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ハーバード経済日誌 (その3)「新学期」ハーバードの教授法(その1) ハーバード、エールなど米国東部の伝統ある名門私立大学八校を、ツタのからんだ古い伝統ある校舎の意から「アイビーカッレジ」、そのスポーツ連盟を「アイビーリーグ」という。ただ一口にアイビーカレッジといっても、その校風や教授法は全く異なるというのがもっぱらの評判だ。私はハーバードの校風しか分からないが、次のようなたとえ話がある。プリンストンでは、教授たちは君たち学生にどこにスイミングプールがあり、どうやって泳ぐかを教えてくれる。エールでは、君たちをプールに突き落とし、君たちが泳ぐのを監視するだろう。ではハーバードではどうか。教授たちは君たちが泳ごうが沈もうが全く気にしないのさ。 ちょっと極端な話のような気がするが、それでも少なくともハーバードの校風はよくたとえられている。当然のことだが、勉強するしないはすべて自分の責任である。クラスの討論に参加するしないも個々人の自発性に委ねられる。ただコースによっては、討論に参加するクラスパーティシペーションがそのまま成績になるような授業もあるから、うかうかしていられない。しかも討論に参加するには大量なリーディングの宿題をこなさなくてはならない。 もっとも最近は自由放任の校風も少し変わってきたのかもしれない。又聞きなので確証のある話ではないが、一昔前、ハーバードビジネススクールであまりにも厳しい勉強と学生間の競争で自殺者が出たため、果たして学生を死に追い詰めるようなシステムを教育といえるのかという議論が起き、もっと学生の面倒を見るようにした、という話だ。つまり、沈みそうな人は助けよう、ということだろう。 私の在籍したケネディー行政大学院も心のケアーを含めた学生のためのサービスは充実していた。たとえば、単位を落として落第しそうな学生がいると分かると、カウンセラーが担当の教授にその学生が何をすれば単位を落とさずにすむか、ある程度、掛け合ってくれるそうだ。年に何人かはそのお世話になるらしい。幸いにも私はカウンセラーのお世話にならずにすんだが、リーディングの宿題やペーパーの作成に埋もれ、おぼれかかったことが一度ならずあったことは事実だ。
2004.10.31
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ハーバード経済日誌 その2エール大学 vs ハーバード大学 審判が試合終了の合図をすると、大歓声とともに観客がスタンドからグランドになだれ込む。もみくちゃになる深紅色のジャージーを着た選手たち。グランドのあちこちで「勝ったぞ」の声ー。まるでサッカーのワールドカップで優勝したような騒ぎだが、これは毎年11月恒例のハーバード大学とエール大学との間で行われるアメリカンフットボールの試合終了場面だ。日本でいえば野球の早慶戦みたいなものだろうか、学生だけでなく普段はスポーツなどとは縁遠いような教授もスタジアムに駆けつけて熱狂する。ハーバードからみれば「あの宿敵エールをやっつけろ」というわけだ。それほど両校は強いライバル意識を持っている。 このライバル意識はもちろんスポーツに限ったことではない。ハーバードで生活しているとむしろ日常会話の端々にも現れるから面白い。NBCやCBSの元記者でハーバード大学教授のマービン・カルブが授業中、ある人物の話になったときに「あいつはあの下の方(Down there)の出身だからな」と床の方をさして軽蔑したように言い放ったことがあった。我々がきょとんとしていると、間髪置かず「エール出身だよ。あの下の方のな」と再び床を指さした。確かにマサチューセッツ州にあるハーバードからみればコネチカット州のエール大学は下(南)の方ということになるのだが、わざわざ「下」を強調するところが、ライバル意識をよく表している。 エールではハーバードのことを何と言っているのか。まさか上の方(Up there)と言わないことだけは確かだが、その一端を知る機会が間もなく訪れた。ハーバードを卒業後、ワシントンDCのあるパーティーで自己紹介をしたところ、一人の米国人が私に歩み寄って来るなり「お前はハーバードを出たのか。あんなひどい大学でよく勉強できたな。信じられない」とハーバード批判を始めた。私が呆気にとられていると、その米国人は「実は俺はエールの出身なんだ」と打ち明けた。 もちろん誤解されることの無いように念を押すが、両校がお互い悪口を言うのは、ライバルと認めていることの裏返しのようなもので悪意や本当の軽蔑があるわけではない。お互い高いレベルで競い合い、切磋琢磨していこうとの意識がある。ところで、冒頭の私が見た試合、ハーバードが追撃するエールを振り切り26対21で辛勝した。この結果、ハーバードはアイビーリーグ8校中7位の2勝5敗、エールは最下位の1勝6敗となった。 何のことはない。ことスポーツに関しては、かなり低レベルの競り合いといえそうだ。
