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4時起床、昨日と同様にホールでの瞑想からスタート。流れ的には、前日の夜最後のグループ瞑想時にテープで流れるゴエンカ氏の「瞑想のやり方の指示」の方法を翌朝から開始するみたいだ。よって、本日からは「呼吸自体の全体を感じて見つめる」瞑想方法から少し展開して、「上唇を底辺とし鼻全体を覆う三角形部分、そこの感覚によって呼吸を感じる」と、具体的に指定された体の部分によって感覚を研ぎ澄ます訓練だ。鼻腔を通る空気を感じる。吸うときは少し冷たく、吐くときは少し暖かい息を感じる。鼻腔から出た息が上唇の上部に当たる感覚を感じる。吸うときにジンジンするような鼻の奥の痺れを感じる。外部の空気に触れている鼻の外側の微細な反応を感じる。上唇の上部がチクチクと小さく鼓動する皮膚感覚を感じる。それが想像上の産物なのか、本当に感覚として感じているのか、そのあたりが朦朧としてくるのが怖い。私はちゃんとココに存在しているのかな?私の存在なんて実は嘘っぱちのマヤカシだったんじゃないのかな?思い込み強し、イマジナリーワールドで平気で過ごせる体質、意識変容に対するオープンさ、といったワタシの資質がいかんなく発揮されてしまう、ああ、危うしミワユミコ!既に脳内スイッチはオン状態、委ね遊ぶ快楽と恐怖。えー楽しーい、雑念想念どころじゃなくてよ!と、最初は新しい感覚に夢中になってそう思ったけれど、しばらく経つとそれが普通になってきて、また色んな雑念が沸いては「あ、雑念」と気づき、呼吸に戻る。「あ、妄想」と気づき、呼吸に戻る。「あ、アタマの中での架空会話」と気づき、呼吸に戻る。「ああ、ワタシのアタマの中は本当に五月蝿いなぁ」とウンザリしながらも、また呼吸に戻る。その繰り返し。さすがに、昨日のように「プハー!爽快ざんすよ、ブッチギリの瞑想でゴー!うーん、快感!」というぶっ飛ばした心持ちではおられず、午前中の瞑想で、ちょっとシンドくなってきた。集中力が途切れがちになってきた。こういう色んな発見や気づきや疑問を誰とも話せないのがツライくて溜まらなくなってきた。周囲の物音に過剰反応してしまい苛々してきた。足のシビレが頻繁なってきた。股関節の痛みが出てきた。この瞑想コースそのものがくだらないシロモノに思えてきた。「未知の体験という刺激に対する反応のはけ口は自分のみ」という絶対的な事実に愕然とし、発狂しそうになった。途端に周囲の他の参加者が皆バカに見えてきた。なにやってんの、みんな?私も何好き好んでこんなバカみたいなことやってんの? ツライツライツライ、瞑想どころじゃない、呼吸を見つめるどころじゃない、ここにこうしているだけでギリギリの状態、破綻寸前の極限状態で展開する妄想の渦に呑み込まれる自分。だけど、これすらも「冷静に見つめなさい」と云われるのだろうな、と思ったら世界の淵の境界線が溶けていってしまうような妙な感覚が胸イッパイに迫ってきた。一体なにを深刻に捕らえているのか?すべては私のアタマの中だけで起こっているバッカみたいなドラマでしかなく、それに翻弄されているマヌケずらの自分が愛しくも憐れに感じられた。確かにこのコース中はお喋りなんてできないが、そしてそれが目下の一大事となってしまったが、実は1日に1回この瞑想に関して喋る機会があるということに気づいた。昼食後の30分間、事前にリクエストを出しておけば、公認アシスタント・ティーチャーとプライベートで「Q&A」ができるのだ。お、これだね、と膝を叩き早速リクエストを出す。お喋りしたいから「Q&A」参加ってのはちょっとマズイから、一応ちゃんと質問形式にしておこう、と架空会話のシナリオを揉むことで、退屈な朝食・休憩・昼食時間を乗り越えた。待望の「Q&A」タイム、順番待ちの人数は2・3人と少ない。制限時間は1人5分と短いので、通訳は頼まず英語で直接デレク氏に挑む。質問:今回初めての参加だ。昨日は大変深く瞑想に入れて良かった。