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今日もいろいろありました。一件のカウンセリングのキャンセルはあったけれど、スタッフ研修・・・興味ある方はエノモトさんのブログをのぞいて下さいな。・・・カウンセリングが二件、シェルター利用が一件、電話での相談が一件。昨日だか、判決の話を書きました。父親も子供に会えない辛さに嗚咽します。子供を誘拐された親が動揺せずにいられる訳がないのと同じ。暴力で逃げる妻にすれば、夫の涙、苦悩なんてかまっていられない、というのはよくわかります。けれど、その思いと、子供の親に会う権利は混同してはいけません。子供が安定するまで、とか非暴力の人になってから、とかいろいろと言われます。けれど、子供が成長する過程で、親との関係が無い場合は、それなりのデメリットも拡大して行きます。子供の福祉を最優先するためにも、面接交渉権は踏みにじられてはいけないと思います。そして、そのための施設なりスペシャリストの養成は急務ですが。今日のカウンセリングはDVでの別居、保護命令などに関するもの。電話での相談は、保護命令に対する即時抗告で保護命令が撤回されたという珍しいケースの報告と。暴力男は変わらない、とか、子供をあわせるのは危険とか、根拠の薄い安易な判断で、家族や親子関係が崩壊していくのは胸が痛みます。実際に私のクライアントはどんどん変容しているし、安全なビジテーションで、子供も親も少しずつ成長しているのを確認している私は、自信をもっています。だいじょーぶ、と。そうそう、パニックになった時、死にたいと訴えてくる電話も。彼には少し前にしんどそうだったから投薬の状況を訪ねたら、少し足りないんじゃ無いかな、と思えたので、Drに相談して、不安にならないように薬を増やしてもらうように言ってくれ、と助言しておきました。彼は、一応、こちらの指示に従ってくれて、薬を増やしてもらって、気分は少し楽にはなったけれど、現実が辛いから・・・との訴えでした。とりあえず、元気になって、前向きに考えられるようになるのが先決だし、それができたら、家族との関係を修復して行く作業に入ろう、と幽かな希望をもつてもらうように助言しました。ほんとに家族に会えない親の悲しみや苦悩は、大きなものがあります。今日も一日、そんなことをいろいろと感じさせられました。しみじみぃ。
2005/11/30
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今日もひとつクライアントの判決が出ました。「原告と被告は離婚する」というやつ。暴力絡みなので圧倒的に男に不利な状況。結果は予想の通りか。慰謝料の額からすれば、極端に負けているとは思わないけれど、暴力絡みだと、どうやっても男性に不利になるようです。刑事とちがって検証が行われる訳でも無く、提出された証拠を綿密に検証するでもなく、言った者勝ちのような側面もあります。私は司法が暴力に対して正しい認識を持っているとは、残念ながら思えませんし、ジェンダーバイアスが強過ぎるとも思います。今の司法に正義は期待できません。私にできることは、そんな歪んだ司法の判断は無知な人間の判断そのもので、正義では無いから、どんな判決が出ても気にしないこと、いい判決を期待しないこと、判決がどうであれ、子供のそして本人自身のために、精一杯正義の人生を歩んで欲しい、と伝えること。一つを十程に言いつのられ、有りもしない証拠をでっち上げられ、いちいちその嘘を反証しても、暴力男は嘘をつくということで、はじめに判決があるならば、裁判は無意味。魔女裁判所と言うべきか。子供の意見表明権も認められず、親に会うことも保証されない我が国の制度では、傷付き壊れる家庭はさらに暴力を連鎖再生産してしまう。離婚するならするで、修復的な離婚ができる様、冷静でまともな判決を出すために、判事様にはしっかりと研鑽してくださる様お願いします。
2005/11/29
