全8件 (8件中 1-8件目)
1
心ある演奏者を探しています。音楽を真摯に受け止め(本音の部分ではボランティアではクエッションですが)、音楽の本質を求める人を探しています。音大の教師、町場の教師、それぞれの立場を離れ、音楽を求めるを望む人の集いと演奏者を探しています。障碍者施設、病院、ホスピスなど社会福祉施設や教会でのコンサートを目的に集まっています。現在おこなわれているノーマライゼーセン・ワークハウス活動に多く見かける傾向としては、それらの施設で自分たちの練習成果の発表的意味合いが強いように感じられます。見る側、聞く側はこれではたまったものじゃーない。施設側としては、謝礼も出来ない事情もあり、善意のボランティアを頼るしかない。この相互関係が悪い方向に向っているとしか言いようがない。我々は、発表会的意識ではなく、技術の差はあるにせよ、出来る限り良い演奏を心がけている。無償、ノーギャラなのだからこの程度で良い。そうではなく、多少でもギャラとは言わないでも謝礼がでる活動をしたいものと考えている。それが、いま実現でき、とくにクリスマスに向けて訪問演奏会などを展開中です。
2007年10月24日
コメント(0)
文語体が口語体に変わり、それもいくつもの口語体が分かりやすく分かりやすく存在する。お経はどうなのだろうか。年を重ねることで、人それぞれに、経典への理解を深めてゆく。それで良いのではないだろうか。ロザリオの月をむかえ、50年前のかすかな記憶を思い起こすと、ロザリオを15分で! 10何分で!と子供たちは競ったものだ。日本語よりラテン語の方が早い!とか、わけも分からず。“・・・我らちくたくのみにてエワの子なれば・・・”ちくたくのみにて。ちんぷんかんぷんな祈りに、高低をつけて流れをつけて得意がったものだ。“・・・我ら逐謫の身にてエワの子なれば・・・”この「サルヴェ・レジナ」は音楽で最もポピュラーでよく演奏されます。SALVE REGINA Salve, Regina, Mater misericordiae; vita, dulcedo et spes nostra, salve.Ad te clamamus, exsules filii Hevae.Ad te suspiramus, gementes et flentes in hac lacrimarum valle.Eja ergo, advocata nostra, illos tuos misericordes oculos ad nos converte.Et Jesum, benedictum fructum ventris tui, nobis post hoc exsilium ostende.O clemens, o pia, o dulcis Virgo Maria. めでたし元后、あわれみ深き御母、我らの命、慰め、および望みなるマリア。我ら逐謫の身なるエワの子なれば、御身に向かいて呼ばわり、この涙の谷に泣き叫びて、ひたすら仰ぎ望み奉る。ああ、我らの代願者よ、憐れみの御眼もて我らを顧み給え。またこの逐謫の終わらんのち、尊き御子イエズスを我らに示し給え。寛容、仁慈、甘美にまします童貞マリア。(公教会祈祷文1991年版) 直訳はSalve, Regina, Mater misericordiae; vita, dulcedo et spes nostra, salve.めでたし 元后よ、 あわれみ深き御母よ、 我らの命、慰め 及び 希望よ、 めでたしAd te clamamus,exsules filii Hevae.御身に 我ら叫ぶなり、 島流しの身 エワの子(我ら)は。 Ad te suspiramus, gementes et flentes in hac lacrimarum valle.御身を 我ら仰ぎ望む、 なげき 鳴くなり、 この涙の谷に。Eja ergo, advocata nostra, illos tuos misericordes oculos ad nos converte.いざ 我らの代願者よ、 御身の 憐れみ深き 御目を 我らに 注ぎ給え。 Et Jesum, benedictum fructum ventris tui, nobis post hoc exsilium ostende.また イエズス 御身の体なる 祝せられし御子を 我らに 島流しの終わらんのち 示し給え。O clemens, o pia, o dulcis Virgo Maria.おお寛容、 おお仁慈、 おお甘美なる 童貞マリアよ。
2007年10月23日
コメント(0)
