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数年前、団地の行事のために有志でトン汁を作ることになった。まな板や包丁を各自で持って行ったのだが、その時、「この包丁は切れない!!」と言われたのが我が家の包丁であったのだ。切れない包丁は主婦の恥・・・かも(ーー;)で、奮発して1万3000円の包丁を買ったのだった。小さな包丁専門店。店のご主人が年に一度は研ぎに出したらいいよって言ってくださった。今年も持って行ったら、御主人は今年の6月にがんで亡くなられたとのこと。ビックリしてしまった。奥様が預かって研いで下さった。 なんだか忙しい。ウツウツしている場合じゃない。力がでてきた。良かった。クリスチャンは元号は使っちゃいけないの?そんなこと考えもしなかったのだが、元号は天皇に関係するから使わないって・・・・。そなの??
2015年10月30日
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しかし今から後、人の子は、神の大能の右の座に着きます ルカの福音書22章54節~71節神の大能の右の座に着きます。とは分かったような気持ちになるけど、それでいいのかな。聖書って分かったような気になるけど本当は何にも分かってないと思ったりする。体調が良かったり悪かったり。風邪気味のようであり葛根湯のドリンクが効くというので飲んでみたけれどその日は頑張れたのだけど翌日から寒気がしている。精神的ストレスが原因でもあると思う。うーん。なんとかしたい。ウツウツ状態から脱したい。何か転機になることが欲しい。昨日は高揚した気分で今日は無気力になる・・・こんな繰り返しが一カ月も続いている。なんとかせねば。なんとかなっていくだろう。写真の整理をはじめて一週間。子供たちの写真はなかなか捨てられない。自分のものはバッサバッサと捨てる。子供たちの卒業証書や賞状や絵や作文などなどはまだ残しておこう。お宮参りで着た手作りのおくるみや靴下など懐かしい。思い出って何なんだろう?パートから帰ってきて・・・・仕事があるのは助かる。すこし気持ちが楽になったような気がする。
2015年10月26日
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ルカの福音書22章1節~13節 さて、12弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った 彼らが出かけて見ると、イエスの言われたとおりであった。 それで、彼らは過ぎ越しの食事の用意をした
2015年10月22日
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どうなっていくのか・・・・。https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=cMsZAErCE9g
2015年10月22日
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自分の言葉で考えている若者たち。この若者たちが安心して暮らしていける社会を。https://www.youtube.com/watch?v=gkTsV5XEbp0&feature=player_embeddedあわせて10月19日(月)放送http://www.tbsradio.jp/ss954/podcast/
2015年10月20日
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人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。 しばらく聖書を開いていなかった。これでは通読とは言えないなぁ。このところエレミヤ書がつづいていたが昨日の33章でいったん終わり今日からルカの福音書エレミヤ書は52章まであるから来週からまたエレミヤ書になるのだろう・・・かな?。ルカ21章5節から36節。脚注に終末に対する心構えを正し、教えるためのもので、終末に至るまでの歴史の予告や予報ではない。したがって、ここでの預言の内容は、慰めと励ましと約束、肉の思いへの警告である。とある。歴史がはじまって以来ずっと戦争や災害があった。なにも現代が終末の様相をしているのではないんだね。イエスさまの長いお話しの章である。 黄色いバラたちコキア(日本ではほうき草と言って昔からの箒の材料)17日、夕飯の支度をしていたらドドーンと大きな音がして、台所の窓から大きな花火が見えた。もう秋なのに。江ノ島の花火大会だ。そういえば8月に台風の影響で波が荒くて花火大会が中止になった。その振替なのかな。夏の花火より色鮮やかにみえる。輪郭もくっきりと見える。夏より秋のほうが空気が澄んでいるからなのかなぁ・・・などと思ってみていた。最後は建物が震えるほどの大きな音とたくさんの花火が上がって夜空を彩った。
2015年10月20日
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あなたが虚しく生きた今日は昨日死んでいった人が、あれほど生きたいと願った明日。この言葉を見たのはもう10年ほど前のブログが盛んな頃だった。ある方のブログのトップに横書きではなく縦書きでこの言葉がUPされていた。ブログ主は障害を持っている人だった。ふと思い出して、この言葉で検索してみた。まだブログを続けておられるのだろうかと。見つからなかった。この言葉は韓国の「カシコギ」という小説(実話)の中で語られたらしいということは分かった。 3連休にバラ園に行った。ピンボケばかりだけど記録として残すのだからいいとしよう。今日はSさんに手紙を出した。いろいろ考えて思い悩んで2時間半もかかって、たったの便箋4枚だった。文章力のなさと語彙のなさと信仰のなさに情けなくなる。けっきょく祈りによって耐える力が与えられるのではないかと書く。
