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授業後、名護で大学説明会。いわゆる営業である。 恩納村を過ぎると、天気もよかったので、仕事だか観光だかわからない。が、とにかく遠い。帰宅は九時頃になってしまった。 名護高校の生徒達は、礼儀も正しく、なかなかよかった。紀行という題の割には、内容貧弱。 山之口貘賞。どうやらうちの文芸部員がゲットしたようである。パチパチパチ。
Jun 30, 2003
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セミとり、プール、花火で一日が終わる。 まあ、家族と仲良くするのはよいことだが、プロジェクトXとか見てると、たいした仕事をした人は、ほとんど家庭を一顧だにしていないような気がする・・・
Jun 29, 2003
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断片 金城哲夫と「軍」円谷プロ、企画文芸部日誌 1966,4,4 「映画の仕事は各パートがそれぞれの責任の下に結集し、プロデューサーの進軍ラッパに歩調を合わせないかぎり、たとえ一歩たりとも遅れたら全体のバランスが崩れてしまう。コンバットではないが、映画の仕事は軍隊に似ている。一人のミスが全体を死に至らしめることを反省しないわけにはいかない。傑作といわれる映画のなんと少ないことか。 娯楽映画とか怪獣映画とか言われるが、少なくとも我々は既成の概念で仕事をとらえ、マンネリで仕事をしてはならない。シナリオは特にそうだ。傑作とは、現状を打破しつ旧来のものにプラス・アルファの魅力をもたらした作品であると思う。娯楽であれ怪物であれ、作る側の情熱である。 いつか必ず傑作は生まれる。そう信じて今日もがんばろう」 この引用はきわめて変則的であって、最後の一行を除く大半が「ウルトラマンの死」(向谷)、『ウルトラマン昇天』(山田)には二段落(「娯楽映画とか怪獣映画とか~」)と最後の一行が引用されている。両方とも研究書でないため仕方ないのだが、(前略)(後略)等の記載はない。本当は原典にあたって確認すべきなのだが、今回それが可能かわからないため、暫定的に両者を結合した。 先に『ウルトラマン昇天』の方を読んでいた私にとって、第一段落には少なからぬ衝撃を受けた。山田氏はこの引用で「ウルトラマン」に臨む金城の意気込みを表現したかっただけで、他意は無いと思うが、この第一段落は、金城と軍というものを考えるための、重要な内容を含んでおり、恣意的に削っていいようなものではない。 まず単純な問題として、金城が軍隊というものに、それほど強い忌避感は持っていなかった、という点である。優れたチームワークの象徴として、軍隊をあげているのだ。 帰沖後ラジオのキャスターをつとめた金城は、当時沖縄で忌避感の強かった自衛隊機にのり、自衛隊賛美まがいの発言をして問題を起こしている(この問題についてはいずれ詳しく調査する)。山田は、これを帰沖後のいらだちから来た事件と考え、「魔がさしたような」(p.197)と表現しているが、この問題は必ずしもそう単純ではない。 もう一つは「コンバット」である。 「コンバット」はもちろん普通名詞もあるが、ここでは1962年から日本放映が始まった、サンダース軍曹で有名なアメリカテレビシリーズであろう。このシリーズの基本的なテーマは戦場における「友情」である。 1960年から日本で放映が始まった「トワイライトゾーン」(初期の邦題は「未知の世界」)の影響はあまりにもよく知られているが、当時のテレビ人達が、SF作品のみならず、先進的なアメリカのテレビドラマ全てを食い入るに見ていたであろう事は、考えてみれば当然である。そしてこの「コンバット」の要素が色濃く現れるのが「ウルトラセブン」なのである。 「セブン」最終回では、まさに「一人のミスが全体を死に至らしめることを反省しないわけにはいかない」というモチーフが描かれている。クラタ隊長の役割は、キリヤマ隊長でもよかったのかもしれないが、クラタ隊長こそ「セブン」中の軍人の象徴といえよう。「また君か!一度ならず二度もミスを犯すなんて、それでも地球防衛軍の隊員か!」などというセリフは、ほとんど「それでも帝国軍人か」とかわらない世界である。 シナリオ上は「ダンの名を呼び別れを惜しむ一同」とのみ書かれているが、テレビ放映では「モロボシすまなかった」というクラタ隊長のセリフがある。長いつきあいのあるウルトラ警備隊のメンバーが「セブン」ではなく「ダン」と呼ぶのは、友情物語としての「セブン」の末尾としてある種の必然であるが、それほどつきあいの無かったクラタ隊長が「モロボシ」と呼ぶことにより、モロボシダンが軍人として承認されていく、という効果があるように思われる。最終回のラストは、他にもシナリオとは異同が多く、満田監督と金城の意志が、それぞれどのように入っているのか、不明な点も多い。 以上の記述について、最大の問題は、金城が沖縄戦の経験者であるという点である。しかも南部戦線であって、金城の母親は、足を失っているのだ。この問題はなかなか一筋縄ではいかない。
Jun 28, 2003
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『怪獣使いと少年』(切通理作、文庫版) これも立派な本である。ただ解説で宮崎哲弥氏が指摘しているように、欠点も多い。曰く、スキが多すぎる、露骨な左翼性とルサンチマン、まあその通りなのだが、そういう欠点も含めて褒める宮崎氏の解説は、リップサービスでは無い。対象に愛のない批評はくだらないが、逆にあまりにも強い思い入れは、客観性を欠いて自壊しがちである。この本はそのぎりぎりのところでとどまった、よい本だと思う。 ハヤタの空虚さを初め、頷ける部分も多い。その一方、切通氏の論には、マイノリティーの再囲い込み、という懸念も感じる。今後じっくりと吟味していきたい。新着資料 大江健三郎「破壊者ウルトラマン」『世界』1973,5『世界』、大江、70年代、ということで、反日反米がうなりまくりかと思ったが、それほどでもなかった。逆にいえば、あまり面白くない。金城はこれを読んでショックをうけたということ(『怪獣使い』p.129)なので、もう少し検討すべきか?大城立裕「金城哲夫の沖縄芝居」『沖縄タイムス』1993,7,21上原正三「なぜ、今」同、22満田カズホ(のぎへんに斉、この字は作らなきゃいけないのかな)「怪獣ネーミング秘話」同、23 さすが完璧といわれる『大城立裕全集』の文献目録。しっかり登録されていた。その他大城立裕著の金城関係。「心残りの記」(エッセイ) 『金城哲夫シナリオ選集』金城哲夫シナリオ選集を出版する会編 1977,2 アデイン書房刊「金城哲夫の帰郷」(コラム)『琉球新報』1988,5,29 「金城哲夫が、いま」(エッセイ) 『日本経済新聞』(夕刊)1993,7,14 エッセイの選択の権限は私にあったので、ひとつは入れればよかったといまさらだが強く思う。まあ、現実的には難しかったわけだが・・・。 満田監督は「ジラース」の件について以下のように述べている。「ジラースは沖縄地方の方言だ。最近、父親の金城忠栄氏からその秘密を知った」 なるほど、情報の出所は、お父さんか。ある方がメールで、ゴジラのジラから来たんだ、という説を教えてくれたが、これは何とも微妙である。強敵の資料。玉城優子「沖縄を愛したウルトラマン」『沖縄タイムス』 実は既に発見しているのだが、予想に反して膨大な資料である。しっぽは93,12,24で、なんと一一四回。頭はまだ確認していない。最終回には来年三一書房から出版すると書いてあるが、どうやらぽしゃっちゃったようである。学生にバイトでコピーしてもらうか?えっと時給千円です。
Jun 27, 2003
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沖縄で洋画を見る楽しみのひとつに、興奮したマリーンとかと一緒見る妙な臨場感があるのだが、昨夜はどういうわけか日本人客ばかりだった。 で、作品だけど、陳腐な感想だけど面白い。三〇過ぎてから見たSF映画では一番面白かったかも。あそこまでアクションやってれば、筋なんかどうでもいいような気もするが、ストリーも結構複雑。今回前作を復習しないで行ったので、ややわかりにくい部分もあった。これから見に行く人は前作を見直してから行くといいと思います。何事にも予習復習は大切です。 ただあそこまで、謎を提示しちゃうと、次作が心配。エバンゲリオンみたいになっちゃうかも。 あと気になる映画に「ソラリス」があるけど、まあタルコフスキー版に匹敵するというのはあり得ないわけだけど、今ネットで検索したらひどい評判みたいです。誰か見た方いますか?
