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昨日、あるスーパーでおもしろいモノを見つけました! 「犬用ササミのふりかけ♪」 なんじゃそら~??よく見ると、ササミをフレーク状にした、れっきとしたふりかけです。フムフム、ワンちゃんの食欲のないときなどに。。。と書いてあります。ひょえぇー!わんこについにこんなモノまでネ~♪ウチのイヴちんに限って食欲がないなどどはまず、ありえないけど、と思いつつ、買ってみました。 私; 「イヴちゃん、いいもの買って来たよ~」 イヴ;「ンガ、ンガ~(なに?なに?)」 私; 「いいものだから~、 ほりゃ~、どうだ~?」袋の口を急いであけ、イヴの鼻の前へ持っていきます。(イヴはササミが死ぬほど好きなんです) イヴ;「ンゴ、ンゴ~(エーにおいやー♪)」 (食べた~い、食べた~い、早くぅー待てないよ~)お手!をするのももどかしい、コーフン状態のわが愛犬... 「落ち着けェー!」 「静まれェェー!」私もコーフン状態に。。。ったくー、恥ずかしー生活出てるやん!!ハイハイ、待ちなー今、あげるってばっ!粒状のドッグフードの上にかけてやると、ウハウハ、(うめぇー!)パクパク、(たまらんー!)とか、思いながら(たぶん...)一気にたいらげてしまいました。あ?おかわりネ?そうそ♪アイコンタクトで会話する私とイヴ♪今度はうまくドッグフードをかきわけて食べたのです。 私;「コラッ!知能犯ッ! ちゃんと食べなきゃ、 もうあげないよッ!!」 イヴ;「...。」 (わかりまチた...)と思ったのか、渋々、残したものを口に入れはじめました。 イヴちゃん、さすが!トイ・プードル♪頭いいネェ!こういうときだけは。食べることに関してはホントにこの子は賢いんだ♪と思うことがたくさんあるんです。そのひとつに、家族全員の食事(夕食)が終わるまで絶対に自分のドッグフードは食べないのです。最近は平日に家族そろって食べることなどほとんどなく、まず、最初に私が食べてはじめると、おこぼれを待ちます。(いけないこととは知りつつ、 与えてしまうのですー反省...)ひとしきり、私からあれやこれやともらい終わっても自分のゴハンには目もくれません。「イヴちゃん、自分のを食べなさい!」って言っても、あれは「イヌのゴハン」=最後に食べるもの=他に何もないときに食べるもの~と、イヴの頭の中ではできあがってるようです。そしてまだ帰って来る人がいる~だから食べない。娘が帰宅して食べはじめても私のときと全く同じ。もうひとり帰ってくる人がいるのも忘れていません。ドラは夫と同様、絶対に何もやらないのですが、なぜか、ちゃんとおすわりして待っているのです。食べ終えるのをず~と待ち続けた後、(あー、きょうもぼうずだった...と、 思ったかどうかは知りませんが~笑)これで最後や~と確認してから、おもむろに自分の「イヌのゴハン」を食べに行くのです。ちなみに夫が帰国しているときは、ちゃ~んと4人食べ終えるまでやはり「イヌのゴハン」は食べないのです!ホンマにあんたは、なんちゅうイヌ!?
