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24日に大きなプレゼントをいただき、その日から形式と曲想をめぐらす。ここのところ編曲ばかりやっているので、いざ書こうとすると書けません。日ごろの積み重ねを今さらながら痛感しています。書くこと、デッサンからやり直しです。桜井さんの詩の門前に立っているだけですので、早く中に入りたいのをおさえ、あせらずに構えたいと思っています。でも来年の3月までが〆切りですのでデッサンだけは鉛筆ダコができるまで書き続けます。右手の中指の鉛筆ダコが影も形もなくなり、あぁー書いていないのだなぁーと哀れになります。それに、ここ10数年、シャーペンを使うようになり、鉛筆の感触、つまり作曲をしている時間の感触を忘れています。シャーペンは鉛筆の芯がいつでも休みなく出てくるので休みなく書けます。フラーゼ、つまり音楽に休息アンチテーゼが薄くなります。その点、鉛筆だとナイフで芯を削り、その空間が次への流れを導き出してくれるわけです。思い出します。恩師のレッスンのことを。鉛筆書きにもなれ、手間隙を考えて電動鉛筆削り器を使ったときのことです。先生におお怒鳴りを受け、合い対座するテーブルの上の五線紙を投げつけられました。今一度考え直してから出直しなさい!車中、いかに考えても分からず。兄弟弟子にあたる大先輩に電話にて相談。ほら見ろとばかりに笑ってアドバイスをくれたものです。第一に、音符の流れが見えないこと。電動鉛筆削り器で5本も10本も一度に先をとがらせて一気に書いていくのですから、文体にアンチテーゼがなくなるのも当然。このような音楽は聴く人を疲れさせる結果となる。非音楽的であること。そして、ナイフで芯を削りながら前後の流れ構成を考える余裕ができること。もちろん鉛筆は2Bと決まっています。なぜかは分かりませんが、それが伝統なんです。いまこの歳になり、教えを乞う師もなく、先代の作曲家の楽譜から教えを乞うだけです。デッサンの感覚が戻っていませんが、じきに戻るでしょう。あとは音の配合と音色の配合、特に音色の配合には時間がかかるので、今回使用する楽器だけに限定するしかないでしょう。
2007年12月27日
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草津は栗生楽泉園に桜井さんを訪ねる。83歳とは思えないお元気さで2時間ほどおじゃました。来年お話をするとなんとやらですが、来年早々から桜井さんの詩に曲を書くお約束をし、お互いに本気でやりましょうと約束し、お体の心配もあり長居せずに退散した。長いこと音楽にかかわり、クリスマスはクルシミマスと言うほどの毎年だったが、今年はワイフと二人っきりのクリスマスだった。これはイエズスさまからの「ご苦労さん」のプレゼントかもしれない。とくに桜井さんとの面談はプレゼントの何ものでもない。来年は早々にお邪魔し、作品の構想を確認をして作曲にとりかかることになる。もうすでにそうしているのだが。問題は、桜井さんの作品の中から僕がどれほどの理解が得られるかにかかっている。ハンセン病が法的にどうなろうとも、ハンセン病元患者は現実にいる。紳士淑女がここ4,5年前からドォッと物見さんと好奇心で押しかけるようになったように僕には感じる。旧約聖書の時代からライと言われて忌み嫌われ、人間の差別の代名詞とされ、その実体も分からずに噂が先行してきた。ライは差別用語ではと言われてハンセン氏病と改名、いまはハンセン病と名前は変われども、その実体は何ら変わらないと僕は思う。そっとしておいてあげたい。来年4月には、桜井さんの郷里青森を訪問することになる。それまでに書けるだけ書きたいと思う。実験工房としての試演会を毎月一度することになるので、作曲と編作だけで充分な時間がとられるだろう。編作の腕を磨くいいチャンスになるでしょう。またデッサンも今一度始めなければと思っている。
2007年12月25日
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ご生誕おめでとうございます少し早いのですが。昨日の23日に全生園でクリスマス・ミサがありました。楽友のピアニスト、ギタリストとワイフの三人で演奏するチャンスをいただきました。きょうはこれから群馬県は草津にあります国立療養所栗生楽泉園をおとずれます。雪が心配ですので、とにかく早めにこれらか出発します。みなさんには良いクリスマスをこちらは何十年ぶりかでワイフと二人きりのクリスマスです。昨日は遠くにいらっしゃる神父様からプレゼントをいただきました。ケーキ、ワインとカード。今夜は神父様からいただいたワインでイエズス様のご生誕を祝います。それにしても、国立療養所栗生楽泉園まで訪問できる導きを感謝です。これもイエズス様からのプレゼントだと思っています。
