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相場における基本とはなんだろうか。新聞を読むこと。チャートを見ること。情報を集めること。四季報を見ること。セミナーなどに参加すること。まあ普通の投資家に質問すればこんな答えが返ってくるだろう。しかしこの答えでは合格点をやることはできない。以前にも書いたことだが、プレイヤーになるつもりなのか評論家になるつもりなのかということを書いた。評論家になるつもりならこの答えでもよいだろう。しかしプレイヤーになるつもりなら的外れもよいところである。大衆は投資家ではなくただの評論家になっている。では私が考える基本とは。その前に自動車の基本とは何か分かるだろうか。それは走る曲がる止まるである。この基本を無視していかに豪華な装備をつけようが、いくらハイテク技術を駆使しようが、あるいはハイブリッドだろうとなんの価値もないのである。以上のことを考えたら、相場の基本はおのずと分かるはずである。これが分からないようなら、しょせんその程度のレベルでしかないということで完全無欠の大衆である。基本とはあくまでもシンプルである。そして絶対に外せないことである。続きはきが向いたらまた書くことにしよう。では、ごきげんよう。
2010年02月28日
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大衆と大衆ではない投資家、トレーダーとの違いは簡単である。それは規律を守るか守らないかの差である。そもそも大衆に規律など存在しないだろう。規律が存在しないから、ルールがあいまいで運用方針も定まっていない。その時の気まぐれで買ってみたり売ってみたりである。とにかく何かしらの理由を探して上がりそうな銘柄を気まぐれで買う。思惑がはずれたら損切りすればよいのだが、ルールも規律も持ち合わせていないものだから、ひたすら塩漬けで耐えることになる。これがもう少しましになると、損切りはするのだがルールがないために高値づかみで損切りを繰り返すというお粗末さになる。まずこの基本的な間違いに気がつかなければ、いくらやっても進歩はない。勝ち組と負け組みの差なんて本当にわずかの差でしかない。しかしそのわずかの差が、大きな差になって現れるのである。
2010年02月23日
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大衆はまわりと同じ行動をとりたがる。みんなと同じなら安心する。みんなと違う行動をとろうとすると不安になる。赤信号みんなで渡れば怖くない式である。今のように周りが総悲観状態の時は大衆もその流れに流される。そして相場の未来を予想しようとする。その考えが根本的に間違っていることに気がつかないがために、永久にスタートラインに立つことすらできない。いつも周りに振り回されて終わってしまう。たまたま予想が当たった時は儲かるが、怖いために利益の確定が早すぎて利益を伸ばせない。逆に予想がはずれた時は損失を先延ばしにするために、損失が拡大して利益を大きく上回る。結果、損大利小ということになる。大衆はこれを永久に繰り返すのである。また予想が当たるかはずれるかなどどうでもよいことを理解していない。明日以降相場が上がるか下がるかなどどうでもよいことである。というよりも、相場がどうなるかなど分からないことであるから、相場がどう動いたかによって取るべき行動が決まると知るべきである。相場の未来を正確に予想することは誰にも絶対に出来ない。相場が動く前に自分の取った行動が正しいか間違いだったかなど分かるわけがない。相場が動いてみて初めて自分の取った行動が正解か間違いかが分かる。それによってその後の対処の仕方が変わるのである。相場が動く前に相場に対して正しい行動など取れるわけもないし、分かるわけもないのである。つまり大衆は相場が動く前に相場の動きをを予想して、正しい行動を取ろうという不可能なことをやろうというのである。出来るわけがない。
2010年02月09日
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大衆から卒業するためには二段階あり、一段階目は意識改革が必要だと書いた。仮にその意識改革が出来たとすれば大衆から卒業できるのか。残念ながらそれだけでは卒業証書はもらえない。意識改革が出来た時点で実はようやくスタートラインに並んだに過ぎないのだ。それまではスタートラインにすら立てていなかったのである。ようやくスタートラインまで来た。しかしここからがまた茨の道が続くのである。ゴールは遥かかなたにある。ゴールまでの道のりは決して平坦ではない。いざスタートしてみれば苦しいことの繰り返し、山あり谷ありまともに進むことすら出来ないのが現実である。その苦しみや厳しさを乗り越えられる人はわずかしかいない。その厳しい現実を知らないか耐えられないがために、結局は大衆から抜け出すことが出来ないのが現実なのである。こつこつ地味な努力より、夢を見ているほうが誰だって楽だし楽しいのである。好き好んでわざわざ苦労する道を通るものはいないのである。スポーツでも何でも趣味でやっているほうが楽だし楽しい。プロを目指したとたん、楽しみが苦しみに変わるのである。大衆から卒業することはやはり楽じゃないのである。
2010年02月07日
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大衆が大衆から抜け出すための第一段階として意識改革が必要である。この意識改革なしに、どんな優れた手法に出会おうとも、どんなすばらしい師匠に学ぼうとも無意味と化する。しかしこの意識改革は困難極まりない。相場で損ばかりしてぜんぜん儲からないのならバカでも何かおかしいと気がつく。しかし相場は確率1/2の世界である。1/2の確率で儲かるのである。なまじ儲かるものだから、本質的な間違いに気づきにくいのである。では1/2の確率で儲かるのに、大衆と勝ち組にわかれるのはなぜなのか。それは大衆は損大利小であり、勝ち組は損小利大を実行できるからにほかならない。大衆も勝ち組もどちらも損もするし儲かりもする。大衆は感情に左右され付和雷同するために利益よりも損失が多くなってしまうのである。また大衆は利益が出たときは自分の判断や分析が正しかったからだと思っている。損失が出たときは自分の判断や分析が間違いだったと考える。そして次からは正しい判断が出来るように相場観を養おうなんて、的外れなことを考えたりするのであるしかしそれは違う。正しい判断が出来るのなら損失など出やしない。しかし勝ち組でも損ばかり出しているのである。相場に対して常に正しい判断など出来ないし存在しない。利益も損失も、ただ1/2の確率でたまたま儲かったに過ぎないことに気がついていない。したがって意識改革をすることは非情に難しいのである。
2010年02月04日
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大衆が大衆を卒業するためには二段階必要だと考えている。*一段階目*まず自分の考え方が間違っていることを認識して、自分自身が認めなければならない。これは簡単なことではない。人間は自分に甘く他人に厳しい生き物である。周囲の環境に影響を受けてしまうのである。したがって、付和雷同してしまうことになる。すると、更に勉強が必要だ努力が足りないのだと勘違いして間違った方向に進んでしまう。本を読んだり新聞を見たり、インターネットで情報交換してみたりと大忙しである。しかしその無駄な意味のない努力であっても安心できるのである。何かをやらなければ不安でしょうがないのである。だから宣伝文句に騙されて、やくにもたたない教材に大事な資金を投入したりしてしまう。リスクを犯すことは誰でも怖い。したがって何か自分が安心できるものにすがろうと安易な考えを起こしてしまう。結局大衆は自分に自信がないのだと思う。それゆえ、安易なものにすがりたがるのだろう。自分自身を納得させる材料が欲しいのである。まずはこの段階から脱皮しなければならないのだが、そうとう難しいだろう。つづく。
2010年02月03日
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