Jun 26, 2003
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ウルトラセブン第8話「狙われた街」(金城)は、シリーズ中でも評価の高い作品で、中には最高傑作と推す人もいる。これは実相寺監督のきわめて個性的な映像、野球中継を効果音とした工夫、有名な和室のメトロン星人等様々な要素があるが、中でも「メトロン星人の地球侵略計画はこうして終わったのです。人間同士の信頼感を利用するとは恐るべき宇宙人です。でもご安心下さい、このお話は遠い遠い未来の物語なのです…。え、何故ですって?…我々人類は今、宇宙人に狙われるほど、お互いを信頼してはいませんから…」というラストのナレーションの効果は大きい。ちょうど部屋でアイロンがけをしていた私の母親が、それまで子供番組とバカにしていたのだが、このナレーションには感心していたことを思い出す。 が、これは金城の世界観を考える上で、微妙な問題点を残す。このナレーションは、当然「現時点では駄目だが、将来可能になるはずだ」とも解釈できるのだが、むしろ「遠い未来」という言葉にはあり得ない理想郷というニュアンスが感じられ、金城の人間に対する絶望感を暗示しているとも捉えられるからだ。 この問題について、ネットでは「最後のナレーションは実相寺監督がつけたものだ」という説がある。実際私の持っているシナリオ集『ノンマルトの使者』では、最後のナレーション部分はない。また『帰ってきたウルトラマン大全』2003 双葉社p.164には、「方法論的に言うならそれは『ウルトラセブン』「狙われた街」で人間の信頼感を謳った金城哲夫の意図を、自ら書き込んだナレーションひとつで逆転させた実相寺昭雄の手法に近い」とある。この本は非常に信頼感のおけるものだが、残念ながら出典が明示されていない。私はかなり時間をかけて、ネットで検索した。しかし確証は得られなかった。 昨日とうとう自力を断念して、ネットの掲示板で質問することにした。http://www7.gateway.ne.jp/~okhr/index.htm ここで聞いて駄目なら、『帰ってきたウルトラマン大全』のライターか誰かに問い合わせる他無い、と思っていた。するとわずか数時間で答えをいただくことが出来た。この事実は講談社刊『ウルトラマン大全集』の中のインタービューで実相寺監督が「自分がつけた」と言っているらしいのである。ここまで来れば、確認はそう難しい事ではない。 胸の支えがおりてすっきりしたが、なぜこれが自力で発見できなかったのか、自分は本当に全力で調べて、その後質問したのか。 教えてくださった紫藻さんに深く感謝すると同時に、反省するのであった。
Jun 25, 2003
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http://www.asahi-net.or.jp/~ug5k-tki/ob&og/seven1.html 川端望氏 川端氏の論から学ぶべき事は、まずポリティカルな言説に対する一定のストイシズムである。サブカルチャー批評の根底には、大衆の無意識を批評する、という方法意識があることが多く、それゆえしばしば政治的批評になりがちである。 例えば萩原氏は、ウルトラマンを通じて、家父長主義的イデオロギーやナショナリズムを批判している。逆に佐藤氏は同じ対象を通して、戦後民主主義を批判しているのである。両者を比べた場合、佐藤氏の方がより誠実だ、というのは事実だと思われるが、それだけではなく、私自身の政治意識は佐藤氏に近いので、萩原氏の論考がより不愉快なのかもしれない。こういう点は注意しなくてはならない。 実はサブカルチャーにおいては、明確に特定のイデオロギーを示しているものが存在する。最新作「ウルトラマンコスモス」殊に劇場板はきわめて政治的で、戦後民主主義における完全平和主義の行き着く先を示していると思われる。おそらく佐藤氏はかんかんというか、あきれてものが言えないということになるし、萩原氏なら、結末の力による決着を批判しつつも大筋で評価するのではないだろうか。この場合、何らかのポリティカルな言説は避けにくいような気がする。 そうであっても、自らの政治性を自覚化し、慎重になるべきだ。川端論はそういうことを示唆していると思う。 次に川端氏の重要な主張は、サブカルチャーの表現が単なる自己表現とはならず、様々な力、スポンサー・視聴者・プロデューサー、等々の葛藤において存在する、という事である。これは私も同じ事を考えていたので、大いに共感した。特に金城が東京を去った様々の理由のひとつに、必ずしも自己の主張を通せるとは限らないシナリオライターの宿命がある。 三点目はさらに重要なのだが、最終回における「友情」の強調という部分である。これはまあ最終回を見ればわかるのではあるが、「地球ナショナリズム」と「友情」を対比させた見方は重要である。川端氏は第1話のシナリオを見ていないと思うので、慧眼であると思われる。 以下川端論というよりも現在考えているメモみたいになる。 しばしば「ウルトラマン」の初回と最終回における完結性としてハヤタの記憶の問題が取り上げられるが、「ウルトラセブン」の初回と最終回をつなぐのは、「友情」というテーマだと言って良いように思われる。第一話のシナリオ末尾。(『ノンマルトの使者』p.76)、放映段階ではカットダンの声「今日からウルトラ警備隊のモロボシ・ダンとして地球防衛のために働くのだ。僕が宇宙人だというのは秘密だ。それがわれわれM78星雲中の掟だ。宇宙人である僕が、地球のために働く喜び、それはキリヤマ、フルハシ、アマギ、ソガ、アンヌという新しい友達を得たことで十分満たされるであろう。いかなる妨害があろうとも、この美しい星を守り抜くことを誓う」紅い(ママ)に染まった富士山が高くそびえ立っている。(F.O) 実はこれを見れば、ウルトラセブンが地球を守る理由は明らかである。掟があるくらいだから、M78星雲人は、宇宙中に散らばって治安維持にあたっているのである。これは最終回の340号という呼称と呼応している。少なくとも300を越えるメンバーが、宇宙のあちこちで勤務しているのだ。が、340という冷たい数字でも明らかなように、M78星雲には人間関係はきわめて希薄であると推測される。340号は地球という星で「友情」という感情を学んだのである。それゆえ最終回は、任務としての責任範囲を超えた、友情の物語という側面を強く持っている。 このモチーフはSF、サブカルチャーの世界ではよくあるもので、「スタートレック」のスポックがそうであるし、「寄生獣」のミギーもそうである。西岸良平の「ミステリアン」などでは作品全体のテーマであった。このモチーフは必ずしも合理的な存在とは言えない「人間」という存在を称揚する場合にしばしば用いられる。 さらに言えば、現段階ではそこまで踏み込むべきではないのだが、この部分は金城自身の、当時の位置を示していた可能性がある。かれはふるさと沖縄を離れ、円谷プロの友情に支えられ闘っていたのだ。 問題はシナリオ末尾がカットされた事をどう見るか、ということである。私の現在の関心対象は金城哲夫であるから、このカットされた末尾を重く見るのは妥当だと思われるが、カットされたからこそ「地底GOGOGO」(第17話、上原)という別の起源が提出されたのである。また削除されたのが、尺の問題なのか、他に理由があるのか、現時点では未調査である。そもそも放映された部分のみを作品と見なす、というのがサブカルチャー批評の王道かもしれない。この問題は難しいので、いずれよく考えたい。 シナリオ末尾こそ削られたものの、シリーズ全体でしばしば友情がテーマ化されているのも明らかな事実である。例えば第11話「魔の山へ飛べ」(金城)と第13話「V3から来た男」(市川)男の友情を描く競作ともいえ、ともにアンヌが出てこないという共通点を持つ。 間にはさまれたまぼろしの第12話「遊星より愛をこめて」(佐々木)では、宇宙全体の平和が夢ではない根拠として、既にダンが地球人と信頼関係を築いていることがあげられる。 ラスト、ダンの声、映像は逆光の横顔「そう、そんな日(宇宙全体が信頼しあえる日、大野注)はもう遠くない。だってM78星雲の人間である僕が、こうして君たちとともに闘っているじゃないか」(かなり悪い音声から起こしたので、ミスはあるかも) つまりひとつの方向性として、地球人とM78星雲人が仲良くできる→宇宙全体が仲良くできる、という線があるのであるが、一方で「闘っているじゃないか」の部分は諸刃の剣である。すなわち共通の敵がいるから、仲良くできるのであって、そもそも敵がいなくなれば、ウルトラセブンは成り立たなくなる。非常にきついパラドックスである。 で、再び川端氏の論に帰るのだが、このきついパラドックスを示すのが、川端氏が重く見る初回シナリオに書いてあったメモである。「人類の“平和”について良く語られる“完全平和”それはもし……という仮設(ママ)故に現実性のないものだが、宇宙人の侵略がもしそのドラマをつらぬくことによってそれ故に地球の平和が乱されるとすれば、仮定の“もし”が現実に与える力がないかしら」 ここから先は明日以降考える。進行状況、切通氏の本、金城の部分だけ読了。この感想も後日。新着資料,『ウルトラセブンアルバム―空想特撮シリーズ』 竹内 博 (Editor) 『小説ウルトラマン』 金城 哲夫 (Author) 『ウルトラマンの東京』 実相寺 昭雄 (Author) お、アマゾン、今度は早いじゃないか?
