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2020.12.30
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カテゴリ: 旅行 沖縄県
沖縄 旧海軍司令部壕

旧日本海軍沖縄方面部隊を指揮する
「海軍司令部基地」として壕が構築
されました。ほぼ当時のままで残って
いる貴重な施設です。

慰霊塔 ここから首里城など見渡せます


1945年1月20日佐世保鎮守府から大田實(海軍少将)が
司令官として着任する。



大田司令官の電文




原文



昭和19年8月から12月の5月間約3000人で
壕を完成させた、ほぼ人力(つるはし)で
堀りコンクリートや漆喰などで固めた。



壕に残っていた遺物



旧日本海軍沖縄方面部隊は沖縄では陸軍第32軍司令部
の指揮下(組織上)にはいった



旧日本海軍沖縄方面部隊は沖縄の小禄飛行場(現那覇空港)
を守るための防空壕であった。

海軍の特攻兵器「震洋」


1945年4月1日米軍は沖縄本島に上陸







壕の入り口



地下に向けて長い階段が続く



下まで降りると広い空間
枝分かれした全長450mの坑道と各種の部屋がある



作戦室 7.5㎡の広さ







実際に使われたつるはし



兵員室 13㎡

戦闘中は立ったまま睡眠をとっていた






司令官室
壁面に大田司令官の愛唱歌
「大君の御はたのもとに・・・・」の墨書が残されている



1945年6月4日米軍は壕のまわりを包囲する
大田司令官は「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電報を発信
6月13日午前1時大田司令官や幹部は自決を遂げこの地区
における組織的な戦闘が終わる。



戦後昭和28年に元海軍隊員により崩壊していた
壕内を掘り出し大田司令官をはじめとする800名の
遺体を収集された、さらに昭和33年には1500名以上
の遺骨が収集され海軍慰霊塔が建立された。



1970年昭和45年に壕内の300mが復元され
一般公開されました、その後周辺が海軍壕公園
として整備された。



この後沖縄平和祈念資料館に向かいます。





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最終更新日  2024.05.04 06:39:04
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