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日本古来の色を表す言葉は、あか(明し)くろ(暗し)しろ(顕し)と、あお(漠)でした。「あお」は赤・白・黒以外の色で、今日の青だけでなく緑、灰色あたりまでを広く含んだ言葉でした。七日、雪間の若菜摘み、青やかにて、…。白馬(あをうま)見にとて、里人は…。 「枕草子」第2段の、正月の趣を記述した中に「あお」が出てきます。 現代でも七草がゆを食べますが、平安時代にも雪の間から青菜を摘んで食用にする習慣があったことが窺われます。それが「若菜摘み」で、新年に若菜の生命力をいただくわけです。 「青やか」は「青菜」と同じ「緑色」です。 次の「白馬」は「あをうま(あおうま)」で、灰色に近い色の馬です。正月に青々とした馬を見る行事がありました。 「あお」は「青春」という言葉があるように、若々しい力で、その生命力にあやかろうという意味があります。
February 27, 2026
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日本の子どもの約9人に1人が、相対的な貧困にあると言われます。「2022年国民生活基礎調査の概況」(厚生労働省)のデータを見ると、調査前年の子どもの貧困率が11.5%だそうです。このデータから、9人に1人という数が出てきます。 でも、よくよくグラフを見ると、日本人全体の相対的貧困率が15.7%で、7人に1人が貧困という状態。子どものいる家庭に限った話ではありません。 子どものいる家庭に限らず、日本って貧困国なんですね。 さらに、1985年の子どもの貧困率も既に10%超えです。このころでも「ポケモンのゲームソフトを持っていないと遊びの仲間に入れない」ような格差があった気がしますが、今に比べればまだ、お金がなくても遊べる、いろいろな経験ができる時代だったのでしょう。 多摩川の河川敷で木の上に鳥の巣を発見したり、公園や神社で遊ぶことも多かったし、習い事も1~2個で、何もしていない子も多かった記憶があります。 「遊園地」といえば、ランドやシーがない代わりに、交通費もアトラクション費用も安くて済む(食事も持ち込み可で、高いお土産もない)二子玉川園、多摩川園、ドリームランドが健在でした。 今は、子どもが何をするにも、お金がかかる世の中になってしまいました。自然に触れる体験が一番お金がかかるとか。 家庭の経済的格差が、子どもの体験の格差を生み、体験に乏しい子は自己肯定感が低かったり、幅広い文化に触れられないことが問題になるとも言われます。 これって、経済的格差より、親の意識格差も大きいと思いますが。 ひとり親家庭の貧困率がずば抜けて高いことはわかっているので、ひとり親を正規雇用で雇う企業に報奨金が出すなどの政策をとってでも、親の雇用の安定を図るのが最優先だと思います。 あらゆる手当を役所側から積極的に紹介して勧めてもいいのでは。 これからAIも導入されて事務仕事がなくなる分、県や市の職員さんたちには、役所で待っているのではなく、子どものいる家庭に足を運んで相談にのるような仕事をしてほしいです。児童相談所などの現場で仕事をしていただきたいと思います。
February 26, 2026
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22日、河津桜が満開です。 24日には葉も目立ってきましたが、まだきれい。 次は花桃の季節になります。 確実にその時が来れば花をつけ、実を結ぶ、自然の営みに敬意を表します。この時間の流れの中に、私たちの存在もあります。 『心の四季』の『風が』の歌詞(吉野弘)で、桜の花びらが風に散り、人もその風に吹かれている…という内容が歌われます。「見えない時間に吹かれている」(夏・秋・冬は受動動詞が変わります)の表現に惹かれます。 吉野弘氏の詩と初めて出会ったのが『風が』でした。 前年の約守り咲く花の蕊吹き返し行く時の風見ゆ *写真は2月22日・24日撮影です。
February 25, 2026
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極値から係数を決定する問題です。x=aでf(x)が極値をとるとき、f´(a)=0になることを利用して解きます。f´(a)=0になっても極値をとらないこともあるので、増減表で符号を確認します。
February 25, 2026
