パクス・ジャポニカ Vol.2

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2013/04/20
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カテゴリ: 旧街道めぐり
京浜東北線蕨駅から西へ約1km歩いて中仙道に合流、 蕨宿 から再び中仙道の街道めぐりをスタートしました。

次に目指す宿場町は浦和宿ですが、旧中仙道は片側1車線の1本道が続くため、道に迷うことはありませんでした。

普通の生活道路となった感のある中仙道を歩いていると、いつの間にか現在の行政区分でもさいたま市南区(旧浦和市)に入っていました。

中仙道浦和宿辻 (500x375).jpg
さいたま市南区辻の旧街道

東京外環道との交差下には、辻の一里塚跡があります。
中仙道浦和宿辻一里塚 (500x375).jpg
辻の一里塚碑


「本当に中仙道だったの?」と思うほど、どこにでもありそうな普通の道が続いたのですが、沿道に点在する神社などにその名残をうかがうことができました。

中仙道浦和宿辻熊野神社 (500x375).jpg
辻熊野神社



これまで国道17号線の西側を寄り添うように通っていた旧中仙道ですが、六辻でやや向きを変えて国道17号線と交差、今度は国道17号線の東側を行くようになりました。

さいたま市浦和区に入ってきたところで、この辺りでは有数の難所であった「焼米坂」が待っていました。
中仙道浦和宿焼米坂 (500x375).jpg

この付近に焼き米を食べさせる茶屋が並んでいたことに由来しており、木曽街道六十九次にも当時の様子が描かれています。
浦和宿 (500x316).jpg
噴火している火山はどこの山でしょうか。

中仙道浦和宿焼米坂 (1) (500x375).jpg
南浦和小学校脇にある焼米坂の碑


当時とはすっかり変わってしまった沿道の風景でしたが、浦和駅に近づきながらも、何となく旧街道らしい風情は残っていました。
中仙道浦和宿旧街道 (1) (500x375).jpg


浦和駅まであと500mほどに近づいたところで、右手に調(つき)神社の社叢が見えてきました。

中仙道浦和宿調神社 (500x375).jpg
調神社の名前は律令時代の税制であった「租庸調」に由来しており、関東各地の調がここに集められて都へと運ばれていました。
運搬の妨げになるため鳥居や門が取り払われ、現在も調神社には鳥居や門が建っていません。


調神社を過ぎると岸町を通って、中仙道は浦和駅の西口を通るようになりました。
中仙道浦和宿仲町 (500x375).jpg


中仙道浦和宿仲町 (1) (500x375).jpg
浦和駅西口交差点

ここまで来ると当時の面影はすっかりなくなっていますが、ずっと続く一本道が旧中仙道であることは間違いないようです。
中仙道浦和宿仲町 (2) (500x375).jpg
歩道脇にある中仙道の碑

中仙道浦和宿仲町道路元標 (500x375).jpg
道路元標(復元)
大正11年の内務省令により全国に置かれた道路元標のうち、中仙道浦和宿に置かれていたものです。



中仙道浦和宿仲町 (6) (500x375).jpg
仲町の旧街道

中仙道浦和宿仲町 (7) (500x375).jpg
本陣の跡は残っていませんでした。


中仙道浦和宿仲町玉蔵院 (500x375).jpg
仲町にある玉蔵院
空海の創建とされる寺院です。


十返舎一九が「代ものを 積み重ねしは 商人の おもてうらわの 宿の賑い」と
詠んだように、江戸時代の浦和宿は商売の町としてにぎわっていたようです。

浦和宿では二と七のつく日に市場が開かれ、「六斎市」と呼ばれていました。
市場は本陣のあった仲町の先、現在の常磐町にあって、その跡を示す碑が建っています。
中仙道浦和宿常磐町二七市場 (500x375).jpg
浦和の市場は戦国時代に開かれていたようで、1590年には豊臣秀吉の家臣であった浅野長吉から、喧嘩口論などの禁制が浦和市に対して出されていたそうです。

中仙道浦和宿常磐町 (500x375).jpg
常磐町の旧街道


浦和宿の中心部を過ぎると浦和橋で東北本線の上を跨ぎ、東北本線に並走するように続いていました。

北浦和駅の手前の針ヶ谷付近は幕府の直轄領だったそうで、陣屋も数多く置かれていたそうです。

中仙道浦和宿 (29) (500x375).jpg
針ヶ谷付近の旧街道

中仙道浦和宿廓信寺 (500x375).jpg
針ヶ谷にある廓信寺
徳川家康の重臣で岡崎三奉行の1人、「仏高力 鬼作左 どちへんなしの三郎兵衛」と並び称された高力清長(後に岩槻城主)の菩提寺として建立されたものです
(ちなみに岡崎三奉行の残りの2人、「鬼作左」は本多作左衛門重次で、「どちへんなしの三郎兵衛」とは天野三郎兵衛康景のことです)


中仙道浦和宿 (30) (500x375).jpg
針ヶ谷で見つけた庚申塔

また、針ヶ谷はサツマイモの紅赤(金時)の発祥の地でもあります。
「八ツ房」品種の突然変異で、1898年に偶然発見されたものですが、後に関東一円に広がり、名産地の川越をもしのぐ勢いだったようです。


ところで旧街道を舞台にした仇討ちと言えば、東海道の曽我兄弟の仇討ちが有名かと思いますが、中仙道にも仇討ちにまつわる話がありました。

中仙道浦和宿一本杉 (500x375).jpg
「一本杉の仇討」の碑
幕末の1860年の話で、水戸藩士宮本佐一郎と讃岐丸亀藩士河西祐之助の争いに端を発する仇討事件です。(話が長いので割愛)


北浦和を過ぎると左手にさいたま新都心のビル群を仰ぎ見るようになり、大宮宿へと差し掛かっていきました。
中仙道浦和宿針ヶ谷 (500x375).jpg





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最終更新日  2022/03/29 04:48:13 PMコメント(0) | コメントを書く


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