「多良間島、8月踊り」も午前の部がおわりました。といっても、午後2時前になってます。午後の部に移る前、多少の舞台飾り付け追加のため中断しましたが、感覚的には休憩なしで再開した感じです。この間に観衆の皆さんは昼食を食べていました。私も、宮古島で知り合った多良間島出身の方からの差し入れ弁当を食べて、大満足でした。 午後の部は琉球王朝から継承されたという「組踊り」です。沖縄本島のあるお城で、悪代官が反乱を起こし、城主・重臣など大半を殺し、城を乗っ取ります。たまたま那覇へ来ていた家老は、場外にいて助かった若殿様を立てて仇討をしようとしますが、なかなか難しい状況です。そこで、家来の一人(若殿と背格好が似ている)が「私が若殿の身代りとして捕まる事で油断させ、攻め入ってもらおう」と考えます。若者は母親・弟たちとの別れを終え、決死の覚悟で家老に申し出ます。若殿は猛反対しますが、家老たちに説得され涙ながらに了承。身代わりの若者は綱でくくられ、城を乗っ取った悪代官に突き出され、牢屋に入れられます。その後、物売りに身をやつした家老たちは懸命に城内の様子を探ります。ある時、悪代官が安心して遊興の宴を開くという情報を得た家老たちは、若殿を押したてつつ攻め入り、無事、主君の仇討ちを果たします。どこか、「忠臣蔵」に似ているように思いました。 いつの世も、時代・場所を問わず、仇討ちものが好まれるんですね。 こうした組踊は1日に2演目あるんです。2演目目が終了するころには外は真っ暗で、午後8時をとっくに過ぎてしまってます。演じられた4つの組踊りをすべて紹介できればいいんですが、他の組踊は、皆さんが多良間島まで出向いて直接見られる方が楽しみが残っていいと思いますので、割愛させていただきます。
Sep 24, 2010
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宮古島に移住して狂言、そして優雅な踊りさまざまな踊りが続く中、身近な題材を取り上げた狂言も上演されました。その中でも最も会場を沸かせたのが、農作業をしているとうら若き女性と出会い、ついつい浮気をしてしまうおじさんです。そこへ、大きいおなかを抱えていき合わせた奥さんに見つかって大騒ぎになるというくだりでは、会場中が笑いと拍手の渦になりました。もうひとつ楽しい出し物を紹介しましょう。結構年配のおじさんが女装で登場です。島の人たちはみんな知っているんでしょう、登場と同時にヤンヤの喝采です。かわいいベイビーの曲に乗って舞台狭しと踊ります。きっと、島で一番の人気者なんじゃあないでしょうか。でも、本筋は何といっても優雅な舞いです。美しい奥様の踊り(一人だけ)は引き込まれそうなくらいに優雅で雰囲気がありました。とても素人とは思えません。一人での踊りといえば、キリリとした姿の踊りも。若い子も負けてはいません。なんとも華やかなで優雅な踊りです。 3日間・2か所で、なんと260曲以上もの演奏と踊りが繰り広げられたんです。三日間の延べ上演時間は40時間です。という事で、紹介したい写真は山のようにあるんですが、キリがありませんので、端踊りはこのへんでおしまいにします。 明日からは、琉球王朝から伝わったという「組踊り」の一つを紹介したいと思っています。
Sep 23, 2010
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宮古島に移住して福禄寿、登場8月踊りでの全出演者紹介を兼ねた行列(総引き)が終ると、いよいよ福禄寿座踊りの始まりです。赤い着物の稚児さんや若衆・娘さん・男衆などを引き連れての登場です。福禄寿が「ゆっくりとご観覧ください」と観客にあいさつし終わると、つき従ってきた若衆による踊りがはじまりました。続いて、娘さんによる女踊りです。更には、男衆による二才踊りです。最後に、福禄寿により挨拶があって、ゆるりゆるりと退場していきます。このあとも次から次へと演目は続いていくんですが、それらの一部(とても全部は紹介しきれませんので)だけ、掲載します。勇壮な棒踊りや、鷲の冠を着けた踊り。三度笠のいでたち。(学校の先生が演じられたと記憶してます)ここまでで初日の4分の1程度で、まだまだ続きます。
Sep 22, 2010
