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禁煙して4日目です。「喫煙というこれまでの悪癖を断つべく、ケンコーのためにも、むちゃくちゃガマンしてんのよ(イライライライラ・・・)」ってゆーのではなくて、「喫煙をしないことにする」ってこないだの月曜日に決めちゃたんで、そのままダラダラと「吸わない状態」が続いてます、ってだけです。いや、別に喫煙復活しても困る人いませんから、意固地になる必要はないんですけどね。頭痛と口寂しさはちょっとヤダけど、ま、そのうち慣れるんでしょ?痰もスッゴイのがゼリー状で排泄されてます、グローい。
2005.09.29
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朝のスーリャナマスカーラで既にカラダがイヤイヤしていた。伸びない、ふらつく、呼吸がしっくりこない。元気エネルーギー枯渇気味か?と、3連休初日の本日はアシュタンガはお休み、代わりに近所のジムで水中メディテーションであるスイム1kmとミストサウナ&ジャクジー、その後は無料スタジオレッスンの「まったりヨガ」の日にした。癒せ癒せ。ジジババに混じって行う「まったりヨガ」も、やり方次第で非常に有効なのに、以前はそんなコトに気づかなかったんだなぁ。「退屈なストレッチ」ってバカにしてたのは紛れもない私自身。ああ、ニンゲンって成長するのだ、感慨。最近のヨガブームは、ここ下町のジムへも波及している。なんと毎日ヨガクラスがあるのだ、スゲー。一昔前は参加者2/3が高齢者だったけど、最近は逆転してほとんどが若いギャル~主婦層。よってレッスン内容も「ややパワーヨガ寄り」にシフトしつつあるぞ、と気づいた。太陽礼拝や勇者のポーズ、三角のポーズ、ねじった三角のポーズ、椅子に腰掛けるポーズ、といったパワーヨガ系アーサナが続き、ちょい待ってこれじゃアシュタンガのスタンディングではありませんか・・・と、まったり予定が狂いツイツイひとりでウジャイ呼吸してマジ顔して本気汁出してました、相変わらずバカですね。そういえば文春かなんかの記事で、昨今のヨガブームによる需要過多でインストラクターの質の低下が指摘されていた。フィットネスとしてのヨガもどきを「ヨガを始めて1年程度」のエアロビ系アスリートなオネーチャンに教わるのは、いかがなものか?って内容。一理あるけど、結局は「学び修練する私達受け手側の姿勢」次第でいかようにも、と思ますが。だってココロがきちんと整っていれば、いつでもどこでも、どんな単純なアーサナであってもヨガはできるのだ。反対にレッスンを受けてさえいればヨガができるようになる、っていうメンタリティの方が問題アリです。他力本願的アプローチで得られるのは単なるカタチだけのポージングなんだから、だったら別に「ヨガを始めて1年程度」のエアロビ系アスリートなオネーチャンに習おうがオッケーなんじゃないか?違うかな?ともあれ「まったりヨガ」でひとり大汗をかき、最後のシャバーサナ(屍のポーズ)で、ワタクシ生まれて初めて「無になる」体験をしました。胡散臭いハナシじゃないですよ、マジマジ。シャバーサナというのはヨガの最後に行う「横たわって全身を弛緩させリラックスする」ポーズです。大抵ワタシは「あー腰痛い」「となりのイビキうるさい」「今夜の夕飯なににしよう」などの雑念がグルグルするか、もしくは爆睡するかがお決まりなのですが、今日は「なにも感じない」「カラダになにも触れてなくて宙に浮いてるみたい」「なにも考えていないが明晰である」「とてつもなく静か」「すんごい覚醒」「無であり全てである」というような感覚に全身が包まれたのです。インストラクターの声がちゃんと聞こえているし、アタマ(なのかなココロなのかな)がとてつもなくクリアで、眠る直前の感覚とも異なる状態。わーワタシあっち側へ行っちゃったのかしらん、と後で怖くなってダンナに報告したら、「あー、それはTranscendentalな体験をしたんだねー。よく瞑想なんかで得られる感覚だよ。State of Serenity or Tranquilityって感じでしょ?」と事も無げ。そういや彼は昔ストレス時代に瞑想を学んだ人でした、今頃思い出しましたぜ、師匠。えー、ひょっとすると、こういう感覚を人々はフツーに日常で手にいれてたりするのか?なんかワタシ人生の遅れをとっているわね、知らなかったのはワタシだけー?愕然。あーでも、初めての至高体験モドキ、ちょっと「もう後には戻れない」って感じじゃん、クール。