が、終了後バランス感覚を失い、まるでジェリー上を歩いているような状態になった。このような反応は自然なことか?コースでの瞑想中はインストラクションどおりに行い、他の瞑想方法や宗教的な行為を取り入れてはならないということだが、それは何故か?リラックスするために慣れた瞑想方法や呼吸法を導入的に行うのは問題ないのではないか?ムドラーは宗教的な意味合いととられるのか?呼吸に集中するために「1・2・3」とカウントをとってしまうクセがあるのだかこれは問題か?周囲の物音がかなり五月蝿くて集中できない。とくに朝イチの瞑想がひどい。他人を非難したくないのだが、してしまう。このように邪魔された精神状態で瞑想をすることに意味はあるのか?瞑想に集中できないまま我慢して慣れてくるのを待った方がいいか、もしくは場所を自分の部屋へ移すなどして落ち着いた環境で瞑想を進めた方がよいのか?どちらが効果的で成果が見込めるのか?もーとにかく、わーわーわー。回答:まずは、もっと気を楽に、あまり自分を追い詰めず、リラックスなさい。反応:ふにゃー。前の日(DAY1)次の日(DAY3)もくじ
2005.12.25
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朝4時に鐘が鳴る。この後幾度と聞くことになる鐘の音・ゴング、これが全てのスケジュールの開始を知らせてくれる。4時起きは辛いかな?と思っていたけど、意外とサクッと起きれるもんだと感心。11月から毎日5時起きしてたからカラダが慣れたのかな?きっとそうだね。しかし寒さはツライ、特に雪の中、別棟のトイレ・洗面所へ向うのはかなりの覚悟が必要、でもそこをエイッ!と行く、アタマの中がキンとする快と不快のハザマ、ふふふ愉しい。30分で顔洗って歯磨きしてトイレ済ませて着替えて・・・あっという間なので時間との戦いだ。のんびりする間もなく4:30amのゴングが鳴り、2階の瞑想ホールへ向う。瞑想ホールには男女合わせて約60名くらいが勢ぞろい、女性の方が若干多いかな?外国人はうち15人くらいか。このコースは全てが日英のバイリンガルなので、(というか、どちらかというと英語の方が有利だ)日本に滞在する外国人でも気軽に参加ができるせいか、2回目以上の経験者が多い。この朝イチ2時間の瞑想では、先生がいるわけでもなく、指導テープが流れるわけでもなく、ただ瞑想しろってことなの?と当惑するも、誰に尋ねることもできず、なんとなく周囲を見て昨夜の指導テープのとおりにアーナーパーナー瞑想を始める。いやしかし朝イチの瞑想は眠気との戦いだ。(戦ってばかりだな)あちらでもこちらでもコックリコックリ、グラリグラリと船漕ぎ大会。私もご多分に漏れず何度も落ちた。自分の呼吸、吸って、吐いて、来る息、出る息、生暖かい空気、冷たい空気、右側の鼻腔、左側の鼻腔、肺の膨らみ、腹筋の収斂、雑念に囚われ、また呼吸に戻る、何も変えない、何もコントロールしない、あるがままの呼吸、あるがままの想念、否定しない、ただ見つめて、受け入れて、認めて、手放す、繰り返す、繰り返す、眠気に襲われるが意識がある状態、カラダだけが舟を漕ぐ、私はどこにいるのかな?ここは夢の中なのかな?朦朧と覚醒を繰り返す、繰り返す、周囲の物音に苛々する、季節がら風邪をひいている人が多いのか鼻をすする音、鼻をかむ音、くしゃみ、咳、咳払い、姿勢を直す音、席をはずす音、静かな瞑想環境を期待していたが、以外と物音が五月蝿い、苛々する自分、集中できず焦る自分、そんな自分を達観するもうひとつの自分、グラリ、グラリ、想念、過去の思い出、未来の想像、後悔、期待、頭の中で堂々巡りする会話、イマジネーション、フラッシュバック、足の痺れ・・・6:00am頃先生夫婦が瞑想ホールへやってきてテープを回す。突然ゴエンカ氏のメロディアスな、どことなく郷愁感を抱かせる、パーリー語でのチャンテイングが流れる。文末の擦れるような声の響きがなんとも言えず良い。