2007年12月24日
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クリスマスと年末恒例行事との合間、今日の早朝の池は凍りついていました。もちろん車も霜で真っ白。三匹のワンちゃんのうち一匹は犬小屋がなく、プライベート・チャペルの軒下にもぐりこんでいます。半日の時間が取れたので犬小屋つくりに挑戦。なれないことは怪我ももと。また、そううま作れず半分程度で終了。25日過ぎでないと完成しないでしょう。秋田から「あきたこまち」をいただいた。ありがたいものです。マキストーブはあったかいですね。あとは燃料となる材木の調達のみ。時間がなくて高速で2箇所まわり今帰宅。あしたのプログラムを完成させなければならない。21日は軽井沢。22、23、24日と続きます。23日は全生園内のカトリック教会でクリスマス・ミサ。9時半から。お時間やりくりしてご一緒に御生誕を祝いませんか。上の写真はハワイの娘から送られてきました。もう、こんなに大きくなりましたよ。たぶんアヤノは知らないと思いますが、アヤノは川越で生まれました。
2007年12月19日
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10月に帰還したときの写真が届きました。マシュー(5才)、マイケル(4才)、スコット(娘婿、パイロットで陸軍中尉)、アヤノ(2才)日本の若者も戦場に駆り立てられる時が目の前に来ているのでは。航空自衛隊が派遣されているが、本当の戦場となると大変なことになるでしょう。そうなってからでは遅すぎ。我が家では無事に帰還できたが、帰還できなかった兵士もいることを、戦場下にある人たちを思うと複雑です。でも、心から喜んでいます。この写真を見ても何も感じないかなー???こうなる一年間はどれほどのものであったかを。子供たち銃後の家庭がどれほどの不安な生活であるかを。気が付けばガソリンが値上がりし、灯油も節約し、いつのまにか貧富の落差がはっきりし、いよいよ中流家庭ではなく下流家庭であることを自覚しだした日本人。鈍感すぎと言うか国民性かも。
2007年12月17日
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昨日、遅くにイタリア人シスターを訪ねる。アジアのストリートチルドレンの自立への援助。いま展開中のアルパカのチャリティー金を持参。子供たちに少しは良いクリスマス・プレゼントになることを願っている。神山復生病院に遅くに到着。シスターが心配していてくれた。富士山のふもとで暖をもって暖かく迎えてくれた。人の優しさがここには存在する。翌日はここに眠る多くの人の霊魂をシスターの案内で訪れた。富士山も白く化粧をし迎えてくれた。かぎりなく美しい富士山。ドイツ留学をしていたときを思い出した。ドイツにも富士山のような形をした山があり、アウトバーンを通るときいつもその山をドイツ富士と言って日本を思い出したものだ。多くの人が眠っていた。前回訪れたときの記念館。ここにある二つの鐘。大と小。いちべつで小の鐘の音色の美しさを感じたが、今日よく見ると、反対だった。素材と形からして大の鐘が美しいのが判断できた。見る目の未熟を恥じるばかり。いまひとつは、手書き楽譜を見た。いつのころのか分からないが、昔の人の音楽力の卓越を。作曲を専門とした人なのか分からないが、僕が学んだことが実践されている。今では書けない筆跡に大きな感動と親密感を感じた。五線も手書き。音符も実に美しい。音符からは音楽が聞こえてくる。いまの僕は、鉛筆を使っている。なぜなら重宝だから。つまりは消しゴムが使えるから。この簡便さが芸術を愚弄することを教えられた。超久しく朝の6:55の御ミサに与る。ワイフと息子と僕。この三人して早朝からがん首をそろえるなんて記憶にない。おまけに、ワイフの歌で息子のチェロで通奏低音を弾いての御聖体拝領唱。こんなチャンスを与えてくださること感謝の一語なり。