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朝、目を覚まし、カーテンを開ける冬だというのに変わらない陽射しがまぶしく感じる電話の音が鳴り響く遠く離れていても耳元で聞ける明るく元気な年初の挨拶毎日の習慣にしている朝の一杯の水蛇口をひねると流れ出る水家族とともに食事を摂る田舎からついてよこした餅が入ったお吸い物食後に頂く同じく田舎から送られてきたみかん近くの郵便局まで年賀を出そうと重ね着をして出かける通り道の公園では歩き始めたばかりに見える幼子のビデオ録りしている父親それを微笑ましく見守るおじいちゃん、おばあちゃん郵便局のポストに年賀状を感謝を込めて投函するこのポストからどれだけの人を介して届けてくれるのだろう帰り道、別の親子連れに行き逢う幼児を見るだけで思わず微笑む私そんな私の顔を不思議そうに見つめる幼児と会釈をする母親普段、当たり前のようなよく見る光景にも豊かさにフォーカスしていると起きてからわずかの間にもどれもこれもにつながりを感じ感謝し豊かさを感じ豊かさが増幅する心の中のフォーカスしていることが変わると目に入る光景が違って見え世界が変わってくる
2012年01月03日
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コップの中の水その水を多いと感じることも少ないと感じることもできるそれを感じ意味付けする自分がいる多いと感じられれば豊かな気持ちになり少ないと感じれば貧しい気持ちにもなる多い少ないで心が揺れる同じ量であっても多いと感じる人もいれば少ないと感じる人もいるその違いをもたらすのは目の前の水の量ではなくそれを感じ意味付けする自分にあるその心の世界ではコップの中の水を増やすこともコップそのものの器を大きくすることもできる豊かな心がコップの中の水を多いと感じ増やし器を広げることもできるその豊かな心がさらなる豊かさを引き寄せる財布の中の現金や預金残高を少ない足りないと思って嘆くのではなく愛がほしい足りないと思う前に自分の心をあふれるばかりの愛の預金で満たしその愛の預金を他人のために社会のために使いたいと思えたならどんなに素晴らしいだろう愛が愛を引き寄せ愛が深まり愛が広がる心の世界で生まれた豊かな心がとどまることなく流れ流れて幸せが循環するそう思う私のお腹は冬の厳しい寒さも忘れ熱く、熱く堪らなくぽかぽかと熱い豊かな心が満たされた心が幸福感で満たされるそんな豊かな心を持ち続けることが出来たならどんなにか素晴らしいことだろう今日よりも明日明日よりも明後日より多くの時を豊かな心で満たし広げ幸せを届けたい
2012年01月02日
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今年のテーマは「豊かな心」一日一日を「豊かな心」で満たそう!豊かになりたいと強く思い、豊かな心に思いを集中していると既に豊かであることに気づく生きていることが実感出来たとき豊かな水、空気、照らし続ける太陽…家族、同僚、友人…生活上必要なものを作り続けてくれたり、運んでくれたり、提供してくれる人たち…いろんな豊かな資源や支えで今の自分があることに気づく自然の世界では山々や川、花たちが私たち人間の心を癒してくれている心の世界ではさらに満たされた豊かさを満喫できる足りないと現実を嘆き、豊かでない物欲的な心で満たすよりも既に豊かであることに思いを馳せよう!さらに豊かであるために豊かであり続けるために一日一日をより多くの時を「豊かな心」で満たそう!
2012年01月01日
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認められたいと思って行動しても必ず認められるわけではない。 むしろ、認められないことの方が多いかもしれない。 同じことをしても評価する人もいるし、評価しない人もいる。 行動そのものの評価ではなく、印象やそれまでの実績など違った要素で評価が決まってしまうこともよくある。 行動そのものに見向きもされないことすらある。 思うようにならない心から失望感、不平、不満、怒りが生まれたりもする。 十人十色の評価に一喜一憂するのはやめよう。 認められたいと思う心は、時として大切なことを見失い、方向性を間違い、反発を受け、逆に評価を下げることにもなる。 思うようにならない心から、ストレスが積み重なり、自分自身を傷つけることにもなるのだ。
2011年02月24日
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後ろ向きだと思える人にも必ず前向きな何かを持っている。 話を聴き、語りかける中で、キラリと目の輝きが変わった瞬間を見逃さずに心に書き留めておこう。 そこに歓心があり、関心があり、感心がある。 話を聞いて歓心を引き出す。話(人)に関心を持つ。話(人)に感心する。 歓心、関心、感心から新たな関係性、 より良い関係性が生まれ、幸せの関係が築かれる。
2011年02月23日
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「カチッ」と来たら、その人にも「価値」があるんだと切り替えよう! わかってはいるけど…どうしても怒ってしまうことってあるかもしれない。 直そうと思ってもなかなか直らない。 そういうときは深呼吸するその場を離れるいろんな対処法をあると思うけど… ポイントは思考を切り替えること。 気分を害したとしても、そういう見方、考え方もあるんだと思えたら、その見方、考え方からも学ぼうと思えたら怒りは生まれないはず。 その発言にも価値、その行動にも一理あると考えられたらしめたもの。 でも、そううまくはいかない方のために 特効薬。 とっておきのおまじない。 「カチっ」と来て切れそうになったらその人にもその考え方にもそれなりの価値があるんだと頭を切り替えるための呪文。 それが、 『「カチッ」と来たら「価値」』 どうかな??
