私もその一人ですが、技術顧問も秋葉原におられたんだとか。その日の状況を長文で報告していただきましたので、転載します。これを読むと、100m内でニアミスだった様子。これを見ると、非常時には知り合いに一斉メールを送信するのは悪い方法ではないかもしれません。(当日DocomoもSoftbank(含むSNS)も受信はできないが送信はできた)
おそらくあの日、同じような思いをした方は多いはず。
今日はご出勤でしょうか?
ご自宅の被害、ご同情申し上げます。でも人間は無事で良かったですね。
やはり御宅の方が東北に近いんですねえ。
被害の違いにちょっと驚きました。
我が家はこれ以上ない、というぐらいいい加減に積んだCDの山が崩れたぐらい。
機器も位置ズレはなく、音もズレていませんでした(そんなのわかるかよ^^)。
しかし当日、実は東京にいて、10万人といわれる帰宅難民の一人になったのです。
O崎さんと違うのは、僕には戻りたくとも会社がなかったこと。以下にレポートを。
さて地震が起きたとき、僕はちょうど運悪く、秋葉原で買い物の最中。
ラジオセンターのおばちゃんの店で電球を買っていたのでした。
最初振動を感じたので、小声で「あっ、地震だ」と言ったけれど、おばちゃん耳が遠くて聞こえない。
年を取ると五感の全てが鈍ると、三島由紀夫も「天人五衰」に書いております。
ゆらゆらとした横揺れなので、「遠いな」とは思ったのですが、なかなか治まらず、かえって大きくなっていきます。
今度は少し大きな声で「地震だ」と言いました。今度はやっとわかったみたい。
地鳴りもして人々の叫び声が上がり、商品などが棚から落ちたり立てかけた物が
倒れたりし始めました。これはまずいな、と思いました。
さらに揺れが大きくなれば、軽鉄の天井が照明器具と一緒に落ちてくるでしょう。
と言って無闇に外に飛び出せば、周囲の建物の窓ガラスや看板が降ってくる。
人生最後に見る女性が、このおばちゃんとはあまりに悲しい。悲しすぎる。
しかしおばちゃんは、素早く店の商品台の下にある小さな扉から、いち早く脱出して建物の外に走り去りました。
出口の方に向かうと、張り出した幌が外れ、老巧建築の梁からコンクリートの小片や大掃除をサボった証拠の埃がパラパラと落ちてきます。
外を見ると電気店の細長いビルが、コンニャクのようにゆらゆらと揺れています。
暫くして揺れが治まったので、しっかり買い物を済ませました。
店員達は皆、少し浮き足だっておりましたが。
ダイナトレードセンターに転進したAさんを訪ねると、1Fで他の人たちと集まっていました。
ワンセグ携帯で早くもニュースに流れている火災の映像を見ています。
1Fは大したことがないけれど、3Fはかなり物が倒れているようです。
どうせ電車はすぐには動く様子もないので、本屋で次の旅行のプランを立てるべく、「地球の歩き方」を仕入れようかと余裕を見せましたが、本屋も臨時休業。
駅の近くの広場では、できるだけ建物から離れるようにして人々が集まっています。
男の子が怯えてびーびー泣いていますが、父親自身も放心状態で、慰めたり「男の子ならめそめそするな!いざとなれば腹を切れ!」と檄を飛ばす余裕もない様子。
暫くして、(多分4時ぐらいに)ここにいてもしかたないと判断して、本能的に家に近い方向に歩き始めました。
とりあえずの目標は東京駅。あそこならバスターミナルがあるだろうから、できれば神奈川方面へと。
しかし八重洲口は主に高速バスのターミナルなのですが、高速道路が閉鎖されたので全てストップ。
そこで丸の内口には向かわず、さらに品川方面へ移動することにしました。(実際には丸の内口に都内バスのターミナルがあったが、既に渋滞が始まっていた。)
今度は随分歩くことになりました。
品川に着いた時はもう夕方。雲が出てきて肌寒くなってきました。
携帯電話のショップには人が殺到していて、持参していない充電器を買い求めています。
僕もバックアップを期待できそうな都内の某所に電話してみたもののつながらず。(既に回線はパンク状態)
こういうときは携帯も役に立ちません。そこで数少ない電話BOXには長蛇の列ができています。(でも実はつながりにくいのは同じ)
同じ携帯でも会社によって、例えばauは良くつながるみたい。
