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【会津の墓石】
亡くなられたのが昭和六年で、その時に数え年十九歳だった方ですから、親父の一番上の姉になる伯母と同じくらいの世代の方であったのであろうと思われます。そして昭和六年だと親父が中学に入った年です。野球が上手かったので、あの当時、野球で有名な学校から呼ばれたそうですが、「お前の体格では、野球では飯が食えない」と祖父に言われ、野球部のない中学へ行かされたそうです。
「学校まで一里の道を毎日歩いて通ったんだ」と威張っていましたが、晩年は釣り堀へ行くのにバスで行って、阿佐ヶ谷の駐車場の管理人に叱られていました。昭和六年に「一山道氣信士」という戒名が付けられています。阿佐ヶ谷の駐車場の管理人が生まれる二年前ですが、「氣」は異体字(「俗字」)です。
明治政府は江戸幕府が定めた法令はすべて破棄したはずなのですが、それが伝わっていなかったのでしょうか。この破棄したはずの法令の中には、当然、宗門人別制度も含まれています。また、明治4年にはキリスト教の禁止も解除されています。そして、昭和六年だと、「日本は仏教国だ」と口にしたら、官憲が訪ねてきた時代です。
この墓地には、気になる墓石が無数にあります。数えようと思っても、数え切れないほどあります。最初にこの墓地を訪ねたのは2001年でしたが、小さな携帯用デジカメを手に入れたので、2003年にまた訪れています。それでも、気になる墓石をすべて撮ることは出来ませんでした。