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レッズサポの大挙来神に対抗すべくかみさんを誘ってホムスタへ。(実は かみさんは ヴィッセルサポですが何故か高原ファンでレッズ戦はかならず参戦します)結果は3-2まあ 審判については色々ありまた かみさんも曰く「レッズの選手、うまい こけかたするね」等ありそうそう 3番細貝君えーかげんにせいよそんなに寝てるのが好きなら ピッチの外にいきなさい(レッズサポさん ごめん でも あれ ひどくない?)しかし 勝利!第一の殊勲は この人そして 勝利の「神戸讃歌」久しぶりのホムスタでの勝利の讃歌でしたのでいつから こうなったか知らないのですが・・・泣けました。勝利の神戸讃歌を ヴィッセル戦士たちが 並んで 肩を組みながら 聞いてくれています。あるいは トモニ歌っているのかも。「ともに傷つき ともに立ち上がり」ウ゛ィッセルが神戸にあること そして ウ゛ィッセルサポであることがこんなに嬉しい晩は ありませんでした。 ミサキガーデンで お知りあいと祝杯と意気込みましたが人出が多く お会いできず残念(スタジアムでは 御挨拶しましたがmumumuさん ぬすおさんご夫妻 そして ひさしぶりにプラティさんと)外で待っていたかみさんに言ったら「みんなに会えると思って行って誰にも会えなくて『モンク』さんみたいだね」とモンクとは衛星放送の海外探偵ドラマですがこの件は またともかく これでヴィッセルは10位!<ほんまACLいけんでええからJ2だけはいかんといてくれ>と 会社の同僚と言い合ったのが 嘘のようです。来週は ガンバ戦です。万博で 神戸讃歌を!
2009.08.29
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レッズアーミーをホームに迎えるヴィッセル。 ここのところの戦いの いい感じ、持ち直した自信と 勢いで 返り討ちできれば・・・ あるいは 堅守で引き分けにもちこみたい・・ しかし ホームでは勿論 アウェイでも レッズサポーターは手強い。いや まさしく脅威。 (埼玉のスタジアムに行って あの軍団のように統率とれた しかも自然に 好プレーに間髪入れずわき起こる拍手、小さな女の子までサッカーがよーくわかっていて一生懸命 かつ勘所で手をたたき 「トゥーリオー がんばったね。ちゃんと止めたね」とお父さんに言う!おそろしさ・・・ 地鳴りのような喚声、あるいはレッズサポのレッズ選手へのブーイングですら びびりました)。 アウェイサポ席の売れ行きもいいようで・・・ だからこそ あすは トモニイコウ!です。
2009.08.28
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昨日の伏見城下大名屋敷跡をめぐる歴史ウォークの続き伏見桃山城跡についてからのつづきからです模造天守閣を後にして・・・治部池 石田治部少輔つまり石田三成の屋敷跡へ奥にちらりと水面が見えるでしょうかけっこう広い池です ここも御陵地区なので柵があって近づけません池から一段も二段も上がったところに屋敷があって 本丸を守るための砦のような位置にあります(石田治部郭 と残った地図に書かれています)そのトイメンが 家康の屋敷だったらしく(後で四男が住む)家康屋敷跡を いったん茂みから出て西側の住宅地から見ると・・このあたり 新しい高級住宅が多く・・・講師の先生が 「四〇〇年前の高級住宅地(政府高官の屋敷地)にようこそ」と言って笑いをとっていました。関ヶ原で激突する二人が 屋敷が隣同士(双方とも重臣だったから本丸近くにいて、屋敷が隣り合っていて当然でしょうが)まさしく「夏草や つわものどもが夢のあと」というのだろうか?? 芭蕉の句の本来の意味とは 違うかもしれませんが夏草が繁茂する屋敷跡 あとかたもなく山林と化したあとお隣さん同士のその林と草の土地をみていると・・・桃畑?や水田になり いまは新興高級住宅地(外車がガレージで芦屋や御影の山手みたいな)となる有為転変さて かつての大手通?である一本道の坂道を下り伏見の市街地へ向かえば こちらは毛利屋敷跡付近いよいよゴール近く 名水でも知られる御香の宮御香の宮に残る豊臣秀次の紋入り瓦秀次は秀吉の甥で 秀頼が生まれた後 いろいろあって切腹させられますねこの伏見城下に屋敷が当然あったわけで その遺物ですが ただ出土地は分かっていないようです秀吉は伏見に大名を住まわせただけでなく もちろん妻子も住まわせ(少なくとも奥方を)かつ 大名が国許に帰るのをかなり規制して家康ですら江戸に帰るのは60日間だけしか許されなかった(60日後には伏見に戻る)とか 伊達政宗は警戒されたのか秀吉存命中どうも領国に帰っていないらしい とか。