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すみだトリフォニーホール 19:00〜 1階左手 モーツァルト:「後宮からの誘拐」序曲 / "悲しみが私の宿命となった" 「ドン・ジョヴァンニ」序曲 / "ひどいですって?そんなことは仰らないで" 「フィガロの結婚」序曲 「イドメネオ」〜 "オレステとアイアーチェの苦悩を" ベッリーニ:「夢遊病の女」〜 "ああ、もし私があと一度でも 〜 ああ、信じられないわ" ロッシーニ:「セヴィリアの理髪師」序曲 ドニゼッティ:「アンナ・ボレーナ」〜 "あなた方は泣いているの?〜あの場所に連れて行って〜邪悪な夫婦よ" ロッシーニ:「泥棒かささぎ」序曲 ドニゼッティ:「ロベルト・デヴリュー」第三幕幕切れ <アンコール> プッチーニ:「ジャンニ・スキッキ」〜 "私のお父さん" J・シュトラウス:「こうもり」〜 "侯爵様、あなたのようなお方は" ソプラノ:エディタ・グルベローヴァ 新日本フィルハーモニー交響楽団 指揮:ペーター・ヴァレントヴィッチ 一年前も、「来たよ、本当に.....」とか言ってたんですが、来ましたねぇ、今年も....... まさか二年連続とは......... 去年の記事は、こちら。 https://plaza.rakuten.co.jp/verdi/diary/201611100000/ <全体 https://plaza.rakuten.co.jp/verdi/diary/201611140000/ <川口 去年はリサイタルと「ノルマ」。今年はリサイタルと「リゴレット」の組み合わせ。リサイタルは、去年はプラハ国立歌劇場管で、最後の川口だけ、指揮のペーター・ヴァレントヴィッチがピアノ。指揮は今年も同じで、但し、歌劇団としてはハンガリー国立歌劇場ですが、リサイタルは各地のオケに頼んでいるようで、今日は新日、来週の札幌は札幌交響楽団だそうで。 正直言うと、去年の川口が近年では最高級の出来、それには及ばないかなと。確か今日は来日最初の公演、まだ本調子でもないのでしょう。 いや、まぁ、デビューが1968年だそうなので、来年デビュー50周年!ここは是非来年も...... もう今更言ってもしょうがないのですが、やはり衰えは隠せないとか、それにも関わらずやはり超越した、とか、まぁこの辺は分かってるから割愛。今日一番は「夢遊病の女」だったかなぁと。 しかし、あの、すぐスタンディングオベーションしたがるのは、どうにもならんのかね........
2017年10月28日
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17:00〜 東京文化会館 4階左手 バーンスタイン:「キャンディード」序曲 交響曲第2番「不安の時代」 ジャズ・セッション Some Other Time (バーンスタイン) / Twelve (アースキン) / Nova Alvorada (小曽根) / Wishy Washy (小曽根) / Mirror Circle (小曽根) / Before I was Born (小曽根) / Bulgaria (アースキン) / Popcorn Explosion (小曽根 アンコール) ピアノ:小曽根真 パーカッション(ドラムス):ピーター・アースキン ベース:ダレク・オレス 東京都交響楽団 指揮:リオ・クオクマン 毎年恒例になった "Jazz meets Classic" with 東京都交響楽団の公演。今年はドラムスのピーター・アースキン....と言っても、私もよく知らないんですけどね。ウェザー・リポートにも居たのね...... 前半は恒例のクラシックなんだけれども、今回はバーンスタインの「不安の時代」。これは小曽根も前に、確か井上道義か誰かとやってたような.....今回はわざわざ編曲の了解を取って、パーカッションをドラムにしての編曲版だそうで。 そうねぇ............小曽根がどうとか言うより、都響のバーンスタインが面白いというかなんというか。 私は元々都響なんて聞かないんだけれども、久々に聞いて、なんだろうな、と思っていたのだけど、途中で気付いたのが、あ、これはロシアっぽい音だな、と。