2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全12件 (12件中 1-12件目)
1

これがシロマタである(『沖縄大百科事典』沖縄タイムス社1983.5 アカマタの項目に掲載)。ご覧の通り、ガラモン(=ピグモン)に似ているが、直接的な影響関係は無いと見ていいだろう。前述の通り、金城はこの神を見ていないとほぼ断定できるし、準備稿「ガラダマの谷」における指定は「龍の顔をした多角獣」であって、具体的なデザインは「コチ」という魚(カサゴ説もあり)をヒントに作られたものだとされている(『ウルトラQ伝説』p.193)。すなわち両者の類似は、「偶然である」というのが、理性的な解釈ということになる。 しかしこの類似から考えるべき事は多い。ひとつは平成のリニューアル版は別にしても、Qからマンにかけて4回も登場したという点である。制作費の関係から、着ぐるみを使い回す事が多かったという点はよく知られているが、ガラモン/ピグモンについてはわざわざ作り直されており、現物はピグモンの方が大きい。金城はガラモンをどうしても善玉怪獣として蘇らせたかったのだと考えていいだろう。そして4回目の登場であった「小さな英雄」において、ウルトラマンは怪獣もの史上、空前絶後の視聴率を上げている。これ以外にも、「ウルトラマン前夜祭」や、子供向けソノシート「殴り込みバルタン連合軍」でもこの怪獣は使われている。金城はこの怪獣のフォルムに、強く引きつけられていたのである。(この項、だから何なんだ、を熟考する必要がある) またたとえ偶然だとしても、怪獣と来訪神との類似は、ユング=バシュラール系の批評家なら、大喜びするに違いない事象である。この場合、むしろ偶然であるからこそより意義深い、ということになるだろう。古代人の畏怖した形象と、現代人の想像した宇宙からの来訪者が、類似の形態をしている。またそのような怪獣に、現代の子供達が強く引きつけられた。私は集合無意識や原型論を無批判に援用する立場には無いが、やはり人類の心の奥底に、何かがあるという気にはなってくる。 来訪神の第一の重要な要素は、農耕である。従ってマレビト祭祀とは収穫する為の「自然」との接触を儀礼化したものである。 怪獣=自然というのはこれまで繰り返し主張された議論であるが、マレビト祭祀との対照からとらえ直すなら、怪獣退治とは、裏返されたマレビト祭祀ともいえるだろう。かつては歓待した来訪者を撃退することで、現代人は文明の正当性を言祝ぐのである。それではウルトラマンとは何だったのか。(この部分、王権成立後に神話が変化する問題など、抜け落ちた点が多く、再考の必要大)
Oct 31, 2003
コメント(1)
講義2時間。実労3時間ということになるのだが、バシュラールの方が難解で、つまらない話だったのでは?と気疲れがする。で、授業が終わると、しばらく ぼー 頭の中は物質的想像力。 大抵水曜日に日記が更新されないのはこのせいです。
Oct 29, 2003
コメント(0)
例えば吉成直樹は琉球列島のマレビト祭祀の特徴として最初に次の項目をあげている。(『マレビトの文化史』第一書房 1995,2)「i、マレビトは、海底、地底、海のはるか彼方、あるいは山などの他界から訪れると考えられている。儀礼的には洞窟、山などから出現することによって表現される。」(p.63) この引用を『大鑑』所収の、金城の創作ノート(『大鑑』p.249)を照らし合わせると、非常に興味深い。金城は創作ノート「ウルトラマンストリーメモ」を次のように書き起こしているのだ。「〈出現の仕方〉地底1,地震/2,火山噴火/3,自力で大地を割って/4,発掘された卵海底1,海底火山/2,魚類の突然変異/3,海底原人/4,竜巻/5,海底探検宇宙1,本体が飛来する/2,隕石に乗ってくる/3,円盤(および発行物体)/4,宇宙人(?)突然変異1,放射能/2,薬品(さける)(武田薬品)/3,人間が飼育するその他」 以下ウルトラQ、ウルトラマンの怪獣たちが、この分類に沿って整理されていく。