ここ伏見に 後世にも知られる大名、武将たちが集まり 家臣たちも往来しあれこれ策謀し あるときは屋敷にこもって武装し 策謀し秀吉晩年から関ヶ原までの数年間 政治ドラマの舞台だったと想像すると山林と住宅地がまた ちがって見えませんか?というのが講師の先生そうそう そもそも秀吉さんは伏見城で逝去しているのでした(これ 意外・・辞世の句が「なにわのことは 夢のまたゆめ」というから 何となく大坂城のイメージです)家康の手をにぎり「秀頼を頼む」といったのも伏見城そのあと 清正と三成が不和になり 三成がこもったのが先ほどの治部池のあった屋敷跡敵である家康のふところに飛び込んだというのは伝承で、家康の隣の屋敷だったから後世そういう伝承がでてきたのではとの推測もされるということですウォークの最後は松平筑前公園前田利家の息子の屋敷 多分 「利家とまつ」も住んでいたはずだそうですこういうところに 石碑でもあると歴史を偲ぶことが出来て地域の活性化にもなると思うのですが とは講師の先生なお 伏見城は何度か天守が立て替えられていて2回目の天守は 慶長伏見の大地震で倒壊とか(歌舞伎の『地震加藤』で 清正が秀吉を助ける話があるそうです)有名な大名こそ亡くなりませんでしたが 大変な地震で死者も多く、前田利家父子は 倒壊した屋敷からはい出て とうやく出会えて 互いの無事を喜び 二人で泣いて抱き合った という記録があるそうでその現場もこのあたりだろうと・・・ (言い忘れました 講師は中村武生先生今の寺田屋は再建だとはっきり書いて色々言われました とのことです。)なお 肝心の直江兼続ですが 主君の上杉景勝にちなんだ景勝橋というのが かなり西にありますが 中村先生に言わせると豊臣の五大老をした上杉が あんなに城から離れて屋敷をもっていた筈はないのではと下屋敷の後か何かで地名が残ったので、上屋敷は前田の屋敷のあったこの一帯のどこかではないかと・・ただの山林、市街地、公園も 歴史のフィルターをかけると また違った貌が暑かったですが 楽しい半日ウォーク帰りは 焼きにしんとビールに 鶏なんばうどん食べて帰りましたところで メニューに「たぬきうどん」があったので 東京風に天かすをかけてあるのかと 聞きましたら きつねのあんかけ だそうで・・・そういえば京都のたぬきは きつねが化ける と聞いたこともあり
2009.08.23
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「天下の名参謀・直江兼続ゆかりの地!伏見城下町を探訪する」という歴史ウォークに参加しました。JRで京都まで 奈良線に乗り換え JR藤森駅下車藤森神社集合 名水をペットボトルに入れて・・伏見街道を歩くと高さ10メートルはある土塁跡が 住宅のあちこちにでも 言われないと まず分かりません伏見城は秀吉が建設して、城下に大名を住まわせた いわば当時の首都だったという先生の解説です。秀吉晩年から 関ヶ原まではここを舞台に さまざまな駆け引きがされ歴史のドラマになったと。いまの大河ドラマも いよいよ権謀術数のドラマは伏見が舞台たしかに 何となく京都か大坂かなあと思っていましたがそれは伏見城の城下だったと知りました。大名屋敷の跡が あちこちにあってこちら海宝寺は伊達政宗の屋敷跡の一部だったそうです伊達政宗ゆかりの仙台市が作ったパネルが境内にありました。このあたりを伊達町といいいまも正宗(政宗ではない)町といいます。三代将軍家光のときまで伏見城は存在していて、征夷大将軍の位を受ける儀式も伏見城で行ったそうです。(大阪城は秀頼がいて、家康は伏見城。家康は秀頼の大坂に対抗するため秀吉が作った武家政権の首都「伏見」の威光を利用した という説明)その後 廃城になり 大名屋敷もなくなり田畑へところが 大名屋敷のまま地名が残ったそうです最上、毛利長門、島津など いまでも町名で残っていました。下の交差点は 伊達街道の辻で、交差点の名前が「長岡越中」ガラシャ夫人で知られる細川家が当時 そういう官職名だったので長岡越中屋敷跡のまま 地名がそうなって400年経ち・・・なお 辻の右が伊達政宗、(右奥は最上屋敷で政宗の母親の実家 大河ドラマでは岩下志麻さんが演じて 我が子を毒殺しようとします)左手前(線路側)が山内一豊の屋敷だったので「大河ドラマの辻ですね」と講師の先生。暑い中を登っていくと いよいよ伏見城本丸へいまは 公園となっていて その名も北堀こちらは むかしキャッスルランドといっていたとき(近鉄さんが経営?)に建てた伏見城天守閣でも 正確な復元ではなく 姫路城?か彦根城と犬山城を参考にしたのだそうですでも こういう天守閣があるので やはり雰囲気が出ます。本当の本丸跡は 明治天皇さんの陵墓・桃山御陵の一部になっているので一般には立ち入り禁止とか。ただ 明治に御陵になったので 開発をまぬがれて遺構が保存された面もあり 一方発掘調査が進まない面もありと(それにしても 明治天皇さん 伏見の このあたりがお墓なのですね・・・皇后さんも 同じようにこの伏見が御陵地なのだそうです。大昔のJR 当時の省線 後の国鉄は 参拝のためにも「桃山」駅を作ったのだそうで)