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永井荷風は明治12年~昭和34年の生涯を送り、後の耽美派文学者たちに大きな影響を与えた小説家・随筆家です。自然派全盛期の文壇で早くから谷崎潤一郎の才能を認め奨励しました。 荷風は江戸戯作文学を愛好し、夢の助を名乗って落語家への弟子入りもしています。アメリカ、フランスに洋行、鴎外・漱石・小山内薫らと交流もありました。 江戸文学の研究と並行してフランス、アメリカの外国文学の移植に業績を上げた荷風は慶応義塾大学の教授として華やかに活躍しました。一方女性関係が派手で、芸妓との情交・入籍、カフェの女給や私娼との関係があったため親戚とは疎遠になっていきました。非常識な言動で共同生活には向かなかったようです。 晩年は市川市で亡くなりました。 『畦道』は、荷風本人が晩年に移り住んだ千葉県市川市が背景。「わたし」を訪ねてきた友人が、ある女性との思い出を語る形で書かれています。 競馬に誘われてきたものの、喧騒についていけず抜け出した友人は、草枯れの畦道で同じく競馬場から抜けてきた女性と知り合います。その晩、競馬場に戻らず友人は女と市川の宿に泊まってしまいました。 偶然の出会いから、偶然の冒険に成功した思い出は永く心に残り、迷惑な事情があっても別れられず最近まで付き合っていたのでした。 冒頭の「わたし」が画興を催す風景は女ありきです。大根を洗う女、物の種を干す女…が、青空や小鳥のささやきを背景に生き生きと動く穏やかな風景です。 そして、かつて友人も田園風景の中を歩き、その辺の生垣に咲き乱れている山茶花と菊の花とは、塵埃(ほこり)の多い東京の庭で見るものとはちがひ、洗つたやうに鮮かな色つやを誇つてゐます。 牛乳を売る藁葺屋根の農家で、出会った女は年は二十二三。…小ぶとりの体の殊に張出した胸の形がそのまゝはつきり思いやられます。肉感的な描写。「わたし」が風景の中に溶け込み、生きる女たちを絵のように美しく、心地よく感じたように、風景に女あり、女に風景ありの出会いでした。 わたしは友人と十年前の夢の跡を探しに散歩に出かけるのでした。 参照元:『ふるさと文学館 第13巻 千葉』ぎょうせい 永井荷風『畦道』☆畦…ケイ、うね、あぜ→①土地の面積の単位 ②田畑の中に小高く土を盛り上げた部分。うね ③田畑の区切り→通路として用いるのがあぜ道☆藁…コウ、わら→草が枯れる→①枯れる ②イネやムギなどの茎を干したもの ③下書き=稿☆喧…ケン、かまびす(しい)、やかま(しい)→大声で話す→①声が大きく騒がしいさま ②はっきりしている
February 23, 2026
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金田一耕助は、日本ミステリーの中で一、二を争う知名度を持つ探偵です。孫の金田一少年も「じっちゃんの名にかけて」活躍中?なくらいで…。 『白と黒』も「もじゃもじゃ頭で、おカマ帽によれよれのセルの単衣、ひだのゆるんだ袴」という金田一耕助が謎に挑みます。容姿に無頓着なのは構わないとして、考え事に夢中になると、髪の毛をかきむしってふけを飛ばすのは、現代の衛生観念からは大きく外れますね。推理は的確でもひくなあ。 舞台は昭和35年、小田急線の喜多見、狛江あたり、対岸に多摩川を望む。近くには東宝(作品では帝都映画の)スタジオがあり、多摩川沿いの都営団地がモデルと思われる日の出団地。 一部未完成の新しい団地で事件が起こります。『八つ墓村』や『犬神家の一族』『本陣殺人事件』…と、地方の村のおどろどろしい事件と比べると、近代的な都会郊外の風景が背景です。団地イメージ 横溝正史といえば『犬神家の一族』の、湖から突き出した足が一番先に頭に浮かびますが、『白と黒』では、ダストシュートに流し込まれたタールから突き出した足が登場します。 ダストシュートは、団地に垂直のコンクリートの煙突のようなスペースをとって、各階に設けた扉を開けてごみを投げ入れると、1階のごみスペースに落ちてたまるという仕組み。上層階の住人にとってはごみを運び下す手間が省けていいのですが、虫の発生、メンテナンスの困難、事故の問題があって、昭和40年ごろには次々に閉鎖されました。 今ではすっかり「昔」になった時代の話ですが、そこに生きる人には、今も昔も変わらない心情があります。親切心から出た注意が相手にとって致命的なショックであったり、望まない謝礼を受け取ってしまった重圧感が身の破滅を招いてしまう、悪意のない摩擦。人と人との関係は、ストレスなしでは成り立たないのが世の中です。 摩擦がどうしようもなくなるところに、犯罪が生まれるのだと思わされます。 映画の影響もあって横溝正史の作品は猟奇的な印象が強いのですが、ストーリーの展開とトリックの面白さは唯一無二、単なる怪奇ミステリーではありません。登場人物が生きてきた状況がわかると、その心情にも共感できます。 参照元:横溝正史『白と黒』角川文庫