2005年10月31日
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3ヶ月前、一年の留学を終えてドラが帰ってきた。あっという間の一年間だった。ドラから、 「7月中頃に帰ります~♪」のメールが届いたのは、ハワイ旅行から帰ってきてまだ興奮冷めやらぬときだった。 「えぇー!もう帰って来るん??」と、娘が言う。 「えらいこっちゃー!!すっかり忘れてたー」と、私も続けて言う。(なんちゅう親でしょう??)ハワイのことで浮かれててドラことなんぞ、頭の片隅にもなかったのである...(笑)今は私も娘もイヴもすっかり女3人の生活に慣れきってしまっている。ふぅー帰って来られても...ネ?とはいえ、帰ってくるのにはちがいない。さっそく、ドラの部屋を片付けることにした。(銭形金太郎の部屋に近いくらいひどい部屋~オェー)1年前のあの頃、出発するにはまだ数ヶ月もあるというのに、ドラの部屋を娘の部屋にして~♪娘の部屋を私の部屋にして~♪などと目論んでいたのに、いざ、いなくなると、心にポッカリ穴が開いたようで、何もする気が起こらなかった。イヴがいつも昼寝をする椅子にかけてあるバスタオル(汚れ防止:おしっこのシミがすぐつくので)も洗濯してしまうとドラに匂いが消えてしまうと思い、イヴの為にわざと洗わないでいた。要らないから、捨てといてーと言って、置いていったモノも捨てていない。何かをした?といえば、掃除機をかけてシーツを洗濯しただけ...(それ以外は何も手つかずの部屋)2月に一時帰国したときにドラが言った言葉、 「なんにも変わってへんやん?」 (片付けるって言ってたんじゃなかったん? という意味でしょう...シ~ン)と、あきれていた。 (あったりまえヤンケー、何もしとらんケン♪)娘とふたり、丸1日かかってなんとか生活できるような部屋にした。(やっぱりおねえちゃんだ~と感心したよー)どんな部屋であろうと本来なら、息子にさせるべきなのだ!と思うのだけど、<どんなとこでも住める!>と日ごろ、豪語しているドラの言葉を信じると空恐ろしい~気がする。なにわともあれ、ドラが帰って来るまでには間に合ったのでござるー帰国してからのドラはすぐに就職活動を開始した。今はすべてPCと携帯電話で行うので、私には全くわからない。ドラからの報告だけの情報しか入ってこないので、進捗状況など一番知りたいことが、わからないということもあり、私は少しイライラすることもあった。時期が悪いのか、新卒でも第二新卒でもないからか、難航しているのだ~くらいしかわからなかった。そのうち、トントン拍子に最終面接までこぎつけた♪と、ようやくドラからの報告があった。自信満々で、半分受かったようなノリのドラ。さっそく父親に電話をかけていた。切ったあとで、「いろいろ、コツとか教えてもらったけど、 おとーさん、ちょっとキツかったなー 世の中そんなになんでもうまくいかんでー 最後の役員面接っていうのが、 一番クセ者やで~って言われたワー」と、ちょっぴり落ち込むドラ。(母もそう思うヨ...)こういうときは父親の出番なのね。現役だから、アドバイスをしても信ぴょう性がある。私だと一般論しか言えない...具体的なことが言えない...ここは父親に任せましょ♪結果は、みごと(本人の)予想に反して不採用...「面接官は3人って聞いてたのに、 実際は6人やったー」(ビビったのかしら...?)「熱意とやる気と根性は買う(それは社交辞令なのよー)って、 他に何があるねん!?」ドラは失意のどん底に...あとで聞いてみると、一番行きたかったらしい総合商社の繊維部門。その翌日からはPCも開けず、部屋にひきこもり状態...私はかける言葉も見つからず、意気消沈状態。こういうとき、父親がそばにいれば、ドラも少しは心強かったかも知れない。じっくり話を聞いてもらいたいにちがいない。私はこのことで息子にとっての父親の存在の大きさを改めて感じた。3日ほど経った頃、なにやらTVゲームをしているドラを発見!(ナヌッ!?)私は今までこらえていたものが一気に噴出した!! 「あんたっ!!