Jun 24, 2003
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タイムスに「うらそえ文芸」の書評。むう、あれは没になったのかと思ったが、慰霊の日に掲載とは・・・考え過ぎかな。そのうち張ります。ホームページ公開の基準。学術系、翌日。新聞、掲載後一週間後。月刊誌、掲載後一ヶ月くらいかな。単行本(現在共著のみ)、これは今のところアップしていない。まあ著作権は私にあるのだから、いいような気もするけど、出版社サイドとしては、そうじゃなくともあまり売れないのに、ただで読めちゃうのはいかがなものかと。 あ、ちなみに県内限定だけど『沖縄文学選』はそこそこ売れてるようです。後期なったらテキストとして入れるので、学生のみなさんは、割引料金でどうぞ。
Jun 23, 2003
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先行研究のメモhttp://www.law.keio.ac.jp/~hagiwara/ultraindex.html 1,萩原 能久氏 当初から『ウルトラマン研究序説』系は相手にするつもりはなかったが、あらためて読み直すと、くだらなさが際だつ。「私にとって本当はウルトラマンなんかどうでもよかった」と開き直っているが、怪獣に対する愛情とやらも半端である。例えばジャミラ(マン、第23話「故郷は地球」 )についての言及があるが、ここに書かれている程度のことは、脚本の佐々木守にも監督の実相寺昭雄にもとっくに織り込み済みであり、だからこそ平和なかやぶき屋根の村落を破壊したり、鳩を愛する少年の映像が必要だったのである。 そもそもジャミラというのは、対仏独立戦争の時、犠牲になったアルジェリアの少女の名前からとったらしい。佐々木らの思い入れは相当に強かったに違いない。それがラストの苦悶の表現につながっている。http://obuchi.naikaku.com/angriff/log/masscomi/mascom0020.html ちなみに佐々木の読んだ種本は『ジャミラよ 朝は近い -アルジェリア少女拷問の記録 』 G.HALIMI、 S.d.BEAUVOIR 手塚伸一訳 集英社 1963 と推定される。 オタク達はそこまで真剣に見ているのだから、怒るのも無理はないのである。 ジャミラ(怪獣の方)の墓碑銘は「A JAMILA(1960-1993)」とあり、これは当時夢中になってウルトラマンをみていた少年達と同世代である。私は62年、萩原氏は56年生まれである。ジャミラと同世代の少年達が、ジャミラの没年前後に出したのが、『ウルトラマン研究序説』(1991)なのであった。 萩原氏は、ウルトラマンをダシに、多分にポリティカルな自説を開陳したいだけなのである。そのためにインテリのいやらしさが、ぷんぷんしてしまう。こうならないよう自戒したい。対象に愛情をもてない研究など、へのようなものである。2,佐藤健志氏「ウルトラマンの夢と挫折」『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』 ポリティカルという点では、萩原氏以上であるが、こちらは真剣に書いているので、一蹴するわけには行かない。だんだんに検討していきたい。(佐藤)「「ウルトラマン」シリーズのライターであった頃、金城は「強い者が弱い者をやっつけるというのは間違っていますよね。僕は、もっと人間の優しさを作品の中で表現したいんですよ」としきりに周囲に語っていたという。このような姿勢で『ウルトラマン』に取り組んでいた金城が、当のウルトラマンをいやいや(あるいは無意識のうちに)博愛主義的な性格にしたわけがない」(p.128) この部分は、佐藤氏の論において重要な部分なのだが、ここには大きな誤解がある。佐藤氏が典拠としている向谷進「ウルトラマンの死」『中央公論』88.5の該当部分は以下の通りである。「このころ(ウルトラセブンの時期、引用者注)になると、哲夫はにわかに酒量を増しながら、しきりにこう訴えた。「強い者が弱い者をやっつける~以下略」 これは大分感じが違う。佐藤氏がウルトラマンの前提とした言葉は、むしろ金城のウルトラセブンに対する自己否定の言葉なのである。「もっと人間の優しさを作品の中で表現したいんですよ」というのは、現状では出来ていない、ということに他ならない。 また佐藤氏が重く見る第37話「小さな英雄」(ジェロニモンの回、イデ隊員がすねちゃう)について、「そこで次に金城は、科学特捜隊が彼らなりに地球を守るべく努力してこそはじめて、ウルトラマンも地球を守ってくれるのだという解釈を持ちだして「甘え」を否定しようとした」と述べているが、これは明らかに誤りである。既にあげたとおり、人間が努力してこそウルトラマンが助けてくれるというのは、シリーズ途中に出てきた考えではなく、「ベムラー」企画段階からの、金城の大前提なのである。(再掲)「面白いことに、隊員たちが、ベムラーの登場を頼みにしている時は姿をみせず、ベムラーのことを忘れ、敵と必死に戦い闘って、破れかけた時に忽然と出現する」(「ウルトラマン島唄」p116) 以上のように、佐藤氏の論は、ロジックが明快なだけに読んでいると納得してしまうが、細部を詰めていくと、結構ご都合主義的な部分があるように思われる。追加資料切通理作『怪獣使いと少年』宝島社文庫 2000,6 沖縄だけに仕方ないのかもしれないが、遅いぜアマゾン。やっと入手。まだ数ページしか見ていないが、本気度ピカイチ。丁寧に読む必要がある。
Jun 22, 2003
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昼間はセミ取りに行った。セミは蝶と違い捕まえるのが簡単なので、すぐに虫かごがセミだらけになり、ちょっと不気味である。 夕方からキャンプキンサー(牧港補給地区)のフェスタに行ってみた。キンサーにはいるのは初めてである。ここは基本的に海兵隊の倉庫なので、展示物は軍用トラックや工事車両など、非常に地味である。CH-47(二つのローターがある、でかい輸送ヘリ)が一機展示されていて中を見ることが出来た。 フェスタ自体は、くだらない内容で、出店はほとんど沖縄の業者である。7月4日のアメリカンフェスタ(嘉手納基地・沖縄ではカーニバルと呼ばれる)の縮小版。にもかかわらずすごい人出。みんな暇だなあ。あ、俺もか。
Jun 21, 2003
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「ウルトラマン研究」0~10をまとめた。本当は一番上に持ってきたかったのだが、やり方がわからない(涙)。 ビデオ「ウルトラマンを作った男たち」を見た。実相寺監督かっこよすぎ。原作が本人だけに、妙に恥ずかしい。金城役は山口良一だった。ああいうタイプの人だったのかな。南果穂がとてもかわいい。 当時の一生懸命度が、何となく伝わって面白かった。こういうのみると、自分もがんばろうと思ってしまう、私は素直な性格である。ただ原作はもっと暗いという情報もあるので、今度読んでみよう。
Jun 20, 2003