February 21, 2026
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この関数を見ただけでは、グラフが想像できませんでした。定義域はすべての実数で、原点に対して対称なグラフになることはわかります。あとは増減表からグラフの大体の形を求めます。次にxが∞、-∞になるとf(x)の値が限りなく0に近づくので、x軸が漸近線になることがわかります。 重要な(x、f(x))の点をとって、増減表と漸近線の情報からグラフをかきます。 同じ関数の、ある区間の最大値・最小値を求めます。定義域が全実数である場合は、極大値=最大値、極小値=最小値ですが、区間が決められるとどうでしょう。 最大値・最小値は、定義域を確認し、→極大値・極小値を確認→端点の値と極大値・極小値を比較して最大値・最小値を求めることになります。 f´´(x)=0になるxが存在しない、つまり極大値・極小値がない場合は、f´´(x)=0になるx前後の符号を確認して増減表を作ります。 最大値・最小値が存在しない場合もあります。
February 19, 2026
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分数関数のグラフをかいてみます。基本はあの反比例グラフy=f(x)=1/ⅹです。y=1/x−a(aは定数)の形のグラフは、y=f(x)=1/ⅹのグラフをx軸方向に平行移動したものです。 もっと高次数の分数関数になると、変曲点を出してグラフをかくようになります。y軸に対して対称な遇関数、原点に対して対称な奇関数では、0以上のxについて増減を調べれば、0以下のxについても予想がつきます。 また、分数関数では「漸近線」を求めることが必要です。xが±∞になったときf(x)がどんな値に近づくのか、ほかに漸近線があるのかを確認します。
February 18, 2026
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よく聞く学校の怪談に「夜になると音楽室の(肖像画の)ベートーベンが笑う」の類があります。肖像画はモデルの内面まで描き出すものでしょうか…。 昔、肖像画にまつわる怖い話を読んだ記憶があって探したらオスカー・ワイルドの作品でした。ワイルドは児童文学の『幸福な王子』で知られますが、詩人・劇作家でもありました。アイルランド出身で、『サロメ』などの劇作があります。作風は耽美・退廃的。 41歳の時、ホモセクシャルを咎められ投獄されてしまいます。出獄するころには世間から忘れられてしまい、46歳で亡くなりましたが、寂しい葬儀だったそうです。 「象牙と薔薇の葉とでつくられたアドニスのような」美しい青年の肖像画を見たヘンリイ・ウォットン卿は、画家に頼んでドリアン青年に会わせてもらいました。卿はドリアンの心の奥にあった禁制のものへの欲望を引き出してしまいます。 ドリアンは、永遠の美を持つ肖像画に嫉妬し、自分の代わりに肖像画の絵姿が年を取ればいいのにと言います。 今まで足を踏み入れたことのないロンドンの下層地区に入り浸って、次々と周りの人を不幸に陥れるドリアンでしたが…。 初めは純粋に恋したシビルを、利己的な理由で傷つけてしまってから、ドリアンの転落は始まりました。彼の美しさは、子供っぽい無垢・無知と表裏にありました。ドリアンは人の気持ちがくみ取れないのですね。 ウォットン卿の「真実の美は知識の萌(きざ)しと共に滅ぶものだ」という言葉は万人に通じるものではありません。知識が広がっても美を保つ人がほとんどでしょう。しかし、ドリアンは卿の言葉通りに破滅の終末を迎えます。 自己犠牲の上に他者を救う「幸福な王子」と対照的ですが、どちらも極端です。王子もまた知識の萌しと共に滅びた美だったかもしれません。 参照元:オスカー・ワイルド 渡辺温・訳『絵姿』(ドリアン・グレイの肖像)青空文庫☆萌…ホウ、ボウ、めば(え)、めぐ(む)、きざ(す)、も(える)、 も(やし)、たみ
February 16, 2026
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いつもの散歩コース、二か領用水沿いに河津桜が咲いてました。寒暖差激しいこの頃、昨日・今日は天気も良く散歩日和。 *写真は昨日の撮影です