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今日はシェルターのおひっこし。以前は長期利用が前提で借りてたワンルームを解約して、一戸建ての住宅に引っ越しですぅ。家賃は少しアップしたけれど、広さはとても広くなりました。6,5,6,6に3のキッチンですから。ここだと、常時二名の利用が可能です。駅からは少し離れた住宅地。とはいっても。最寄りの駅まで徒歩8分さほど不便と言う程でもありません。当面の利用者さんはいないので、今なら誰でも利用可能。あ、ここは、女性専用のシェルターなので男性は利用できません。あしからず。京のお宿に御利用頂いてもけっこう。一泊二食付きで3000円です。行政のシェルターはけっこう満室でしょうし、民間もなかなかいつでも逃げ込めるという状況ではないかもしれません。とりあえず、家から出たいと言う方がおられましたら御紹介いただけると有り難いです。それにしても、こんなことしてて、再生センターはますます赤字になっていくんかなあ。ま、心配してたらきりはないし、何もできなくなつちゃうので、とりあえず、何も考えずにやってみましょう。みなさん御利用御協力下さるとうれしいです。
2005/11/28
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先日は某県の男性講座に出かけました。対人援助者養成講座です。最近は男性のサポートが必要だということはかなり理解が進んできましたが、暴力がらみではその意味はまだ理解されてはいません。私が十数年前に男性のための料理教室を手掛けていた頃は、参加者も少なく、意味も理解されづらかつたけれど、今は違います。行政が主催すれば、男性の料理教室はすぐに満員御礼になります。時代の変化でしょうが、マスコミなどの影響は大きい様です。私が頑張ったからではありません。が、世間は私のメッセージを理解するのに10年ほどかかるということでしょう。で、今は男性のための料理教室はあまり進んではやっていません。私しかできないことではなくなっているのだもの。で、今私が力を入れているのが、男性のサポートをする援助者の養成。フェミニストはジェンダーシステムから意識解放されたサポーターをあれこれ作ってきました。もちろん、女性のための。けれど男達はそれをやらずにきました。で、環境とか、生活、人間関係、家族間系、様々な所で、男達はきしみを感じ、適応が困難になりつつあります。その結果、自殺だとか、暴力だとか、ホームレスだとか、様々な問題を抱え込むことになりました。男が自分を抑圧することも無く、人を力で支配することもなく、もちろん暴力を振るうことも無く、自殺することも無く、競争原理から解放され、自分らしく自由に、他者と共生する・・そんなことを可能にするための・・・そんなサポーターを作りたいと思っています。そして今、それができるのは日本では私だけなんだろうなあ。しみじみ・・・。話は元に戻って、その研修だけれど、電話相談を前提にしています。2年掛かりで研修を続けてきましたが、さすがに実力は付いてきました。あとは、受け皿作りの段階です。彼等が独自で援助組織を作って回線を持つのか、行政とどうやって連係していくのか、そのあたりまできたように思います。行政で男性相談をやっている所は全国で10箇所くらいだろうと思いますが、男性のジェンダーシステムやヒエラルキー依存の問題をちゃんと理解して研修している所は無いのでは無いか、とも思います。専門家に安易にまかせているのでは無いか、と言う感じです。もちろん、それが無意味と言うのでは無く、それでも必要なんですが、相談の意味をより深いものにするには、男性問題としての認識をもって、相談をきける相談員が必用と言うこと。女性相談が単なるカウンセラーでなく、フェミニズムを理解しうる相談員を置いていると言うことと同じ。その研修生たち、じつはふつーのおっちゃんです。サラリーマン、公務員、自営業、リタイア組、などなど。自分の思いや体験を語り、人の悩みや思いに寄り添えることのできる、優しくてすてきなおじさん達です。こんなおじさん達が増えたら、日本も随分いい国になるでしょうね。
2005/11/28
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もー、眠くって。とにかく今日は寝かせてくらさーい添い寝も、膝枕もいりません、とにかく眠れる時間をー味くんもついにプログギブあっぷか~ーんなこたあ、ないよぉー、またあしたから書くからねーとにかく今夜は許してねおやすびー ZZZZZZZZ
2005/11/26