ワイフは感激のあまり緊張し、未熟さと場違いを恥、お恥ずかしい次第なりとは本人の感想。信仰と宗教音楽の深さを僕も痛感しました。ありがたいことです。我々の微力のすべてを許してくださる人たちがここには存在する。2時から小さな音楽会を開かせてくれた。僕の曲★が歌われた。人さまに聴いていただくと言うことの恐ろしさと精進。ありがたいことです。来月。来年の1月は9日。またおじゃまします。来年の初めと言うこともあり、若い4人の音楽家による弦楽四重奏。前日からの泊り込みでやるそうです。若いものには負けられません。彼らのパワーを吸収しようと思ってます。なぜか、田舎に帰ったような、母の胎内に帰ったような、お袋(もういませんが)に会ったような気分になります。ありがたいことです。病と一緒の人たち、亡くなられた霊魂のために祈りをつづけます。五線譜にむかう時間を少しでも持とうと思いました。あすから、まだまだ続く演奏会。ひとつひとつ大切にします。★マリアの子「母から子へ」作詞作曲 高橋如安(2002.10.15)1.そっと触れるはいとし子の手 大きくふくらむ母の胸 二人はまどろむ夢のなか スヤスヤスヤと時は消えゆく あゝ この子らに恵みおおかれと スヤスヤスヤと時は消えゆく スヤスヤスヤとまどろむ母子 2.そっとのぞいて想い出す わが子をいだくぬくもりを 二人でまどろむ夢まくら スヤスヤスヤと至福の時を あゝ この子らにわたしの願いを スヤスヤスヤと至福の時を スヤスヤスヤとまどろむ母子 3.そっと見つめた老いた手に わが子の巣立ち愛のしわ 二人のまどろみその子へと スヤスヤスヤと絆が結ぶ あゝ この子らに試練の愛を スヤスヤスヤと絆が結ぶ スヤスヤスヤとまどろむ母子 この曲が書かれたのは2002年。NPO法人申請に埼玉県庁に向う車中で、ふと思うところがあった。娘は縁あってアメリカ人と結婚。そして子供が生まれた。初孫。ワイフは産後の手伝いで渡米。申請なんぞと全く縁のないことを一人でやらされることになる。考えてみると、子供に親らしいことができなかった。どこかの動物のように子供をつくりそのまま。音楽と言う大義名分をかざして勉強三昧の生活を続けてきたから。一人の女が結婚をし、子供ができ、その子供に子供ができる。ワイフの目から娘を、そして孫を見る、そんな情景を作詞の才能のない僕が往復3時間の車中で書き上げたのがこの曲。孫のマシューも5才になる。柄にもなく、自分の方向性とは逆方向の書法で書いてみた。このあと、マイケル、アヤノ、龍介と続けて孫の成長を願って書きました。僕には彼らにできることは何一つない。最初で最後かもしれない、そんな身勝手な人生の贖罪かもしれない。芸は本当に厳しいものです。
2007年12月12日
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「ロザリオの祈り」ある教会とでもしておきましょう。「ロザリオの祈り」が一環となえられた。新しい口語体の祈りだが、その中に文語体で遠慮がちに小声で唱える人もあちこちに見られた。同じ祈りがどうしてこうもポリフォニックにならなければいけないのだろうか。口語体はそれも幾つもある。悲しい出来事です。
2007年12月10日
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タイトル:神山復生病院(第2回) 神山復生クリスマス・コンサート日 時:2007年12月12日(水) 開演14:00~14:30演奏者 :高橋久子(ソプラノ)、船本貴美子(ピアノ)、高橋義人(チェロ)会 場:神山復生病院 住所:静岡県御殿場市神山109 Tel.0550-87-0004入場料 :無料30分間の小さな演奏会です。30分間のために練習し、何時間もかけて御殿場に訪問します。が、演奏しに行く価値があります。ここ御殿場の神山は、明治20年にカトリック司祭により日本で初めてのハンセン病療養所となりました。日本国立のハンセン病施設は20年後といわれています。ここはすでにハンセン病元患者はわずかになり、現在ではホスピスとして新たな活動が加えられています。きょう9日、東京は多磨全生園内のカトリック教会の御ミサでソプラノとオルガニストの奏楽がありました。9:30からミサで、その前に音だしがあり、お祈りがあり、歌ミサです。45人はいたでしょうか。御ミサ後に新ソバの蕎麦会があり、司祭と信者さんらの和やかな集いとなり、ここでも歌が披露されました。