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宮古島に移住して8月踊り上演開始9月15日(旧暦8月8日)午前10時30分、いよいよ「多良間島8月踊り」が中筋字会によって始まりました。まずは獅子舞です。獅子は魔除けの力を持つため、豊作と繁栄を祈って最初に登場します。そして、今後演じられる登場人物が次々と舞台を一周します。宮古島市長(左)と多良間島村長(右)が音楽に合わせて何度も練り歩きます。満員の会場から大きい声援や拍手も湧き起こり、盛り上げ役として大成功。大きい旗を持った人や天秤棒でいろんな物を担ぐ人午後の部で出演する組踊の人たち杵つき踊りを踊りながら舞台を一周するお母さんたちこうして、全出演者が次々と登場するのを「総引き」といいます。ダイジェスト版・出演者紹介・目次のような位置づけだと思います。この後、いよいよ「福禄寿座踊り」から本格的8月踊りが始まります。色彩豊かで、優雅な雰囲気を体中で感じられそうな予感がします。(熱気むんむんの会場・舞台の様子をもっと々写真紹介したいんですが、写真登録容量が不足ぎみです)そんな状況ですので、今日はここまでにしておきます。(このあと、以前に掲載済み写真の一部削除をして、あす以降に備えます)
Sep 21, 2010
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宮古島に移住して8月踊り初日・開演前9月15日(旧暦8月8日)の朝はさわやかに晴れていました。目覚めたのは7時前です。8月踊りが始まるまで3時間ほどあるので、またもや浜辺に向かいました。昨日降りなかった浜辺や、行けなかった遠方の浜辺までのサイクリングです。車も自転車も歩行者も全く通らない海沿いの道路なので、のんびりしていて、空気もまだ暑さを感じませんでした。山羊が朝ごはんを食べています。浜辺に座り込んで、私も海を見ながらパン+飲み物=朝食です。貝殻はあまり採れませんでしたが、ビーチグラスは結構拾えました。夢中になると、いつものことながらあっという間に時間が過ぎていきます。9時半すぎです。宿のご主人の話では8時過ぎから最終準備や衣装の着付けなどが始まるという事でしたので、すでに8月踊りも始まっているかも・・・・・・と思いつつ、急いで会場へ向かう事にしました。昨日は道路上のあちこちで見かけた大型ヤドカリは見かけませんでした。たぶん道路に出てくる時間帯があるんでしょう。会場(中筋)近くの駐車場に自転車を置いたんですが、真ん前の景色は「南国」そのものです。舞台裏でたくさんの人たちが衣裳の着付け・化粧・道具の確認など、準備に大わらわでした。舞台の奥には御獄(拝所)があり、紅白の幕を巡らしてあります。木立とサトウキビの間から見える空は、もう亜熱帯の強い日差しで輝いています。開始は少し遅れて10時半でしたので、全体を見渡せる場所に座り込んで待つことにしました。 「多良間の8月踊り」はいつ頃から始まったのか不明なんですが、数百年前から続いていくことは間違いありません。旧暦の7月中に収穫し税を無事に納め終えた安堵と感謝、翌年の豊年祈願を願う島民の気持ちがこもっているそうです。明治になってから、琉球王朝内部で踊られてきた組踊りが組み込まれ、現在は午前の部(旧来からの踊り・狂言・歌など)と午後の部(組踊り)に分けて、延々10時間、休憩なしで上演されます。初日は「中筋」の人たちが上演し「塩川」の人たちを招待します。2日目は「塩川」で上演し「中筋」の人たちを招待するんです。現在は多良間村ですが、その昔から「中筋」と「塩川」という二つの集落があり、お祭りを通じて交流しあってきた歴史が今も残っているわけです。人口1300人の村で、2か所に分かれ、それぞれ(650人)が別々の演目を10時間づつ上演するんです。650人といえば約150所帯程度だと思います。その程度の団地ならどこにでもあり、決して大きい団地・自治会とは言えません。夏祭り・盆踊りひとつ実施するだけでも、役員さんは本当に大変なはずです。でも、多良間島では、大人も子供も先生も駐在さんもが、伝統舞踊・狂言・現代の歌・創作踊りなどをします。舞台上で演じる人の数倍もの人が裏方で支えます。こんな団結というか、地元への愛着というか、強烈に残っている地域があるんだ!!と感心させられました。 前置きが長くなってしまい疲れてしまいましたので、本番の様子紹介は明日からにします。 (ごめんなさい)
Sep 20, 2010