2005.09.23
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ところで本日ヨガレッスンの帰りにCD大人買いしたのですが、ちょっとー、Death Cab for Cutiesの新譜”Plans”スバラシイ事この上ナイっす、涙。あと、MewとかMagnetの新譜も購入、でもまだ聴いてません。ヨーガにずっぱまりの昨今もあり、宅ヨーガ&瞑想用にチベット仏教音楽とか、インド古典音楽なぞも衝動買いしてます、ははは、相当バカだー。それはそうと、なんとワタシの大好きなサトシクさんのバンドAmusicAのCDも出るので、いやーこの秋は聴くオンガクに事欠きませんね。ああ、至福、合掌。
2005.09.17
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もう今年は旅行なんて結構なのさ、だってもうじきワタシフィリピンに移住しちゃうんだもんねー、と思っていたのですが、会社の夏期休暇は「一定期間内に消化せねば消滅」のため、「そりゃアータもったいなくてよ!」のダンナの意見に素直に従う貞淑な妻=ワタクシは、近くて安い南国サイパンへ先日行ってまいりました。えー、サイパンなんてダセー、などと言いなさるな。なんとパッケージツアー7日間で7万円・片道3時間という「一昔前の伊豆や熱海」的利便性を兼ね揃えたスバラシイ観光保養地でございます。「いかにも」の表面的ツーリズムにゲロ吐きそうな方でも、ホテル前のビーチとかガラパン地域とかマニャガハ島あたりを避けて過ごせば、すこぶるチャーミングな南の島だという事実に、きっと目からウロコだと思います。体力と時間を費やしてコサムイやボラカイ行くより断然てっとりばやく楽チンにビーチライフを堪能できるので、実はワタシ数年前から密かにお気に入りなのであります。午前中はホテルのプールでガシガシ泳ぎ、午後はレンタカーで人気のないビーチへ、夕方は島内ドライブ、夜はガラパン地区以外のレストランやバーで喰って飲んでビリヤードして、ホテルの部屋へ戻ってはバルコニーで夜の海を眺めながらビールをガブガブ×7日間、あー楽しかった、食事が肉食系に偏り気味になっちゃったけど、ま、それも良しだ。あ、ダイビングはグロット1本のみ、外洋から差し込むブルーホールの光は相変わらず神々しゅうございましたし、タンク背負ってのアノ階段はシンドウございましたことよ、ゼイゼイ。
2005.09.17
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平坦な日常に刺激を!アイマイで確証の持てない身体感覚を取り戻せ!をテーマにアシュタンガ・ヨーガを始めて1ヶ月が経ちました。都内某IYC(あ、まんまじゃん)にて入門クラスを数回受けた後にベーシックを5~6回、家では毎朝スーリャ・ナマスカーラA・B(太陽礼拝A・B)を日課に過ごした2005年8月は、一生で最も汗をかいた夏と云えましょう。時間のあまりある学生や専業主婦と違い、残業出張家事アレコレの合間を縫っての、かなり限られた修行ではあるのですが、時間は熱意で作るものなのだね、ハニー。さておき、煩悩の塊で低俗な人間性を持ち合わせている鼻持ちならない東京のオバサンであるワタクシが、いかようにヨーガなどという崇高で禁欲的でアンタッチャブルでピースでオームなモノと関わりを持ち、そして私のココロとカラダがどのように影響を受けてゆくのか?というのは、ある意味非常に興味深いな、これはちょいと進捗報告的に記録をとっていこうかな、と、さっき急に思いつきました。ところでヨーガっていうと、インドの山奥で修行する僧がプリュッツェルみたいな格好してる図を思い浮かべることでしょう。もしくは「内からキレイに!メリハリボディへの道、ハリウッドセレブヨーガ!」的女性雑誌の煽り文句の胡散臭い商業ビジネス戦略を感じるかもしれません。