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資料、沖縄方言語彙リスト。見落としの可能性大、お気づきの点は掲示板までよろしくお願いします。ジラース:次郎主、次男という意味ではなく「おじさん」という意味。マン「謎の恐竜基地」(第10話、金城)66.9.18 これは金城シナリオで、唯一の沖縄方言怪獣。偶然とは考えにくい。ゴジラという円谷の看板怪獣の改造だけに、何か深い意味もありそう。チブル星人:頭セブン「アンドロイド0指令」(第9話、上原)67.11.26 一番有名な用例。私はかつて「琉球新報」紙上で、金城シナリオという前提で書いてしまった。http://plaza.rakuten.co.jp/tohno/003015 この場を借りて、お詫びして訂正します。苦情電話はなかった、と思うが、万が一再録する際には、例をジラースにしよう。ユタ花村:ゆた 沖縄・奄美諸島に古来から存在する民間の巫女・霊能者。運勢の吉凶を見たり、死者の口寄せ、先祖事などの霊的相談に応じる。女性である場合が多い。 セブン「蒸発都市」(第34話、金城)68.5.26 除籍くんが教えてくれた。これはもう間違いなく、鉄板で意識的。ダンカンは日本語を話せないわけではないので、わざわざ設定された人物。この時期の金城の心情を考える上で重要。 ザンパ星人:地名、残波岬、読谷村の景勝セブン「月世界の戦慄」(第35話、市川森一)68.6.2 これは市川シナリオだけにやや疑問。偶然かも。こういうのを有りにするとバンダ星人(佐々木守)なんかも強引に入れられそう。バンダ(通常はバンタ)、海に面した崖のこと。ヤナカーギ:不美人を指す。ちゅらさんで有名になったチュラカーギの対語ティガ「ウルトラの星」(第49話、上原)97.8.9 zookさんが教えてくれた。金城が物語内に出て来るという、重要なシナリオ。すぐに見なくては。いわゆるアカデミズム系のウルトラマン論http://www.law.keio.ac.jp/~hagiwara/ultraindex.html 萩原能久氏『ウルトラマン研究序説』の執筆者の一人。慶応大法学部教授。ポパーやハイエクの専門家のようである。岩田功吉「さまよえるウルトラマン」(東京大学出版会『UP』1995年2・3月号)専修大学の講師らしい。 詳細未詳。
Jun 19, 2003
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またメモ。ちゃんとした文章にするには、相当時間が必要。*佐藤健志氏の論を批判的に発展させようとしたページ発見。http://www.asahi-net.or.jp/~ug5k-tki/ob&og/seven1.html ただこれは未完成のため、ずうずうしくもメールで質問したところ、大変丁寧な返事をいただいた。川端氏に感謝。*金城、断片的(おそらく)重要な資料「ベムラー企画案」(1965、夏から秋)「(前略)シリーズのヒーロー”ベムラー”は大きさ自由自在、必要に応じてゴジラの大きさにもなるという万能選手で、窮地に立った科学特捜隊に協力して、宇宙からの侵略者や原始島と呼ばれる太古の島からやってくる恐るべき怪獣を相手に壮烈な大合戦を演じるのです。(中略)神風のようなモンスターで、何処からともなく姿を現わし、隊員達のピンチを救い、風のごとく立ち去る。(中略)面白いことに、隊員たちが、ベムラーの登場を頼みにしている時は姿をみせず、ベムラーのことを忘れ、敵と必死に戦い闘って、破れかけた時に忽然と出現する」(「ウルトラマン島唄」p116) 「カラス天狗風のベムラーには、金城が玉川学園で学んだ民俗学、伝承や土俗信仰に登場する精霊やまれびとなどの雰囲気あったからだ」(上原)「大地パワーで地球を守るヒーローなんです」(金城)(ともに「島唄」p.117) TBSからの要請で、宇宙人の設定になるわけだが、この変更によって様々な矛盾が出てしまったように思う。能力・属性の面では、ベムラーとウルトラマンは全く同じである。が、大地の精霊のままだとわずかに先行した「マグマ大使」にあまりにも近づくことになったとも思う。 あと、「神風」という比喩にも注目。 先輩ライターへの説明「神じゃないんです。困ったな。ウルトラマンは人の心が呼び寄せるものなんです。(中略)ですから初めから怪獣をやっつけに来るんじゃ無いんです。人間を守るために現れるんです。そうなんです。殺し屋ではありません。ウルトラマンは殺し屋ではありません」(「島唄」p129) それってやっぱほとんど神じゃないか、と聞きたくなる。ウルトラマンのデザイン・成田亨「怪獣はカオス、ウルトラマンはコスモス(中略)弥勒菩薩、百済観音など最高級の仏像が単純であるように、ウルトラマンからもカオス的要素を徹底して取り除いていった。」出典は成田亨『特撮と怪獣・わが造形美術』フィルムアート社、(「島唄」p128) こんな時期から後の「ウルトラマンコスモス」の発想ってあったんだなあ。 「帰ってきたウルトラマン」18話「ウルトラセブン参上」中、ウルトラマンが太陽に焼かれそうになる場面について。 「ことの真偽はともかくとして、このシーンに金城哲夫は憤激したと伝えられている。彼にとってウルトラマンは太陽の子、神の子なのだ。だから親である太陽が子であるウルトラマンを殺すはずがないという言い分だったらしい。これは明らかに沖縄人とクリスチャンの神の捉え方の違いである」(『帰ってきたウルトラマン大全』p97) ティダヌファかあ。興味深いけれど「真偽はともかくとして」が気になる。ティダヌファってそもそも王様のことだし。それから沖縄人と神といっても、キリスト教のような明確な枠組みはない。
Jun 18, 2003
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1:メモ ウルトラマン=神について この場合、怪獣も神である。荒ぶる神。 フォークロア的構造。ウルトラマンと怪獣とは、人間(日常)から見た非日常の二つの面である。鏡花風に言えば観音力と鬼神力。ウルトラシリーズは現代のフォークロアである。 まあこれはあっているのだろうが、さんざん言い尽くされている感じ。ただ商業的な制約性と絡めると、新しい視点もあるのか? 初期の金城の構想では、ヒーローは宇宙人ではなく、もっと土俗的な存在であった(ベムラー)。フォークロア的構造としてはこちらが落ち着く。すなわち同じものの光と闇。 宇宙人としての「ウルトラマン」における本質的な問題は、対宇宙人よりも、対怪獣にあると思われる。人間も怪獣もウルトラマンからみれば地球の生命体である。いわば地球における「内戦」に、宇宙人が介入するという図式。 これを乗り越えるのは、カントの「理性的存在」という概念か? ヒューマニズム=人間中心主義の、無批判の導入。 ちょっと無理筋だが、キリスト教的な世界観に立つと、ハヤタは神の子イエスということになる。 ウルトラセブンの「敵」はほとんど全てが宇宙人であるため、仮にセブンを普遍的宇宙法における正義の執行者という前提に立てば、ウルトラマンの持っていた問題は無くなる。その代わり、地球人が必ずしも正しくない場合においては、事態は深刻になる。 (例)ギエロン星獣の復讐は、宇宙法上妥当である。ウルトラセブンは黙認、むしろこの場合はギエロン星獣の支援に回るべきである。 反対論。何の罪が無くても、街に逃げ出した猛獣は射殺されるべきである。家庭内のゴキブリは駆除すべし。またヒューマニズム。これが「ノンマルトの使者」の一つの問題。 「美しい地球」=地球は青かった。 宇宙人が侵略する場合の基本的動機。スペクトルマンのゴリもこの動機。これは地球ナショナリズムのためには有効な視点。宇宙船地球号。希有に美しい青い惑星。2,新着資料向谷進「ウルトラマンの死」『中央公論』88.5コピー3,新規注文資料 『ウルトラセブンアルバム―空想特撮シリーズ』 竹内 博 (Editor) ¥2,800 - 数量: 1 『小説ウルトラマン』 金城 哲夫 (Author) ¥840 - 数量: 1 『ウルトラマンの東京』 実相寺 昭雄 (Author) ¥780 - 数量: 1 アマゾン。手軽すぎて癖になりそうで怖い。
Jun 17, 2003