「オーム」と空気を震わせて唱えた余韻のビリビリする感触を大袈裟にしたような、なんともカラダに心地よいバイブレーションにいたく感動した。このチャンテイングが30分ほど続き、聞き惚れながらも辛うじて瞑想を続ける。チャンティングが終わると先生夫婦は瞑想ホールを出て行く。なんか、ティムバック3みたいでかっちぃやん、とか思った。私たちは瞑想ホールに残され、6:30amの終了のゴングが鳴るまでその場で瞑想を続ける。6:30amから朝食。おかゆ、梅干、プルーンの煮付け、野菜のお惣菜1品、を各々が好きなだけ皿に盛るバッフェスタイルだ。「聖なる沈黙」は厳粛に守られるため、ジェスチャーや目を合わせることもダメ、これじゃ他の人とぶつからないように気を配ったりするのが大変だにゃー、と気疲れする。食後、部屋に戻りウトウトしてると、すぐに8:00amのグループ瞑想が始まるゴングが鳴る。「グループ瞑想」とただの「瞑想」の違いって何?というと、グループ瞑想は全員が必ず瞑想ホールで瞑想をしなければならず、ただの「瞑想」は瞑想ホールもしくは自分の部屋で瞑想する、それだけの差です。自分の部屋での瞑想って絶対さぼりそうなので、私は常に瞑想ホールに留まりましたが、人によっては「グループ瞑想」以外は部屋で休憩していたそうです。ま、人それぞれのペースというのがあるから、これはいいシステムだね。この日はもうひたすらアーナーパーナー瞑想、というか、私にとっては「いつもやってる瞑想」三昧でした。時間が経過するにつれ、時間の感覚が麻痺してきて、「いい感じで瞑想に入れた」状態が何度も経験できて、悦に入ってました。うーん、私ったらやるじゃん!みたいな感じでね。脳内スイッチのオン・オフのコツが掴みかけてきたってことなのでしょうね。ともあれ、もうあっという間に最後の瞑想タイムが終了!となり、なによこれじゃ楽勝じゃん、もっとしんどいのを想像してたわよ、と強気になった愚か者はワタシです。さ、席を立とうとしたら、グラリ。あれ、地震?と錯覚するくらい平衡感覚がなくなり、一歩一歩がゼリーの上を歩いているような感覚でグラリグラリ、ありゃー。こ、これはイカンっすね、とソロソロと部屋に戻り、ソロソロとシャワーを浴びにいき、ソロソロと布団に潜り込み就寝。また、眠れない、どうしちゃったんだ私のカラダ?前の日(到着日)次の日(DAY2)もくじ
2005.12.24
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関西地方は大雪!とのコトで東京発京都ゆきの新幹線は大幅に遅れる。京都から嵯峨野線・山陰本線で園部まで。園部から西日本JRバスに乗り桧山で下車し、センターからの迎えの車に乗り込む。園部からのバスは95%がヴィパッサナー瞑想合宿へ向う人達であることが、日本人・外国人を問わず、格好や雰囲気を見れば一目瞭然なのが面白かった。18時ごろ受付を済ませカンタンな夕食(お蕎麦)を摂り、まだ男女取り混ぜてお喋りができるので、アレヤコレヤ自己紹介やら体験談やらに花が咲く。そうだよね、だって数時間後から「聖なる沈黙」が始まっちゃうんだもんね。その後コース説明が行われ一旦部屋に戻り、20時からホールでの瞑想があり、ここからがスタート! パーリー語でのお経を復唱後、アーナーパーナー瞑想の指導テープが流れ、それに則って瞑想を行う。瞑想の指導は基本的に「ゴエンカ氏の英語でのインストラクション=>日本語訳インストラクション」のテープが流れるだけで、今回のコースでの公認アシスタント・ティーチャーであるデレク・フィリップ氏による説明は殆んどない。最初はそれが奇異に感じたが、ゴエンカ氏のインストラクションテープなら全世界どこでも同じ内容でのコース指導が可能なわけですから、効率的だし公平なんだな、と思いましたわ。さて、しょっぱなからの瞑想法、アーナーパーナーとは何ぞや?というのをカンタンに説明すると「自分の呼吸をありのままに観察する」それだけ。