金城の発想は、何よりも怪獣がどこからどのように出現するのか、に出発しているのだ。そしてそれはマレビトがマレビトたるゆえんである「来訪」と非常に重なっている。 マレビトについての金城の知識は、帰郷以前は、その大半が上原輝男によって与えられたとされている。上原の専門は近世の演劇であったが、國學院出身であることから、折口信夫の強い影響下にあったことが推測される。『ウルトラマン昇天』p.30によれば、上原は、具体的なマレビトとして、八重山のアカマタ・クロマタ、およびマユンガナシをあげている。アカマタ・クロマタの形状については秋田のなまはげとの類似で説明されている。 アカマタ・クロマタについてはその極端な秘匿性のため、金城が実際に目にしたとは考えにくい。宮古のパーントゥならば、結構オープンであるから、写真ぐらいは見たことがあるかもしれない。参考までにパーントゥの画像をあげておく。http://www.ryukyushimpo.co.jp/furusato/01/f001016f.html 山田輝子は上原の言葉の中の「土地に棲む、人間に害悪を及ぼす精霊達を服従させる為にやってくるんだ」という所に着目し、ウルトラマン=マレビトという仮説を提案した(p.141)。これはかならずしも山田の独断ではなく、上原本人もそう考えていた形跡がある。http://www2.plala.or.jp/WANIWANI/onnsi/ONNSI%20%20IKIKATA%20%20UEHARA%20.htm #ウルトラマンとサンタクロース しかしここで主張したいのは、ウルトラマン以上にマレビト的であるのは、怪獣の方である、という点である。(いつかに続く、勉強中)
Oct 28, 2003
コメント(1)
自宅の建築が佳境に入り、ほとんど勉強していない。今日もカーテン選び。カーテンなど光をさえぎればよかろうと思うのだが、そうもいかんらしい・・・ 実は前々から、沖縄の伝説や言語について勉強しなければ、と思っていたのだが、ついつい後回しになっていた。gvsgさんが、『屋良ムルチ』について書いてくださったので、いい機会だと思うのだが、前述のとおり、私事が煩雑でもどかしいところである。 玉川時代の恩師である上原輝男は、金城に沖縄文化を教え、来訪神が土地の悪い精霊を退治する話を伝えたとされ、これがウルトラマンのひとつの原型になった。この話は『ウルトラマン昇天』以降非常に一般的になっている。しかし上原が具体的にどのような説話、伝説を念頭においていたのか、不明である。 そもそも沖縄(というか神話一般)の来訪神というのは、そんなに単純な正義の味方ではない。怪物と紙一重というか、事実上同じものの裏表という感じである。一神教の神とは大きく違うのである。折口の「マレビト」概念に具体的なイメージを与えたのは沖縄の祭式であるとされているが、その祭式は規範通りに行われねばならず、一歩間違えれば、神は悪神化してしまう。サブカルチャー的にいえば、横山光輝の「マーズ」みたいな感じである。『屋良ムルチ』については新しい話形のような感じもするが、勉強不足でよくわからない。紫藻さんが紹介してくれたページのひとつは、退職まで私の隣の研究室にいた遠藤先生が作ったものである。ちょっぴりこわいのであるが、今度お話を聞いてみようと思う。
Oct 26, 2003
コメント(1)
