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http://jp.youtube.com/user/swamipremabhisheka 見るべき映像はけっこう多いと感じたので、you tubeに「あびの万華鏡 映像バージョン」をつくりました。 再生リストでは、派遣労働についてなどを特集しております。 動画アップのコーナーには、あび詞・曲の「こんなに広い宇宙の中で」のライヴ映像をアップしましたので、これも見てね。 これでついにあびの歌が世界じゅうから聴けるようになった。笑 今後も映像メディアでも遊びたいと思います。
2008.12.29
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サブプライムローン問題に端を発した金融恐慌は、ついにあのドルさえも本当は紙切れにすぎないことを暴露してしまった。 んでも、「いわゆるオツムがよくない故にまともな知恵のあるふつうの人間」は、紙幣が紙切れにすぎないことぐらい、最初から知ってるんだけどさー。 それにバブルのときにあんなに思い知ったのにまた同じことの繰り返しやんかー。まったく!「オツムのよい経済学者たち」は、あたりまえのふつうの知恵が全然ないのねー。 もう自分で考えることにするわ。 そこで素人経済学。経済とはエネルギーの循環である。ぐるぐるぐるぐる、人々の間をエネルギーが巡る。それをお金に換算するのは、ただの比較的便利な指標にすぎない。取引きの覚書きメモのようなものといおうか。 お金は刷れば刷るほど、刷った国家は借金を増やしたことになる。だって実体のないものを刷ったんだから、基本、それは借金したのと同じでしょう。だから、お金は、ちょうど回転に不自由がないほどあるのが、一番、いい感じなのである。 そして、気持ちのいいエネルギー回転が多ければ多いほど、経済は豊かだということができる。たとえば、ゲームの最初に自分のところに100万円あったとして、その100万円がひと月に10回、自分のところを巡回してきたとすると、自分はひと月で1000万円の収入を得て、1000万円の支出をしたこととなり、これってかなりリッチだと思いませんか? 金は天下の回りものとは、そういう意味でしょう。 だったらお金って持っていることにはまったく意味がなくて、入って出て行って、また入ってくるエネルギーの循環が、リッチな感覚を生むわけでしょう。(けっこうセックスにおけるエネルギーの交流と似ているかも?) 便宜上、お金で説明したが、気持ちのいいエネルギー循環が豊かに自分を巡回していけば、それは経済的に豊かだということになる。 だが、エネルギー循環はあればあるほどいいというものでもない。たとえば、環境を破壊する形での活動は、できれば、まったくないほうがいいのである。 じっとしているのが気持ちいいときは、じっとしているのもエネルギーの祝祭であって、これまた、気持ちいいという真実に立脚するかぎりにおいて、豊かなことなのである。 エネルギーは巡回してもいいし、巡回しなくてもいい。ただ、自在に踊ることさえ可能であればいい。 食べるものを創る人、衣服を創る人、住処を創る人、アートを創る人、愛を交わす人、歌う人、踊る人、そのほかの世話をしあう人などなどが、自分のエネルギーを活かして、エネルギーの巡回に参加すること。そのことでエネルギーが豊かに巡っていけば、巡るたびに歓びを感じ(悲しみも感じてもいいのだが、とにかくすべてを感じ)生きていくことにあるのである。 その回転が早ければ、お金換算のカウンターの数字が上がるが、カウンターが上がろうが上がるまいが、エネルギーの巡回に滞りがなく、自分が気持ちよければOKである。いっぱいエネルギーを流して、いっぱいエネルギーが還ってきてもいいし、じわじわ、ゆっくり楽しむのも、実はもっと気持ちいいかもしれないのである。 これが本当の実態経済であり、ここに依拠している限り、その個人やその社会は、金融恐慌とは原理的に無縁なはずである。まあ、現実の、資本の網の目の中ではそうもいかないが、少なくともこの原理は、忘れたくないものだと思う。
2008.12.28
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人生の終わりに振り向けばきっと絶頂と思っていたものがプロセスでなにげない途中の一コマだったはずのものがクライマックス
2008.12.27
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子供が小さいころというのは、特有の多忙さや煩いと、特有の幸福感がある。だが、いずれにしろ終わってみればあっという間だ。あとはまたもう一度、死ぬまでに果たすべき自己実現と自己超越の課題が残る。
2008.12.14
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