教会や信者さんまわりをし走行距離数245キロ。道路地図を見ながら走るのもそろそろ限界かも。よく事故にならなかった、ということもしばしばあります。お金をためてナビゲーターを求めなければ。車にはリボンのステッカーがついている。よく分からないが、ひとつはアメリカ陸軍。ひとつはイラク派兵の軍人さんの無事帰還を祈る黄色いリボンのステッカーなそうな。きのう車からはずしました。守ってくれてありがとう。感謝しかありません。鉄塔のカンパネッラにゆらいでいる黄色い旗もおろしました。寄せ書きを書いたこの旗は手作りで、イラクの最前線で戦う(「戦う」は当事者側から見ると)娘婿の無事をひたすら祈るものです。一年間、本当に長い一年間でした。仕事で単身赴任するのとはわけが違うだけに、戦場に兵士を送る家族の苦しみだけは、日本であって欲しくないと切に望みます。しかし、今の日本はひどすぎる。失うもののない人は、何でも出来る。楽天ブログも変わりましたね。出会い系サイト?や裸のブログの訪問ばかり。なんでもあり。なにをやってもゆるされるですね。我が家には平安がもどりました。
2007年10月22日
コメント(0)
無事帰国1年間の不安な日々から開放されました。当分は枕を高くして寝られます。戦争には加害者も被害者もない。どちらも被害者。日本では戦争に対して無関心だが、自衛隊が軍隊に、徴兵にと忍び足でシナリオが進行しているように思うのですが。日本人はなぜ、戦争経験者が声を大にしてのべないのだろうか。4才のマシュー、3才のマイケル、1才のアヤノには1年間待ちにまったダダとの平安な家庭が戻りました。
2007年10月19日
コメント(2)
山中湖のシスターを訪ねる。納骨で留守とのことで、予定を変更し神山復生病院を訪ねる。アポ無しで訪問したが、シスターにはとても親切にして頂いた。友人が三島にいるので、2,30年前から御殿場付近にはよく行っていたが、訪れようとは思いつつ昨日になった。もっと早く知るべきだったと思うが、いまさら言っても仕方のないこと。入所者も少なくなり、今はホスピス、一般病院(?)との総合になっている様子。とくに、印象に残るのは、カンパネッラ。リードオルガン。近々、また訪れたいと思っている。多分、とくに音楽などの資料が破棄されずに残っているのではと期待している。その多くの教会では、第二バチカン以後、不必要な資料は棄てられることが多かったと聴いている。保管場所を考えると仕方がないのでしょうが。カンパネッラは、小さいが透き通った音色が想像できる。二つ展示されていて、とくに小さい方に興味をもった。あの音を実際に聴いてみたいものです。リードオルガンが、こんなところにあるなんて。大事に保管され、実際に現役なのには救われる。御御堂にも12ストップのリードオルガンが現役で、とてもきれいに大事に使われている様子。僕も同じ型のオルガンがあるが、それよりも古いようだ。ホールにあるオルガンが演奏会などでも使われているとのこと。このオルガンに触れると、ここに立ち往生し、何時間も必要とするので、もの欲しそうな、後ろ髪をひかれる思いで後にした。おかげさまで、鐘とオルガンの音色を夢でみることができました。国立療養所を訪問。山中湖のシスターと長く話をする。帰りに、もう一箇所訪問する途中に、どうも車の事故にあうのでは?そんな予感がしたので帰宅。カーナビがないので、地図を見ながらだと運転が危ないですね。忙しくなると、カーナビの必要を実感してます。あのオルガンはすばらしい。ここ2,30年のリードは鳴りが悪いと思う。僕のオルガンも修理したいのだが、3,40万円はかかるので、当分は無理でしょう。作曲には必需品なのだが。ある処に、神山と同じオルガンがあるが、展示しているだけで、音はもう鳴らなくなっていると思おう。楽器だから、木とリードに振動を与え、いつも音を出さないと。響板を虫に食われたピアノを最近見たが悲惨である。とくに古いピアノはそうなるようだ。神山病院にある御御堂は、興味のある音響です。すばらしいですよ。ぜひ、ここで演奏会ができればと願ってます。今日は、12月の演奏会のホール三つの下見。明日は、全生園にアルパカを持参します。それから、「聖グレゴリオの家」でもアルパカの即売会をしますので。
2007年10月17日
コメント(0)
ある女子修道会の話。これで分かるでしょう。山手線の某駅にて週一回の炊き出しをしているという。一回50キロの米が必要。今年も新米ができ、昨年の米はもう古米になるし値が下がる。農家の個人用の余りを安くわけてもらう。スーパーで10キロ2,500円が半値になると倍の米を入手できる勘定だ。この修道会には、ほんのわずかの米の善意がとどけられる。ほんのわずかでも有り難いし、つもり積もれば一回の炊き出しができる。それを待っているホームレスの人が大勢いると言う。昨日、アルパカのバザールを都内で2日間ひらいた。某県人会の主催に参加させていただいた。この話から、古米が某地方で余っているはず、とのことで早速連絡してくれる。が、廃棄処分なそうな・・・ でもまだ可能性があるとのことで、連絡をしてくれることになっている。この修道会のシスターの話をひとつ。友人に胸騒ぎがあり、わずかなお米を夜に持参したい旨を奥さんに伝えた。こんな夜でなく明日届けては? どうしても今夜届けたいとのことで修道院に行くと「祈ってました」とのこと。「3日間、私たちは食べていません」ホームレスの炊き出し用の米はあるが、自分らの食べる米がない。