2011年02月22日
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他人(ひと)の幸せを 願っているときの心は軽く、自分の幸せだけを願っているときの心はとてつもなく重い。 ほんとうにその人の幸せや成長を願うのなら、何か「させる」のではなく、「してあげる」のでもなく、その人自ら考え、決定し、主体的に「する」方向に手を差し伸べるというスタンスが大事だ。 思うようにならないときは、その人の幸せを思うからこそと言いながら、実は自分の思いの実現、考え方を押しつけていないか振り返ってみるとよい。
2011年02月21日
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登るのには時間がかかる、下るのはあっという間。 ためるのは大変、使うの楽。 大切なことは、たとえちょっとの時間でも向き合うこと。 そして、少しずつでも良い習慣を〇〇し続けること。 目の前に現れた事、目標、理想と 向き合い、 前を向き、地に足をつけて、 少しでも 一歩、また一歩と地道に続けること。 そこに解決、理想実現への道が開かれる。
2011年02月20日
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「やれること」をやろうとやってると、 「やれること」しか出来ず、 「やれること」すら出来ない。 しかし、「やる」と決め、 「やれること」は何かとやってると、 「やれること」以上のことが出来る。 そこに成長、発展がある。
2011年02月19日
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笑顔って、すばらしい。でも笑顔が素敵な人、笑顔を絶やさない人って、他の人とどう違うのだろう~と考えてきた。 その結果、一つわかったことがある。それは、笑顔の基本である口元、「口角を上げた状態(基本動作)にいつも戻っている」ということ。 笑顔を絶やさない、感じのいい人は、話し終わった後、いつも口元が「い」を発音するときの横に開いた形に口角を上げた状態に口角が基本の位置に戻ることが身に付いている。 もちろん、 作り笑顔ではなく、自然な笑顔になるためには心もきれいにすることが何より大事だけどね。 でも、形から入ることも有効なので、鏡を見ながら研究するといいと思う。
2011年01月02日
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今年、習慣化したいことは、3つ。 まず一つ目は、英会話任天堂DS「えいご漬け」などで毎日、英会話のトレーニングをすること。 二つ目は、毎朝、ボイストレーニングをすること。 そして、3つ目は、筋肉トレーニング ・ 腹筋 ・ 腕立て ・ スクワットを毎日やること。 この3つの習慣化をめざしたい。
2011年01月02日
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今年改めて気づいたことは大きく二つ。まず、一つ目それは、「人は必要に迫られないと本気にならない」ということ。なぜ、本気になれないのか?その理由の一つは、それをやりとげた先に何があるかが明確になっていないから。もう一つは、「楽しくなければ続かない」ということ。なかなか「~ねばならない」「やらなきゃ~」では続かない。 何でもいい。 それをやることで何かの楽しみ、喜びを見つける。 自分や他人の成長、笑顔…それを続けることで得られる成果を「達成しなきゃ」ではなく、「達成する」。思いの中で、「達成できている」とイメージする。 「ワクワクする」その感覚が継続につながる。そして、次のステージ(目標)が見えてくる。
2010年12月31日
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「失敗(不始末)したこと」を他人に話し…上司や上位部署から「だからいつも○○しろと言ってただろう」とか…「なぜ、もっと早く報告しなかったんだ」とか…「後始末(尻拭い)を責任をもってしておけ」などと言われる。部下からは「私はやることはやっている」「そこまでやらなきゃいけないんですか?」と開き直られたり、「私はすぐ上司(あなた)に報告しました(よね~)」などと言われ…正直に話した家族からは「それは駄目だわ~」とか…「どうしてそんなことしたの?」などと駄目だしをされ、責められる。あげくのはてに「それでどうなるの?」「給料減るの?」とたたみかけられ…将来の現実のことまで突きつけられる。そこで、「他人(ひと)は結局、自己保存に走るものだ」と思い知らされる。しかし…そこで、自分も「他人に責任転嫁」したり、「言い訳を考え」たりして「自己保存に走る」か??いや私なら…「自分の行動」を見つめ、「その行動の原因」(思い、考え、認識)を探り、その「失敗」を「教訓」にして、次に生かす。悩んで正直に話した部下や家族にはその「辛い気持」を共感し、部下(家族)の話(言い分)を傾聴し、その部下(家族)の人格を受け容れる。ときに、「君(あなた)らしくないじゃないか」と日頃の頑張りを認め、その行動の原因にその部下(家族)の長所を探る。ときに、「○○(より大きな失敗)じゃなくてよかったじゃないか」と慰め、元気づけ、「立ち直るきっかけ」、「失敗を教訓にする方向」へと導く努力をする。そんな自分でありたいと思う。
