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【長野県の十字墓】
前述の「庚申」碑や青面金剛石塔が入口にある墓地を少し入ったところにこうした十字墓が並べられていました。下の写真に写っている十字墓の下の紋様は、「輪違い」という家紋かもしれません。輪を二つ、横にずらした家紋は、会津にもあります。一つは、鶴ヶ城の石垣にあったのですが、大雨の時に崩れて欠けてしまったようで、修復した部分にこの「輪違い」を見付けることは出来ませんでした。ですから、今では写真で確認することしかできません。
また、会津盆地に屋根に「輪違い」紋があるお寺があります。おそらく寺紋であろうかと思われます。江戸時代には禁制がありましたが、現在は家紋などに関しては、自由に使うことが出来ます。家紋は「意匠登録」が出来ないと聞いたことがあります。また、家紋は自由に決めることが出来るのですが、「三十二菊」を家紋として使うことが出来るかどうか、非常に興味深いところです。
この十字墓がある村の名前は、村名としては非常に珍しいものです。それが気になって、あるところを訪ねた帰り道に寄ってみました。前述したように、このお寺は修験道のお寺であろうと思われるのですが、村名もまた修験道ではよく使われる熟語です。そして、お寺の本堂兼庫裡の建物は、方位128度方向を向けて建てられていましたが、境内の広さからしても、周辺の地形からしても、南向きに建てたらさぞ陽当たりが良いであろうと思われます。
こうした修験道のお寺に墓地があるのも、珍しいことだろうと思います。日本で一般民衆の墓地が造られるようになったのは、江戸時代に入ってからであろうと考えられます。そして、宝篋印塔や五輪塔、あるいは板碑型の墓石が建てられるようになりましたが、こうしたことは宗門人別制度が施行されてからのことであろうと思われます。因みに、会津で確実にその墓石に彫られた年代のものであろうと思われるものは、寛文期のものです。