パクス・ジャポニカ Vol.2

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2014/05/13
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カテゴリ: 山登りと山歩き
景信山

奥高尾縦走路小仏峠 (2).JPG
交通情報ではおなじみ、中央自動車道の小仏トンネルが真下を通っています。
(上から見る限り、この時は東京方面に渋滞はなさそうでした)


陣馬山 からここまで、ずっと右手に見えていた丹沢山地とも、そろそろお別れです。
奥高尾縦走路小仏峠 (1).JPG


樹林帯の中を降下してくると、削平地が見えてきて、小仏峠に到着しました。
奥高尾縦走路小仏峠 (4).JPG


小仏峠は小仏バス停方面との分岐点となっており、全く覚えていないのですが、おそらく前回の2007年1月の時は、ここから尾根に上がって景信山・陣馬山へ向かったものと思われます。
奥高尾縦走路小仏峠 (3).JPG
陣馬山から小仏峠までは6.9kmの道のりなので、和田から計算すると7km以上は歩いていることになります。
高尾山までは3.2km、その先を計算に入れると、あと6km以上はありそうです。


小仏峠は旧甲州街道の武蔵国と相模国の国境にあり、ここから甲州街道を八王子方面に下ったところには、かつて小仏関の関所が置かれていました。
奥高尾縦走路小仏峠 (5).JPG

なぜタヌキなのかよくわかりませんが、峠なのに頂上という表現も不思議です。


小仏峠を過ぎると再び登りとなって、小仏城山のピークを目指していきました。
奥高尾縦走路小仏峠 (6).JPG
陣馬山からここまで、ずっと東京都(八王子市)と神奈川県(相模原市)の都県境を歩いています。


奥高尾縦走路小仏峠 (7).JPG
一丁平経由高尾山(左)と城山経由高尾山(右)の分岐
左の道の方が緩やかそうですが、右の城山経由の登り道を行きます。


小仏城山は単に「城山」と呼ぶのが一般的で、国土地理院の地形図では「城山(小仏城山)」と表記されています。
八王子城山 など、他の城山と区別するため、便宜上このような表記になっているようです。

ところで「城山」の地名は小仏や八王子に限らず、至るところで目にするポピュラーな山の名前です。
地形図の正式名称ではなくても、「城山隧道」や「城山トンネル」の名前はよく見かけますし、鉄塔などにも「城山」の名前を見ることが多々あります。

城山(または館山)と呼ばれる山は、必ずと言っていいほど、かつての戦国山城があった場所です。

これまで訪れた戦国山城でも、「城山」と呼ばれている場所はたくさんありました。


この小仏城山にも戦国城郭があったようですが、築城の由来などはわかりませんでした。

それでも武蔵国と相模国の国境にあり、旧街道筋を抑える要衝にあることから、北条氏照が武田信玄に対する防衛拠点として、ここに 滝山城 の支城を築いたことは十分考えられます。
可能性としては薄いですが、逆に武田信玄が相模攻略の出城を築いた可能性もあり得ます。
(武田信玄は甲斐国内に城を築かず、駿河や信濃などの「他国」に築城する人なので)


ビール 麦スカッシュの35缶を3本、計1リットル以上は飲んでいるので、ここではスルーとしました。
奥高尾縦走路小仏城山 (1).JPG
城の話に戻ると、山頂部分は削平地となっており、曲輪が配されていたことは十分考えられます。


戦国城郭ならば堀切や土塁などの遺構があってもよさそうなものですが、山頂の北側の一段低い場所が削平地になっている他は、ヒントになりそうな遺構は残っていませんでした。
奥高尾縦走路小仏城山 (4).JPG
北側の削平地


山頂を本丸と考えるならば、北側に曲輪が張り出していることもあり、北側の敵に対する防衛拠点(または攻撃拠点)だと考えられます。

北条氏か武田氏かで考えるならば、曲輪の配置だと北条氏の拠点であったと考えるのが妥当な気もします。

実は北条氏と武田氏の築城にはそれぞれ大きな特徴があって、北条氏の城郭は「角馬出」に見られるように、方形の曲輪を造る特徴があります。
一方で武田氏の築城は、「丸馬出」や「三日月堀」ように、曲輪が丸いのが特徴です。(顕著な例が静岡県の 田中城 )

ところで小仏城山の方ですが、四角いようでもあり、丸いようでもあり、よくわかりませんでした。

グーグルアースで改めて見てみると
小仏城山.jpg
全般に方形で、左側(西側)に角馬出のようなものがあるので北条氏の築城だと思われます。
そうかと思いきや、右下(南東)に三日月堀のようなものがあったりして、ならば武田氏のようにも思ったりで、やっぱり判然としませんでした。
(戦国城郭の話でここまで引っ張っておきながら、本当によくわかりません。。。)


いずれにしても武田信玄は1569年に、今川・北条・武田の三国同盟(善得寺の会盟)を反故にして、 小田原城 を攻略すべく、甲斐から武蔵、相模へと侵攻してきました。

当時の武田軍は、織田信長も恐れるほどの最強の軍隊で、その数は約2万と言われています。

武田信玄本隊は、まず手始めに北条氏照の滝山城を攻略しましたが、小山田信茂の別動隊が小仏峠を越えて相模に攻め込んだようです。

当時の奥高尾縦走路では、「武田信玄来たる」の狼煙が方々で上がり、滝山城や小田原城へもその急報が告げられたことと思います。


そんな戦国絵巻も今は昔、今では想像できないほど長閑な奥高尾縦走路を下って、いよいよ高尾山を目指して行きました。
奥高尾縦走路小仏城山 (5).JPG
現在は大垂水峠が甲州街道(国道20号線)を踏襲しています。


ところで、この先は「関東ふれあいのみち」でありながら、「東海自然歩道」も兼ねています。
奥高尾縦走路小仏城山 (2).JPG
この地図の方角は、左が北となります。


子供の頃に切手を集めていて、「国定公園シリーズ」の中に「明治の森高尾国定公園」と「明治の森箕面国定公園」の50円切手がありました。

その高尾と箕面を結ぶ壮大な歩道が「東海自然歩道」で、「関東ふれあいのみち」や旧東海道もびっくりの壮大な歩道です。
20年以上も前になりますが、「BE-PAL」(今もあるのでしょうか)の特集で、シェルパ斉藤さんが東海自然歩道を高尾から箕面まで歩いていました。
その時は、静岡あたりで歩道が整備されておらす、途中で道がなくなって苦労していたようです。

奥高尾縦走路小仏城山 (3).JPG
高尾山が見えてきました。





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最終更新日  2018/03/19 09:06:32 AM コメントを書く


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