2010年11月20日
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朝、風を感じながら仕事場へと自転車をこぐ。同じように自転車通学する高校生の後に続く。彼らの背中にエールを送る。『頑張れ~!』『ファイト~!』坂道をこぐ。ペダルをこぐ足、ハンドルを持つ手思わず、力が入る自分にエールを送る。『頑張れ~』『負けるな~』ゴールは近い。ゴールの先には心地よい風が待っている。
2010年10月10日
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顔、顔、顔いろんな顔がある。だから人生おもしろい。喜んだ顔...怒った顔...哀しい顔...楽しい顔...でもやっぱり笑顔がいちばん輝いている。
2010年10月09日
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未来は過去の延長(現状維持) と思いがちだけど…それじゃあ~あまりにも未来に希望がないってこと。思い切って心の世界だけでも理想の世界なりたい自分イメージをとことんふくらませて楽しもう!たとえば「年収1億円!」すると、そのためには何をしたらいいかが見えてくる。今まで見れなかったものや考えつかなかったことが浮かんでくる未来が過去の延長ではなく、輝いている自分笑っている自分生き生きとしている自分がそこにある。
2010年09月16日
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昨日より今日、今日より明日…少しでもいい。形にあらわれなくたってもいい。成長してるって実感できる毎日でありたい。
2010年09月15日
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腹筋を鍛えるには何も腹筋運動に限ったことじゃない。以前にも書いたが、ウォーキングを腹式呼吸しながら行うことで、腹筋は十分鍛えられる。さらに、最近は、ウォーキングしながら歌を口ずさむ。本来なら大きな声で歌えればそれにこしたことがないが、声に出さなくても、口パクでもOK!腹筋を意識しながら声を出さずに歌いながら歩くといい。さすがに口の動きがわかる距離に他人がいるときは避けるけどね(笑)
2010年09月13日
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箱田忠昭氏(インサイトラーニング代表 インストラクター)は…『「時は金なり」という言葉もありますが、私はこの言葉は嘘だと思います。金はたとえ失っても拾うことが出来ますが、時間は一度失ったら二度と拾うことは出来ません。まさに時は命ではないかと思います。』 と、いろんな書籍、セミナーの中で「Time is Life.」「時は命なり」と述べておられます。また、 日本話し方センター所長であられた故 江川ひろし さんも、話し方の指導の中で、「お金は一度失っても前以上に働けば、前以上に蓄えることができるが、時は一度失えば、二度と取り戻すことができない。話すということは何物にも替えがたい『命『を(聞き手から)強制的に奪うわけだから、できるだけ準備すること、それが話してにとっても一番重要な『誠実さ』につながる。」と時の大切さをおっしゃっておられました。 一日一日をどう過ごし、どう活かすか、それが人生をより充実させる秘訣でもあるということだろう。肝に銘じて日々、一瞬、一瞬を、時の大切さを、自覚しながら、充実させていきたいと思う。
2010年09月12日
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人は無意識に現状を維持しようとする⇒成長、発展要因となる機会を意識的に避けてしまう⇒成長、発展の可能性を自ら摘み取ることとなる⇒いつまでも現状維持が精一杯で充実感が持てないままとなる
2010年09月11日
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人はセーブした行動を続けていると、セーブした状態が実力となる。
2010年09月10日
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人は必要に迫られないと本気で行動しようとしない。
2010年09月09日
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ゆっくりもしていられない。
2010年09月08日
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本気になろうと思う。
2010年09月07日
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他人(ひと)に求めず、自分に求める。⇒他人(ひと)がどうか、どうあるべきかではなく、その状況の中で、自分に何ができるかを考える。⇒浮かんだ考えのままに『よし、できる』として素直にやってみる。⇒できる。
2010年01月03日
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なりたい自分になる。理想の自分を演じる。肯定的なイメージを持つ。できないことを考えるのではなく、できることを考える。Yes , I can !