いや、イメージなんだけれども、緻密に詰めて丁寧に、というよりは、とりあえずドシャーンと音の塊をぶつけてくる的な。で、それかあらぬか、バーンスタインがショスタコーヴィチに聞こえてきましてね。「不安の時代」なんて。 いや、決して的外れでなく、何せ1949年の作品ですからね。この頃ショスタコーヴィチはジダーノフ批判の最中で干されていた(なんてもんじゃ済まないんでしょうけど)時期ですが、「レニングラード」とかはとっくに出ているわけで(ちなみにバーンスタインの師の一人と言われるクーゼヴィツキーは「レニングラード」の初演をトスカニーニとストコフスキーと争ったそうな)、勿論曲調は違うにせよ、ショスタコーヴィチの影響を受けていてもおかしくないのかと。 ただ、そうなんだけど、同時に、バーンスタインが欲しかったのは、こういう音ではないんじゃないかな、とも思うのですね。ロシア的というかアメリカンというか、音の塊で勝負、というより、もっと緻密な、密度の高い音だったんじゃないかなぁ....と。まぁ、わかんないですけどね。 後半はジャズ・セッション。はい。普通にピアノ・トリオのジャズでした。面白かったです。これを是とするかどうかは人にもよるだろうけど。演奏が、ではなくて、東京文化会館でこのフォーマットは、なかなか苦しいかもなぁ、と。ピアノ・ソロの方が、むしろね。やりやすいんじゃないかなと。
2017年10月16日
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青葉区民文化センター フィリアホール 14:00〜 2階左側 モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番ニ短調 K.421 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番へ短調 op.95 「セリオーソ」 Wayne Shorter : Footprints Hermeto Pascoal : Bebê Miles Davis : Milestones Thelonious Monk : 'Round Midnight~ Erroll Garner : Misty Charles Mingus : Fables of Faubus Brad Mehldau : Unrequited Wayne Shorter : Ana Maria Eden Ahbez : Nature Boy エベーヌ弦楽四重奏団 Vn:ピエール・コロンべ、ガブリエル・ル・マガデュール Va:マリー・シレム (アドリアン・ポワソーに代わり) Vc:ラファエル・メルラン まぁ、ぶっちゃけ、安いチケットが出ていたので行きました。とはいえ、エベーヌSQは前から録音などでは聞いていたので、それはそれで興味はあったし。 今回、オリジナルメンバーのアドリアン・ポワソーが両手首故障とかで、代役に若手のマリー・シレムを起用してのツアーだそうです。 面白くはありました。 特に前半は良かった。なんというか、それっぽく弾きに行くのではなく、アグレッシヴと言ってもいい前のめった感じの演奏。新鮮な感じで、率直に言って好感が持てました。とはいえこればっかりではさすがにちょっと困ると思うけれども。でも、いいと思います。 例えばモーツァルトの第3楽章。勿論これはメヌエットで、そういう風に演奏するものだけれど、この曲の場合、なんというか、やや朗誦するかのように演奏されることが多いのではないかと思ったりもするのですが、彼らは、むしろ舞曲であることを強調するかのように、音の緩急をはっきりさせて演奏する。それはちょっと不意を衝かれるようなものではあるけれど、決して奇をてらっているわけではない。そういう演奏。 なにより、演奏に力がある。力押しとかいうのではない、こういう音楽ですよね、と提示してみせる、勿論無理に押し出すようなのとも違う。でも推進力がある。 ベートーヴェンも、これも、一歩間違えば枯れた感じばかりが先行するのだろうけれど、決して飽きさせない。やはり、新鮮さと推進力がある。強いていえば、古楽器の演奏に一脈通ずるようなところのある演奏。