言うのは簡単、でも興味ある方は実際にやってみて。座って、目を閉じて、自分の自然な呼吸を意識して感じてみてください。どれだけ呼吸に意識を向けていられる?意識すると呼吸が自然じゃなくなってしまわない?あっという間に雑念・想念に囚われてしまわない?そうなの、そこがスタート地点なのです。私はちょっと前から瞑想をやっていて、自分の呼吸を瞑想のツールとして利用するのに慣れていたので抵抗ありませんでしたが、それでも1時間もの長丁場はダレてくるし、あっという間に雑念・想念の渦に呑まれてしまい、そのたびに「あー、私ってダメだなー」と自分を叱咤してしまい、そのたびに「あー、そうじゃなくて雑念・想念を否定せず、そのまま受け入れて手放せばいいだけなのにー」と、知識としての理解とこの身の反応とのギャップをいたく痛感することしきり。先は長いのだ。たかだか1時間の瞑想で足は痺れるし、背中が曲がってくるし・・・トホホざんす。9時には瞑想終了し部屋に戻ってバタンキュー、と思いきや全然眠れない。明日は4時起きだというのに、と思うと余計に眠れない、相部屋(8人で雑魚寝)の皆の寝息が羨ましく思え溜息ひとつ、外は雪。次の日(DAY1)もくじ
2005.12.23
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我々は生まれついた時点で既に充分スピリチュアルな存在ではなかったか?言葉も思考も未だ持たぬ赤子の心は果たして無であるのか、と問えば寧ろ、変容のフォームを伴わぬ無垢な状態という意味において、歳を重ね様々なしがらみでカチンコチンに固まった魂を持て余す我々よりも、ずっとずっと豊かで満ち足りた輝かしい自身を持ち合わせているわけなんだから。ならばなにゆえに、我々は歳を重ねプライドとエゴに支配され妥協と防衛と憐憫の苦しみでオノレをがんじがらめにしながら、何かを探し続けその不毛さに途方に暮れているのか?何かが足りない、何かが満たされない焦燥感。そしてそれにすら無自覚で鈍感になっている事実に打ちのめされる日々。何を一体求めているのか、本当に自分は何かを必要としているのかどうか、本質の大事な部分がイマイチ曖昧なまま世間のスピードについて行く為にガムシャラにガムシャラに、自分を奮い立たせる、狂騒のダンス、世界中が回り疲れているというのに!もしくは諦念という安易で甘美な卑怯さでもって責任を回避する、軽やかなステップ、したたかに醜悪に。肝心なことがいつもどこかに行方不明。モヤモヤと確証の取れない苛立ちがいつだって絶えずそこにあって、鏡に映るオノレは生気を失った亡霊のごとき形相をしているが、それは日常関わる人達全ての顔に張り付いている仮面と同じだというコトに気づかない振りをする。気丈にハイテンションで上っ面だけの空虚な会話を延々と続けるパラノイア、何かかから逃げようと必死になって。白々しい思いやりモドキや、見返りを期待する見せかけの親切、おべっかゴマスリ権力構図、表面だけの体裁だけの社交ゲーム。ねぇねぇ私たちの「ホントウ」ってどこに行っちゃったんだろう?雑踏に取り残された迷子の様な気分で1/100秒だけアタマをよぎる疑問。世間ではそういうことは考えないようになっているのだ、と道先案内人が叱咤する、そんなことをしていたらバスに乗り遅れますよ、とね。なんたってアナタ、都会で働くキャリアウーマン、しかも外資で管理職で国際結婚というバリバリの勝ち組街道まっしぐらなんだから周囲の期待に沿わにゃイカンでしょ?と。全てが見栄見栄見栄、虚勢張って強がって嘘ばかりで固めて、なにも感じないよう心を麻痺させる術にばかり長けて、泣き言や弱音などこれっぽっちも!だって私は子供の頃からずーっと誰からも羨まれるSomeone Specialであり続けたかった、ただそれだけのくだらない人生だったのだから、仕方ないね。シニカルなポーズで自分を守り固め、ニヒリズムに見せかけてはイザという時の避難場所を確保し、毒舌巻き散らすことで他人を平気で傷つけゲームに勝つことに奔走するばかりの、ああ、私は他人をちっとも愛してなぞいなかったんだな。