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宮古島に移住して8月踊り前日台風11号がやっと通りすぎてくれました。実は14日から多良間島(宮古島と石垣島のちょうど中間)に行ってたんですが、18日直撃の可能性が高かったので、1日繰り上げて17日夕方の飛行機で帰ってきました。身の回りでは特に被害はなかったですが、アパート前の雑木林は枝が折れたり葉っぱが全てちぎれて枝だけになっていたり・・・・。八重山ではもっと被害があったのではないでしょうか。 さて、15日から17日まで3日間かけて行われた多良間島の8月踊り(旧暦8月8日から3日間)を、何回かに分けて紹介したいと思っています。 前日14日の16時前、飛行機に搭乗。39人乗りのプロペラ機で、飛行時間20分とあっという間に到着です。宿(素泊まり2500円)に荷物を置いてすぐ、自転車(1日500円)を借りて浜辺へ向かいました。朝夕は浜辺でガラス+貝殻探しもしたかったので。ちょうど17時前で涼しくなり始めたので、道路上にはサザエを背負った大きいヤドカリがあちこちで歩いています。宮古島にもいますが、草むらなどでしか見ません。さすがは多良間島!そして、浜辺で拾った成果はというと、ビーチグラスは宮古島の方が多いかもしれませんが、色の濃さ・厚み・丸みなど非常にいい物が多かったです。貝殻はたくさん拾えました。浜辺にころがっていた物なのに、ほとんど摩耗していません。宮古島ではほとんど突起部分が削られてたりするんですが。大満足で、浜辺を後にする頃には夕暮れの気配が忍び寄っていました。宿近くに来ると、歌+音楽+太鼓など楽器の音が聞こえてきます。大急ぎで近くのそば屋で夕食を食べ、翌朝用のパン+飲み物を買ってから音の発信地へ向かいました。衣装をつけて熱心に練習している最中でした。見物人の大半は塩川字の重鎮たちのようで、若い男性が泡盛を補充して回っていました。すでに足もとがおぼつかないおじいもいたりして。本番は明日からなのに大丈夫?と心配になりましたが、オトーリで有名な宮古島よりも一人当たりのお酒消費量が多いという話を聞いたことがあり、一人で納得した光景です!2か所で行われるので、もう1か所の中筋字の様子も見に行ってきました。すでに真っ暗で、電球の明かりがなんとも幻想的です。舞台には紅白の幕が張られていて、たくさんの人が私服で練習していました。明日から3日間ぶっ通しの「8月踊り」を楽しみにしつつ、宿に帰りました。
Sep 19, 2010
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宮古島に移住して宮古上布・宮古織り宮古島では昔から宮古上布という織物があります。チョマという極めて細い糸で織られていて、麻よりも柔らかくて涼しいんです。糸づくりから着物の縫製まで何十という工程があり、その全てが手作業です。島のおばあたちが主力の担い手ですが、だんだんと担い手も少なくなり、極めて高価なため、販売不振の傾向にあります。でも、若い人を対象とした担い手育成講座があって、毎年受講者が熱心に取り組んでもいます。 このところ本当によく頑張ってくれていた家内に、宮古上布の服を作ってやりたかったんですが、女性ものはデザインなど好みもあるので、来年、一緒に宮古島に戻ってきた時までお預けにしました。 話は変わるんですが、球形ランプシェードを買っていただいた方が、ショッピングセンター サンエーの食品館近くで宮古上布・宮古織り専門の「工房 十世(とよ)」というお店をしておられるんです。その奥さんが上品かつ気持のいい方で、しかも、非常に安い!!小さなお店なのにいつも来客があって、入りきれない事もあるほどです。という事で(何が「という事」かわかりませんが)、私用に「かりゆし」を買ってしまいました。宮古島に来て以来、最大の贅沢・高額商品購入です!(見づらいですが細かい柄を織るのが大変!)他にも店内にはたくさんの宮古上布のかりゆしが展示されています。反物も見せてもらったんですが、実にすばらしい!の一言に尽きます。上品な色合いと、透けて見える薄さでありながらもしっかりとした布です。さらに、カラフルな宮古織り(糸が麻なんですが、織りは宮古上布と同じ)も。 婦人物はほとんど購入者の好みのデザインで縫製してくれます。 最後に、奥さんからプレゼントしていただいた小さな額入りの宮古上布。いい感じだと思いませんか。うれしい限りです!!! 追記:私が購入した宮古上布製のかりゆしの代金 「金 60,000円也」でした。 私にとっては非常に高価ですが、 宮古上布製としては非常に安価と思います。 大事に着続けていきたいです。(予告) 今日の午後3時55分の飛行機で、 多良間島へ行ってきます。 旧暦の8月8日に行われる「8月踊り」を見るためで、 3日間(9月15~17日)連続で催されます。 国の無形重要文化財に指定されていて、 ユネスコの文化遺産候補にも上がっています。 18日に帰ってきますので、19日から数日かけて 報告したいと思っています。 では、いってきまあーーーす。