2004.10.30
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ハーバード経済日誌(その一)「冬」暗い感謝祭 ハーバードの学生生活は素晴らしい。おそらく経験しただれもが「もう一度来たい」と思うのではないか、ただしもう一つ付け加えるとしたら「あの冬だけはごめんだけどね」となるかもしれない。確かにボストンの冬は厳しい。その冬の厳しさと、勉強の厳しさが重なって精神的に参ることもある。ルービン米財務長官(当時)が九六年冬、ハーバードに講演に来たときも「ここに来ると学生時代の冬の重苦しさ、特に11月末のサンクスギビング(感謝祭)の時のペーパーの締め切りに追われた、ずっしりとした暗い気持ちを思い出すよ」と言って、学生たちを笑わせた。それほどハーバードの冬は学生にとって寒さと勉強の忙しさが身にこたえる。そういう暗い気持ちを吹き飛ばしてくれるのが、友人のジョークだ。感謝祭の休暇が終わり、私が宿題や期末試験の準備に忙殺されカフェテラスで落ち込んで(少なくとも周りからはそう見えたらしい)いると、国連から一年間ハーバード大学に勉強に来ているシンガポールのクラスメートがやって来て、「元気を出せよ」とばかりにとっておきのジョークを披露してくれた。以下、そのジョークを紹介する。(ジョーク1) ハーバードでも非常に有名なX教授がいて、学生たちは皆、その名物教授の授業を受けたがる。ところがそのX教授は気難しいのが難点で、ちょっとでも宿題を忘れていたり、予習を十分にやっていない学生がいると、授業を打ちきりにするという評判だ。学生たちはX教授にその素晴らしい授業をちゃんとやってもらえるか気が気でない。X教授の授業の初日、もちろん学生たちは大量の宿題や予習を授業の前までに必死に終わらせていた。 張りつめた雰囲気の中、X教授が教室に入ってきた。X教授はいきなり学生に聞いた。 「皆、今日の授業のための予習をちゃんとやってきたかな?」 「もちろんやってきました。教授」と学生たちは即座に答えた。 「すると今日授業でやることはクラスの全員が理解したと考えてよろしいかな?」とX教授。 「そうです。ちゃんと予習をやっていますのでクラスの全員が理解しています」と学生たちは声をそろえて答えた。 それを聞いたX教授は「では私が教える必要はない」と言ってさっさと教室から出て行ってしまった。二日後、再びX教授の授業の日がやってきた。気難しいX教授が教室に入って来るや、学生たちに緊張が走った。案の定、X教授は「皆ちゃんと予習をやって理解したかな?」と聞いてきた。 前回、皆が理解したと答えてしまったため授業を受けられなかった学生たちは今度は「いいえ教授、予習はしましたが、よく理解できませんでした」と答えた。それを聞いたX教授は急に不機嫌になり「予習をしても分からないようなら、君たちには私の授業を受ける資格がない」と言って、怒って教室を出て行ってしまった。 三回目の授業の日がやってきた。X教授は同じ質問をした。何とかX教授に授業をしてもらいたい学生たちは策略を巡らし、クラスの半分が理解したが、残りの半分は理解できなかったと答えた。 するとX教授は次のように言い残して教室を出て行った。 「ではクラスの半分が残りの半分に教えるように」(ジョーク2)試験前の最後の授業。学生たちは何とか試験の傾向をつかまえようと目が血走り、Y教授の言うことを一言一句漏らすまいと意気込んでいた。そこへ意地の悪いY教授がニコニコしながらやって来て、みんなにこう告げた。 「よい話と悪い話がある。よい話とは今日で授業も終わりで、もう君たちはつらい予習や宿題をしなくても済むということだ」 Y教授はここで一呼吸置いて続けた。 「悪い話とは、みなさんには悪いが今まで教えたことの半分は間違いだったことだ」 驚き、ざわめき立つ学生を後目にY教授はさらに続けた。 「もっと悪いことに、どの半分が間違っているか分からないのだ。では、試験での健闘を祈る」
2004.10.29
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