いつもすべてがme me meの肥大したエゴで皮下脂肪がパンパンのダッチワイフみたいな人生。こんなん破綻します、普通の神経もってれば。そして運の悪いことに、私はすこぶる病的なまでにセンシティブ過ぎたという、それだけの話。ナーバスブレークダウン、摂食障害、アルコール依存、身体コントロールの喪失、それらが「当たり前」になれなかったあたり、一定レベルの社会人としては落伍者だってことです、くやしいけど。もういいや、外部の価値観なんてファックオフだ、自分にとっての「フツー」で生きよう、ってんでStory of my life人生変えることにした2005年後半。リセット予定の設定は済んだ、あとはその準備だ。自分にきちんと戻ってあげようと思った。まずは制御不能となった身体コントロールの復活を求め、リハビリ的に太極拳を始めた。同時に肉食やめてマクロビオティクスもどきの食生活に変えた。でも精神安定剤噛み砕いてビールで流し込むケミカル依存のままではありましたが。2004年の秋ごろの話です。以降、ジムでハタヨガやパワーヨガや瞑想を始めたが、「なんだかなー」という中途半端な感想のみ、ガムシャラ走ったり泳いだりファイティングエクササイズしてた方が爽快感あるわよねーてなもんで。しかしある日のパワーヨガからの帰り道、それまで何年間も続いていた体の凝りと痛みが丸っきり消え去っていることに気づいて愕然。あらこれはナニかしらー?と興味を持ったのがヨガ効果、早速本屋へ行きたまたま購入したのが「女性のためのアシュタンガ・ヨーガ」、そして数日後にはIYCのスタジオへ参加、爽快感に病みつきになり定期的に(10月からは毎日)実践開始、同時にプラナヤマ・瞑想実践も始め、ヨガ哲学・仏教・精神世界方面へ傾倒・・・。定期的に実践するヨガの(特にアシュタンガの)浄化作用には眼を見張るものがあり、自分の中でナニかが確実に変化していくのが判った。肉体的には身体がタバコとお酒を拒絶し始め結果的に禁煙・禁酒。肌が綺麗になり吹き出物や毛穴のザラつきが消滅。体重は変わらないが体脂肪が激変、つまり筋肉ついたってことか。精神的には「私が私自身である感覚」がどんどん鋭敏になり、これまで閉じ込めてきた「本当に感じているコト」をちゃんと感じ取れるようになってきた。それがどんなに辛くても回避しない、という勇気も同時に取得。このあたりは瞑想の実践がかなり影響してきてます。自分の内を見つめる、自分を知っていく、受容していく・・・執着を捨てるとかそういうレベルには達してませんが、過程としての瞑想によって得られるものはあまりに偉大で多大です。こんなトコロに答えはあったのか!マッシモー!そしてなによりも対人関係。取り繕わなくていいんだよね、私は私自身であっていいんだよね、「ウチラvsアイツラ」メンタリティを取っ払って「ワタシタチ」という視点でスタートすることによって、全然ラクチンでハッピーになれちゃうことに気づいた。本当涙がでそうです、これ。なんだーミンナ本当は良い人ばっかりじゃないかー、もー、敵を作りあげていたのは私自身だったのだー、ってな感じ。まぁ、会社辞めてから周囲がピュアで暖かい人ばっかりだっていう現在の状況もありますが・・・。今後も付き合う人はちゃんと選択していけばいいだけだしね。エゴ防衛戦になる付き合いはコリゴリ!ともあれ、すべてが偶然というよりは必然であったのだと、これは確証もって云えます。で、年末年始にヴィパッサナー瞑想10日間合宿に参加の後日本を離れフィリピンへ向います。私の人生の敗者復活編・第二章がスタート。バンザーイ。(瞑想合宿後の私がどのように変容するのか興味津々なので、「以前」の気持をとりあえずここに記す。)
2005.12.21
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記載は後日
2005.12.17