何やってんの!? おかーさんもおねえちゃんも どれだけドラのこと心配してると思ってんの!? 落ちたことなんかどうでもいいって言ったでしょ!? ご縁がなかったと思ったらいいことってこれも言ったね!? おとーさんからも頼む!って言われてんの! なのに、なにそれ?? なんでゲームなんかできるの??」私の顔は涙でグショグショ、鬼気迫るものがあったのだろう、ドラは目も口も開いたまま固まっていた。(フリーズ状態ー笑)思い起こせば、挫折を知らないで今まで生きてたんだよね。幼稚園から高校までエスカレーターの学園に身を置き、浪人はしたものの卒業後は留学の道へ。欧米の留学ならともかく、中国の留学なんて、やれ遊びに行くとこやーとか、就職できなかったヤツが行くとこやーなんて世間では言われてるみたいたけど、母はそれでもいい!と思ったの。人がなんと言おうと、どんなところであれ、まわりがどうであれ、勉強する者はするし、しない者はしない。漢語生なんてそんなに授業が大変じゃないってことももちろん調べたよ。中国はおとーさんが仕事をさせてもらっている国。父と二人だけで生活することでいろんなことを経験してほしい。勉強だけでなく、日本の大学生活では味わえなかったことを、いろんな国の人と接触して、自分の目で見て、肌で感じてほしいー、そう思ったから。1年後、あなたは母が思っていたことの他に「おとーさんってエラいなー」って、言葉を持って帰って来たじゃない。母はその一言で、どんな生活をしてきたかが、わかったような気がするよ。この1年間は無駄じゃなかった!って、思えるときがきっと来る!今はツラいけど、必ず、自分を待っていてくれる会社がある!そう信じてがんばって!!なにやら必死でそんな話をしていた。私のあまりの形相に驚いたのか、母の琴線に触れたのか、ドラは翌日から、せっせと以前研修を受けたパソ○へ日参し始めた。そのうち、あれよ~あれよ~いう間に、某専門商社の内定が...(捨てる神あれば、拾う神あり~♪)毎朝6時に起きて(私も起きて♪)元気に(と、思っている)出社するドラを見て、人生はなるようになる~ケ・セラ・セラ~Let it be! だな...って、思わずにはいられなかった。後日、ドラはこのように話してくれた。「あの時は、自分でもどうしていいか、 考えても考えてもカラ回りしてわからんかった... 誰かに何かを言ってもらいたかったのかもしれん。 (心と体=行動がバラバラだった) おかーさん、ちょっと迫力あったで~」うんうんなるほどね。母は鬼にも蛇にもはたまた父親代わりにもなんでもなるよ! ドラ! 加油!!(がんばれー)
2005年10月24日
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数日前、夫から、「20日より東京出張、22日に帰る。」と、だけのメールがきた。ああ~また~いつもギリギリなんだから!こっちの予定なんてまるで考えてない。もうちょっと早く知らせてくれたら~と、いつも思う。「で、いつ(上海に)帰んの?」と、返信すると、「24日のつもりだったけど、チケット取れなかったから、23日にした。」えええぇぇー??ってことは、一泊二日?そんなら、成田から直帰すればいいじゃないの??なんて思うデ、フツーは。プンプン!昨日、妻の心何も考えずに(そりゃそうかもー)帰ってきた夫。 夫 「ただいまー」(アラ?全くフツーじゃん?) 私 「おかえり♪」(私もなぜかフツー?笑) イヴ「ワンワワワーン! (とーちゃんひさしぶり~♪)」 私 「明日、帰るの??」 夫 「メール見たやろー?」 私 「見たけど...早いネ...」 夫 「忙しいからなー」 (わかってるよ...) 私 「いや、あんまり早いから、 ちょっとびっくりしてた...」たまにしか、帰って来れないんだから、その時くらいは、家族みんなで食事に行ったり、買い物に行ったり、両親の家に行ったり、と、いろいろ考えているのに、もう!(怒ー)と、言おうとしたら、「あ~疲れた~」と、言って寝てしまったー(ありゃ~)やっぱり家に帰って来たかったのかな...?向こうに帰っても誰もおかえり♪って言って待っててくれる人、いないんだものね...