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今日は講演と講座とカウンセリングでチョーハード。明日も講演とカウンセリング。講演では相手の様子を見ながら話の内容とかトーンを変えて行きます。カウンセリングでも同じ。相手にあわせてこちらが変わる今日の講演は私の独演ではなくて、パネルトークのコーディネート役。パネラーはその分野の専門家ではあつても、喋りの専門家ではありません。参加者が納得で来る程度にまでは、私が場を回して行く必用があります。楽しくためになる、のを私の語りの本領にしていますので、コーディネート役でも・・というよりコーディネートがしつかりしていれば、問題は起らないだろうけれど・・・。講座では女性ばかりが10人程おられたけれど、私はちっとも違和感もありませんでした。おじさんばかりの10人はかなりしんどいものを感じてしまいますがね。
2005/11/24
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ちょー貧乏な私はもともと外食はしないけれど、たまにバイキングなんかにはいったりすると、並んでるメニューを全部食べてみないと気がすまない。で、食べすぎに・・・怖ーい、バイキング。今日はそんなバイキングの話ではなくてぇ、ハイキングのお話。このハイキングはちっとも怖くはありません。今日は天気にも恵まれ、寒からず暑からず。歩くには最適。4時間程歩いたかな。途中でおべんとタイムに。今日は私の手作り弁当です。いつもは参加者のみなさんそれぞれ弁当持参なので、私は自分の分だけを持参しますが、そんな時はもう、ご飯にふりかけとか、簡単なおにぎりだけとか。今日は久々に連れ合いも一緒に行くと言うのもあって、手作り弁当にしました。とはいうものの、前夜の3時頃、にごそごそしながらの弁当作りです。人に喜んでもらえるのは有り難いものですし。難しいことならいざしらず、私は料理が簡単にできるので、苦にもなりません。誰かに食べてもらうとなると、なぜか力がはいります。自分一人のためなら、単に栄養とか、コストだけで考えますが、人が喜んでくれるとなると、彩りだの、バランスだの品数だのと、いろいろ気になります。ほんとおばさん以上におばさんしてるよねぇ、私って。ほんとは、おべんとうは朝にちゃんと一から作って、温かさが若干残ってるくらいがおいしいんだけれど、朝早く起きて手間ひまかけるのは無理なので、前夜の作業となりますし、食中毒も心配なので、作ったあとは朝まで冷蔵庫に保存。冷たくなるのが残念だけれど・・・。ちなみに今日のメニューは・・ジャーンチキンカツ鶏肉の鍋照焼きカレーサモサシュウマイ青菜のおかかあえおからの煮物麦入り五分付きご飯蒸しようかんでした。ちなみに連れ合いは透析患者なので、あまりひどいものは食べさせられないし、水分とか運動とかも気遣いは必用・・・なはずなんだけれど、さほど神経質にはなっていないし、彼女もハイキングで10キロくらい歩くのは、苦でも何でもないようです。ところでみなさんおべんとうってどうしてますぅ?最近はコンビニ弁当も当たり前ですからねぇ。
2005/11/23
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息子は3045gでふつーに生れました。が、連れ合いの母乳(変な言葉、母しか乳はでないのに)の出が悪く、なかなかでません。脱水しない様少しずつ水分は与えますが、乳は吸えども吸えどもでないようで、いつもぴーぴーないてました。私は人工栄養は与えたくなかったので、それでも与えませんでした。すると、だんだん小さくなってくのです。退院するころはやっと減少がストップしたけれど、その時の体重は2750gおおよそ300gの減少。なんと。その後も乳のでは悪く、ちっとも大きくなりません。そして、6ヶ月くらいで、母乳は完全にでなくなつてしまいました。私は離乳食を作ることもなく、ミルクを与えるでモなく、私が食べているものを適当に口からだして、食べさせていました。医者がいちばんいやがる行為かも知れません。不衛生だとか、感染症がうつるとか。アレルギーになるとか。たしかにあんまり小さいとなあ。でも6ヶ月ですからねぇ。私はダイジョーブと判断しました。でもさすがに成長は遅く、3才でやつと10キロになりました。嘘みたいです。10キロになったとき、ハシカにかかってしまいました。ワクチンをどーしよーかなつと思っているうちに罹患しました。入院はイヤなので、夫婦で交代しながらみてました。脱水と熱には気をつけながら。で、2週間後に熱が下がった時に布団からでてくるとガリガリに痩せてました。なんと8キロに、2キロも痩せました。10が8ですから、とんでもない状況です。たしかにリスキーなことだから知識がない人にはお薦めしませんが、私はある程度の知識も勇気もあるから、少々のことでは動じないし、不安にもなりません。ま、その息子も今は私と同じくらいの身長です。母乳が足りないにしてはジようできです。