Sep 14, 2010
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宮古島に移住して巨大シーサー出現沖縄県の魔よけといえば「シーサー」が有名です。他にも、突き当りに面した壁・塀・門などに置く「石敢当」と書いた石版。宮古島では、家の玄関に吊るしてある「水字貝」も魔除けです。 そんないろんな魔除けの中でも最も一般的な「シーサー」が宮古島空港の正面玄関で作り続けられています。その素材は、ホラ貝・シャコ貝・夜光貝・タカセ貝などの貝が大半で、一部に赤瓦・ビン玉や漆喰なども使ってあります。製作者は沖縄本島にお住まいの方だと聞いていますが、定期的に宮古島に来られて作り続けておられるとのことです。素材の貝などは宮古島近海で獲られた物ですが、大量に必要なので市民に貝殻の寄付を呼びかけています。現在は、やっと一頭が完成真近かになったところです。2頭が完成したあかつきには、すごく迫力満点なシーサーになる事でしょう。 新たな見所になると思われますので、宮古島に来られる事があれば、ぜひともそばで見てみてください。
Sep 10, 2010
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宮古島に移住して古民家集落に泊まる以前にも報告しましたが、9月末をもって宮古島を引き上げる予定です。そこで、家財の片づけ・持ち帰りか処分かの区別などのために家内が宮古島に来ました。埼玉の家の片づけ・京都府の新居の片づけとフル稼働で頑張っている家内を慰労するため、これまた以前に紹介しました「かたあきの里」に泊まってきました。宮古島では数少なくなってしまった赤瓦の民家が、広場を囲むように8棟並んでいます。家の周りには琉球石灰岩の塀が連なっていて、いい雰囲気です。家毎に大きさが異なっていて、1名から8名くらいまで宿泊できる間取りなので、人数に応じた家を選べます。このところ多忙を極めていたわれわれ2人にとって、久しぶりに、ゆったりとした時間が流れる空間が心地よかったです。私が風呂から上がってみると、(陶器の白い湯船には鳥が描かれていて、家内に好評でした)家内は家族や友人たちに絵葉書を書いたりメールを打ったりしてました。テレビもなく、何をするわけでもないのに、居間で夜遅くまで話をしていたひとときが心地よかったです。家の中は涼しくてクーラーをかけなくても快適でした。夜になると、隣接している熱帯植物園・体験村の森の方から「琉球このはずく」という小型のフクロウの声が“ボー・ボー”と聞こえてきます。湯船からは満点の星が見渡せて、時間を忘れることができます。私はシャワー室の電気をつけたまま、隣の湯船に浸かったんですが、半透明の扉から漏れる明かりに虫たちが群がってきて、閉口しました。別途、明かりが漏れないように木製の扉を閉めて湯船につかれば良かったんですが・・・・。トイレ・洗濯機・レンジ・バスタオル・ナイフ・フォーク・お皿・・・・・・すべてが高級品で、これまた家内に好評でした。(唯一、歯ブラシが硬くて私たちには合いませんでしたが)食事はなくて自炊を想定した備品が揃っています。我々はスーパーでお寿司などを買ってきて食べました。 家内と、「今度は家族や親しい友人たちと大勢で泊まりたいね」と話しているうちに夜が更けていきました。
Sep 7, 2010
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宮古島に移住してひまわりが・・・・・→昨日のブログで、「漂着物アートコンクールに出品した作品が賞をいただけた」と報告しましたが、その時の表彰状が下の写真です。更に、副賞もいただきました。「ホテルアトールエメラルド宮古島」で使えるギフトチケットが入っていました。おかげで、ほんの少しの現金+ギフトチケットで、日頃は行けないホテル内のレストランで何度か優雅に昼食をとりました。地元の新聞(宮古新報:8月10日)でも入選作品の写真が掲載されました。 一緒にビーチグラス絵を作っている方たちが新聞を保管してくれていました。ありがたいことです。宮古島に戻ってすぐの旧盆の日に、預けてあった作品を受け取りに行ったんですが、旧盆当日ということで休日のため誰もいませんでした。