う~んと若かったら、ひょっとしてケンカになっていたかもしれない...そういえば、「今度はいつ来る?」なんて何回も聞いていたね♪ ウフフ~「う~ん、考えとくね~」と、はぐらかす私。。。だって、上海の冬はホンマに寒いんだから!ましてあの恐怖のバスルーム。ガクガク震えながら入らなければいけないし、ましてあんな浅いバスタブでは入る気がしないよー(全然、温ったまらん!)てなわけで、当分行かないからー(ちょっと意地悪♪)「あーよく寝た~」と、言って機嫌よく起きてきた夫。「ああ~これ、昨日の会議の内容ネ~」と、私の前になにやら資料を差し出した。(別に見たくもないんだけどね...)それから、延々と仕事のことを話し始めた。(ひょえー!)それでも私はウンウンと聞く。(...フリをしていたー笑)「お茶、飲む?」とか「これ、食べる?」などと時々聞きながら。でもふと、気がついた。私はちょっぴり不満だったけど、無理をして夫の話を聞いているわけではない... なんでだろう?ひさしぶりに会った夫がたった2日しかいないから?それともそんな些細なことでケンカになるようなエネルギーがもうない?(若くないってことかな...)たった一泊でも家に帰って来て、安心して眠って、なにも気を使うことなくいられるって居心地がいいってことだね♪それってささやかな夫婦の幸せかな?な~んて思うと、なんだか夫がちょっぴりいとおしく...(あー恥かし~)ひとしき話し終えてから、(独演会、終わり~♪)ドラ(長女)はどう?だの、ドラ(長男)はがんばってるのか?だの、コーヒー飲むかー?だの、(いつもは夫が入れてくれるーアハ♪)いつもと変わらない夫に戻っておったー。 夫婦ってなんだろ~?(一週間もいれば、一度や二度はxxxあるかもね?)夫はきょう元気に上海に戻って行った。ドラが帰国してはや3ヶ月。「(また独り暮らしに戻って) 寂しくないと言ったら、ウソになる...とは言わんデ!」なんて強がり言ってたけど、やっぱり独りはさみしいよネ...夫よー、元気でがんばってネ♪春になれば、行くからネ!!
2005年10月23日
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きょうはちょっと恥ずかしいけど、まじめに「ぢ」のお薬を紹介♪我が家のドラ(息子)は「ぢ」を患っています。(ごめん!バラしてしまったー許せ~)長い間、親にも恥ずかしくて言えなかったらしく、私が知ったのもつい何年か前のことでした。ある日、がまんできなくなったのでしょうか...「おかーさん、ボク、ぢ、かも知れん...」と言って顔をしかめながら、トイレから出てきました。それを聞いて以来、私は、効きそうな薬や、円座(ドーナツ型の座布団)を買ってきては、「こんなことより、病院に行くのが一番いいの!」とは、言ってみるものの、「そんなこと(恥ずかしくて...)死んでもできん!!」と言う始末。父も長年患っていてある日(何年も前に)、とうとうがまんできなくなり、手術を決心!今はすっかりよくなっているらしい。そのときの話をジィ(=ぢ、笑~)に聞いて、ドラはますます病院には行けなくなったのでした。若い男性って案外シャイ?なの!?それとも「あかんたれ」!?(大阪辺りではこのような情けな~いヤツを ときにはこう呼びます!)女の子なら、わかるけどネ...昨年、中国に留学するにあたって、このままではもし向こうで、痛くなったら大変!どうしたものか?と、考えあぐねていたとき、夫の部下の中国人女性が、「いいものあるよ~」と教えてくれたのが、 「肛泰」という薬英語名でANTIーHEMORRHOIDS一箱4片入りで、確か34元くらいでした。私は百盛(PARKSON)の薬局で買いました。それはナントおへその上に貼る薬なのでした!7.5cm四方のシールの真ん中に直径約2cmの薬(溶けるようになっている)があり、おへその凹みに薬部分を入れ込むようにして貼るのです。(ちょっと臭いがあります、防虫剤のような?)しばらくすると、痛みがウソのように消えるとか...根本的に治すものではないにしろ、痛くなったときのまさに救世主!剥がしてシャワーでキレイに流せば、跡形もありません。でも日本にはこんな薬ってあるのでしょうか?塗り薬は聞いたことあるけど...中国では(教えてくれた女性によると)昔っからあるよーとのことでした。場所が場所だけになかなか、いい薬ある?なんて聞けないですもんネ(笑)今や我が家の常備薬となっています。 「ぢ」でお困りの方、一度試してみてくださいね。