2010年01月02日
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”一年の計は元旦にあり”とはよく言うが、今日、ふと思い浮かんだことは、「努力が足りない」、「念いが足りない」ということ。そして、「お前は何がしたいのか?」「どうありたいのか?」ということ。この心の叫びにどう向き合い、どう応えていくか、それがこの一年の課題とする。
2010年01月01日
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過去は過去未来が過去の延長とは限らない。過去も未来もなく、一瞬一瞬の今を大切にしよう!何を思い、何を伝え、どう動くか?過去の延長で今の自分を映し出すのではなく、過去、見聞したことで恐怖や不安にさいなまれるでもなく、自分はできない、やれないと自己卑下したり、自己限定するのでもなく、過去がどうであったかでもなければ、未来がどうなるのかでもない。今、自分として、どうしたいのか?今を大切に生きるのだ。一瞬、一瞬の今を!なりたい自分を思い、描き、創造する。そこにほんとうの自分が見えてくる。
2009年09月23日
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自分をまるごと愛しなさい。自分の善も悪もまるごと自分のすべてを愛するのだ。ありのままの自分を愛するのだ。自分を愛してこそ、真に他人を愛することができる。自分を愛してこそ、喜びで自分を満たすことができる。自分を喜びで満たしてこそ、他人に喜びを与えることができる。他人に喜びを与えてこそ、心の広がりを感じることができる。自らの心の広がりを感じてこそ、自他のつながりを感じることができる。自他のつながりを感じてこそ、自分が何をなすべきかが見えてくる。自分が何をなすべきかが見えてこそ、自分の存在意義が見えてくる。自分の存在意義が見えてこそ、生きる活力が生まれてくる。生きる活力が生まれてこそ、すべてに立ち向かう勇気が生まれてくる。すべてに立ち向かう勇気が生まれてこそ、自分をさらなる高みへと導くことができる。さらなる高みがさらなる喜びを生む。幸せは悩みや苦しみそのものにもなく、不安や不満の中にもない。過去の自分、いまの自分に憂い煩うよりも、日々創造し、日々新生しよう。日々創造し、日々新生する中にほんとうの自分が見えてくる。自分を愛し、自分の素晴らしさを信じ、さあ~今日もまた喜びから幸せへとつながる創造の一歩を踏み出そう。すべては、自分を愛することから始まっていくのだ。
2009年09月06日
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挨拶って何だろう?挨拶にどんな意味があるのだろう?挨拶にどんな効果があるのだろう?最近、挨拶について考えてみた。いろいろ考えていくうちに…ふと思ったことは、挨拶って、他人の存在を認めること、そして、自分の居場所を見つけることじゃないかな?ってこと。自分の居場所が見つけられないって感じたりすることがあったりするけど…それは、何となく、そこにいるって感じがするからじゃないかな?地に足が着いていないっていうか…自分と他人の関係が薄くなっているというか…自分を受け容れられないっていうか…他人も受け容れられないっていうか…そして、挨拶できるってことは、自分の居場所が見つけられたからこそじゃないかな?ってこと。また、挨拶できるってことは、挨拶する相手がいるからこそだし、挨拶する相手を挨拶する存在を認めることができたからだよね。だから、挨拶するってことは、自分が確かに「ここにいる」っていう感覚があるってことだし、確かに「ここにいる」ってことを再確認するってことにもなる。他人に対して、「私はここにいるよ」って伝えることにもなる。そして、挨拶の対象としての相手も確かに「そこにいる」ってことを認めることができるから挨拶ができるのだと思う。だから、挨拶することで、自分の居場所があるってことを認識し、そう認識できる自分に感謝し、そのことを感じさせてくれる相手の存在を認め、その存在にも感謝し、そして、自分と相手との関係性の中で、成り立っている家庭や職場や社会にも感謝する。そう、挨拶することで、自分の居場所を見つけ、自分の存在を認め、他人を認め、その存在を認め、その関係に気づき、その関係性を築きあげるもの。そう考えたら、「挨拶ってすばらしい」ことだと思えた。だから、毎日、「(あなたがいてくれて)ありがとう」の思いをのせて、「おはよう」って挨拶しよう!先に「おはよう」って挨拶されたら、やっぱり「(いつも)ありがとう」の思いをのせて、「おはよう」って返そう!いろんなつながりの中で生きてるってこと、いろんな人の支えがあって生かされてるってこと、いろんな人が支えあって生きてるってことを毎日、毎日忘れないためにも挨拶しよう!そうしたら、また新しい世界が見えてくると思う。
2009年06月27日