2009.08.22
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勝ちましたね!何試合ぶりでしょう。チーム三浦の初勝利。しかも完封。これを 追い風に 8月反攻開始し 秋季大反攻へ。
2009.08.21
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思い立って 大文字の送り火に行ってみました。京都在住の同僚に よく見える場所をきいて・・・それほど人混みもなく川の堤防に立つと「妙」「法」も見えてそのまま 北へ歩くと 家の間から「左大文字」北山通りをすぎて行くと目のいいかみさんは「舟形」を木々の間から発見なんとなく 得した気分で北山通りの おでん屋さんで鶏ガラスープで炊いたおでんを食べて帰りました地下鉄駅のポスター
2009.08.16
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「火垂るの墓を歩く会」の催しに参加しました阪神間が舞台で、野坂昭如氏は東灘での被災と知ってはいたので いつか機会があればと考えていました。阪神御影駅集合 石屋川 そして JR六甲道まで2時間ほど阪神御影駅を降りて線路沿いにテレビや新聞で見たことある震災モニュメントのひとつ震災観音さんの壁画が いきなり空襲による戦災被災地と 震災の被災地が重なっているのだなと石屋川から 御影公会堂を望む焼け出された主人公と妹は 家族と落ち合うためかねて集合場所と決めていた公会堂近くの二本松に向かいますいまは、二本松はありませんがその場所と考えられる場所に碑が建っています。(知らなかった)震災の後に ここらが防災公園として(地下に貯水槽あり)整備されその時 建てられたそうです。参加しているお子さんは、主人公の妹が1歳半という設定でしたから その世代よりもう少し大きいくらいでほぼ同世代子どもさんに「生きてて良かったね」というお母さんもアニメは出来るだけ当時の風景を忠実に再現するように描かれているそうでアニメの絵を何枚か出してガイドしてもらいましたこの絵と 2枚目の公園の碑からの写真を見比べてください・・と 書いて、今気づきましたが碑の場所ではないのかな?(碑の場所は3枚目)・・ま、基本は実体験をもとにした小説ですから案内の方が、御影公会堂は 阪神風水害、戦災、そして阪神淡路大震災の三つの災厄を生き残ったわけで地元の人にとっては大切な思い出の建物取り壊しの話もあったが(もとは県や市の建物でなく加納さんというお金持ちが寄付した建物だそうです)やはり 今まで残した。ここで 結婚式をした人も多く、このウォークの参加者にもいらした 等。このウォーク平成10年にはじまったそうで当時は まさしく震災の傷跡が この界隈にも多くて 更地が多かったと言うお話きっと 歩く人たちも どこか 戦災後のこの地とダブらせて歩いていたのでは・・・この後、野坂昭如さんの住んでいたと思われる場所から、野坂さんが当時通っていた盛徳小学校へ~小説「火垂るの墓」では主人公兄妹は 大火傷を負って重傷の母親と(盛徳小学校と考えられる)国民学校で再会します その盛徳小学校にも震災モニュメントがあって 6人の児童が犠牲になったことが書かれていました。
2009.08.08
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背水の陣で、(生え抜きの)和田監督で とことん行く覚悟・・・と思っていましたが・・・三浦監督に交替。いい方向に向けばいいですけれど。なんだか いつもこうしてゴタゴタしているのが ヴィッセルのお家芸みたいに言われるのは もとより心外ですしそうならなければイイに決まってます。が・・・。(・・・かつてのタイガースみたいに)それにしても なーんで松田さんを更迭したのか、今となっては さっぱり分からなくなっています。今日の神戸新聞には 安達社長は「辞める覚悟で決意」の見出し。「うまくいかなかったら、わたしも辞めるという覚悟でないと この仕事は務まらない」と語ったそうです。でも・・松田さん更迭して オイルマネーに目が眩んだ魔法の王子カイオを呼んできた決定は 辞めること 辞任に値しないのでしょうか・・・安達さんも 責任を感じて テコ入れを考え 後半戦を持ち直していこうと 大変なのだろけれど。和田監督を盛り立てていこうと思っていた矢先ですが、和田さんはヘッドコーチであるし・・・三浦ヴィッセルが堅守速攻の持ち味活かして、10位以上に食い込めれば 目出度し目出度し! と。まずは 15日の広島戦!勝利を!
2009.08.07
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