でも、決してペダンティックな方には行かない。知的に健全、とでも言うんでしょうか。最近、あまり室内楽は生では聞いていない気がするけれど、それでもこれはかなりいい演奏だったと思います。 後半は、率直に言って、よくわからなかったです。好みを言えば、つまらなかった。プログラムが終わったら、さっさと飯食いに出て行ってしまったのですが、どうやらアンコールにピアソラのリベルタンゴをやった模様。これは確かに盛り上がるでしょうね。多分これが後半では一番だったのでは。聞いてないけど。でも、正直言って、あまり惜しいとも思わないけど。想像付いちゃうから。 いや、下手くそだとか、ジャズなんて興味ないとか、そういうことではないんですよ。ただ、正直言えば、彼らが何をしたいのか、よくわからなかった。聞いていて途中でちょっと思ったのは、多分、やりたいからやってるだけなんだろうな、ということ。それがいけないのか?と言われると、まぁ、構わないっていやぁか舞わないんですけどね.... でも、率直に言って、弦楽四重奏とジャズってやっぱり合わないんですよ。昔クロノスSQがポップ系、それもロックとかを一生懸命やってたけど、やっぱり、ジャズというのはリズムが命なので、リズムセクションがチェロだけだとどうしても弱い。それ以上に、ヴァイオリンとヴィオラが勝ってしまうから、尚更弱い。しかも完全アコースティックだから、これは厳しい。ベースだと結構低いところで響くし、音も大きめだから、仮にPA無しでもまだ存在感が出せるけど、こういう時はチェロはちょっと.... なのに、マイルストーンとか、厳しいでしょうそれは。まぁ、ミスティとか、それっぽい曲も選んでいるし、リベルタンゴはメロディラインを二本持ってるような曲だから、クラシックのフォーマットに親和性はあるんですけど。 でも、プログラムの中で言うと、正直、コレジャナイ感があったのは事実。このユニットなら、むしろ近現代、例えばバルトークとかウェーベルンとか、或いは現代の作曲家でもいいし、そういうものを聞きたいと思います。別にジャズでなくていい。ジャズを聞くなら、要はもっとリズムセクションをしっかりさせたフォーマットで聞きたい。そして、それにも関わらずこのメンバーでジャズのようなものをやりたいなら、やはり、ピアソラや、或いはそうでなくとももっとメロディックなものを追求してやればいいのに、と。たとえば同じスタンダードなら、Some Other Timeとか、或いはそこからビル・エヴァンスが即興したと伝う、Peace Pieceとか、たとえばそういうもの。 いや、やりたいからやってるんだろうし、決して悪くはないけど...... いろんな意味で勿体無いなぁと。
2017年10月10日
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14:00〜 新国立劇場 3階右手 ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」 ジークフリート:ステファン・グールド ブリュンヒルデ:ペトラ・ラング グンター:アントン・ケレミチェフ ハーゲン:アルベルト・ベーゼンドルファー グートルーネ:安藤赴美子 アルベリヒ:島村武男 ヴァルトラウト:ヴァルトラウト・マイヤー ヴォークリンデ:増田のり子 ヴェルグンデ:加納悦子 フロスヒルデ:田村由貴絵 ノルン:竹本節子、池田香織、橋爪ゆか 新国立劇場合唱団、二期会合唱団 読売日本交響楽団 指揮:飯守泰次郎 演出:ゲッツ・フリードリヒ 6月のジークフリートは出張とかで結局見逃してしまったのではありますが、新国の「ゲッツ・リング」(今命名)ツィクルスが完結するわけです。 さて、どうだったか。 まず、歌唱陣は、概ね良かったと思います。ブリュンヒルデがまぁさすがに頑張ってたなぁと。そこへ行くと、ステファン・グールドのジークフリートは、まぁ、わかるんだけど、ブリュンヒルデにはちと負けたかなと。まぁ、ちょっとバカっぽすぎるのでねぇ...でも、悪くなかったと思います。他もそれぞれそれなりに。ヴァルトラウト・マイヤーのヴァルトラウトは、別にマイヤーでなくても良かったんじゃ.....という、一種の「カメオ出演」ですかね。 