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ウルトラマンとは何であったか。0.まあM78星雲の「光の国」から来た宇宙人なのであるが、このこと自体にそう大きな意味は無い。問題はほぼ無償の行為として、地球人を助けてくれるウルトラマンとは何者なのか、ということである。 例えばウルトラマンに先立つ「鉄人28号」はあくまで機械であるし、ほぼ同時期に放映されていた「マグマ大使」は地球の精であるから、人間もしくは地球のために戦うのは当然である。 ウルトラマンが人間のために戦う動機は、公開された作品から見る限り2点である。一つはうっかりとハヤタ隊員と接触してしまい殺してしまったこと。二つめは「光の国」に帰る手段が無いこと。しかしこれは命がけで戦う動機としては不十分であり、それゆえこの問題に対する説は多くある。本当はまだ内容を検討するためには先行文献の収集が不十分なのであるが、ある程度まとめておく。1.ウルトラマンは神である。 シリカゲル氏は「ウルトラマンは神である」と主張している。http://homepage3.nifty.com/umt/um1.htm 実際古代の地球でウルトラマンが「神」として信仰されていたらしい事は、第七話「バラージの青い石」(金城、南川竜)で示される。2,ニライカナイの神 『ウルトラマン昇天』において、山田輝子氏は、上原輝男教諭(後、玉川大学教授)の金城哲夫に対する影響を重く見る。上原氏はニライカナイの神が「土地に棲む、人間に害悪を及ぼす精霊達を服従させるためにやってくる」と言ったらしい(p.30)。*この件、もっと詳しく調べる必要がある。残念ながら現時点では、そのような説話についてもチェックしていない。 さらに山田氏は、金城の戦争体験をふまえ、次のように論じている。「(沖縄戦中)彼はいまかいまかと救世主の出現を待ち望んでいたに違いない。おばあさんの昔語りに聞いたニライ・カナイからくるという神は、こんな時に現れるのではなかろうか」(p140)「それ(最終回のエピソード)はニライ・カナイから訪れたまれびとが人々に祝福を与えたのち、ふたたび遠い南の空へ帰っていく姿を連想させた。このシリーズが神秘性をただよわすのは、ウルトラマンがまれびとだからではなかろうか」(p.141)3.ウルトラマンは宇宙の米軍である この説は佐藤健志氏が『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』において主張し、後に非常に有名な社会学者、大澤真幸氏が『戦後の思想空間』(1998.7 ちくま新書)で、肯定的に引用したものである。これは比較的よく読まれた本であるから、インテリの間では、もっとも流通している考え方かもしれない。 大澤氏は大変立派な学者であるが、少なくともウルトラマンの記述については結構いい加減である。私より四才年上の大澤氏は、少年時代の記憶にのみ基づいており、おそらくビデオ等により再確認はしていない。 佐藤氏は大澤氏よりは本気度が高い。佐藤氏は金城が「強い者が弱い者をやっつけるというのは間違っていますよね。僕は、もっと人間の優しさを作品の中で表現したいんですよ」と語っていたこと、さらに琉球ナショナリズムと本土へのあこがれを強く持っていたことに出発する。これを両立させるのが、「善意の強者」という概念である。 沖縄を日本が助ける(金城)。日本をアメリカが助ける(当時の日本国民)。この同床異夢が、初期ウルトラマンの爆発的なヒットにつながった。すなわち「善意の強者」=ウルトラマン=米軍、という事になる。 ここで注意すべきは、金城がウルトラマン=米軍と考えていた、というわけではなく、金城の博愛主義的な世界観がウルトラマンという、「善意の強者」を生み出し、それが防衛をアメリカに全て依存する日本人の心情にマッチした、ということである。4. 今日の所は、諸説の紹介だけで、自分の考えはあまり書かない。これら諸説を考察するためには、まだまだ準備不足である。4.1 ニライカナイについて、まだ本気で勉強していない。4.2 佐藤氏が根拠とする 向谷進「ウルトラマンの死」『中央公論』88.5 を入手していない。キーワードとなる「強い者が弱い者をやっつけるというのは間違っていますよね・・・」というセリフは、手持ちの他の資料には載っていない。おまけ どうでもいいこと。「帰ってきたウルトラマン」は最近の子供向けの本では「ウルトラマン・ジャック」と言う名前になっている。いつからなのか、と思っていたが今日ようやくわかった。 現在、円谷プロの公式設定では、「帰ってきたウルトラマン」の本名はジャックとなっている。しかし、この呼称が初めて使われたのは、1984年の映画「ウルトラマンゾフィー」においてであった。必要文献追加『宇宙からの贈り物』
Jun 16, 2003
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一日中家族と過ごす。 公園でアオスジアゲハを捕まえた。息子は私を超尊敬。モンシロチョウとは格が違うぜ。 という訳でこの日私が成し遂げたことは「アオスジアゲハを捕まえた」ことのみなのであった。
Jun 15, 2003
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略年表ver.2.01937 昭12 上原正三誕生1938 昭13 金城哲夫誕生(東京)父、忠栄 母、ツル子1945 昭20 敗戦1950 昭25 朝鮮戦争1952 昭27 サンフランシスコ講和条約1953 昭28 「ひめゆりの塔」(東映)1954 昭29 金城上京、玉川学園入学。「ゴジラ」(東宝) アイゼンハワー一般教書「沖縄を無期限管理」1955 昭30 由美子ちゃん事件(沖縄)1956 昭31 「もはや戦後ではない」(経済白書) 朝日新聞「米軍の『沖縄民政』を衝く」キャンペーン 水俣病、公式確認(熊本県)1957 昭32 スプートニク一号(ソ連)1958 昭33 「月光仮面」(東映)「地球は青かった」(ガガーリン)1959 昭34 皇太子(現天皇)ご成婚。『週刊少年マガジン』創刊1960 昭35 六〇年安保、四日市ぜんそく問題化1961 昭36 「モスラ」(東宝)1962 昭37 金城「吉屋チルー」。「絆」(TBS純愛シリーズ)でシナリオデビュー。 俺が生まれた年、キューバ危機1963 昭38 金城円谷プロ入社、企画課長 アニメ「鉄腕アトム」1964 昭39 「WOO」放送予定→中止 東京オリンピック テレビ受像器一千万台突破1965 昭40 米、北ベトナム爆撃 いざなぎ景気(~70) 佐藤ジョンソン共同声明(1)、佐藤首相訪沖(8)1966 昭41 1月2日~7月3日 「ウルトラQ」第28話はS.42.12.14 7月17~42年4月9日 「ウルトラマン」1967 昭42 10月1日~43年9月8日 「ウルトラセブン」 「カクテル・パーティー」芥川賞受賞1968 昭43 「明日のジョー」1969 昭44 金城円谷プロ退社、帰沖。上原も退社、フリーに。 佐藤ニクソン会談72年返還を合意 沖縄基地内でガス漏れ事件(7)、米軍毒ガスを撤去と発表 アポロ11号月面着陸1970 昭45 大阪万博、70年安保1971 昭46 4月2日~昭和47年3月31日 「帰ってきたウルトラマン」1972 昭47 沖縄本土復帰。浅間山荘事件 「成長の限界」(ローマクラブ)1973 昭48 第四次中東戦争、オイルショック1974 昭49 ゴジラ対メカゴジラ1975 昭50 海洋博1976 昭51 金城没(37才) 少しそれらしくなってきた。時代背景1,高度経済成長。初期ウルトラマンの放映期間はいわゆるいざなぎ景気にあたる。テレビ受像器の急速な普及なしには、ウルトラシリーズは成り立たなかった。2,科学の夢と挫折。スプートニクに始まる宇宙開発競争は、「人類」そして科学の限りない可能性を示していた。国内においては新幹線の開業など、科学がやがて「人類」に限りなき未来を約束するという幻想を与えた。その総決算ともいえる大阪万博のテーマは、「人類の進歩と調和」であった。初期ウルトラシリーズにもしばしば「人類」という言葉が使われる。また特撮それ自体が、テクノロジーによるものであり、この時期の円谷プロに関する記述に必ず登場するのが、「オプチカル・プリンター」という象徴的な機械である。 一方でいわゆる四台公害病の問題が顕在化するのもこのころである。公害病とは科学が「人類」に牙をむいたことを意味する。この矛盾も初期ウルトラシリーズを成り立たせる重要な要因である。3,東西冷戦と学生運動 宇宙開発とは単なる科学の問題ではなく、東西冷戦の一部を担っていた。初期ウルトラシリーズがベトナム戦争と重なっていることは重要である。 さらに国内では学生運動が活発化し、ウルトラシリーズを担った若いスタッフ達の多くは、デモ等に参加した経験を持つ。 ウルトラシリーズでは基本的に「人類」同士の争いは既に克服されているという前提に立っている。すなわち一方では科学の矛盾、環境問題等社会的な要因を取り上げながら、「人類」同士の争いは少なくとも表面には出てこない、というのがこのシリーズの特徴である。4,沖縄問題 一般に本土における沖縄問題を顕在化したのは、朝日新聞によるキャンペーンであるとされている。初期ウルトラシリーズは、祖国復帰闘争と時期的には重なっている。さらに主要なメンバーである金城がウチナーンチュであった、というのがこの研究の主要なモチーフである。