2005年10月07日
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いよいよお待ちかね、フリータイムの日。なのに、朝早く起き過ぎて(5時半?)2度寝して起きたら、ナント!9時過ぎ!! えらいこっちゃ~!!(朝食は10時までだったー)化粧もそこそこに朝ごはんにー。とりあえずかき込み、大急ぎで部屋に戻り、水着に着替え、午前中の予定のワイキキビーチへ~いざ!行こうとしたら、母が「ちょっと!私たち放っておいて行くの??」って、昨日言っといたじゃん!!疲れたから寝てるって~言ったやん!! 母: 「それが全然疲れておりまへん♪」 (ひょええー!) 私: 「ったくー、今から海に行って来るの! すぐ戻るから待っててー」 父: 「少し寝てるからエ~で~、行っといで♪」 母: 「せっかくハワイまで来て寝てるなんてもったいない!!」 (もうー同じ親なのになんでこうも違うのよ!) 私&娘:「......。」 母: 「せっかくやから、記念撮影しよっか?」私&娘:「ええー!?なんの??」 母: 「決まってるやないの! 水着姿の~♪」私&娘:「はぁ~??」 母: 「はいはい、並んで並んで~、ポーズ、ポーズ♪」両親の前で水着撮影となり~(もうォ~)ABCストアでゴザを買って、いざ!ビーチへ。すでに10時を過ぎていたこともあっていたるところ人、人、人だらけ~仕方ないねーハイ○ット・○ージェンシーの前が一番多いみたい。少しのすき間?を見つけ、ゴザを広げる。娘と並んで座り、 「ここはワイキキやね~♪」 「やっと来たねー♪~♪」と、叫びたかったけど、ちと恥ずかしかったので、ささやきあった母娘でござる。後ろはスパニッシュ系?前にはフレンチ系か...?おや?海の方からは何やら聞きなれた言葉が...おおーチャイニーズだぁ~声がデカいからすぐわかったよーどこでも大きい声でしゃべるんだね~海の色は近くで見るとそんなにキレイじゃないね。それだけ人が多いってことかー。ワイキキビーチの波って意外と高いんだな~って思った。私が知ってる日本海の波とは違うなぁ...浮き輪とかないと足がふらついて立ってられないよ~で、どこかの国の子どもと一緒に(仲間にいれてね♪)波打ち際でバシャバシャと...遊んだの...とほほ。 せっかくだから、母娘のツーショットの写真を~と、思い、誰かいないかな~と辺りを見渡すと...いたいた!前に寝っころがっているフレンチ系(多分...)の男の子に、(頼もうと思った!) 「Excuse me, Would you take ~」と言いかけてデジカメを渡そうとしたら、 「Sure...」と、ちょっとめんどくさそうに受け取り、バシャ!と一枚取ってくれた♪ 「Thank you!」 これしか言えないけどねーあとで娘が「あの子、イヤそうやったで~」って言うのを聞いてちょっと落ち込んでしまったーおばさんに頼まれてもうれしくないか...結局、海には入らなかったので、暑くてがまんできず、ビーチには1時間ほどいただけで戻ることに。午後は母のお楽しみ、ウクレレを買いにロイヤルハワイアンショッピングセンターに。買い物の交渉は母一人に任せて、父と私たち3人は散策へ。なぜか人も少なく閑散としていた。こんな街中にあるのにね...約30分あれこれ説明を受けて母の買い物は終わったようだ。ふぅー 母:「ハイ、おじぃちゃん♪」と、いつものように荷物を差し出す母。それをさもあたりまえのように受け取る父。見事な連携プレー♪ (父よ、お疲れさまですー)それを見ていた娘、 「おじぃちゃんって、エライなぁ~」 父:「もうあたりまえになってるんや~ 自分は(母のこと)持たないもん! と、決めてるし~」 娘:「おかあさんもそうやで~」ええぇー!? うちはそんなことはないよー!!