
同じ沢に入っても、目の前に広がる見た目は、毎回変わる。
大水で石が動く、雪渓の残り具合は毎年変わる、鉄砲水が出たら滝場も変わるだろう。
昔は登れた滝も、今では難しくなることもあるし、逆に滝が埋まってしまうこともある。
昔描いた遡行図や記録は、2025年の入渓には全く役に立たないこともあるかもしれない。
沢とはそういうものだと捉えることにする。記録が役に立たなくなったことを嘆くのではなく、新たな視点で、同じ沢に入渓できることを喜びとしたい。
(゚∀゚)
山行歴が長くなると、登山とか入渓をしなくても、その山や沢の雰囲気が想像できるようになる。アプローチの長さとか入った後の困難さとかがイメージできてしまう。
かつて経験した辛いことを思い出す。山行で記憶に残っているのは、辛かったことばかり。なので、会山行に躊躇する自分がいる。
行けば辛いことが待っていることが100%分かっているから。登頂や完登が、その辛さを全て吹き飛ばしてくれるなら、率先して参加する原動力にもなるのだが。
そうもいかないのが山なのだ。達成感は一瞬。その後の帰りの歩きは長い。装備の片付けも大変だ。そういう未来のことをずーっと思い浮かべてしまうと、うわ面倒!と思ってしまう。
歴の長い山屋の弊害だ。ならば、新しいことをしてみますか。それがベアフットランニングとかベアフットトレランという活動につながっている。
やまやろうは、江戸時代の人の歩き方、走り方が気になる。それができたら、登山で長時間疲れずに歩き続けられるのではないかと考えている。
フェイスブックのリールで、そんな活動を実践している方の動画を見た。これだ。こんなことをやってみたいと思った。
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