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初日と二日目の演出の変更について。 これはきわめて微妙なのだが、それゆえ日にちが経つと多分忘れちゃうので、まず記録しておく。 はっきりと変わったのは北山王攀安知の自決の場面である。初日は何度も自らの体に刃を突き立てるという大げさなものだったが、二日目はそっと自らの首に刃を当てるといいう抑制的なものとなった。引き続き、駆け寄る尚巴志には「介錯を頼む」という目配せがはっきりわかり、尚巴志もしっかりうなずくという演出になった。介錯については初日の演出の主旨も同様だったものだと思われるが、自決を抑制したことにより分かりやすくなったと思う。 その直後初日はすぐ喜びの場面へと移行したのだが、二日目は攀安知(もしくは戦死者たち)に対し中山の武将が黙祷するという場面が挿入された。この北山王の死を悼むという演出は重要だったと思う。後述するようにこの芝居では攀安知のキャラクターが非常に強く、その魂は沈めなくてはならない。 もう一つは明日以降詳述するが、金城の原作では「松ぁ」は死んでいる。幸喜演出では実は生きていた、という結末で喜びを盛り上げるというものになっている。この部分は新しく作られたものなのでおそらく調整不足で、初日はチルーの両親と松ぁが一緒に出てくるという演出になっていたが、二日目はまず二人が出てきて、ワンテンポ遅れて松ぁが出てくるという演出になった。これにより舞台はしまったと思う。 次にこれは本当に微妙であり、もしかすると間違いかもしれないが、ラストの喜ぶ全員の踊りが、二日目の方が若干短かったように感じる。もう終わってしまうので、多少長くてもよかったように思う。さらにこれは完全に気のせいかもしれないが、いよいよ最後に長く民衆を苦しめた寒波の終わりを告げるように太陽が顔を出す。これは初日の方が、はっきりと太陽が上り、人々がそれに目を奪われるということがわかりやすかったような気がした。原因はよくわからない。 もう一点も微妙である。これは后の死を知った攀安知が、爆笑をする前微妙にその死を悼む表情をするのだが、二日目の方がはっきりと、若干長い時間で苦悶の表情をしていたように思われる。ただ初日より二日目の方が表情がはっきりとわかる席になったので、これはそのせいかもしれない。
Dec 24, 2012
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今日はイベント目白押しで、「コンタクトゾーンとしての文学」琉大国際沖縄研究所若手研究者セミナーと「虎!北へ走る」がぶつかった。根性の両方出席だが、「コンタクトゾーンとしての文学」のほうは後半早退。両方共滅多にないイベントなのにこれがバッティングするとは><「虎!北へ走る」のほうは明日以降書くとして、「コンタクトゾーンとしての文学」のレポート。 非常にいいイベントだった。ネットや書物でもいいんじゃないかと思っていたが、久々にこういう人と人とが交流するイベントに出てみると、ディスクの上とは違う刺激がある。 まず法政大学教授鈴木智之氏の基調講演「コンタクトゾーンにおける読書」 多文化が接触する場所という意味では「コンタクトゾーン」という概念は、従来の「多文化接触」と大差ないんじゃないかと誤解していたが、鈴木氏の講演は社会学的分析そのものを反省的に対象化するという意味で刺激的なものであり、非常に勉強になったって、これじゃあわからない人には全然わからないな。これについてはいつの日かまたわかりやすく書きます。 若手トップバッターが沖国大修士の古堅君。これはゼミ以来の教え子である。戦後沖縄文学の先駆けとされる太田良博の「黒ダイヤ」のテキスト異同を丹念にみるという手堅いもので、夏休み頃は話にならないものだったが、毎週文句を言い続けた甲斐があって、かなりの水準までこぎつけてきた。なにより琉大博士後期課程や慶応博士後期課程の報告に、一歩も引けをとらなかったのが素晴らしい。 2番目は琉大博士後期課程の伊野波さん。彼女は実は沖国の出身者である。又吉栄喜「豚の報い」をバフチンのカーニバル論を用いて読み解くというものである。彼女は早稲田なんかでも発表しており、やるたびによくなっている。ちょっと残念だったのは「カーニバル」というのをスタティックにとらえすぎており、カーニバルの終了後どのような秩序が再生するかという視点が欠けていたことである。また今度語り合う機会もあるだろう。 3番目は慶応博士後期課程の松下さん。崎山多美の諸作品を「聴き取れないものを聴く」という観点から読み解いたものである。作品分析はその通りだと思ったが、問題は沖縄文化というものをこれまた実体的かつスタティックにとらえすぎているように思った。松下さんは自らを「本土の読者」と位置付け、「聴き取れない」ことをヤマト文化と沖縄文化の差異に持っていくのだが、実際には沖縄の若い学生などはもっと聴き取れないのであって、崎山の文学とはそのようにウチナーンチュにとって沖縄(琉球)文化が徐々に疎遠になっていくその過程を描いているように思った。などとちょっと偉そうにまとめたが、いずれも刺激的なものであり、私にとっても良い「コンタクトゾーン」であった。
Dec 22, 2012
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