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http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071113/plc0711131911007-n1.htm この事実も大問題だが、それがほとんど報道されないという情報統制状態は、もっと巨大な問題だ。
2008.05.31
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学校のインターネットは役立たずにもほどがある。 生徒用はおろか、教師用までも、厳しいフィルターがかかっているため、とにかく書き込みのできる掲示板には一切入れない。 調べごとがある際、それが複雑なケースについての疑問であればあるほど、たよりになるのは掲示板である。誰かが同じ疑問をいだき、過去に質問しており、誰か専門家がそれにすでに答えている。ググってみるとそういうのがけっこう出てくる。 ところが、いざそのページに入ろうとすると・・・フィルターにはねられる。そこまで来ているのに道が閉ざされる。 また、掲示板に何も書き込めないということは、自分が具体的な質問をできないということである。これではなんのためのネットかわからない。双方向性を捨てるなら、ネットとはいえない。 本屋か図書館に直接出向いたほうがマシである。
2008.05.27
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先日の月曜日も1時間目から5時間目まで全つまりの上、お昼休みはボール当番だったので、弁当屋さんに注文していた弁当を食べる暇がなかった。 5時間目終了後、トイレを含む三か所同時に清掃監督したあと、6時間目は本来クラス担任が担当の特活だったのだが、体育館での集会になったので、副担も行かなくてはならなかった。 結局、このかん、一秒もだんどりに選択肢のある時間はなく、ねずみのように一瞬も止まらずに動きつづけた。 そのかんに弁当は空き箱回収に来た弁当屋さんに回収されようとした。それに気づいた僕は玄関に追いかけて、弁当屋さんの車をストップした。「まだ、食べてないんです!」弁当屋さんは空き箱の山の中から、まだ手がつけられていない弁当を探し出し、僕に手渡した。 6時間目終了後は、体育祭係会議というのを行った。それが終わってやっと、ふーっと息を吐いて、自分で自分の仕事の段取りを選択できる世界に還ってきた。 本来、授業というものはライブと同じで、十分な準備の上に、間合いをおいて精神を整え、さて本番と、臨むべきものであろう。たとえばさっきまで体育の時間の支援を要する生徒の入りこみをしていて、息せききって走ってきて、今度は一年のフアンタジーの授業、さらに続いて二年の古典の授業と、ぱっぱぱぱっとチャンネルのように切り替えて、そうそうよい授業ができるものでもなかろう。 まだ息も整っていないうちに、まったく別のテキストについて味わいのある話を始めようというのに無理があろう。お弁当も食べないで、その他無数の雑用をこなしながら。 本当に皆さんがそれでいいなら、そのレベルで教育をします。そうでないなら、公務員バッシングなんかしてないで、学校の教員の労働条件は苛酷すぎるという認識をもってくださいねー。
2008.05.27
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ずーっとずーっと休む間もなく、次から次へとただこなすように働いている。ボール貸し出し当番などのため、昼食は5分で食べることもある。 特に先週は中間テストもあり、持ち帰り仕事も多く、プライベートな時間がほとんどないような形でずーっと働いていた。 部屋の床に書類がちらばり、足の踏み場がなくなってきても、それを片付ける物理的精神的ゆとりがない。 金曜日の夜だったか、ふと鬱になりかけていることに気づいた。体の奥で気力が消えて、もう生きていても仕方ないんじゃないかという気がしてきた。 そのあと、やっと、際限無い仕事にいったん終了するめどがついてきた。それで僕はすこしずつ部屋の床の上を片付け始めた。いっきにではなく、ちょっとずつちょっとずつ。気が向いたものから拾い上げ、収納したり、破棄したりした。 すると部屋の床が見えてきた。すこしすっきりしてきた。と、鬱が回復していくのを感じた。 思うに、内面でも同じことが起こっていたのだと思う。自分のペースで感じたり、整理したり、収納したり、処理したり、そんなゆとりがないままにただただ物事をこなし続けると、やがて散らかった部屋のように、無気力を絵に描いたような状態になるのだと思う。 だから鬱になりかけたのだ。
2008.05.25
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これが本当のファンタジーだと思った。脱色されたディズニーやハリウッドのファンタジーとはまったく違う。痛さと混沌、残虐さと悲しみと祈りのあるファンタジーだ。 パン(牧神)は、非常に重要な位置づけの神であり、シャーマニックな世界とギリシア神話の世界のつなぎ目にあるようにも感じた。ウィクペディアなどでパンについてざっと参照されよ。
2008.05.12
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