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年齢制限を撤廃し、本人が生前に拒否しなければ家族の同意で臓器提供を可能にするとした臓器移植法改正案が衆議院で可決され、参議院で審議されることとなった。私は、臓器を単なる物と考えている点と臓器が動いているにもかかわらず、脳死状態にあることで、『人の死』とみなす点にこの臓器移植改正法の問題があるように思う。はたして臓器は物だろうか?臓器は確かに動いている。そして動いているからこそ移植を願うのだ。動いているとはどういうことか?動いているということはまさに生きているということではないのか?生きているものを脳が死んでしまったからと言って、全体として『人の死』ととらえることに矛盾を感じるのは私だけだろうか?人間は、臓器に限らず、骨や肉体、心も含めて様々なもの全てひっくるめて成り立っている。逆説的に言えば、脳だけで生きているのでもなければ心だけで生きているのでもないのだ。それを脳が死んだからと言って、人が死んだとみなし、どこの誰かもわからない他人の生きている臓器を自分の身体に取り入れることは、まるで、いきなり自分の家に見たこともなければ、性格も知らない、自分と気が合うかもわからない他人が土足で上がってきて住み着くようなものだ。ただ、だからと言って、その家が自分の家であることには違いない。一部、異分子が入ってきたからと言って、自分が自分でなくなるわけでもない。つまり、移植された心臓であっても、「その人」は「その人」、「自分」は「自分」なのかもしれない。ただ、他人、即ち、異分子が入り込んできたことで、その異分子と調和して仲良くやっていけるかによって、以前のような「自分らしさ」が保たれるかどうかは大いに疑問だ。「この子は(臓器提供を受ければ)まだ生きられるんです。」(移植を待つ側)「この子だって、どうせ死ぬんです。だったら、少しでも役に立つことを望んでいます。」(臓器提供側)「脳死を人の死とみなすこと」と「臓器提供を受ければ不自由なく生きられること」を前提にした法改正の行方に真理はあるのか?臓器移植のことを知らない子どもも家族の同意によって臓器提供を可能にするというが、はたして、あまり心臓移植についてわかっていないのは、子どもだけだろうか?ただ、「わかる」って何だろう?臓器移植について「わかる」とは、「生理学的」にも、「倫理的」にも「臨床医学的」にも「宗教的」にも「法律的」にもわかるということではないだろうか?であるならば、「子供」だけでなく、「親」も、「政治家」も誰もわかっていないのではないだろうか?誰もわかっていない中で臓器移植法が改正されようとしているところに危惧を感じている。親は誰でも(幼児虐待など一部の例外を除いて)子供の幸せを願うものだと思う。その『元気な子供を見たい』という気持ちに嘘、偽りはなく、純粋に『子供の幸せを願う』親心だととらえたい。その子どもの健康を願う心、苦しみから助けたいと思う心はいかばかりかとも思う。ただ、少なくとも臓器を「物」だと考えるという点において誤っているとも言える臓器移植の考えから生じるところの他人(臓器移植提供者)の犠牲の上に成り立った幸せは本当の幸せとは違う。また、現行法においても「脳死を人の死」とみなすに過ぎない中で、「自分の子供や家族が助かりさえすればいい」と言った考えからも本当の幸せは生まれないのではないだろうか。参議院での良識ある議論と判断を切に望む。
2009年06月22日
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放送大学の卒業認定通知が届いた。当初は続けられるかと心配だった通信教育での学びであったが、1年、2年と続けられ、3年次編入という形で卒業をめざすこととなった。内容はともかく、自分ながら、よく続けて来られたなと思う。ただ、学びはこれで終わりではなく、学びは一生続けていかなければならない。知識を得ることが目的ではなく、学んだ知識をどう生かすかがとても重要だが、その意味では、私の学びはまだまだだと思う。大学院での学びも考えたが、今までの学びを通した実力、財政面等いろんな事情を考え、当面、学問としての学びは、テキストのみ入手し、これまでの復習も兼ねて、じっくり、のんびり学びを深めることにした。その学びとは別に、関心のある領域(認知行動療法、対話法など)について、個別にワークショップなどの実習体験を通じた学びも深めるつもりだ。そして、社会での実践を通じた、真の学びをさらに深めていきたいと思う。
2009年03月08日