February 15, 2026
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☆諫…カン、いさ(める)① 目上の人に対して、過ちをいさめるために直言する。② 改める。ただす。☆尭…ギョウ、たか(い) →崇高な、高い。☆舜…シュン、むくげ →① 優れる ② ムクゲ →尭、舜は、中国伝説上の聖天子。 *尭鼓舜木…人々の善言をよく聞き入れること。尭帝は朝廷に太鼓を設置し、自分を諫めようとする者に打たせ、舜帝は木簡を設置して、諫言を書かせたという。どちらの聖帝も家来たちの諫言をよく聞きいたという故事。*尭風舜雨…聖天帝の恵みがいきわたること。 尭帝、瞬帝は中国伝説上の聖帝で理想的な君主とされます。「尭鼓舜木」は、両帝が家来たちの諫言に常に耳を傾けていたというエピソードを示します。「諫言耳に痛し」「良薬は口に苦し。忠言耳に逆らう」とも言うように、目下の人間に過ちを指摘されることに抵抗があるのが普通でしょう。 「諫言は一番槍より難しい」という言葉もあります。目上の人の非を指摘するのに、直言するほうも言葉を選んで進言するわけですが、難しいですね。 上に立つ人が皆、尭舜のように柔らかい耳を持っているといいのですが。
February 14, 2026
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なぜかサラダと一緒のケースで売っていた「苺とラズベリーのレアチーズムース」甘さがすっきりでおいしかったです。 紅茶は「アールグレイ・インペリアル」。マリアージュ フレールの、コットンに包まれたティーバッグです。 苺のショートケーキ・シュークリーム。苺のクリームではなく、ホイップクリームに苺ジャムという感じでした。お茶はアーマッドのデカフェ紅茶で、レモンライム。 チョコボールに丸ごと苺が入ったタイプのチョコ、紅茶は日東紅茶の「日向柑&柚子」です。
February 13, 2026
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関数の第1導関数(1階微分)から増減表を作って関数の増減・グラフの形を求めることは、数学Ⅱで学習しました。 f´(x)=0になるとき、xは極値(極大・極小)になる可能性があります。(極値にならないときもあります)xが極値になるときのf´(x)は必ず0になりますが、逆は必ずしも真ならずです。 増減表をかいてみて、f´(x)=0になるときの前後(表の左右)で符号が変わっていれば、その点xが極値であることが確認できます。 もっと複雑な関数になると、第2導関数f´´(x)を計算して、f´´(x)=0になるxを求めます。この点は「変曲点」グラフの曲がり方が変わる点の候補です。この点も必ずしも変曲点にならないので、増減表での確認が必要です。
February 12, 2026
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☆曙…ショ、あけぼの 『枕草子』の冒頭「春はあけぼの」は有名です。「やうやう白くなりゆく山ぎはすこし明(あか)りて」と続くので、「曙」は明け方の空が白む頃だとわかります。 古くは、夜中の暗い時間から夜が明けるまでを「暁(あかつき)←明時(あかとき)」→「東雲(しののめ)」…夜明け前の薄暗いとき→「曙」…明け方と使い分けたとされます。 古典の教科書では「暁は曙より前の、夜明け前の時刻」のように説明されますが、枕草子では、「暁にはとく(夜明けには早く出仕してちょうだい)」と定子が伝える場面、「暁などに、(明け方になって男が枕元にしゃれた横笛を)忘れて(行ったのをみつけたとき、これもまた興があることです。)」という横笛の話題などが出てきます。 この時代、「暁」も「曙」と同じように「明け方」の意味で使われたか、「暁」のほうが広い時間帯にかけて使われたのではないかと感じられます。上:春曙光(しゅんしょっこう) 下:曙
February 10, 2026