2005/11/22
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子育ては母親の仕事というのは世間の常識。常識は信じない私は「子育ては母親」にも噛み付きました。いろんな大人の中でこどもは育つんよ、と。今日はこども(今はもう成人してます)が生れるまでのことをすこし。昔は母親だけでなく、いろんな親が育てていました。産みの親、乳母、育て親、名付け親、里親。親だけでなく、こどもは村の子供として、地域で育てていたようです。というより、家族の概念が今とはちがっていた様です。家族のしきいがひくく、いろんな人達が出入りしていた様です。私も、自分の子供を連れ合いまかせにせず・・・というより、私は多少は知識もあるので、基礎体温を測ってもらって、計画してました。避妊もしてたし、妊娠も計画的に進めました。私は助産院をさがし、彼女と一緒に産みました。ですから、出産の時だけちょっとだけ一緒、というのとはちがって、かなり持続手に妊娠から出産~育児と関わってきました。子供(になるべき)の排卵日が6月1日で、出産が、翌年の2月19日(土曜)午前零時頃、いきなり前期破水からスタートでした。朝10時頃助産院に付いたけれど、産婆さんは、学会ででてくるわ、と雲隠れ。だんだんと収縮の期間が短くなってきたのに産婆さんは帰らない・・・どーしよー。いったんは覚悟した頃、やっと帰った産婆「あら、大変もう出るわ、すぐ分娩台へ」ということで、出産したのは午後4時頃後産を出した産婆さん、胎盤を2センチ角くらいに切ったのを、ほい口開けて、と、私と彼女の口に放り込んだ。インディオの風習でそんなのもあったなぁ。後日、その助産院で出産した知人に胎盤の話をすると、それはしてないよ、とのこと、私だけに食べさせたのかなあ、その理由も?今は故人ですゆえ。まあ、インディオのシャーマンがその産婆さんに乗り移った、と理解しておきましょう。うまれた子供は3045gで普通の男児。これから受難?はじまりですぅ。続きはまたあした。
2005/11/21
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今日は仕事で広島に出かけました。仕事はいろいろとありましたがなんとか終えたのが昼もかなり過ぎた頃。帰りの広島駅の前でなにやら人だかり。近付いてみると、周防?の猿回し。サーカスや動物園でも動物のショーなんかはやるけれど、猿回しっていうのは、またちがった味がある。なんといっても猿は人にちかい。仕込めばちゃんと直立して歩くし、手足を使った様々な芸をおこなう。猿回しのおじさんの言葉にあわせて次々と芸を披露してゆくが、それが芸を感じさせないから面白いのだろう。猿回しの言葉を理解したような仕種をする。実際にはどんな動物でも同じだろうけれど猿も同じ、何回も条件付けて行動を学習させているだけの事で、猿が猿回しの言葉を理解しているとは思えない。けれど、観衆は猿とちがって言葉を理解するから、猿回しの言葉を理解し、その文脈で導かれる行動を予測する。その行為を猿がやるのだから。あたかも猿が言葉を理解しているかのごとく、見てしまうんでしょうねぇ。だから面白い。実は猿回しの猿だけでなくて、人もみんな、同じと思う。何かに条件付けられた行動を学習させられ、意味もわからずその与えられた行動をやり続けるのだから。ほんとに自分の意志に基づいて自己決定し続けるのはとても大変だ。ブログ読者のみなさんには、そんな人生を送って欲しくないです。自分の頭で考え自分の心で感じて、そして行動し、責任をとる。で、ほんとの幸せをつかんでほしいなぁ。 味
2005/11/20
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昔昔、源氏物語が書かれた頃は、母系社会のなごりがあつて、男は女の所に通いでエッチしていた。光源氏が特にプレイボーイということではないということかな。行き先のたくさんある男と、そうでない男があったり、訪ねる男がたくさんいる女もいれば、そうでない女もいるでしょうねぇ。私がずっと昔、婚外恋愛で避妊に失敗して、その方が産むかも知れないと言った時、私は真剣に覚悟して、通い夫にしてほしいと妻にいった。妻とは、家庭の外のことを家庭に持ち込まないという約束で一緒になつているつもりの私にしたら、妻に対する契約違反で、何を言われても文句は言えない事態。