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幸せ感覚を持ち続けるためには、不幸感覚を明日に持ち越さないということが大切だ。幸せ感覚を24時間、少なくとも起きている時間、毎日持ち続けることは難しい。そのためには、逆に不幸感覚を明日に持ち越さないという観点も大切だ。不幸感覚でいる時には、考えなくてもいいことまであれこれ考えてしまうもの。その感覚を引きずってしまうもの。引きずらないためには、その感覚をいったん遮断してしまう何かがほしい。その一つとして、趣味やスポーツなど、何か打ち込めるものがあればいい。その時間だけは、不幸感覚を忘れて、没頭できるものを持つこと。それを見つけることだ。そうは言っても、お金がかかるし、時間もないと考えるなら、ウォーキングでもいい。気分転換できるなら、散歩でもいいが…お勧めはウォーキング。どこが違うか、私なりに言うと、ウォーキングは、身体全体を使って、少し大またで、少し早めに歩く。腹式呼吸で、ぐいぐい進む。20分ぐらい歩くと、気持ちも晴れて、気分もよくなる。私の場合、これをお昼休みにすることで、午前中のストレス解消に役立てている。難しく考えなくても、何かこれをすれば、嫌なことを忘れられるというものを見つけられれば…少なくとも不幸感覚を明日に持ち越すことは防げるんじゃないかな。
2008年11月30日
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幸せ感覚を持ち続けている人は、当たり前のことを当たり前と思わず感謝できる人じゃないかな?三度三度の食事ができること。お風呂に入れること。歩けること。飲めること。息を吸うこと、吐くこと…家族がいること。友がいること…友や家族との団欒。仕事があること。交通機関があること…いろんなことで、当たり前と思っていることが、当たり前と思わず、しみじみと感謝の気持ちがわいてくる。幸せの種はいろんなところに埋まっている。
2008年11月27日
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幸せ感覚が持続している人とは、気持ちの切り替えが上手な人、発想の転換ができる人じゃないかな?先日、テレビで『無痛無汗症』を知った。痛みを感じない難病だという。痛みに苦しむ人もたくさんいるが、無痛無汗症の人たちは、痛みを感じないために無理な姿勢を取って骨折したりして怪我をしてしまうのだそうだ。そんな話を聞くと、痛みを感じることがどれだけ大切なことか、ありがたいことかと思わずにはいられない。苦しいことや悲しいことがあっても、それが成長のためのステップだと感じられたら…いじめや嫌がらせがあっても、自分を鍛えてくれるその人に感謝の気持ちが持てたなら…病に臥せることがあっても、休養を与えてくれたと思えたなら…愛する人との別れがあっても、新しい出会いが待っていると思えたなら…お金や財産がなくなっても、これでまたやり直せると思えたなら…流した涙の量だけ、やさしくなれる。苦しみや悲しみを味わったからこそ、他人の辛さも共感できる。器が広がった分だけ、世界が広がり、幸せが広がる。気持ちを切り替え、発想をチェンジして幸せな毎日が続きますように…
2008年11月26日
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幸せ感覚が持続している人とは、幸せのリズムを持っているんじゃないかな?生活のリズムと同じように幸せのリズム。ここをたたけば、こんな音色。あそこをたたけば、こんな音色。幸せの音色を奏でて、自分色のリズムを楽しむように…さわやかに自分を盛り上げて、自分も楽しく、周りも楽しく時には みんなと にぎやかに時には 一人で しっとりとメリハリとバランスを保ちながら素敵なハーモニーを奏でるように幸せのリズムが心を和ませる。
2008年11月25日
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幸せな心でいられるためには、自分を受け容れることが大切。元気な自分。落ち込んだ自分。得意げな自分。悲しい自分。いろんな自分がいるけど、自分は自分。どんな自分もすべて受け止めて、受け容れる。そのままの自分、あるがままの自分を受け容れる。自分の手や足、体に、自分の頭に、心に、感謝しよう。時には、自分の手や足、体をさすりながら「よく頑張ったね~ありがとう。」疲れたときには、「いいんだよ~十分君はよく頑張った。」ねぎらいの言葉と感謝の言葉。自分を受け容れてこそ、他人を受け容れることができる。それでこそ、幸せでいられる。
2008年11月24日
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幸せな心とは、素直な心。他人からのアドバイスにも耳を傾け、「はい」と言える謙虚な心。他人からのほめ言葉にも、素直に「ありがとう」と言える感謝の心。自分の気持ちにも素直になれる心。他人のうれしい出来事にも素直に祝福できる心。素直な心とは純粋無垢な心。意地を通さず、自分の中の素直な心に従おう。
2008年11月23日
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幸せな心とは、毎日、気づきや発見、喜びがあること。ちょっとした季節の変化、新しい真実やしくみの発見、自分の成長…他人のちょっとした頑張り、ちょっとした気遣い、おもてなし、やさしさ毎日毎日が、新しい気づきと新しい発見に感動する。その気づきや発見が視野を広げ、器を広げ自分のこやしとなり成長する。成長する喜びがさらに幸せ感覚を広げてゆく。