まぁ、絶賛するわけでもないんですけどね。そこを問題と考えるかどうか。 合唱は、言うほど出てないしね。 オケは、問題あるんだよなぁ..... まず、率直に言って、悪くはないんだと思います。 で。新国に限らず、日本でワーグナーやると、必ずと言っていいほど、ブーイングが出るんですよね。で、今日はというと、実はあまり出なかった。これは正直意外でしたけども。 では、何がお前は問題だと思ったか?というと、正直、オペラになってなかったから、なんですね。正確には「オペラになってなかった部分が散見された」と言ったらいいのか。 一つは、あまりにも粘りがない。音がさらっと消えてしまうんですね。これは日本のオケが皆抱えている病気だけれど、音を最後まできちんと出さない。いわゆる「ウネリが足らない」的な話は多分にこの辺に根ざしている気はします。 ただ、今日は、それだけじゃない。何が不満か。 分かりにくいので、例を挙げると、第三幕、ジークフリートがハーゲンに殺され、絶命してから、ギービヒの館に戻るまでの場面。「ああ、"ジークフリートの葬送行進曲"ね。なんて回りくどい言い方」と思ったあなた。問題はそこなんです。 この部分は確かに「ジークフリートの葬送行進曲」として人口に膾炙している訳で、この部分を取り出して演奏されることも少なくない。でも、ワーグナーは、「ジークフリートの葬送行進曲」という作品を書いて、オペラのこの部分に挿入した訳ではない。ここはあくまで「ジークフリートが絶命してからギービヒの館に戻るまでの場面の音楽」なんです。つまり、劇場で劇の一環として聞くのであれば、そういう物語の流れの中に位置付けられる。で、この中に出てくるモチーフは、それまでの一連の音楽の中に出てきている訳で、中には第一幕でジークフリートが旅立ってからの音楽に呼応しているように聞こえるものもある。そういう中で、この場面転換の中で、これを聞かせる。そういう場面なんだけれど、今日の飯守・読響コンビの演奏は、言ってしまえば「ジークフリートの葬送行進曲」を演奏したんですね。で、その限りに於いては、多分いい演奏。でも、この「神々の黄昏」でのジークフリートの死を眼前に捉えた中での劇音楽か?と言われると...... それにも通ずる事なんですが、とにかく、軽いんですね。久しぶりに私は「コカコーラみたいな音楽」というフレーズを思い出しました。あれを言ったのはチェリビダッケがカラヤンを評してだったか?あれはチェリビダッケの八つ当たりだと思うけれど、今日のはちょっとそれを連想させるものではあったかなと。 指揮者なのか、オケなのか、分かりませんですけどね。ただ、今日は、4月の東京・春・音楽祭の公演を思い出してしまったのは確か。当時、あまりいろいろ書かなかったけれど、演奏としてはあっちの方がインパクトあったな、と、途中から時々思い出してしまいました。歌手は、むしろ今日の方が、とは思いますけどね。 演出。 ワルキューレの時は結局書かず仕舞い、ジークフリートは観てないので、前回書いたのは2年前のラインの黄金に遡るのですけれど、その時、「悪くないけど、これ、今やるものだったか?」という話を書いてました。 結局、その感想は変わらないなと。 まぁ、確かに、過剰に現代風に振った訳でもなく、とはいえ随分現代風ではありましたが、例えば「トーキョー・リング」に比べればずっと「保守的」だし、めったやたらとそれっぽく「象徴」を持ち込むなんてこともないのですが、やはり「ふーん....」という感じですね。最後はちょっとそれっぽくした演出ではあったけれど、それにしても、やっぱり敢えてこれをやる必要性はあったのかなぁ、と。 加えて、この「神々の黄昏」では、とっちらかった感があって、ですね........伏線がまるで回収出来てない、みたいな、ホモキみたいなのとは違うけれど..........でも、そういう意味では、「それで何が言いたいの?」といった感じはあるのかなぁ。 良くも悪くも「もう一回観たい」という気持ちにはならなかったかなぁと。 そういう意味では一回観ておいて損はない、と思います。でも、もう一回は無いかも.....
2017年10月08日
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