Jun 14, 2003
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昨夜は雷雨の中、12時半頃帰宅した。車を下りると、流暢な英語を話す人物が近づいてきた。米兵かと思いぎくっとしたが、見るとアジア人。身なりは労働者風である。手にはワンカップ大関を持っており、多少酔っているようである。態度は友好的であった。 米留経験者が多いうちの大学において、私の英語力、特に会話はおそらく学内最低である。絶対英語しか話さないカレン先生が近づいてくると、さりげなく逃げ出すほどである(涙)。で、正確には聞き取れていないのだが、彼はどうも「ESPでコミュニケーションをしよう」と言っているのである。「あなたはどこから来たのか?」とかきいても「ESPでメッセージを送れ」の一点張り。「例えばどういうメッセージを送ればいいのか?」「何でもいいんだ」???? 後で辞書で調べたら、ESPにはextrasensory perceptionすなわち職業別英語という意味もあるらしいが、やっぱExtra-Sensory-Perceptionのほうだよなあ。なんか新しい宗教の人だったのだろうか?あるいは・・・・ やがて質問ばかりする私に業を煮やしたのか、彼は雷雨の中に去っていった。嘘のようだが本当の話である。
Jun 13, 2003
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何があったか具体的に書く時期ではないのだが、政治思想がらみでちょっと鬱。 例えば私は有事法制そのものについて、何らかの規則があるのは当然と考えている。ただし今回の法制が妥当なのかどうかは、条文をよく検討していないので、わからない。そんなところである。 で、沖縄の知識人の一般としては、「何らかの規則は必要」と主張すること自体が難しい。それどころか「必要か否か、議論すべきではないか」と主張することすら困難である。 沖縄というのは長年、議論の出来ない地域であった。明治。現実には一般大衆には、ヤマトへの同化は相当の苦痛だったが、同化に異議を唱えるのは難しかった。戦前。特に日中戦争以後、皇国史観に異議を唱えるのは難しかった。まあ、これは日本中そうだった訳だけだから、このときだけ、沖縄は全国水準だったと言えるのかもしれない。 占領下。祖国復帰に異議を唱えるのは難しかった。軍政に抵抗して何とか日の丸を揚げようとした。復帰後、今度は日の丸を揚げるのが難しくなった。現在沖縄で一番でっかい日の丸がはためいているのは、米軍基地内である。 歴史の中で沖縄は何度も激変した。唯一一貫しているのは、「議論が許されない」という点である。あるいは私がウチナーンチュなら、もっと風通しを良くできるのだろうが、私は「ナイチャー」である。
Jun 12, 2003
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『ウルトラマン昇天』読了 立派な本である。高校時代の先輩という因果だけで、七年もかけて取材するとは。七年といえば、私の沖縄文学研究の全期間と同じである。 金城哲夫の場合、本当に人生そのものがドラマチックなために、逆に作品そのものに対しての言及が減る、という傾向があり、本書にもその傾向はある。特に「セブン」の期間は、苦悩の方に重点が置かれ、作品そのものは軽視されている。確かに「セブン」は初期ウルトラマンのなかでは視聴率が低かった。が、これは初期「ルパン三世」と同じことで、繰り返される再放送ののべ視聴率という観点から言えば、驚異的なものになるのでは無いだろうか。さらにインパクト率というものがあるとするなら、これも相当高いと思われる。 視聴率というのをどう考えるのか、難しいところである。社会学的な関心から言えば、当然高いほど注目すべき作品と言うことになる。ことにウルトラマンの40%というのは異常であり、議論の対象となるのはよくわかる。 一方文学研究の対象は、視聴率的なとらえ方から言えば、それほどでも無い作品が多い。むしろベストセラーというのは時代に対する過適応という傾向があり、時代が変わると急速に色あせていくケースが多い。今日日「何となくクリスタル」(田中知事)を論じるということは、文学研究では考えにくい。社会学的には有りだと思うが。 今後どう進めるか、よく考える必要がある。大衆の無意識の反映という社会学的なスタンスを取るべきなのか、あくまで表現という水準にこだわるのか。追加資料http://www7.gateway.ne.jp/~okhr/ ウルトラセブン。よく読んでいないが、一見して本気度の高いページ。
Jun 11, 2003
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4-0 『帰ってきたウルトラマン大全』はしっかりした本ではあるが、実際にビデオと照らし合わせると、「ほめすぎでは?」という印象が強まる。この本自体がDVD発売記念、という側面を持つことに留意しなければならない。4-1 「帰ってきたウルトラマン」のビデオ。メモ11「毒ガス怪獣出現」(金城) 戦争被害者を思わせる被害者達。映画「ひめゆりの塔」との類似。 1969年沖縄基地内におけるガス漏れ事件を素材にしたと一般的に言われるが、シナリオでは旧日本軍が強調される。怪獣とともに毒ガスも克服された、ということだが、これは金城にとって沖縄戦が克服されたという解釈でいいのか? 高校の友人達の多くが東京大空襲を経験しており、戦争体験という意味では、特権的とは言えない。戦中世代の、70年前後のイメージはもう少し確認する必要がある。彼らは「戦争体験」というステロタイプ化を受ける以前の、「私の体験」を持っていた場合が多く、必ずしも「唯一の地上戦」を神話化する地点にはいなかったと思われ、当然金城もそれがわかっていたと思われるのである。12「怪獣シュガロンの復讐」(上原) 「恐怖のルート87」「まぼろしの雪山」(ともに金城)を足して2で割ったような内容。しかも「まぼろしの雪山」の方がはるかに優れている。そもそも「帰ってきた」は全体的に二番煎じという印象を持っていたが、今およそ30年ぶりに見返して、その感が強まる。37「ウルトラマン夕日に死す」38「ウルトラの星光る時」(上原) 少年時代ブラックキングの強さだけが印象に残っていた作品であるが、今見てもそうである。ほとんど「セブン暗殺計画」(藤川桂介)の焼き直しであり、前作に数段劣るという点も同様。37話のショッキングな内容はともかく、後編38話は、愚作と断じてもいいのではないか? 肝心の「怪獣使いと少年」を見直していないので、予断は禁物だが、「帰ってきたウルトラマン」は「ウルトラマン」「ウルトラセブン」に質的には遠く及ばない、という子供時代の印象が、強められる。