奥が深い。しかも使いづらい(涙)。本当はそろそろ文献目録をリニューアルすべきなのだが、なかなかはかどらない。 思えば文献目録の雑誌・新聞掲載、記事・論文を作成するのは楽しい作業だった。というか、いつもやってる作業と同じで、私は結構この作業が好きである。一日中国会図書館の雑誌室でロールのマイクロをぐるぐる回していると、研究者になった感じがする。 ウルトラQが放映された1960年代は、文学研究の感覚ではつい最近である。まあ、大抵の資料は保存されているのだ。初心者向き。この年代ならより使いやすく、司書の人が親切な、都立中央図書館で十分である。が、ウルトラ系は違う。雑誌とも単行本とも違う、おそらく図書館が最も軽視している「ムック」が中心になるからだ。 例えば『ウルトラマンアルバム』は167ページのうち、142ページがグラビアである。撮影風景を引きで撮った写真などがあり、特撮ファンには貴重なのだろう。が、私にとって必要なのは「『ウルトラマン大鑑』未収録メモ集成」の部分のみである。そして実際に入手してみると、「科学特捜隊「ベムラー」」の段階で、ベータカプセルのアイディアが既にあったことがわかる。これはベータカプセルという設定が、M87星雲の名残だとする、池田氏の説に対する重要な反証である。さらにひょっとしたらベムラーは宇宙怪獣だったのか、という疑問も頭をかすめる。やっぱり『ウルトラマンアルバム』は必要な資料であった。 さらにムックの恐ろしい点は、再販が必ずしも増補とは限らないということである。『ウルトラマン白書』第2版には「未発表ウルトラQ・プロット集」が掲載されている。これは『ウルトラマン大鑑』では省略された部分なので重要である。第3版でも良さそうな気がするが、ムックの場合削られている可能性もある。今回たまたまヤフオクに第2版が出ていたので助かった、というところである。これは『ウルトラQ伝説』にも抄録されており、ヤマダ・マサミ氏は信頼の置けるライターであるが、原資料を閲覧するのを研究という。 で、『円谷the complete』の文献目録には、73年以降分だけで250冊があげられている。案外値が張るのがムックの特徴で、一冊3000円前後する。そして95%位の内容が重複である。 リストの中には『ウルトラマン万葉集』(1983 朝日ソノラマ)のように、一体何が書いてあるのか?と思われるものがある。実はこの本は古本屋で見たことがあるので知っているのだが、怪獣の名前を織り込んで、5・7・5・7・7でうたう、というとんでもない企画であった。このようなものを通販で買ってしまったら、ショックはでかい。 これは既に買ってしまったのだが、『大復刻 怪獣大図鑑』(8,000円)もかなりショックを受けた本であった。1960年代半ば当時350円だった怪獣図鑑を三冊集めただけである。せめて3,000円くらいにして欲しかった(泣)。が、この本には当時付録についていたソノシートをCDで復刻しており、中には脚本金城哲夫で、「殴り込みバルタン連合軍」他6編のドラマが収録されており、その部分は貴重である。 といったわけで、文献リストを眺めながら、どれが重要なのか、思案する今日この頃である。
Oct 20, 2003
コメント(1)
完成版ではカットされているが、「南海の怒り」シナリオ末尾に次のようなセリフがある。由利子「あの二人がコンパス島を楽園に作りかえる日が来るわ」 この場合の「楽園」とは素朴に読むならば、文明から遠く離れた理想郷、「天国に一番近い島」くらいのイメージかもしれないが、作品全体構造からいえば、雄三の使命は広義の近代化という事になるだろう。「南海の怒り」では、次期島主として確実されていたジラーが死んでしまうので、実質的には雄三が島の支配者に成ることは確実である。雄三によって島民達はスダール信仰を克服し、人間がこの島の主人になるのだ。今後スダール的な存在が出現すれば、雄三の指揮の元、それと戦うのである。 沖縄には為朝伝説というのがある。源為朝が大島から沖縄に漂着し、その子がやがて琉球を統一し、舜天王となる、というのである。この伝説の解釈はいろいろあるが、中に大和からわたってきた数々の先進的な人材、技術の象徴であるというのがある(比嘉実氏)。 戦前の沖縄の課題は近代化であった。そして近代化とは大和化と同義であった。金城は東京で生まれているが、それは父親が、獣医学という先進的な技術を沖縄にもたらすためである。金城家は沖縄にあってきわめて進歩的な家庭であったことが、伝記の随所から伺われる。また円谷以前に金城が書いた「吉屋チルー物語」は、伝統的な沖縄芝居の、近代的表現であった。 人間の進歩の肯定とは、人間に対するオプティミスティックな信頼である。その一方例えば「甘い蜜の恐怖」では、人間の嫉妬心が、科学技術をゆがめ、大きな厄災をもたらす事が描かれる。なぜこのようなモチーフが両立するのか。 この問題はじっくり考える必要があるのだが、簡単にいえば、シナリオライター金城哲夫が持っていた「多様性」という資質によるものだと思われる。この「多様性」が逆に金城哲夫の作家性の希薄さという問題にもつながるのだが、いずれ。この項終わり。