しかるに、ヨーガとは?などと、ここでワタシごときが語ってはイカンので、哲学については各種文献やサイトをあたってください。各種プリュッツェルみたいな格好はヨーガ哲学の一部をなすアーサナ(ポーズ)と呼ばれます。このアーサナは一体どれだけ種類があるのか見当もつきませんが、私の所持する「ヨーガ・バイブル」という本には170種が」掲載されてます。その様々なアーサナを実践することにより、カラダとココロの調和を図り、深い瞑想へと至るのが一般ピープルである私達のヨーガに対する本来のアプローチなのでございます。カラダを引き締めたい!とか、肩こり治したい!とか、特定のアーサナができるようになりたい!とかいうのは、それ自体を目的にしちゃうのはちょっと違うよね、「いま・ここ」をないがしろにしてちゃ、その先は空虚だよね、というのが今の私の解釈。ヨーガにはいくつかの流派があり、オウムの「修行するぞ!修行するぞ!」もある意味馬鹿げたイチ流派だったんだと思う。宗教がらみになると途端に胡散臭くなりますが、アーサナのもたらす肉体的&精神的「目覚め」はLSDなどのドラッグ同様に洗脳にはもってこいのツールだからなのでしょうね。さておき、一般的なヨーガの流派はハタ・ヨーガ、アイアンガー・ヨーガ、クンダリーニ・ヨーガ、ビクラム・ヨーガなどがあり、これらと並列してアシュタンガ・ヨーガがあり、その特徴は、呼吸と動きを連動させ流れるように一定のシリーズを行い、ダイナミックかつ系統だっている、ってとこでしょうか。ま、いずれにせよ、ヨーガなんて退屈!という私の認識をガツーンと覆したワケですから、かなりチャレンジングかつ相当の爽快感アリ。ま、下手なおざなりセックスよか断然いいっすねってコトです。この素晴らしく系統だったシリーズの実践には、涅槃への階段のごとく段階があります。基本・準備運動スーリャ・ナマスカーラA・B↓スタンディング↓修行>プライマリー(初級) >インターミディエート(中級) >アドバンスド(上級) ↓締めくくりフィニッシングアーサナの順番はしっかり決まっており、全てのアーサナは次のアーサナを行うための準備段階であって、そのアーサナができれば次のアーサナにトライする準備が整ってますよ、ってコトで、反対に言うと、ひとつのアーサナができなかったら論理上は次のアーサナへは進めない、進んだとしてもそれは本来のヨーガではなくて「単なるカラダのストレッチ」ですよ、ってコトです。中級・上級というのは殆んどフリークショーか見世物小屋か、というほどアクロバティックで「ありえない」世界です。ワタシのような初心者にとっては初級ですら「マジでこんな格好スルアルカ?」 とワクワクしてしまうんですけどね。スタートして1ヶ月そこらのワタシはこの初級の半分だけやる、ハーフ・プライマリーレベルで、先が楽しみだな、っていう、ま、一番楽しい時期なんでございます。人のカラダっていうのは面白いもので、それまでの人生で培った「クセ」が、ヨーガをやると真っ先に眼前に突きつけられるのね。ワタシャ蓮華座が組めない!とウロたえたり、肩の関節の稼動域が左右でまったく違う!と驚愕したり、なにゆえワタシのカラダはこんなにも重力に支配されているのか?と哲学したりします。レッスン中周囲を見れば、百人十色の得手不得手が一目瞭然で、できるからスゴイとかできないからハズカシイって次元ではなく、そこへ至る修行自体が実践の意義なんだなぁ、と、真面目に感心。見栄っ張りでエエカッコシイでブッチギリの大勝利好きなワタシには、なかなかの精神修行になります。と同時に、人のカラダっていうのは鍛錬によって耐性が生じるのは本当。1カ月前にはできなかったポーズができるようになるのは愉しい。特に蓮華座ねっ、なんでワタシこんなにこだわるのか自分でも不思議ですが、最近では夜の晩酌時にリビングルームでウト・プルティの練習をしてはダンナの顰蹙を買っております。でもまぁ、大事なのは継続なわけで、10年後20年後でもヨーガをやってるオバアチャンになりたいものですわ、と、優等生的なしめくくりで、終了、ナマステ。
2005.09.03
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