2008年11月22日
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幸せな心とは、未来に希望をもっていること。たとえ今、辛くともふと顔を上げたとき、未来に希望が持てたなら…希望の未来が見えたなら…明るい日差しを感じることができたなら…幸せはすぐそばまで来ている。
2008年11月21日
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幸せな心とは、けっして、楽しく、ワクワク、ウキウキといったものだけではない。心が乱れることなく、波立つことなく、揺れることのない心。さらさらと水が流れていくように引っかかることなく、平静で、穏やかな心。にごるのでもなく、透き通った心。川のように風のように雲のようにとどまることなく流れていく。そうした心で生きていくことも幸せ感覚の持続には大切なことだろう。
2008年11月20日
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豪華な食事に幸せを感じる人がいる。寝心地のいい布団やベッドで幸せを感じる人もいる。でも、豪華な食事でなくても、食事ができる、そのことに幸せを感じられたら…寝心地よりも寝ること、そのものに幸せを感じられたら…もっと言えば、水が飲めたり、空気が吸えること、生きていること、そのものに、いや、そのことだけで幸せを感じられたら…ひとは、食欲、睡眠欲、性欲、物欲、金銭欲、名誉欲…欲を言えばきりがないほどの欲に悩まされ、苦しみをつくったりするもの。そうした欲に振り回され、手に入れずに苦しむのではなく、すでに与えられているものに感謝し、満足することができたら…食事ができること。睡眠がとれること。水が飲めること。空気が吸えること。命が与えられ、生きている。さらに、すでにたくさんのものが与えられていること。求めるのではなく、すでに与えられていると感じ、そのことに感謝できたら…こうした考え方、心の持ち方で、幸せ感覚は無限に広がり、尽きることはないのではないだろうか。
2008年11月19日
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ひとりじゃない。友がいる。ひとりじゃない。家族がいる。ひとりじゃない。仲間がいる。ひとりじゃない。同僚がいる。ひとりじゃない。今日も出会う人がいる。ひとりじゃない。今日も言葉を交わす人がいる。ひとりじゃない。まだ見ぬ縁ある人がいる。ひとりじゃない。名前も知らない支えてくれている人がいる。今日も生きている。明日も生きている。過去も現在も未来もたったひとりでは生きてはいけない。友人、恋人、家族、同僚、いろんな人の支えがあって生きている。いろんな人の支えにより生きている。生かされている。毎日毎日がそう感じられたら…ちょっとした日常の一コマにそれを当たり前と思わず、とても尊いこと、幸せなことだと感じられたら…今日の目覚めに感謝し、いろんな人の支えに感謝しよう。幸せは限りなく広がっていく…
2008年11月18日
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目覚めの時、遮光カーテンを開けると、まっ暗な空間が一瞬のうちに、明るい空間へと変化する。どんな辛いときも、苦しいときも、心が闇の中に包まれていると感じようとも、朝が来れば、闇は消え、光が差し込んでくる。気分が沈み、どんなに落ち込んでいようともいつか気分も晴れてゆく。心に雲がかかっていても、雲の上には太陽が燦燦と輝き、雲のすき間から、陽がこもれ、やがては暖かい日差しが僕らを包んでくれるように…病に苦しみ、病に臥せることがあっても、今日も生きている。生かされている。たとえ、体が動かなくとも思いは伝えられる。生きていることで勇気を与えられる。命があれば、何かができるはずだ。今日の目覚めを当たり前と思うのではなく、生きていることを感じ、生かされていることに感謝しよう。今日も日の出とともに幸せを感じ、新しい一日が始まる。
2008年11月17日
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人はどんなとき、幸せを感じるのだろう?幸せ感覚が豊な人は乏しい人とどこが違うのだろう?そして幸せ感覚を持続するためにはどうしたらいいのだろうか?そんなことを考えてみたいと思う。
2008年11月16日