2007年12月09日
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エアーポケット飛行機の中で一瞬ストンと落ちる瞬間を経験した人も多いと思う。想像もしていない出来事が我が身に降りかかる。それも、自分自身の精神がどうなっているかが分からないだけにたちが悪い。引きこもり、被害者意識が強くなり、ウツ状態にそしてその後がさらに続く。今年の8月にご一緒した演奏会のメンバーがそうだ。今年初めからの付き合いで、音大を出て20数年ピアノ教師をしている人だけに気にしていた。なぜならば、ピアノ教師は毎日まいにち生徒(自分から見て初心者である)に芸術(?)を教え、世間の風も知らない人が多い。人前で、それも有料のコンサートに出ることは非常識であり、冒険でもあり、聴衆への偽りで、芸術への冒涜でもあると内心思いつつ、彼女の情熱(結局は井の中の蛙)に応えての協力参加だった。人前で演奏をするための努力(努力だけではどうにもならないものがあるが)は世間的にはうらやましい羨望の目で見られるかもしれない。気を付けたいことが一つあった。それはエアーポケット。演奏会はよっぽどのミスがなければ大半が成功に終わる。だれも厳しい批評はしないし耳にも入らない。あの半年間の厳しいさと思い出は過ぎ去り、結局はもとのピアノ教師に納まるしかない自分自身に苛立ち、あのステージとライトは決して未来に約束はされていない。あの華々しいステージは決して戻っては来ないからだ。ただ音楽大学を出ただけではどうしようもない芸術の壁を実感したのだろう。大学で法科を学んだ人がみな法律の専門家になるだろうか? 弁護士になるのだろうか? 英文科を出てみなさんどれほどの人が専門職として続けることが出来るのだろうか?音楽大学は、ほとんどの人が音楽でわずかでも収入を得ている。このインチキな仕組みが日本の音楽をダメにしているということです。若い音楽者は若さと情熱と生気があるが、40代50代となると気力がなえる。だから僕はこうアドバイスをしている。いまやっている活動が終盤になるにつれ、次の目標を持ち次ぎの活動とも平行し、途切れないように。途切れた瞬間がエアーポケットで、これに遭遇すると抜け出せなくなる、と。案の定、そうなっていると人づてに聞いた。僕は昨日の演奏会と平行して幾つかを掛け持ちしている。そうしなければ、充分の時間があり、次の目標がなければ悪いことばかりが目に付くものです。
2007年12月03日
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昨日コンサートを終えた。家に帰り靴を脱ぎ、クス下を脱ぐと立っていられず歩くこともできない。左足首のあたり。きょうは少し楽ではあるが歩くこともできず、あしたから強行軍の予定もあるので朝いちで接骨院に行く。アキレス腱は大丈夫だが痛めているよう。コンサート準備のときにかすかに左足をこねた記憶があるので、それが原因のようだ。演奏の出来は、練習の成果があったように思える。この編成でこれからも幾つか出来ると思う。人柄と技術がないと一見(いちげん)で終わるのだが。灯油の値上がりは大きな痛手。あしたは何とかストーブが使えるようにしたいものです。煙突をとにかく短くして。完成すれば一日中なま暖かく快適な生活ができるのだが。★明日のことを考え今日は岡部と思っていたが、予定していた人が案の定ドタキャン。ドタキャンというよりもけろっと忘れている。病人の言葉を本気にする方が間違っているかも。あーあー疲れますね。★そんなことから急遽変更。そんな中、聞いて欲しいとCDを持参される。驚きというか、もうこんな時代なんだと。高校生のバンド(吹奏楽団)で金賞受賞団体とかで1曲数百円で売られているとか。1曲の十秒ほど聴いて、これ以上、僕にどう聞かせようとするのか?とストップした。正確で一糸乱れぬ音のきもちわるさ。女子体操を見ているよう。最近のスケートも女性ではなく少女ですよね。こうなったのは指導者の技量を隠すがための技術向上と僕は思う。指導者に技量がないため、技術の向上に走る。自分に出来ないこと、過去の自分にも出来なかったことを要求する。
2007年12月03日
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