これもまた一般的なとらえ方ではあるが、上原は金城に遠く及ばないという印象も強固なものになってきた。 実はその数奇な生涯から神格化されている金城哲夫より、上原に光を当てた方が「沖縄とウルトラマン」の本質により近づけるのではないのか、というアイディアもあったし、「セブン」最高傑作説を相対化しようという意図もあり「帰ってきたウルトラマン」にしばらく傾注したが、これほど歴然とした差があっては、「帰ってきた」が論ずるに値するのか、どうか、根本から考え直す必要がありそう。4-3『怪獣学・入門』ほぼ読了 おもしろい。特に會川昇、佐藤健志、切通理作の金城観の違いに興味をもった。その背後に、各自のイデオロギーがある。 佐藤は『諸君』に掲載しているだけに、反戦後民主主義の姿勢が顕著である。日本人の甘え、およびウルトラマン=米軍説は、非常に説得力があるのだが、ウルトラセブンの最終回に即して「(アメリカは)これまでのような覇権国としての負担には耐えられなくなってきているのである」などという部分は、本人、今読み返したら恥ずかしいだろうな。今や暴走し始めたウルトラマンをどう鎮めるかになっています。 切通氏はいじめられっこだった自己の体験から出発するあたり、ある種のすごみを感じる。沖縄への思い入れもよくわかる。しかし沖縄へのまなざしが典型的なオリエンタリズムになっている点が、何とも皮肉である。上原正三へのインタビューに依存度が高いが、上原の沖縄観じたいが、故郷を長く離れたウチナーンチュのステロタイプになっていることに、この時点では気づいていない感じである。『怪獣使いと少年』アマゾンに発注した。なんかたたきがいがありそうで楽しみである。 會川は同じ脚本家という立場から、興味深い主張を行っている。金城のシナリオに作家性が乏しい、という指摘である。上原(差別問題)や市川(キリスト教)という明確な主張に対して、金城ははっきりした主張をしないというのである。これはあるいはそうなのかもしれない。沖縄という状況から出発した作家が、なぜ全国の子供達を引きつけるような番組を生むことが出来たのか、という問題のヒントがありそうである。 その他、オウム事件で失脚してしまう島田裕巳であるが、古代以来のヒーローとウルトラマンを比較していておもしろい。確かにヤマタノオロチを倒すのはスサノオなのであって、佐藤が問題とする「なぜウルトラマンは宇宙人なのに命がけで地球を守るのか」という問い自体が、非常に近代的なものなのかもしれない。桃太郎もそうだが、怪物を倒せるのは外部から来た存在なのだ。
Jun 9, 2003
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『帰ってきたウルトラマン大全』必要箇所はおおよそ読了。 この本のスタンスは2つあり、一つは「作品」を、スポンサーや局、何より恐ろしい視聴率といった外的な力と、プロデューサー・シナリオライター・監督など内部的な力との葛藤の中でとらえるという方法論である。これはサブカルチャーを論じる際の一つの王道とも言えるものだろう。実際には文芸作品なども、編集との葛藤とかあるのだが、大家ともなればほとんど自分の意志を貫けるのであり、事情は大分違う。例えば金城の「意図」があったとしても、それが完成作品にどのように表現されたかは別問題である。この問題については慎重に考える必要があるだろう。 本書の二つ目のスタンスは、「真剣なオタク」という面である。オタクの視線は、細部へと向かう傾向がある。特に映像的な演出にはうるさい。この面は例えば「水戸黄門の映像にタイヤのあとが見えた」的な、細かな(そうでもないか)批判に向きがちで、全体性を見失う危険があるようにも思えた。追加資料『怪獣学・入門』 町山智浩編 JICC出版局 1992,7うっけ氏推薦。古本屋で発見。好著。赤坂憲雄あたりが書いている。佐藤健志氏の論考は「ゴジラと・・・」のダイジェスト板。ここから推測すれば、切通氏の論考も、「怪獣使いと少年」入手までのつなぎに使えるだろう。
Jun 8, 2003
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世間といっても具体的には女房なのだが、「ウルトラマン」の研究をしているといっても信じてくれないのである。「そんなの難しい本に載せてくれるわけないでしょう」 ちなみに「難しい本」とは専門書、学会誌、紀要等を指す。うちの女房は内容不明でも、装幀から瞬時にして仕事関係と遊びを見破るのである。恐るべし。 確かに書いたはいいが、どこに載せるかは難しい問題である。『近代文学』や『日本文学』は厳しいだろう。こういった本は、文学研究の権威、文学の制度性の維持に必死である。その権威性と制度性がここまで文学研究を衰退させたのであり、そんなこと誰でも知っているから、文学部や国文学科の改廃に応じているのである。しかし国文学科から、日本文化学科等に名称を変えて以降、一体何人の研究者が、新領域に乗り出したであろうか・・・などとついムキになってしまったが、問題は土日、十分な研究時間がとれなかった事である。 まあ最初から3ヶ月程度をイメージしているので、気長にやろう。
Jun 7, 2003
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今日は会議ばかりでほとんど何も出来なかった(涙)。『帰ってきたウルトラマン』10話「恐竜爆破指令」11話「毒ガス怪獣出現」12話「怪獣シュガロンの復讐」のビデオを借りてきた。主な目的は金城最後のウルトラもの11話を見るため。しかし10話の上原も結構問題作。まるでウルトラマンコスモスである。シーボーズ(ウルトラマン)→ステゴン(帰ってきた)→ムードン(コスモス)という系譜なんだろうな。さらに途中見ていないシリーズに、似た構造もあるのかもしれない。しかしこれじゃあ、完全にオタクの知識比べになっちゃう。立論相当慎重にやらないと、だめだな。 追加資料『帰ってきたウルトラマン大全』白石雅彦・荻野友大編 2003,1双葉社 この本は本気である。びっちり二段組みで323ページ。「帰ってきた」で、ここまでやるか?まだ少ししか読んでないが、データーはおそらく完璧。時代状況に関する細かい補注も好感。カラー図版は少ししかなく、完全に大人の読者を想定している。帯には「徹底した取材とプロファイリングで、全ての論争に終止符を打つ」とあるが、あながち大げさではない。 私はサブカル研究本を甘く見ていたが、実際にはここまで来ていたのか。ちなみにこの「大全」シリーズは、既に17冊出ている。『電人ザボーガー大全』なんて言うのもこの水準で作られているのだろうか?売れるのか?っていうか、そもそも「電人ザボーガー」って何なんだ? 最初からマジではあるが、これは相当腰を据えてかからねばならない。
Jun 6, 2003