とにかく何を言われても耐える、受け入れる、ということにして、ただ、私の方からは離婚を言い出すつもりはなくて、どちらの家庭に対しても家族責任を放棄するつもりもなくて、分割かよい夫であることを了承してもらうべく、頭を下げた。妻は離婚する、とはいったけれど、結局出ていかなかった。妊娠した彼女は私に離婚させようとしたのだろうけれど、私が離婚しないとなると、出産をあきらめた様子。あの時、あの彼女が出産を選択していたら、私の人生もかなりかわっていたことだろうなぁ。通い妻とか隠し子とかいう言葉はしばしば聞く所だけれど、通い夫というのはあまり聞かないもんなあ。なんと破廉恥、不道徳な、ということになるんでしょうねぇ。今は、義務感や同情、所有や支配で、夫婦でいるのはやめよう、ということで、お互い判子をついた離婚届けを保管していて、どちらでもいつでも出せるようにしている。信頼と相互扶助の心地よさだけでつながっているけれど、私にはいちばん安心できる関係のような気がしている。私は縛られるのがいちばん苦痛だし、相手を縛りたくもない。例え夫婦でも相手のプライバシーには踏み込まないのか礼儀だと思うし、信頼だとも思う。貞節を守るとかまもらないとかいうことは、私にはどーでもいいこと。ああ、昨日の日記に続けてこんなこと書くと、こいつはけしからんやつってお怒りになられる読者もおられることでしょうねえ。でもね、私はそのかたに直接迷惑をかけてはいないですよねえ。でも怒るとしたら、それは私の問題ではないですよねえ・・・。みなさんどー思う?正直なところを聞かせてね。
2005/11/18
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最近は離婚が増えたけれど、みなさんは家族の形はどうあるべきと考えますか?この頃、つくづく思うけれど、窮屈な家族を生きてる人って多いよなぁ。私なんか、家族は好きずきでなんでもありぃ、と思ってるから、自分のやりたいようにすればいいと思うけれど。私の考えるに、家族は、ある程度の持続的な人間関係で、個別の愛着やら相互扶助の関係にある集団で、経済、性、氏、血縁などの媒体を要件とするけれど、それは時代文化によって変わる・・・という定義が相応しいかなぁ。よーするに、なんでもありだけれど、ある程度の育ちあいや助け合いを前提とした集団ということ。この頃は人によってはペットが家族だったり、シニアのグループが疑似家族になったりもする。3年程前に行ったアメリカはマサチューセッツのノーザンプトンという田舎町では、市長がカミングアウトしたレズビアンで、ゲイやレズビアンが多く、普通のカップルのように生活してた。完全に市民権を得てました。とはいうものの、アメリカでも南部では同性愛は犯罪だとの州法がある所もあり、わけわからん国です。アメリカやヨーロッパはけしからん、我が国の伝統的な文化や家族を大切にしろ、なんて言う声も聞こえてきそうやねえ。でもねえ・・・明治以前は名字帯刀は武士と富裕層にしか認められてなくて、庶民は家制度には入ってなかった。くまさん、はつつぁんでしかなかった訳で、○○家の××なんていうのは一部の人だけ。田舎から流れてきた次男三男は都市住民になるけれど、家も土地もなく、女も人口が少ないから、結婚もできず、うまく貯蓄できた男は女郎(売春婦)を身請けして所帯を持った。女も男も縛りがないから、離婚再婚も少なくない。結婚できなきゃ、一生シングル。仕方がないからなけなしの金で性のサービスを買う。その金がたまらん男は女が買えずに、仕方ない、男の体で我慢する。これは蔭間茶屋という、今で言うオカマ売春。昔の日本は今よりもっとアモラルというか、先進的というか、縛りがないと言うか。性も家族ももっと自由だったように思います。いつころからこんなに窮屈な家族や性になっちまったんだろうねぇ。えっ、私?私は、性的にはスケベで変態でポリガミーのくせに結婚しているふとどきやろうですぅ。でもね、人様には迷惑をかけてはないよね。私が変態だからって人様を傷つけたりもしてないしぃ、家族を裏切ったつもりもないし、家族に訴えられたこともありません。真面目に家族してるつもりの人がけっこう家族を壊したりもしてるのね、不思議でしょ。
2005/11/17