また音声通信よりツィッターの方が使えるようなので、「こんな時に役立つとは思わなかった」と喜ぶ人もいました。
うっすらと京浜急行に期待をかけていたのだけれど、シャッターを閉め電灯も消して完全休業状態。
JRも「本日の運行はありません」とアナウンスしています。
さあ、困った。とりあえずは温かい店に入って何か食べ、トイレにも行っておこうと探すけれど、
安い順に店は埋まっています。マクドナルドには長蛇の列。「誰も考えることは同じねえ」と女性が呟く。
コンビニにも食料調達の人がいっぱい入っています。
プリンスホテルのある坂を、ファミレス目当てに登るけれど、本日臨時休業。
その辺には他に適当な店がなく、しかたなく和風ダイニングの店へ。
普段はがら空きの店でも、この日だけは満席が保証されています。
それでもカウンター席が取れたのは、よほど不人気な証拠。
メニューが来て納得。高いのです。
とりあえずスモークサーモンと焼きカマンベールのサラダに玄米のチーズリゾット、白ワインをグラスで頼みました。
今夜は何かとキャッシュを持っている必要があろうから、カードで支払います。
(それができそうな店を選んだのも作戦だったけど)
高くて量は少ないが、それなりに美味い食事でした。
さて、体も温まったし9時になったので、もう一度状況を確認に品川駅に行きました。
だめです。今夜は鉄道に期待できないことがはっきりしました。
意を決して蒲田方面に移動します。
しかし大量の人間が僕と同じことを考えて道を埋め尽くしています。日曜の渋谷並です。
品川の健康センターが解放されていて、休憩所やトイレ、電話を利用できるようにしていました。
他にもどこかの女子大がトイレを開放していました。
靴屋が繁盛しています。スニーカーが良く売れるのです。
ローカルバスの時間はそろそろ終わる頃。
ホテルも満杯。電話は通じない。
車道は完全渋滞で少しも動きません。
あとはタクシーを利用できるところまで、足で距離を詰めるしかないのです。
蒲田に着いても状況は何も変わりませんでした。
健脚自慢の僕でも、そろそろ疲れを感じてきました。普段歩かない人はなおさらでしょう。
全体のペースが落ちているので、こちらも早足で歩きにくく、その分疲労が増すのでした。
川崎まで15kmという表示を見てからだいぶ経って、殆ど深夜近くにやっと六郷川の橋を渡ることができました。この川を徒歩で渡るのは初めてです。
川崎はホテルも多いけど、押し寄せる難民の数も多いので、この時間では既にどこも満室でした。
これでようやく行程の半分。これから鶴見、横浜、さらに横浜南部まで歩くのかと思うと気が重くなります。
また体も冷えてきました。
やや街外れにある中国人一家がやっている風の中華料理屋に入り、二度目の夕食を摂ることに。
今度は排骨麺にしたけれど、大盛りでなかなかイケました。
ここで電池残量僅かとなった携帯で友人に電話してみました。
彼の拠点は横浜北部なので、もしそこまでたどり着けたら、寝る場所を提供できないかと相談しようと思って。
奇跡的に電話が通じました。
彼も家に戻れず会社にいるそうです。
手配を考えて、こちらから電話をすると言ってくれました。
少しすると電話があって、川崎から南武線の次の駅(痴漢が出そうな尻手とか言う駅)まで歩いて行けば、武蔵小杉に住む友人が車で迎えに来てくれるから、そこに泊まれば良いとのことでした。助かった。
こうして川崎の凍てつく路上でマッチ売りの少女の如く、短く美しい一生を終えるという悲劇は回避されたのです。
南武線の駅前で拾ってもらった僕は、今来た国道一号線を少し戻り、途中で府中街道に折れるわけですが、一国の途中でバイクとタクシーの接触事故現場を目撃しました。
ところが同じ頃、桜木町から西馬込まで歩いた友人もこれを目撃していたことを知りました。
知らずにニアミスしていたんですねえ。
きっと運命の人ともどこかですれ違っているのかも知れません。
で、始発で中野坂上の自宅に友人が帰宅したのが7時。
何と彼は同日13時から横浜大桟橋で開かれた(良くやるよな)ドイツワインフェアに参加したそうです。
それなら家に帰ることないじゃん。
ムサコで朝食をいただき、10時に帰宅したスタジオ・インクラビリは当日休業しましたが。
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