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予報通り昨晩から今日の午前にかけて雪になりました。上2枚は朝7時ごろの積雪。川崎では珍しい雪ですが、普段から雪が降る地方の方からは、鼻先で笑われてしまいそうな量です。 私も信州人ですから、このくらいの雪は積雪に入らないのですが、風邪気味で、肺の持病に響くのが怖くて、選挙の投票をさぼってしまいました。のび太君は夫と一緒に投票してきました。 10時ごろ。雪片がごみのように写ってしまいました。 浜田省吾さんの『悲しみは雪のように』いい曲ですね。詩人、吉野弘の『雪の日に』の詩へのインスパイアから生まれた曲だそうです。 『雪の日に』は書き改められたバージョンが、合唱組曲『心の四季』の歌詞になっています。 浜田さんが歌う「肩にふり積もる、雪のような悲しみ」とは、どんな悲しみなのでしょう。『雪の日に』の雪は、誠実でありたいと願い、純白の世界を欺かないためにひたすら降り積むのですが。 『悲しみは雪のように』の悲しみも、人としての根源に関わる悲しみのように思えます。でも、「君」には、寄り添ってくれる「俺」の存在があることに救われます。 誠実な音楽は、汚れを包むように降り積もる雪のように心を浄化してくれるんですね。
February 8, 2026
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関数の増減は、第1次導関数(1階微分した関数)の正負でわかります。ただし、連続かつ微分可能な範囲で、という条件が付きます。 導関数が正であれば単調増加関数、負であれば単調減少関数になり、導関数が0のときは増加も減少もしない定数になります。 具体的には、数学Ⅱで学習したように増減表を作って導関数の正負から元の関数の形を調べます。f(x)の定義域の確認→f´(x)=0になるxを求める(この点でf´(x)の符号が変わることの確認)→f´(x)の正負を書き込む→グラフの大体の形を知る手順を踏みます。 数学Ⅱの「増減表と3次関数のグラフ」から。次に発展した極値、増減表について見ていきます。
February 8, 2026
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平均値の定理は、一見「ん?何の役に立つんだ?これ」と思いました。 指数関数・対数関数・三角関数の不等式の証明に平均値の定理が使われます。連続かつ微分可能な関数をどう置くかがポイントです。高校数学ではf(x)=eのx乗やf(x)=sinxのようなわかりやすい関数です。 次に、関数の増減とグラフを考えていきますが、平均値の定理は関数の増減に関わっています。
February 7, 2026
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シャルウィー?の抹茶クッキー。結構濃厚な抹茶味です。抹茶ショコラケーキはロンドン・アフタヌーンティーと。ミルクによく合うトワイニングの紅茶です。見るからに繊細な「紗紗(さしゃ)」シリーズのチョコですが、抹茶は特に大人の味で好きです。みかんの緑茶と。抹茶クリームサンドクッキーとマスカットの緑茶。 ちなみに2月6日は「抹茶の日」です。
February 6, 2026
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エプソンのプリンターを使って1年たたないうちに「廃インク吸収パッドの吸収量が限界に達しました」エラーで、意地でも印刷させないモードになってしましました。 使わない日にも起動させて印刷ヘッド?を動かさないとインクがつまるようです。印刷しようとするたびにヘッドのクリーニングやら試しの印刷が必要になり、インクを消費しまくったからかな。 昔に比べると印刷頻度がぐっと減って、印刷しない日にわざわざ動かすこともしていなかったので、迂闊でした。でも、キャノンもHPもこんなことなかった! 直すためには、メーカーさんで吸収パッドとやらを交換してもらうほかないのですが、交換するためには新品購入金額より高い費用がかかる! かくして、エプソンのプリンターはプリンターとしての機能はあきらめ、スキャナーとしてのみ使用することにしました。年賀状もやめたし、仕事もしていないから絶対必要というものではないし。コピーはコンビニでいいし。 ちょっとむかついている自分がいました。
February 5, 2026