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ありゃ、もう12月も半ばだ、あわただしく日々が過ぎてゆくね・・・たって、私はここのところヨガと瞑想と読書くらいしかしてないんですけどさ。こんなことでいいのか?いいのだ。「なにもしない」ってことに罪悪感を感じることもなくなっちゃたので、とりあえずは、いいのだ。かの地フィリピンではダンナが独り奮闘しつつ私の到着を待っているというのに、私ときたら瞑想リトリートだ、ヨガのワークショップだ、と現を抜かしておるわけです、いいのか?ごめんねハニー、あんまりよくないね。きっと私はグズグズと逃げてるのかもしれない。共に彼の地で一切合財を投げ打っての体当たり人生というリアリティと対峙するのを恐れてるのかもしれない。アタマでは当然充分理解しているのにココロが納得してくれない、おっかしいにゃー、あああああ、またまた堂々巡りスタート・アゲインin my mind マジやだもー、呼吸へ戻ろう、吸って・吐いて・吸って・吸って・吸って、酸素が足りない欠乏感、バランスを失う、ダメだ!足掻くなワタシ、くそー負けてどうする。いいんだよ、負けちゃって。ほんとうに?想念雑念に飲み込まれる瞑想中のマインド、つまり我々はココロを制御なぞ、これっぽちも、はなからてんで無理だったということで、ならばいっそ、ああそうだね、期待や決意や憧憬や志といった執着を手放せっていうことか。なんだ、ちっとも脳内学習帖の域から出れないまんまじゃん、ワタシ。あー、キタナイなぁ、私のアタマ中は色んなガラクタで一杯で、本当にキタナイ。本来言葉なんて要らなかったハズなのにね、えーん、言葉に囚われ、言語化することで妄想を自ら作り上げては途方に暮れる、愚かな我々を救うものは外界になし。You yourselves are the Being you are seeking頑張りすぎるな、肩の力を抜け、眉間の皺を緩めろ、目玉リラックス、筋緊張を解して解いてgently gentlyそしてゆっくりと柔らかな自分の内に帰ろう。そこでキミに会うために。
2005.12.15
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記載は後日
2005.12.10
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ずっと書きそびれていたので、リマインダーとしてタイトルいれとこ。内容記載は後日。
2005.12.09
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今から15年前にココロときめかせたRideのヴォーカルだったMark Gardenerのソロアルバムを昨日HMVで発見しました。これ”These Beautiful Ghosts”です。数年前に彼が結成したThe Animalhouseでは、とってつけたような70年代テイストの中途半端さに非常に落胆した思い出があり、実はとっても躊躇したんですが、運良く試聴できたのでフフフーンと聴いてみたら、あらまー、これなのよ、こーゆーのをキミに期待していたのだよマーク君!と彼の肩に手を回したくなりました。「戦略的な胡散臭さを取り払った音楽家の魅力」という戦略に切り替えたのか、つまりパーソナルな部分で喚起される受け手の感受性に賭けたるぜ!という意気込を感じます。メロディアスなアコースティックサウンドが哀愁バシバシ放出で、そこに追い討ちをかけるように彼の変わらぬ美声が・・・って世界で、「繊細さ儚さ透明感の中に宿る確固とした洞察力と決意」というのが昔からの私のRide評なのだが、それをそっくりそのままこのアルバムに捧げたいですわ。かなりカッコイイというか、泣ける、いやマジで。(うーん、大袈裟で醒めちゃうね、って評価もアリかもしれませんが・・・)と同時に購入したのが、昨年私の中で爆発的に盛り上がっていた(にも拘らず知名度ゼロの)Great Depressionのミニアルバム”Prefix E.P.”で、なんでこのCDがレジ前の「イチオシ・プロモ試聴機」にどかーんと置かれていたのか?はギモンです、HMV新宿さん。世紀の一大傑作”Unconscious Pilot”を越えることはないが(それは無理でしょ)相変わらずの不穏でもの哀しいGreat Depressionワールドは健在で、ま、ヒマな1日お部屋の中に流しとく音楽としてならOK。その程度です。