Oct 15, 2003
コメント(0)
登録期間は突然学生が何人もやってくるので、落ち着かない。新しくテキストにしたバシュラールの『空間の詩学』が想像以上に難解で、授業準備が大変。 それからマルチタスクが出来ないという部分も致命的である。何か考え事をしていると、簡単な日常的な業務に支障が出るほどである。 が、そのおかげで、性能の悪いCPUで、何とかやっているのだが・・・
Oct 14, 2003
コメント(0)
「アニタ」について 60年代に「アニタ」といえば、「甘い生活」のアニタ・エクバーグかなあ、けど、確か北欧出身じゃなかったけ?などとぼんやり思っていたら、紫藻さんがいろいろ提示してくれた(掲示板参照)。なかなか奥が深い。ちなみに1959年、サンタ・アニタ競馬場で、ハクチカラが日本馬として初めて海外重賞制覇しているが、まあこれは何の関係もないであろう。「南島の問題」 かつてヨーロッパ人が、東洋に官能性・神秘性といった非ヨーロッパ的イメージを押しつけた自己中心的な思考様式を、最近亡くなったサイードは「オリエンタリズム」と呼んだが、アジアの最初の近代国家であった日本は、それを南方へと転嫁した。一般にこれを「南方オリエンタリズム」という。日本の場合は、さらにこれに沖縄戦をも含む「南」での戦いが加わり、この問題は非常に難しいのだが、ここであまり詳しく論じても仕方ないので、怪獣ものに限ると、要するに南には怪獣がいるのである。 よく取り上げられるのはモスラである。要するに南には、非常に純粋で後進的な人々が住んでおり、そこに文明が介入する。怒った守り神(怪獣)が、逆襲に転じる。こういった構造である。『怪獣学・入門』の「ゴジラはなぜ「南」から来るのか」(長山靖生)を読むと、大体の輪郭はわかる。 金城哲夫がきわめて重要なのは、オリエンタリズムのまなざしを受ける立場でありながら、「南」を描いたという点にある。例えば「五郎とゴロー」に出てくる「イーリヤン島」はかつて戦争で蹂躙されながら、現在では大猿(異形の他者)と共生している地上の楽園である。この共生の理念は沖縄的であるとも言える。 よく知られているのは、天然痘をチュラガサ(清ら瘡)と美称でよび、「今年は軽く宿を取り、お通り下さい」とうたってしまうような発想である。まあ、こういう部分は、ある意味屈服的であり、近代科学により天然痘を撲滅しようとした金城清松の方が偉いという見方も出来難しいのであるが、この難しさは金城が抱えた問題でもあった。と、前置きでこんな時間か。今日はK-1を見るのでここまでです。
Oct 11, 2003
コメント(3)
順序とすれば「ゴメスを倒せ」(放映第一話)か「マンモスフラワー」(製作第一話)ということになるのだが、「南海の怒り」に強い関心を持ったので。 円谷時代の金城哲夫にとって最も自由に書けたのは「ウルトラQ」だろう。全作品を見直してあらためてそう思う。また後のマン、セブンへ発展していくアイディアが満載である。 「南海の怒り」で興味深いのは、沖縄というものが、かなり露骨な形で現れているからである。桜井浩子はウルトラマンのジラースの命名を巡って、次郎のウチナーグチがジラーであったことを述べているが(『ウルトラマン創世記』p.58)、南極のタロウとジローが話題になったのはこれが最初ではなく、当然Qの「ペギラが来た」であろうし、「南海の怒り」においては登場人物に、タラー、ジラーが使われている。