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八木重吉は明治31年2月9日生まれの詩人。学生時代、キリスト教の洗礼を受け、信仰と詩作に励みましたが、結核により早逝しました。享年29歳でした。 妻とみとの間に2児を設けましたが、2児とも夭逝し、その後とみは、歌人・書家である吉野秀雄と再婚しています。とみが保管、持参した詩の原稿を見た秀雄は、重吉の才能を知り、その作品の普及に努めたそうです。冬木立(のび太) 『貧しき信徒』103篇のほとんどは3~4行の短い詩です。現代では完治する結核ですが、重吉の時代には死に直結する病、詩のところどころに、病を得た悲しみと、よくなりたいという希求が散在します。 『病気』で「自分のまわりが ぐるっと薄くなったようでたよりなく」感じ『冬の夜』で、吸入器を組み立ててくれる妻を見て「ほんとに早く快(よ)くなりたいと思った」と願う重吉です。 そして、「ものに驚かない 冬をうつくしいとだけ思っている」(『冬』)「冬の日はうすいけれど明るく」(『冬日』)…厳しいはずの冬という季節、重吉にとってはそれさえ美しく明るいものに映っていたのでしょうか。 信仰者重吉にとって厳然とした冬も、主の意思をもって与えられたものだったからかもしれません。 冬の詩人と言われた高村光太郎も冬の詩を多く残しています。光太郎の冬は鋭利な冬で、その生物を寄せつけない厳しさを持った冬に「僕」は正面から立ち向かっていきます。 光太郎の感覚のほうが一般的でしょう。 重吉の内包した冬は、現実の冬よりずっと厳しかったのかもしれません。 「お父ちゃんはね、 早く快(よ)くなってお前と遊びたいよ」(『春』)と小さな娘に呼びかけるストレートな言葉が、心に刺さります。 詩や短歌が生きてくるのは、文字から立ち上がった言葉がまっすぐ読み手に受け止められたときです。それは、日常のありふれた言葉がきらっと光る瞬間でもあります。 参照元:八木重吉『貧しき信徒』 底本『八木重吉詩集』白鳳社
February 4, 2026
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地名の読み方を困難にする要素の1つが、日本では漢字に複数の読み方が存在することです。私の出身中学校は「玉川(たまがわ)中学校」(東京)ですが、川崎の中学校は「玉川(ぎょくせん)中学校」です。バス停でのアナウンスを聞いてびっくりしました。 また、信州出身の私としては「浅間」の読みは「浅間山」の「あさま」が常識でしたが、多摩川を渡った先の神社は「浅間(せんげん)神社」でした。 「浅間(あさま)」は火山を意味する言葉からきたようです。富士山信仰と結びついて生まれた「浅間神社」には「あさまじんじゃ」「せんげんじんじゃ」両方の読みが混在します。山梨・静岡両県を中心に、全国に「浅間神社」があります。富士浅間(せんげん)神社 多摩川を渡った先にある「多摩川浅間(せんげん)神社」は都内で唯一の浅間造(神社建築様式の1つ)だそうです。木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を主祭神とし熊野神社と赤城神社を合祀しています。多摩川浅間神社からの眺望 京濱伏見稲荷神社(川崎市)の宮内にも富士浅間神社が合祀されています。京濱伏見稲荷境内の浅間神社
February 3, 2026
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椎名誠の超常小説から。 死者のDNAから肉体を再生して、お盆の3日間だけ家に迎え入れる《盆戻り》が可能になった世界のお話です。ただし、まだ技術上5日程度しかもたせることができないのと、湿気と熱に弱いという制約がある身体です。 「私」も、妻と娘のマユミとで暮らす家に、去年亡くなった私の母を迎えることになりました。おばあちゃんと家族は、1年のブランクがあるので最初こそかみ合わない部分がありましたが、次第に自然に振る舞うようになりました。 ところが…。 なぜ「胃袋を買いに」行くことになるかというと、ダークな話になります。人工臓器が開発され、オリジナルの自分の臓器を売る者も出てくる時代です。臓器売買は現代でも既に問題ですが、科学が進むと加速度がついて気軽に行われるようになることには嫌悪しかないです。 あり得ないはずの肉体を作ることができるようになると、命の尊厳なんてどんどん軽くなってしまうのでしょうか。命の器に対する 敬意がない、命の重さに対する鈍感さは受け入れがたいです。 温かな家族の愛には救われます。マユミちゃんが成長していく世界が、命の尊厳を置き去りにしない世界でありますように。 皮肉で、ユーモラスで、人間味あふれる短編。 参照元:『椎名誠 超常小説ベストセレクション』角川書店 から『胃袋を買いに』
February 1, 2026
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