私が差し出さなくても夫がフツーに手を出すだけ♪(これってノロケ? 失礼しましたーぺこり)毎日夕方、だいたい日没から、ホテルの前、カラカウア通りを渡ったところにあるデュークカハナモク像の前で無料のフラダンスショーがあるらしい。これを見逃す母ではない。もういっぱいフラは見たのにーいい席取らないと~とまたまた張り切る母に、にっこり(...に見えた)の父。父よ~がんばってね♪私たちはもう一度DFS 行って来るからねー。夜はそろそろ日本食でも~ということになり、(父が疲れていたせいもあって)ホテルの裏にある、「踊○子」という店に。おおー右を見ても左を見ても日本人らしき人ばかり。かなり流行ってるのかー?それとも立地条件がいいのかー?味は...びっくりしないわ~、こんなんじゃ~って感じ。まぁ期待はしてなかったけどね。父はなぜか冷やっこがお気に入りだったよう。(ハワイは水が豊富だから、豆腐もおいしいのかも?)さて、夜も更けてきた。明日はいよいよ帰国と思うと部屋に戻るのがもったいない。さぁ、夜のホノルルを楽しまなくっちゃ!明日の出発は14時だから、朝はゆっくりできるから助かるなぁ~ホノルルの中心部は(ほんの少ししか見てないのでよくわからないが...)横にSHOPが並び、縦に露店(=stall)があるようだ。ひととおり、有名な店を覗いたあとは露店へ。露店だからといって安いわけではない。安いというイメージを持っていたので、意外だった。でもdiscountはOK!らしい。Stall holder(露店商)に値段交渉をする。私、張り切って言う、 「That's a bit too expencive ! Do you have anything cheaper ?」 「コレ、ヤスイ!」って、言われてしまったー ありゃ~?あとで聞くところによると、露店でそんな英語使う人、いないそうだー(あぃや~チョー恥ずかしー!)しっかり、勉強して行ったのにィ~なんてことはない、ハワイはほとんど日本語でOK!なんだって!露店ではあまり通じなかったけど...日系人の人は全員っていっていいほど日本語がしゃべれるし、ホテルのポリネシアン系のおねーさんもたどたどしいけど、OK!ただ、マクドナルドの女の子や、クルーズにいるスタッフの若い人たちは全然ダメみたい。毎日あれだけの日本人に接触してるのにね。ハワイに来て思ったこといっぱいあるけど、特に感じたことは、日系人が(顔は日本人そのままだから)流暢な英語を話すと、身近なおばちゃんを想像してなんとも不思議な感じが...。観光スポットで働いている人に日系人の方、それも結構年配の方が多いのにびっくりした。空港で出迎えてくれた人も、街のSHOPのおばさんもクルーズで乗った船のスタッフの中にも、たくさんの人がいた。ムームーを買った洋品店で働いているある方はナント82歳だという!レジもパソコンだったし...(すげぇー!)そして、交通マナーがとてもいいのにもびっくりした!信号が赤になりかけてもあわてて走らなくてもいい!横断歩道を渡っていても歩行者が渡り切るまでちゃんと待っててくれる!(あたり前かー)けたたましいクラクションの音を聞いたことがない!猛スピード、無理な追い越し、車線変更一切なし! う~ん、感激してしまったー。(どこかの国とエライ違いやー)う~んハワイって観光で行くにはホント素晴らしいとこだわ~ 「なんどでも行きたくなるハワイ♪」まさにそのとおり!遊びに行くには(私にとって)これ以上のリゾートはないと思う。それでは、上海はというと、生活するところかな...交通マナーもなっとらんし、(もうメチャクチャ!)公共マナーもなっとらん! (汚ないで~)声もところかまわずデカいし、(家の中でもー外はあたり前~)破けた服を着てても平気! (信じられんよー)と、まぁ~ざっとこんな感じだけど、なぜか私は上海(中国)が好き!生きてる!って実感できる街。かしこまらず、素のままでいられるからかな...ハワイはたまに行って短期間いてふだんと違う自分がいて夢を見て来るところ。ああ~ハワイ♪もう一度行きたい!