現在のわかっている、最初のウチナーグチの使用である。 ちなみに戦前の沖縄では「幼名」という習慣があり、女性の場合はウシ、カマドなどが多く、男性でよく使われたのが、タラー、ジラーであった。女性の場合改名のきっかけを逸する場合も多く、現在でも県内高齢者には、ウシ、カマドが異様に多い。 「南海の怒り」の他の主要人物は、漁師の雄三と美少女アニタでるが、ヤマダマサミは雄三を加山雄三ではないかと推測している。(『ウルトラQ伝説』p.86)一方アニタについては全然調べていないのでわからない。沈没した第五太平丸は、水爆実験の犠牲になった第五福竜丸の影を背負っているのだろう。通訳は、そのままズバリ南である。その他完成作品では名前が出てこないのであるが、シナリオ上船員に「宮田」という名前が付けられている。これについては全く不明である。 雄三が「内地」という言葉を使うのも興味深い。内地という言葉は事実上、北海道・沖縄の限定方言であろう。と書いた後で、もしかしたら例えば佐渡の人たちも使うのかな、と思ったりもする。 シナリオでの航空自衛隊が、完成版では国連飛行隊に変えられている点も、興味深い。 まあ、こういった言葉遊びの解読も面白いのだが、それ以上に重要なのは、「近代化」への意志という問題だろう。島民にとって悪魔であり、神でもあったスダールを倒すののは、まさに前近代的なタブーを克服することになるからだ。この点は「五郎とゴロー」の問題と絡めてよく考える必要があるのだが、今日は時間切れ。またいずれ。
Oct 9, 2003
コメント(2)
安部公房の『砂の女』に、教員というのは川底のようで、生徒が通り過ぎていくたびにすり減っていく、といった趣旨のことが書いてあるが、私の場合は、逆に授業が始まると元気になる。今週は登録だけの授業が多いので、しゃべりたくてしゃべりたくてうずうずである。 多分学生はげんなりである。
Oct 8, 2003
コメント(0)
危機シリーズの第二弾である(笑)。 実は私は結構美術品が好きである。造詣は無い。が、一応は地方文化人の端くれぐらいにはなったので、一発、絵(版画)でも買おうか、と思った。 で、これが安いのである。 例えば、誰でも知っているシャガール。私が院生の頃、展覧会の出口で売っているリトグラフは、エスタンプでも30万円位はした。ところが現在画廊では10万円前後である。ネットの画廊では6,7万。さらにヤフオクでは、極端に発行部数が多いエルサレムウィンドウなど、2万以下で落札されている。買えるのである。 シャガールの場合、さすがにサイン入りは100万以下では買えないが、カシニョールだと時折、10万を切る場合もある。画廊では4,50万だから、これはお買い得である。女房が「カシニョールは資生堂のポスターみたいで安っぽい」と主張するので、「あれは鶴田一郎だろう」とつっこむのだが、まあ意見の分かれるものを買う必要はないだろう。ビュッフェもへんてこなモチーフだと相当安い。 これらはバブルの時が異常だった、と肯定的に解釈することも出来るが、あおりを食らっているのは、多分若いアーチストではないか?美術年鑑に「号×万円」とか書いてある、それなりのポジションの画家の油彩が、ほとんど二束三文で落札されていくのだ。特に静物画は安い。草間弥生あたりですら、SMだと相当安い。ただし藤田嗣治の油彩、一万よりなどというのは、いくら何でも偽物であろう。「祖父の残した油絵」というのは大抵偽物だそうである。 模写などそこそこできが良くてもまず売れない。さらに名もない若手でそれなりに素敵だったりしても、1000円でも入札がない。写真からだと判別しづらいが、相当に塗り込んでも何日もかかっただろうと思われる力作が、バブル期の有名作家の売り圧力に圧され、値が付かないのである。毒にも薬にもならないラッセンとヤマガタ、それからファイナルファンタジーの天野だけが少々売れている。 こんなんでいいのか?と思うのだが、デフレによっていよいよ本格的なポストモダンが到来したのかもしれない。あらゆる芸術が記号として流通し、高度化した複製技術が、オリジナルを駆逐していく。素人では油彩とシルクの区別、下手をするとリトとオフセットの区別すら付かない。そこに出現した健気なオリジナルなど、誰も見向きもしない。「人気の××」という言葉だけが、欲望を形成していく。 こういう時代に人様に「文化」を語り、口を糊するというのは、何とも因果なことである。