でも、なぜか鍵が開いていたので作品を引き取ることにしました。大型球形ランプシェードを梱包して車に運び入れてから、引き返し、ひまわりを梱包しようとした時、悲劇的な光景が!!!なんと、画面(板ガラス)が割れています。それも、画面いっぱいに、何本もの割れ目が・・・・・上の写真は、画面のほんの一部だけです。ただ、ビーチグラスと砂を板ガラスにボンドで接着してあるので、バラバラにはなっていません。お日さまや電球の光越しに見ると、写真のように割れ目がくっきりと見えますが、画面の正面から光があたる場合は割れ目は見えません。乱暴にしなければバラバラになる心配もなさそうです。実は、一時帰郷中だったのでコンクール終了後、戻ってくるまで保管していただけるよう頼んでたんです。ひょっとすると、その一時保管中に、他の一時保管依頼者か誰かが引き取りに来て腕などが当たり、テーブルの上から落下したのかもしれません。一時保管依頼したのは当方ですし、おそらく担当者に過失はなかったでしょうし、誰も悪意がないはずなので、「仕方ないか・・・」「またいつか、ひまわりを作ってみよう。その時は今回作品より少しはいい花を咲かせそうだし」と思う事にしました。おかげで、黄土色と黄緑色のビーチグラスを中心に浜辺で探す楽しみが新たにできました。
Sep 5, 2010
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宮古島に移住してひまわり今年も「漂着物アートコンクール」が8月初旬に開催されました。出品要請のはがきも来ました。7月下旬から一時帰郷することになっていましたので、帰郷の前日に出品作品を提出しておきました。作品名は「ティダとひまわり」です。“ティダ”とは“太陽”のことです。太陽は、以前行った個展用に制作した「大型球形ランプシェード」を転用することにしました。(新たに製作する時間的余裕がなかったので・・・) (直径26cm)そして、コンクール用に初めて作った「ひまわり」です。少ししか拾えない黄土色と黄緑色のビーチグラスをふんだんに使ったんですが、コンクールを見に来ていただいた方々の反響はどうでしょうか?会期中の8月1日~5日は埼玉県、5日~8日は京都府にいる私としては、残念ながら見に行けません。そんな7日の午後、主催者から携帯に連絡があり、「ホテルアトールエメラルド宮古島」賞に決定したとのことでした。そこで急きょ、一緒にビーチグラス絵を作るようになった親子さんの奥さまに代理で表彰状と副賞を受け取ってもらうようお頼みしました。 (今日は時間的余裕がありませんので、この続きはあすに掲載したいと思います)
Sep 4, 2010
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宮古島に移住して帰省前のビーチグラス絵前回のブログに続き今回も一時帰省前(7月)の話題ですが、私が制作したビーチグラス絵や仲間の方たちとの製作風景を紹介したいと思います。まずは、以前ご紹介した「個展(ビーチグラスの生き物たち)」がきっかけで製作依頼を受けていた「ウミガメ」です。大きさ(A3サイズ)・形はこれまでと同じですが、お店に飾りたいという依頼者のご希望でしたので、少し華やかな雰囲気にするため、色・形のいいビーチグラスを背景の砂の上に配置してみました。紺色(特に左下の丸い)のは私的には貴重だったんですが、思い切って使ってみました。右下の黄緑色の三角形も、貴重なビーチグラスの一つでした。成功したかどうかは???ですが・・・・。 次の写真は、最近になって一緒に作り始めた親子さん3人とご婦人の製作風景です。お母さん(左上)・子供さん(中央2個と左下)の作品は製作途中ですが、初めて作ったんです!どれも自由でノビノビとしていて、いい感じです。 場所提供していただいているおじさんのお宅の庭には、以前紹介しましたように、「メジロ」「ニワトリ」「サボテン」「ドラゴンフルーツ」「パパイヤ」「グアバ」「レモン」「ブランコ」「ハンモック」「黒糖作り用の窯」「バナナ」「カブトムシの幼虫」など、いろんなものがあるんですが、この日は、近くに住む方が持ってこられたという「バナナ」がずらっと吊るされていました。黄色くなるまで吊るして熟させてから、みなさんにプレゼントするんだそうです。本当におじさんの庭はワンダーランドです!!
Sep 1, 2010
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