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今日は請われてすこし遠くまで足を運びました。対人援助の研修です。私は私の援助論を講議しました。脱ジェンダー、脱ヒエラルキー、当事者の視点、という私独特の援助論について。もちろん、その前に私が何者で何をしているかっていうことも。サラリーマンをやめて家庭にはいったこと、料理教室をしながら、ジェンダー絡みの運動をはじめたこと。専門家になるための教育ではなく、自身が当事者として語ることで、様々な学びを獲得して行ったこと、などなど・・。そして、今私が行っている、様々な援助について。グループワーク、カウンセリング、シェルター、ビジテーション、アドボカシー、などを一ケ所で提供する複合的援助論も。で、前半1時間の講議の後、ワークをやってもらいました。知識ではあたまに入ってることでも身についてはいないと言うことを、実証するためのワークから。ほんと私は性格悪いから、みんながひっかかるような意地悪なワークです。内容は秘密・・。それと、加害者の脱暴力へのモチベーション作りが難しいのは、加害者の異常性とか凶悪性の問題ではなく、援助者には自らを防衛する心のメカニズムが働いていて、共感が難しくなっているからだというようなワークを行いました。ほんとに人の話を聴くこと、人に寄り添うこと、人を助けることは難しい。誰にでもすぐにできるものではありません。知識を身につけるだけでできるものでもありません。知識は道具、難しい道具を持つ程、それを使いたくなるし、それを使いこなすのも難しく、しらんまに人を傷つけたり、自分も傷付いたりする。使う力のない人には知識は危険、有害。それより、どんな人の話を聴いても感情が揺れずに、受容し共感すること、なおかつ冷静な判断も常に失わずにいること、このことができるかできないか、ということの方がはるかに大切。そんな講議をしてきました。受講者は熱心に聞いてくださいましたし、ワークにもしっかりと取り込み、御自身と向き合い、様々な気付きをしてくださった御様子。ほんとにいい時間を共有させて頂きました。今日も1日いい日でした。出合いに感謝。
2005/11/16
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女でも男でも真面目な人は生きづらい世の中になってしまったようです。真面目と言うのは、規範に従順でわがままを言わない人、よく言えば人に対する気配りができたり、控えめで誠実な人。女あるいは男として育てられる中で、女らしく男らしくという規範をしっかり血肉化した人。こういう人はその規範から逸脱することを極度に恐れるし、逸脱した行動は葛藤が起ります。性差による区分をさほど必用としない現代社会では、男らしく女らしくという性の呪いがかかった人はとても生きづらい。実は女の上司に素直に頭を下げたり、残業する妻の分も気持ちよく料理できる男は多くはありません。夫の会社の倒産を嘆かず、みずからダンプを運転したり、家事育児を夫にまかせて自分で起業する女も、すこしずつ出てきてはいるものの、まだ多くはありません。男らしい自分をといなおし、あらためて自分は男らしく生きると言うのであれば、それも素敵なこと。女が自分探しの末に自分の中に限り無い女性性を見い出してもそれはすばらしいこと。けれど、自らの性を検証することもなく、家庭や社会で人間関係がうまく行かず、自分も苦しみ他人も傷付けているとしたら、自らの生き方に呪いがかかっていないか、検証した方がいいかもしれません。男であることや女であること以前に自分がいちばん自分らしくあることを自分で認められたら、自分の中に葛藤は起りにくくなるし、相手のあるがままを受け入れるのも簡単。あなたが赤、私が白であるなら、赤と白の間に線を引く必用はないのです、闘いではないのだから。せっかくの赤と白、チェックにするか、ストライプにするか、マーブルにするか、ピンクにするか、グラデーションにするか、自由自在。あなたがあなたであること私が私であることの意味はそんなんだと思います。同じである必用はないし、どちらかが正しいでもないし、どちらかが上でもない。もちろん、赤でもいろんな赤があり、白にもいろんな白がある。どれが正しいでもないし、どれが標準でもない。ただ、自分の色は自分でちゃんと知っている必用はあるかもしれません。相手に映った色が自分の色と気が付かなくなるからね。あなたはあなたの色を大切にしてくださいね。あなたの色でしか染まらないあなたの人生なんですから。そして、あなたと出合った人のその人の色も大切にしてあげてくださいね。こんなことが自然にできるようになれば、男だの女だのといがみあったり傷つけあったりすることも少なくなるのかも知れません。抑圧の構造だの固有の文化だのという言葉を知らない訳ではありません。ただ、困難に陥った家族を再生するには、言葉の問題ではなく個々人の尊厳を守り、具体的な手立てが何より必要なのです。そして、彼等が何を必用としているか、それは彼等の語りのなかからしかわかりません。彼等の言葉をしっかりと聴くためにも私自身が呪いから解かれているか、常に自問する必用もあると思っています。