Oct 6, 2003
コメント(2)
10月に入ってもう5日か・・・。 新学期にはいろいろあって、しかも一回目のゼミが、かなりの長編ということもあり・・・まあ、いいわけはいいか。(1)今のところわかったこと。 『ウルトラマン対仮面ライダー』p.38では、誤植説の出典を「怪獣図鑑のスタッフこぼれ話で読んだ」としているが、どの怪獣図鑑なのか、スタッフとは誰なのか、一切明示していない。おそらくこの系統のライターとしては、竹内博氏に続くNO.2ぐらいの池田憲賞氏がこうなのだから、なかなか特定は難しそうである。 『ハヤタとして父として』p.87「実在の星の名を利用して、もしその星の人から「どうしてうちの星の名前を無断で使用するのですか?」と文句をつけられ、知的所有権を要求されると困るということで、脚本家金城氏が「M87星雲」と書いておいたのに、印刷所に出した際、ミスプリントで「M78星雲」に戻ってしまったという(後略)」 これは同じミスプリント説でもだいぶ感じが違う。そもそも金城の設定が「M78星雲」だったということになるからだ。ちなみに実在の問題というのは、M87は銀河であって星雲ではない、ということだと思うのだが、両者ははっきり区別されない場合も多く、プレウルトラマンで2回使用されている「M87星雲」は明らかに乙女座のM87 (NGC4486)だし、この分野には全く門外漢で何がなにやらわからないのだが、M87を「系外星雲」と表記するケースもある。「タイプE+0-1」だということだが、当然ながら全く意味不明である。 宇宙人の知的所有権を心配するというエピソードは金城の伝記から、一定の説得力はある。 この問題をはっきりさせるためには、池田氏のいう「怪獣図鑑」を特定し、その説得力を吟味するか、もっといいのは金城の書いた「M87星雲」という草稿を発見することである。現状では誤植説はうわさの域を出ず、学術的な批判には耐えないと見て良い。(2)何が問題なのか? M87星雲には、既に紫藻さんが出してくれた資料にもある通り、「反宇宙」とか「反世界」とかいうイメージが張り付いていた。それゆえプレウルトラマンでは、とてつもない悪い(強い)宇宙人の出身地とされている。 仮にこのような星を「光の国」として設定したと考えた場合、「光の国」というのは最初から非常に両義的な世界となる。すなわち「光=闇の国」なのだ。私はこの立場をとらないが、「光の国」を両義的な世界とする議論は可能である。 例えば、ベムラー。ベムラーはプレウルトラマンであり、場合によっては正義の味方であった。しかし「異質なものA」として人間の前に出現し、ウルトラマンすなわち「異質なものB」に倒される。BはAを倒したことによって、人類に味方として承認されていった。「ウルトラマンは怪獣の仲間(種類)だよね」と、うちの4才の子供も主張している。ハリケンジャーとは違うのである。 あるいは「恐怖のルート87」。周知のように国道は59号線以降欠番だから、40くらい選択肢がある中で、金城は87を選んだ。この87は闇を意味する数字である。しかしヒドラを怪獣化させたものは、自動車という人類の文明であった。作品の末尾は、78と87の和解であり、それは両者が本質的に同じものだからである。 まあ、こんな感じである。実はこの議論は、78光と87闇の二元論でも可能であり、すくなくともウルトラマンの時点では私はその立場をとっている。
Oct 5, 2003
コメント(0)
全12件 (12件中 1-12件目)
1
![]()

![]()