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出雲系の神さまの頂点に立たれる、 須佐ノ男尊さま は、京都の八坂神社にお祭りされています。
皆が拝む神社の拝殿の上には、上の写真のように青龍が飾られています。
須佐ノ男尊さまは天上界の神さまですから確かに龍神でもあられます。
そして、高天ヶ原系の天照大尊(あまてらすおおみこと。天照大神様の父神様)さまの弟君であられます。
この神さまも、人間界でお生まれになって修行をされています。
須佐ノ男尊さまについて、勤めていた神社の宮司さまから、伺ったことを紹介いたしましょう。
尊は、紀元267年ころに中国の大興安嶺の近くのハルピン側の部族で、精錬技術にすぐれた騎馬民族の長の子としてお生まれになられました。
尊が16歳のときに親から、150名の若い家臣をもらいうけ、弟のイワタケ命さまとともに東方に新天地を求めて、朝鮮半島に向かって進まれました。
当時の騎馬民族は、馬を使って自由に移動し、農耕ではなくいろんな民族と交易することによって、経済的にも文化的にも発展してきた民族ですから、新天地の開発にはきわめて熱心だったのです。
尊の一行は、小倉、門司と、先住民族と戦いながら本州に渡り、出雲地方に向かわれ、島根県の斐伊川の支流の近くに着かれました。
150人居た総勢は海での遭難や病気、戦闘で30人ぐらいになったそうです。
山陰地方は良質な砂鉄の産地として知られています。
その為、この地域には尊が入る以前から、朝鮮半島の東南部から出雲へと入り込んだ、 オロチョン族 が、八つの集落を形成し、確固たる勢力を持っていました。
高度な精錬技術をもっていたオロチョン族にとっては、ここは勢力を伸ばす絶好の土地だったのです。オロチョン族はその勢力をたてにして悪行もしていたそうです。
あるとき、オロチョン族と古くから住む土着の豪族との間で紛争が起きます。
そこへ尊が介入され、その一族の力を発揮されて、出雲の拠点となった八つの谷で確固たる基盤をもっていたオロチョン族を征服してしまったのです。
これが、 八岐大蛇(やまたのおろち)を退治する話 として残されているものなのです。
八岐大蛇の腹は、いつも赤い血でただれていたというのは、鉄のサビが谷川に流れ出ていたことを示し、赤い目をしているというのは、製鉄中の野ダタラの火が赤く燃えていたことを示しています。
草薙(くさなぎ)の剣
その剣は大和三山を司る豪族の息子がオロチョン族の王家に養子に来たときに与えられたもので、この剣を手に入れたということは、この地方の鉄の生産あるいは、精錬技術体制が尊たち一族の手に移ったということを意味します。
また、尊と出雲の土着豪族の長の娘・ 奇稲田姫 との結婚は、出雲地方における尊の存在が、出雲全体に認められ、古来からあった朝鮮半島と出雲の海上による交易の利権をもその手中に収めることになったのです。
これは、尊が28歳から、32歳までの出来事だそうです。
そして、出雲一体の統治を、娘婿である大国主命にお任せになり、ご自身は中国地方、さらには九州への大進行を始められたのです。
出雲には、須佐ノ男尊さまがお祭りしてある神社はごくわずかです。だからこそ、尊は外来の神であるといわれています。
出雲においては、戦争によって民衆から敬まれるというより、恐れられたのかもしれません。
その為、尊が九州へ進行されてから、出雲の国づくりを見事に完成された大国主命が、出雲の祭神として、まつられたのは当然なのかもしれませんね。
今日はこの辺で。![]()
弟橘媛命と高天原系の神 2007.06.16 コメント(2)
鞍馬寺へお福を授かりに 2007.06.06 コメント(4)