PR
Keyword Search
Calendar
Comments
Freepage List
【長野県の庚申碑・青面金剛石塔】
これは、長野県の釜無川流域にある、修験道のお寺と思えるお寺の墓地の入口に建てられていた「庚申」碑と青面金剛像が彫られた石塔です。そしてこの「庚申」碑には「萬延元年」と彫られています。ここは旧高遠藩領内ではありません。それでいて、旧高遠藩領内と同じように庚申の年に建てられた「庚申」碑が残っています。
ここは甲斐と諏訪の境界付近です。甲斐と言えば武田信玄(「信玄」は出家後の戒名・諱は晴信)、諏訪には諏訪大社があることは、多くの方々はご存じであろうかと思います。しかし、だからといって、家臣のすべてが、信玄の墓所が臨済宗妙心寺派の恵林寺の檀家になっていたわけではありません。武田信玄が亡くなったのは、元亀四年(1573)とされています。また、松本平の武田氏が帰農した村にあるお寺は真言宗のお寺です。
「甲斐の武田」は騎馬隊で有名なのですが、武田家にも鉄砲隊がありました。一般に理解されてきた長篠の合戦は、あの絵に描かれている情景とは大きく異なっていることを、史料や当時の火縄銃の性能から現実とはかなり異なっていることが、実験で実証されています。また、その実験によって、あの有名な「三段戦法」でさえ不可能であることが実証されています。
歴史を研究することは、伝えられている物語の集積ではありません。鶴ヶ城本丸南面の土手の上を歩きながら、どうやってあそこから鉄砲を撃つことが出来たのか、不思議でなりませんでした。しかし、HN善兵衛さんのご指摘で、ある方をお訪ねして、先込め式の鉄砲で弾丸を下に向かって発射できるかをお尋ねしてきました。黒色火薬を入れて突き固めた後で弾丸を入れ、それか紙を詰めると山の斜面の下にいる熊を上から撃つことが出来ると教えて下さいました。