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【会津の「切支丹墓碑」】
これは2009年12月2日に、天領南山御蔵入を巡った時に、以前から気になっていた墓地を再訪して撮った写真です。郡山市街地の如宝寺というお寺に残っている「切支丹墓碑」にそっくりな墓石です。如法寺を訪ねて、その切支丹墓碑を見た時に、この墓石を思い出しました。2001年に既にこの墓石に出会っていたからです。
この村に武装農耕民がいたことは、『新編会津風土記』に記されていることから明らかです。そして、その土豪の墓石も観音堂の裏に残っています。その墓石には、「大禅定門」という位号が彫られていますが、会津では「大禅定門」という位号が彫られた墓石は、極めて少ないです。
郡山の「切支丹墓碑」は、郡山市の教育委員会がそう命名したようですが、あの一帯の歴史を考え、如宝寺の墓地に残っている墓石を考えると、間違いなくキリシタンの墓石であろうと考えられます。また、それに纏わる史料があって、ある方がネット上で見付けて、小生にプレゼントして下さいました。
会津と郡山、そして現在の須賀川市や白河市にも、キリシタンの痕跡が残っていますし、白河の小峰城の石垣には、はっきりとした十字痕が残っています。因みに、蒲生氏郷が会津の領主だった時、白河の領主は蒲生氏郷の重臣の一人でした。そして、何よりも気になるのは、この墓石に「寛文十一辛亥年八月十二日」と彫られていることです。この時には、保科正之公はまだご存命でした。