2005.12.07
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ともあれ、いつまでも馬鹿みたいに呆けてらんないわ、とワタクシ突然目覚めました。無職で単身で好き放題やってるにも程があるのだ、セルフヒーリングとやらもイイカゲンになさい!そろそろ立ち上がって歩き出さなきゃねー、とやたらリポビタンっぽい勢いが体内に充満してます。不思議とこういう気持の切り替えって唐突にやって来るんですね。うーむ、つまるところ、これほどまでに私達はオノレの心すらコントロールできないということですか?いやむしろこの明らかなマイルド高揚感は満月に向けてのエネルギーチャージに影響を受けているのではなかろうかと思うのですが。ともあれ、何をしなきゃいけないって、モノの整理。持ち物全てを整理しなきゃ動こうにも動けないでしょ、ってことで、まずは衣類・本・レコード・雑貨の処分です。本当に必要なものだけ残して、愛着のあるものも全て一切合切救世軍へ寄付、もしくは知人へ贈呈、もしくはゴミとして処分。私たちは不要なものに囲まれていることに対しあまりにも鈍感だ。なんで冬用ニットキャップが7個も必要なの?なんで同型色違いのバッグが何セットもあるの?なんで読破する自信もないのに古本屋で全集とか買っちゃうの?なんで有効期限切れの似たような化粧品がいくつもストックされてるの?なんで毎年毎年パーティドレスを新調するわけ?なんで1回しか使わない香水が何十個も山高く放置されているの?私ったら、物欲がないなんて嘯いてたのにこのザマですかー、苦笑・・・。これって「お金をドブに捨ててるようもんだね」という言い回しが当てはまっちゃうワケですが、でも、個人的見解としては「買った!」という時点でお金を費やす価値はあった、というか、ま、買う行為そのものが快楽で目的だったわけですから、いいんです、いーんですったら。キーッ!ともあれ、少しずつ片付けを始めると、これがナカナカの快感になってきて、必要なものまでゴミ箱へ放り入れる始末。バカです。執着を断ち切るというストイックな行為に対するアディクションです。ははは。なんならカラダひとつでフィリピンへ乗り込んだろかー、てな勢いで、でもそれって悪くはないよね。身も心も軽い方がずーっといいっす。このところ家の中が徐々にガラーンとしてきてて、非常に心地よいのだ。カラダとココロも余分なものがどんどん削ぎ落とされていってる過程の真っ只中なので、余計にそう感じるのかもしれませんが。ああそうだ、どなたか洋書ペーパーバック・香水(若干使用済もあり)・化粧品(未使用のみ)本・レコードをもらってくださる方、知人とかいらっしゃらないでしょうか?私書箱へメールいただければドサッとお送りいたします。(本・レコードの一部はここに載せてますので参照してください。)
2005.12.06