2015年10月14日
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祈りについての放送を聞いていて今の私にとても必要だと思ったので放送を何度も再生しながら書きとめた。すべてではない。パウロは12章の終りに「あなたがたは、さらに大いなる賜物を熱心にもとめなさい」と言うのです。さらに大いなる賜物とは何だ。そしてこの13章でまことに美しいことばを語るのです。主の祈りをお教えになったのあとで、まるで今お教えになったことをなぞるようにしてただ一つだけ強調されたことがあります。それは本当に兄弟を許すことがなければ貴方がたの罪は許されないということです。、われらに罪を犯す者を我らが許すごとく ・・・この祈りを主イエスは強調されました。御国の到来を待ち続けるその祈りに合わせて兄弟を許すことができる愛に生きられるように。。愛はなによりも許しでしょう。そして人を許すということは祈らなければ不可能なことです。そういう祈りおいて初めてこの祈りを・・・・そう言って間違いないと思います。御国の到来を待ち望むその祈りに於いて初めて兄弟愛が現実になります。その愛の特質を語っているのがこのコリント人への手紙の13章4節以下です。一通の手紙から愛という言葉をわたしに置き換えてみる。私は寛容であるとは書けないのです。僕は寛容ではない。僕は不作法をしいつもイライラし恨みを抱き続け、僕は情け深くはない、たねたむことをし、高ぶっており、誇っており、自分の利益を求めてしまう。いつもイライラし、恨みをいだきつづけ、、不義を喜んでしまい、真理を喜ぶことが出来なくなり、そして全てを忍ぶことも、信じることも望むことも耐えることも出来ない。およそそういう意味の文章が書かれていました。それを覚えているのはその手紙を書いた人の気持ちが良く分かったからなのだと思います。実際、この愛を私の愛と置き換えてみてすらっと読めるか・・・・・・。朝生活を始めるときしてみるのです。今日一日私の愛は寛容でありますように、情け深くねたむことをしない高ぶらず誇らない愛でありますように。祈りにくくなってしまうかもしれません。心細くなってしまう。まして夜、祈ろうとするときにもう一度このみことばを開いて今日一日わたしの愛は寛容でありました。私の愛は情け深くありました。ねたむことも高ぶることも誇ることはありませんでした。朝の祈りを思い出してみてそう祈れるかというのです。持ち主は誰だったかもしらないのですが、その人の心を良く理解することが出来るのです。そこまでは誠実な人間なら分かることなのです。私の愛は寛容だとは言えない、情け深いと言えない、しかし問題はそこから先です。自分の愛の情けないことにに失望し絶望しつぶやく おれはどうせこんな人間なんだと。聖書の言葉その光に照らし出されたらみっともなくて仕方ない。それは劣等感の塊になって身を小さくして。誠実であればあるほど劣等感の塊になってしまい。身を小さくしてどこかにうづくまっている。それなら何にも出来ません。動き出すことができないのです。そして、そこに祈りがありません。パウロはここで私たちを閉口させようと思ってこう言葉を書いているのではありません。そうではなくて私たちに与えられる霊の賜物としての愛の素晴らしさを語っているのです。寛容な愛を情け深い愛を妬むことをしない愛を高ぶらず誇らない愛を、不作法をしない愛を。神よ、どうぞあなたの賜物として今日与えてくださいと祈るのです。そして一日過ぎたとき、振り返ってみて私のような者でもあの時あそこでができた。それを、神さまは豊かな賜物を与えてくださったと。神さまに向かって誇るのではなくて、神さまが豊かな賜物を与えてくださいましと感謝の祈りをすることが出来るのです。この愛の賛歌はそういう意味では、私たちを愛なき自分を絶望してしまうももういやになって投げ捨ててしまう心に導くのではなくてそういう意味では私たちは絶望するような道に導くのではなくて、本当に真剣に神さまからの賜物としての愛を求める祈りとして導いてくれる。引き立たせてくれる、そういう祈りであると私は思う。その意味ではこの愛の賛歌は祈りを教え、祈りに導くもので祈りなくしては読めないものだと思います。もう一度聴こうとしたけどもう聴けなくなっていた。あしたから、朝の祈りにしようと思う。希望をもって。
2015年10月09日
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夕暮れ通りかかったお家に秋明菊が咲いているので周りを見たら誰もいないので、こっそり撮らせてもらった。 そしたら後ろから「何を撮ったの」と声をかけられてビックリしてしまった。お家の方が後ろにいらした!!ごめんなさい、秋明菊が好きなので・・と言ったら「まぁ、それはそれは。お花も撮ってもらって嬉しがっていますよ。この夏は暑くて元気がないんですよ。撮ってくれてありがとう」って仰ってくださったので、ホッとした。先日、SさんとYさんと久しぶりにランチをした。お二人にクリスチャン新聞をさしあげた。帰り際にSさんが新聞の見出しにある「神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません」という御ことばに目をとめて、これは本当なのかと聞いてこられた。私は「聖書にそう書いてあるの」と。そんな言葉しか出てこなくて。馬鹿だな。私って。しっかりと彼女の質問に答えたい。でも、どういえばいいのか分からない。手紙を書くのがいいのだろうか。11月号のクリスチャン新聞と一緒に送るのがいいか。どうしよう。神さま、いちばんよい時とよい方法をください。Sさんは昨日から新しい抗がん剤治療に入った。副作用が少ないように。髪の毛が抜け落ちても気持ちをしっかりもてますように。Sさんも秋明菊が好きって言ってた。頑張って。
2015年10月07日
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