2005年10月06日
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今回の旅は、全日程食事つきの観光つきだったものに私と娘の希望で、フリータイムを一日プラスしてもらっていた。(添乗員なし)ツアーはやれ、ホノルル市内観光だの、オアフ島一周観光だの、ランチクルーズだの、サンセットディナークルーズだの、アロハディナーショーだのと盛りだくさん。どれも自分たちで集合場所に行き、帰りも自分たちでバスに乗り、戻って来るようになっていた。現地係員がご案内~となっていたが、これは両親だけでは無理だなって思った。いつも彼らの旅行は添乗員がついていて旗の後ろからついて行かないとどこにも行けないって聞いていたから。(笑)娘と私は観光もいいけどワイキキのビーチも行きたいし、あれやこれやとショッピングもしたい。でも仕方ないね...ここではビギナーの私たちが案内しないとネ~(爆)最初、フリーの日なんていらないって言ってた母もしっかり、ウクレレ買いたいけど、どこかにあったね~?とか、ポリネシアンショーも見たいわぁ~とか、(わぉー)夕食は日本食でもいいなぁ~とか、それじゃ、フリーの日っているじゃないの!?そして探しておけ!ってことじゃん~チョーわがまま母、(スポンサーは両親だから~)ググッ、何も言えない私がそこにいた...ハワイ到着2日目。オアフ島一周観光。最近はドライバーがガイドも兼ねているらしい。私たちのバスの運転手は日系人ではなく、もう何十年も前にハワイに来たという日本人だった。ホノルルを出発したバスは一路東へ進み、ダイヤモンドヘッドを抜け、ハナウマ湾、潮吹き岩へ。途中のカハラ地区(高級住宅地)には、石原裕次郎や五木ひろしの別荘もあるそうな~(ふ~ん)ハナウマ湾はパンフレットで見るよりももっと海の色が鮮やか! 感激!!こんなきれいな海の色、見たことない!!何年か前あまりにも魚を乱獲したため、海が汚れ、2年間閉鎖してキレイにしたそうな...今では入場制限があるらしい。ドールプランテーションを抜け、(ここでランチタイム)北へと向かう。ハレイワ、ノースショアから北東の海岸を通り、パールハーバーに戻って来るようになっていた。どこも滞在する時間が少なく、ゆっくりとは見れない。一度は見ておきたかった、日立のCMの「この木なんの木}。看板に偽りはなかったーその昔、クーラーなどない時代、その大きな木の陰で昼寝をしたり、赤ちゃんをあやしたりしたそうだ。なんとものどかー。確かにその木陰は涼しかった~ハワイは日本と違って湿気がなく、日陰に入るととてもさわやか♪だから?大きな木が多いのかな...?その日の夜はサンセットディナークルーズ。(スターオブホノルルではなかったー)屋形船?(一応2階建て)のような船に乗り、フラダンスと生バンドの演奏でゴキゲンの母。その他3人、まぁこんなもんでしょう~とやや冷ややか...食事はまたもやビュッフェスタイル。もう飽きたよ~その夜はなぜかくたびれて早々にダウンしてしまったー(もったいない!)ハワイ3日目。この日はお待ちかね!スターオブホノルルに乗ってランチクルーズ。またもや母、超ゴキゲン♪フラやウクレレのレッスンありで、乗りまくりのわが母ー。(もう何回も経験していると父はボヤく~)船上から見るホノルルは(ほとんどホテルばかりしか見えなかったけど)絵に描いたように美しかった。ハワイに来たんだ♪という実感がフツフツと沸いた瞬間だった。夜はアロハディナーショー。アラモアナホテルにて、フラとポリネシアンがミックスしたようなショー。(少ない人員?だから早業着替えで、ダンサーの方、お疲れさまでっすー)ここでも母は食事などそっちのけで写真撮りまくり。(あとでどうだった?と聞くと、写真撮ってたから全然見てなかったって!?ええぇー!何見てたん??)明日はいよいよフリータイム!
2005年10月03日
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