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2008年01月12日
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カテゴリ: クラシック
 NHKホール  18:00~
 3階最後方

 指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット

 モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」
 ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」

 今日は天気が悪いし、色々都合もあって、結局予定していたスケジュールをキャンセルして、N響を聴いてきました。明日行っても良かったんだけど、色々あるので.....

 ヘルベルト・ブロムシュテット。既に80歳ながら、未だ矍鑠として、なんて表現すらバカバカしい程の若々しさ。70前で通りそうな雰囲気です。年寄り大好きN響ファンもさぞや多かろう....と思いましたが、生憎の天気も相俟ってか、割合空席もあったようで。

 前半は「プラハ」2楽章の所で途中から来た客がガサガサ煩くて(途中から来た立見客は壁際に立たせるべき!前に出て来させるな!じっとしてられないなら諦めて外で待ちましょう!)大変不愉快でしたが、演奏は大変結構。ヴィヴラート控え目なのは世の趨勢として、がっつりレガートが掛かってるし、音も厚め。だらしなく響かせているのとは違う、筋肉質の演奏、という感じ。演奏中、「アポロ的演奏」というフレーズが浮かんだくらい。勿論、重厚というのとも違います。しっかりした演奏、というのが一番近いかな。
 終わってみたら35分くらいかかってましたが、あれってそんなに時間かかる曲だったかなぁ?でも、決してテンポ遅めという訳でもないし......


 後半のブルックナー。
 ええと、私、ブルックナーはよく分からないんですが............. まずは、こちらも演奏自体は大変よかったんじゃないかと思います。って、よく分からない奴が言うのもなんですが。
 で、じゃぁよかったかと言うと.......うーん。あのですね、やっぱりですね、この曲、どうかと思うんですよ。というか、今日気付いてしまったんですが。

 昔からブルックナーは苦手ですが、以前、ラトル指揮のベルリン・フィルで7番を聞く(まぁ、ベルリン・フィルを聞きに行ったらそれだった、ということですが)機会があって、その時に「ブルックナーは生演奏で聞かないとつまらない。それもいいオケの生でないと」と結論して、一応折り合いを付けたという過去があります。
 で、その後ラジオで心ならずも?聞かされたりもしたので、まぁ、8番だの9番だのはそれなりに聞いたことはある(でも好きとは言わない)のですが。でも、思い返せば、4番は昔っから「何が面白いのかよく分からん」の代名詞だったのですね。

 今日改めて4番を生で聞いた訳ですが、まず、演奏自体は決して悪くない、むしろ見通しの利く、程良く明晰な演奏で、良かったと言っていいと思います。
 ただ、聞いていてどうしても気になってしまったのですが、この曲、自分としては、とても「気持ち悪い」のです。何か、音楽として非常に不自然というか人工的で、それが鼻につくのです。

 ブルックナーの欠点として構成の問題がよく言われます。長過ぎるとか、反復が多いとか、いろいろ。で、人によっては「いや、それがいいんだ」とか「それを適当に力抜いて聞いて、美味しい所に注力するんだ」とか仰る方も居るくらい。
 でも、今回のように見通しが利く分かり易い演奏だと、4番は比較的短めでバランスはいい方なので、大体あらましが見えて来ます。すると、とても「気持ち悪い」のです。
 例えば、第1楽章。いきなり第1主題とされるホルンのフレーズが演奏されます。すると、そのまま盛り上がっていって、全く違うフレーズでファンファーレのようにクライマックスを築いてしまう。で、その後、第2主題が出て来る。これが「ソナタ形式」だ、というんですが、んな全然関係ないフレーズでぽこーんとクライマックスを作っておいて、何をどう展開させたい訳あんたは!
 第3楽章のスケルツォも同様。「狩の音楽」なんていうけれど、こんな風にオーケストラが雄叫びを上げて「狩り」でもないだろう。で、トリオ部が狩りの合間の舞曲で、で、「狩り」の度に金管が雄叫びを上げる訳?


 この曲を今日聞いていて気持ち悪くなって来た主な理由は、この音楽が、頭の中で考えたとしか思えないからなのです。そりゃどんな音楽だって頭ん中で考えます。でも、ブルックナーは「狩り」なんてまるっきり知らない筈です。それを「これは狩りの音楽だ」なんていってしまう。で、そこで書かれたものは、とてもそういうものではない。それらしくあればいい、というものではない。別にこれが狩りと関係なくたって一向に構わない。ただ、この音楽はとても不自然で、整合性がなくて、長くて、そのことを全然自覚出来ていない。金管が叫ぶ、叫ぶ以上のことが何もない。空疎な音楽。平たく言えば音楽がさっぱり歌っていない。それが、「気持ち悪い」人工的な感じの正体なのです。
 例えばマーラーの交響曲、あれは本当にとっ散らかっていて、まるでコラージュのような音楽で、人工的の極みだったりします。一つ一つのフレーズはそれなりに歌っていても、全体はちょっと勘弁して、と言うくらいバラバラだったりします。でも、マーラーは、明らかにそういう音楽を作っているという自覚を持って作っていた。だから、彼の交響曲は、別に私は好きとは言わないけれど、気持ち悪くはないのです。いや、気持ち悪いとすれば、それはマーラーが狙ってやっている可能性が十分ある。
 「ソナタ形式」ということにしても、例えば形式にこだわり過ぎた先例にシューベルトが居ます。でも、シューベルトには天性のメロディメーカーの才があった。だから、冗長とも言える長さのソナタ楽章を書いても、それが単に長く鬱陶しいのではなく、むしろ延々と美しいフレーズを聞き続ける至福の時に転化し得た。否、むしろプリミティヴな形式を墨守することで、単純な形式・冗長性・旋律美というものが上手く融合することが出来た。たまたまであるにせよ。

 同じブルックナーでも、7番以降の各曲は、もっと音楽的だと思うのです。冗長性と旋律美 - ブルックナーの場合は旋律美ではないけれど - の融合がある。頭でっかちに無理矢理作ったのではない、自然な音楽的美しさが相応にある。けれど4番は......
 まぁ、また機会があれば、試してみてもいいけれど、当分は聞かなくていいや、と改めてよく分かったのでした。


 よく「ロマンティック」はブルックナー入門にいい、なんて話がありますが、とんでもないと思います。比較的短いから、なんて話もありますが、どうせ長いんだから、4番よりは8番や9番の方が最初に聞くにはいいんじゃないかと思います。少なくともヘンな思い入れの無い人にとっては、4番あたりで頭捻るよりは余程いいんじゃないかなぁ。








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最終更新日  2008年01月12日 23時57分53秒
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