この感覚には驚かされる。備蓄はしない。明日は明日がそうしてくれる。まさにモーゼのマンナですね。アルパカがおかげさまで、予想以上に買っていただけた。軽トラで何台分かになる量が確保できそう。まずは我が施設に備蓄して必要な分だけ届けることになるでしょう(が、これがまた大変な仕事になるが。それと我が施設は湿気がひどく、備蓄できるかどうか心配)。バザールで炊き出しの話になり、協力者が何人かでたこと。また、今夜の都内での食事をやめて家で食べることにしましょう、と夫妻がその食事代を寄付してくれた。まだまだ、世の中すてたもんじゃーありませんね。ある国には日本人のボランティアが殺到すると言う。なにも外国に行かなくても、国内であなたを必要とするボランティアは沢山あるのに。そう、同じボランティアをするなら、世間で知られる場所でやりた。僕は私は●●でボランティアをした、とブログで公開できるし、自分自身が満足できるのだろうから。ある国では、日本人のボランティア用に日本人通訳が必要となると言う。それも、毎日まいにち、同じことを説明し、いつの間にかいなくなる。問題をおこす・・・明日は山中湖の修道院。時間があれば、御殿場によろうと思ってます。一度に行かなければ、ガソリン代が大変ですので。御殿場は神山復生病院があります。ハンセン病施設があります。
2007年10月15日
コメント(0)
昨日、今日とで車で移動し520キロ。カーナビがないので危ないことばかり。そろそろカーナビの必要性を実感する今日この頃です。人に頼っての演奏会は、本当に大変なようです。正規のギャラがはせいするわけではなく、ボランティアが原則なので、どうしても仕方のないことかもしれません。が、そのディスクを承知してまでやらなければならな、そう考えているのでは、それも仕方のないことでしょう。正直な感想の半分までも説明するうち、気の毒でやめにしました。何とか時間を割くこともできるので、お手伝いをします、と言って失礼しました。神父のローマンカラーもぼろぼろ、シスターもつぎはぎだらけ。よく見ると、本当に清貧ですね。女子大にうかがうと、地方の修道院に移られたとのこと。来週にうかがうことにしました。
2007年10月09日
コメント(0)
限りなき期待の中で、見る前から想像ができ、それでも限りなき期待をもって会場に入る。説明者が何度も練りに練った、議論し自信をもって読み上げる解説の作曲者への賛歌は、聴衆を魅了する。 演奏者もこの会場に立つうれしさがにじみ出、あたかも子供の運動会での姿に似ている。やった!、私を見て見て! きらびやかな衣装もあでやかで、スピリトス音楽、サクラ・ムジカとはかけ離れている。指揮者も登場し、指揮者は一心に棒をふり、ピアノ伴奏者は一心に目の前の譜面台の玉っころを追いかけ、歌い手は一心に我が楽譜に釘付けとなりオペラ歌手?を誇らしげに怒鳴りたて、時として奏でるトランペットの音は、これでもか、これでもかと騒音を撒き散らす。 初演されて半世紀を経ての再演だけに、音楽的考証も充分にされたのだと思う。何をやっても良いのではなく、音楽の本質的技法である「アグラファ」を実践すべきではなかったかと悔やまれる。それは作曲家にたいする演者としての最低の態度だと思う。(「アグラファ」は「使徒行録」にも出てくる言葉ですね) 一幕の3場までやっと見て会場を後にした。 地下には、ひっそりとした空間がある。しばらく、その作品を頭の中で確認した(以前にこの作品の譜面を見ているので)。いま、頭上で演奏されている音楽が地下にも響く。違うだろ! そう思いませんか! と作曲者に問いかけながら、しばし不思議な時をすごした。 作曲者は答えてはくれないが、柔和な笑みをたたえているように感じた。 何もかもが変わったこの場所。大掃除から、資料整理から、全てを初めから始めた頃は。毎日、車で1時間半かけて通ったあのころ。あの頃は真実だけがあった。色々な人が、色々なルートで、また自分の居場所、思惑からか、色々な人が集まってきた。僕の役目は終えたことを感じ取りここを去ったが、もうここからは真実は得られないほどになってしまった、と僕は感じている。 会場でトップと久しぶりの立ち話をし、打ち上げなど忙しいだろうからと、きょう久々に日を改めて会うことになっている。 期待をせずに見た演奏会だけに大きな傷を受けずにすんだが、それにしても、おさまらない気分である。このまま帰宅しても収まりがつかないので、帰宅途中の友人を訪ねる。詳細なうさ晴らしをした。彼が行っている活動。アジアでは(アフリカもおなじく)ハンセン病もエイズも子供の中で猛威をふっていると言う。無知と貧困。一人でも多くの子供の平安を考えるべきだと、つくづく思うし、思うだけではなく、彼に協力をすることを確認した。エイズは日本でも大変なことになっているらしい。(いつものことだが、文章確認もせず「登録する」をクリックします)
2007年10月08日
コメント(0)
全8件 (8件中 1-8件目)
1