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放送大学の単位認定試験結果が先日届いた。今回は、今まで避けてきた数学力が必要となる「計量心理学」を選択して試験に臨んだ。http://www.u-air.ac.jp/hp/kamoku/H19/kyouyou/hattatu/s_1510304.htmlhttp://homepage2.nifty.com/okamotoy/pmbook/早めの試験準備をしたものの、テキストを読んでも、ビデオを観ても、内容がチンプンカンプン。インターネットを通じ恥を忍んで「テキストの内容が理解できないし、数式もわからないので、このテキストを理解するための書籍、テキストがあれば教えてください」と質問したら、講師の先生から「何がどうわからないのか、何を指して理解できないのかが、質問の趣旨がわからない」と言われつつも、結局、「日本語の論理構造への理解が足りないから」と指摘され、「その前提にある基礎、基本の組織的、体系的な理解が不足している」『高校以下で使用された教科書』が適切なテキストでしょう」との回答を頂いた。そこで、 やを購入した。読んでみて何となく数学的思考がわかったような気にはなったもののテキストに戻るとやはりわからず、数式の理解は半ばあきらめて、考え方、導き方(結論)だけを理解するよう心がけて、やはり「何となく」の理解で試験に臨んだ。そしたら、「何とか単位は取れるのでは」との感触は持てたのだったが…結果は… ↓ ↓ ↓何と「マルA」(全問正解か、一問誤答)だった。何とかなるものだと満足感に浸りながらも、他に登録した2科目のうち、1科目は同じく「マルA」だったものの、もう1科目は「B」だった。「残念!!」今回の成功と失敗を教訓に来期は、「卒業」の予定なので、今まで以上に、コツコツと学習を続け、有終の美が飾れるよう全科目、「マルA」めざして頑張って行こうと思う。
2008年09月19日
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先日応募した書道展の結果が届いた。昨年は結果のみ知らせるハガキが届いたのだが、今回は、封書。募集要項に「落選者には審査員の寸評を頂ける」ということを思い出し、「もしや」と一抹の不安を抱きながら封を開けたところ…結果を知らせるハガキが同封されていた。結果は… ↓ ↓ ↓「ジャーン!」入選欄に○が…「やったー!」昨年に引き続き連続入選できた。今回は、来年以降につなぐ意味でも出品できたことが一番であり、入選はプラスα。それでも入選はうれしいもの。来年は早めに準備して、練習を重ねて書き上げた喜びも味わえるよう頑張りたい。
2008年05月14日
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昨年に引き続き、市民芸術祭に出品した。出品を決めたのは前日の夜。今年は筆を持つことも少なく、言葉も思いつかずにいたので半ばあきらめていたのだが…ふと、前日になって、締め切りはいつだったかと募集要項を見たところ、明日までとわかり、急きょ筆を持ち、臨書で挑戦することにした。まさに、参加することに意義あり。節目、節目の書道展にかかさず出品することで、継続していきたいものだ。
2008年05月07日
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放送大学の単位認定試験結果が届いた。前回は、今までより早めの試験準備をしたことと共通科目を選択したこともあって好成績であったが、今回は、いずれも専門科目を登録。3科目中、2科目は早めの試験準備をしたものの、思うように勉強がはかどらず、理解が進まず、どうなることかと思いきや案の定、出来栄えは芳しくなく、1科目は、落としたかなと思っていた。ということもあり、今回は、おそるおそる封を切った。結果を見て「びっくり!」「えっ?」と一瞬目を疑った。何と、前回に引き続き受験した3科目とも 「まるA」(100点~90点)だった。とは言うものの、この調子でというわけにはいかない。来期は、今まで避けてきた科目をついに登録した。今までのような勉強の仕方では、とても理解できないまま試験当日を迎えることにもなりかねない。今まで以上に、コツコツと学習を続け、また、「まるA」が取れるよう頑張って行こうと思う。
2008年03月13日
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毎日1万歩を目標に歩数計をつけてのウォーキングを始めて9か月。8月の一日平均歩数が、13,500歩余りだったのが、先月は、11,000歩余りと落ち込んでしまった。そこで、今月は心機一転、月あたり一日平均1万5千歩を目標にしたのだったが…見事10月の一日平均歩数が1万5千歩を達成した。一日1万歩も今月4日から連続達成している。(これまでの記録は2月から4月にかけての47日)達成できたのは、全国のウォーキング仲間のおかげ。継続できているのは、ウォーキングが楽しいから。これからも全国の仲間に刺激をもらいながら、ウォーキングを楽しみながら続けていこうと思う。
2007年10月31日
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