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略年譜作成1937 昭12 上原正三誕生1938 昭13 金城哲夫誕生(東京)父、忠栄 母、ツル子1945 昭20 敗戦1952 昭27 サンフランシスコ講和条約1954 昭29 金城上京、玉川学園入学1956 昭31 上原中央大学文学部入学11962 昭37 金城「絆」(TBS純愛シリーズ)でシナリオデビュー。俺が生まれた年1963 昭38 金城円谷プロ入社、企画課長1964 昭39 「WOO」放送予定→中止1966 昭41 1月2日~7月3日 「ウルトラQ」第28話はS.42.12.14 7月17~42年4月9日 「ウルトラマン」1967 昭42 10月1日~43年9月8日 「ウルトラセブン」1969 昭44 金城円谷プロ退社、帰沖。上原も退社、フリーに。1971 昭46 4月2日~昭和47年3月31日 「帰ってきたウルトラマン」 上原チーフライター。1972 昭47 沖縄本土復帰1976 昭51 金城没(37才) これを作ると何となく安心する。60年代はもう少し精密化する必要がある。 追加資料『金城哲夫の世界 脚本集[沖縄編]』金城哲夫の世界実行委員会編 1993,2 パナリ本舗 「沖縄編」ってことは「ウルトラ編」もあるのか?なんかなさそう(涙)。明日調べてみよう。「金城哲夫作品一覧」は充実。文献目録も良い。『金城哲夫 ウルトラマン島唄』上原正三 1999,10 筑摩書房 除籍くんもお薦めの一冊。場合によると上原氏に焦点を当てる可能性もあるので、その意味でも重要。 以上2冊はうちの図書館にあったもの。ネットウルトラQhttp://homepage2.nifty.com/ultraq/ 帰ってきたウルトラマンhttp://www.geocities.co.jp/Technopolis/5418/ 初期ウルトラマン総合サイト、優秀http://homepage3.nifty.com/umt/index.htm サブカルチャーの場合ネットも侮りがたい。上記はいずれも充実。何度も訪れることになるだろう。その他、未入手のうち気になるもの「沖縄を愛したウルトラマン・金城哲夫の生涯」玉城優子『沖縄タイムス』連載らしい。レファランス不十分だが、これは簡単に手にはいるだろう。『怪獣使いと少年』切通理作 1993、7 宝島社 初期ウルトラマンを代表する四人のライター(金城哲夫、佐々木守、上原正三、市川森一)について書いてあるらしい。切通氏というのは小林よしのり批判や、軽い恋愛本などを書いている人だと思うが、予断は禁物。タイトルからいっても、絶対スルー出来ない。ただ宝島社か・・・いやな予感がするな。このために国会に行くのは避けたい。『GARVE 特集・ウルトラマンを作ったウチナーンチュ金城哲夫』 1993,7『GARVE』などという雑誌は知らんぞ。まあ県内出版社らしいのでこれは何とかなるだろう。実相寺昭雄など関係者の著作。多分スルーでも大丈夫だと思うが、最終的にはチェック。それから朝日ソノラマ系のムックの中にも時々侮りがたい批評が書かれているので要注意。
Jun 5, 2003
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注文原稿全て終わって、今日から自分の好きなことが出来る。で、ウルトラマン研究。私の肩書きでは特撮とか、そういったことを論じても誰も相手にしてくれないので、シナリオ論ということになる。 現在の手持ちの資料は非常に貧弱なので、しばらくは先行研究の確認。『ノンマルトの使者』金城哲夫、宇宙船文庫 1984.9これはチャチイ。確かもうちょっとちゃんとした選集があったと思うので、チェック。『ウルトラマン昇天』山田輝子 朝日新聞社 1992,8金城の伝記。実はまだ読んでいない。参考文献欄充実。『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』佐藤健志 文芸春 1992,7 サブカルチャー論の先駆的論考。内容おもしろい。この人がその後何か書いていないかチェック必要。「私の思い出・戦争・金城哲夫・ウルトラマン」 上原正三 『うらそえ文芸』第8号 2003,5 他に『ウルトラマン研究序説』というのを持っているが、これは完全にパロディー本。空想科学読本系と同じなので、却下。ウルトラマンの場合出版件数自体は異常に多いので、その中からいかに有効な情報を拾い上げるかが重要。初日はこんなものか。
Jun 4, 2003
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ラーメン食って、映画ばかり見ていたのか、としかられそうなので、文化的な事を書きます。今回は5冊本を買ってきました。「ポストコロニアル理論入門」アーニャ・ルーンバ「ポストコロニアル理性批判」スピヴァク これら二冊は到底数日では読めないので、後回しです。学生にも理解できるくらい消化したら、授業で使います。「民主と愛国」小熊英二 これも漬け物石みたいにでかい本なので、しばらくかかるでしょう。しかし小熊氏は分量はすごいが、わかりやすい文章を書くので見た目ほどには時間はかからないと思います。本棚に迫力を付けたい人にお勧め。「保守思想のための39章」西部邁、ちくま新書 まあ、西部氏の本はどれも同じようなことが書いてあるのですが、最近左派思想壊滅で本当にいいのかと思うことがあるので、もう一度保守思想の原点を確認したい、と買いました。奥付を見たら昨年九月。この激動の時代にあっては、既に古いのかも。「寝ながら学べる構造主義」内田樹 文春新書 実際に読んだのは今のところこれだけです。今更構造主義か、という感じもあるかと思いますが、これはなかなか好著です。本当に寝ころんで読んでも大丈夫。私が学部生の頃この本があったらどんなに良かっただろうと思います。これまでの所、一番わかりやすい構造主義関係は橋爪大三郎氏の「はじめての構造主義」(講談社新書)だと思われますが、それをしのぐわかりやすさです。しかもラカンにふれてこのわかりやすさとは。 そういや雑誌「現代思想」なんかも随分わかりやすい文章になってきました。知の大衆化、ということなのかもしれません。当然厳密性を欠くという問題もあるかと思いますが、私はこの傾向を支持しますね。ある意味難解な文章では営業が成り立たない、ということかもしれません。八〇年代は本当にひどかった。どうすれば難解になるか、素人に意味不明に書くか、競っていた傾向すらありました。 ただ注意すべき点は、バラエティーなどメディアの低俗化と一緒で、書き手も、読み手も、バカになってきたということだと、ちと困りますな。
Jun 3, 2003
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私はラーメンが好きである。ところが沖縄のラーメンはまずい。多分伝統的な沖縄そばと競合したために、ラーメンが発達しなかったと思われる。まあ私が来てから10年ぐらいで、前よりはましになってきたし、中華料理系のラーメンはまあまあなんだけれど、いわゆるラーメン屋のラーメンが食べたいのである。 で、東京に行くと一日一食はラーメンと言うことになり、今回は新宿エリアの旭鳳、利尻、麺屋武蔵、麺ロード(これはチェーンみたい)、それから秋葉原の典座、山形屋、以上かな。 たまたまそういう店が多かったのか、魚系のダシが多くなったようです。なんて言うのかな、ラーメンというより、日本料理という感じの味です。このうちダントツだったのは、麺屋武蔵です。みんな本を見て行ったのですが、実際に長蛇の列が出来ていたのは武蔵だけでした。ディズニーランドみたいに、行列を制御するひもまでありました。30分ほど待つことになります。が、正直、待つ甲斐はあります。一体どうしてこんなにうまいのか、謎です。かなりわかりにくい場所ですが、一度は訪れる価値があるでしょう。
Jun 2, 2003
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出張中映画を三本見た。ちゃんと図書館等閉館後の時間なので、倫理的な問題はない(と思う)。サラマンダー:三十を超えてから、この種の映画を劇場でみるたびに思うのだが、「よせば良かった」。あ、サラマンダーもそれなりに怖かったし、多分この種の映画では「並」ぐらいだとは思いますよ。要するにおっさんが見る映画ではないということ。あずみ:前評判が高かったので、これもつい見てしまった。案外いいんじゃないでしょうか。戦場のピアニスト:やっぱ、いいんだよな。タイトルは「ピアニスト」のままの方がよかったかも。「シンドラー」とか「サンドウィッチの年」とかこの種の映画はたくさんあるけど、個人的には一番良かったように思います。以上、単なる感想で、分析はありません。
Jun 1, 2003
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