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最近、運命というものをちょっと感じてます。と同時にここのところ、必要なものが必要な時に目の前に差し出されているような感じ、不思議だにゃー。10年間のサラリーマン生活に終止符を打って、海外へ移住するわよ!っていう決意の時期に、こんな風にヨガに傾倒しスピリチュアルな部分での変化を体験しているというのは、ナニカのめぐり合わせだったんだと思う。今現在はなんだかトランジットな状態で、会社からも家族からもダンナからも離れ、独りで自分をキチンと取り戻しつつシッカリ感じていってる最中みたい。でも、こういう時間を持てるというのはとってもラッキーな事で、それが途轍もなく有難くって有難くって仕方ないのが正直な気持。んで、ドースル、ミワユミコ?キミはどこへ行くのだ?と問われれば、あたしゃ京都の山奥へヴィッパサナー瞑想10日間合宿に行くよん、と答えとく。ヴィッパサナー瞑想、(日本語サイト)昔から興味はあったのだ、とはいってもヨガを始めた8月くらいに読んだYOGA YOMUの記事で初めて知ったんですけどね。それは怪しい宗教団体ではないのか?と心配してくれた方々も沢山いたけれど、実際に参加された人達から(これが意外と周囲にいるのだ、何故だろう?)直接ハナシを伺い、サイトや本で色々調べた結果「あ、これはOKだ、私を呼んでいる」と思い申込みましたのだ。ヴィパッサナー瞑想について、今、色々な事前知識をアタマに一杯詰め込んじゃったので、ナントカカントカ薀蓄をたれることもできそうなんですが、そしてそういうのが私とっても得意なのですが、それは止めとく。アタマデッカチで観念的でブラーx3なのはもう卒業ってことで、実際に体験してから口を開くことにします。その後、フィリピンのボラカイへしばらく行くことになるのだけど、「ヨガのスタジオなんてないだろうからツマンナイなー」とずっと思ってました、が、それが「いやあれだけ観光客を呼ぶ小島なのだからどこかでヨガクラスがあるだろう」という変な確信に変り、アチコチのそれっぽい所にメール問い合わせをガシガシしてたら、ありましたよ、見つけましたよ。Mandala Spaという一見お洒落でラグジュアリーな癒し系スパなのだが、ちゃんとヨガのレギュラークラスもあるというご連絡が!週3回のアシュタンガ・マイソールクラスと残りの曜日はハタヨガの中級(or Mixed level)を定期的に開いているらしいっす、Mandala Spaさん、やーん、うでじー、ありがとー、ラブ。何事も諦めちゃイカンね。
2005.12.04
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アシュタンガヨガを始めたばかりの頃、周囲の先輩やインストラクターから「そのうち生理がムーンディと重なってくるよー」とよく言われた。ヨガの実践そのものが浄化への道であり、ヒトという動物本来のリズムを取り戻すという意味では「そりゃそーだろうなー」と素直に思った記憶がある。しかし私の生理はかなり「不順・重い・ほとんど半病人」のため、月の満ち欠けとの同期もヘッタクレもないわよ、というのが正直なトコロでもあった。ところが、9月・10月・11月と生理のスタート日が早まり始め、あれーなんかおっかしいなー、なんて思っていたら今月はついに新月と同期をとりました、うあースゲッ!なおかつ10月からは鎮痛剤がいらないくらい生理痛ナシ、しかも前後のダラダラ期間がなくなり3日でサクっと終わるようになったのでございます。7月:新月6日/生理15~19日/満月21日8月:新月5日/生理13~17日/満月20日9月:新月4日/生理9~13日/満月18日10月:新月3日/生理11~13日/満月17日11月:新月2日/生理5~7日/満月16日12月:新月2日/生理11/30~12/2 /満月16日神秘だね、まったく。本当は生理中の3日間アシュタンガヨーガはお休みすること!らしいのだが11/30・12/1の2日間は朝マイソールで、逆転系を除き&ビンヤーサをはしょった練習を行いました。いつもの「気合のアシュタンガ実践」とはまた違い、まったりヨガ系でなかなかに癒されました(ちょっと骨盤がガタピシいってる感じがしたけど・・・)12/2の新月はお休みして、週末からまた練習復帰しよう。
2005.12.01
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