2005/11/15
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私は様々なチャンネルで人の話を聴かせてもらう。これは仕事の場合もあればボランティアの場合もあります。チャンネルによって内容の傾向は異なります。が、いずれにせよ人には語れないいろんな事が語られます。非常識なこと、倫理に反すること、犯罪行為に関すること、激しい怒りや絶望、妄想や作話、セックステレフォン等など、ありとあらゆる悩みや思いが語られます。語りの中で当事者は自分の感情を昇華させ、考えを整理し、自己決定し、別の援助に移行して行くか、自分自身で解決していくこと、をめざして聴いていきます。数回の面談で劇的に解決していった方もおられるし、何年も付き合いを続け私との相互成長をともにしてくださっている方もおられます。ほんとに百人百様、みなさんそれぞれ回復のプロセスはことなります。いずれの場合でも、私が常に自戒しているのは、傾聴です。軽聴、型聴、競聴、刑聴にならぬようにと。願わくばどんなクライアントであれ敬聴できる自分でありたいとも思います。とはいえ、事件事故につながる可能性があれば、聴くだけではおさまらない場合もありますが、そんな時は、情報提供し、助言し、時には介入的な指示も出す場合もあります。その時の気持ちはその方が傷付かず人を傷つけず、すこしでも幸せに生きてくれることを願う気持ちでしょうか。ほんとにどんな話でも動揺せず、感情が乱れず、ちゃんと聴いて受容し、とことん共感し、しかもなお冷静な判断を失わない、それを日常的に行うにはよほどの心の強靱さが必要です。常識や知識、名声や権力に依存している心では難しいことと思います。特に性や暴力、犯罪が絡むケースにおいてはとくにその力が必用です。どろどろの体験を耐えて生き抜き回復した方はその力を獲得していますし、その力は傾聴にはとても心強い味方になります。私が当事者の視点での援助にこだわるのはそんなことも理由の一つかもしれません。
2005/11/14
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私の事務所(家族再生センター)は、カウンセリングやビジテーション(面接交渉)を行うだけでなく、シェルターとしても利用できます。今までしばらく男性用シェルターを維持してましたが、都合で、移転することになり、男性用と女性用と2ケ所のシェルターの確保をめざしています。当面、女性は来月から利用ができます。ある程度の中期利用も可能です。ただし、一泊3000円(食事込み)の利用料は負担して頂きます。短期であればすぐにでも利用できますし、男性でも女性でも利用できます。男性用の長期利用に関しては、おそらく来春には稼動できると思います。シェルターといえば、行政のもの民間のものがありますが、全て女性用のものだけです。これは、「配偶者の暴力の防止及び被害者の保護にかんする法律」に基づいた施設だからです。その法律の前提には「加害者は男性」「DV男は何をするかわからない異常者」というのがあり、その男からの分離という価値観があるように思います。その前提の是非はおいといて、では、被害者はシェルターに入るのはいいとしてそこをでてどうするのか、という議論になります。夫は逆上している、かといってシェルターを出て行く先もない、ということになります。その後、母子寮、母子自立支援施設、などに移ることも多いようですが、子供を抱えての就職も難しく、自立生活もままならず、けっこう厳しいものがあります。逃げて離婚という選択もたしかにあっていいと思いますが、逃げずに離婚とか、離婚せずに別居とか、別居から離婚、別居から再同居、逃げずに話し合い、など、いろんな選択肢があることも理解して欲しいのです。・。その当事者にとってそして何よりこどもにとって、いちばんいい結論、誰もが傷付きが少なくてすむ結論を目指せたらいいと思います。が、そのためにはいわゆる加害者に対する対応は不可欠です。魔女裁判のようにはじめに結論ありきということではなく、双方の言い分、こどもの言い分を客観的に聞いた上で、修復的(離婚を含めた)な対応がなされるべきでしょう。いずれの場合でも援助者は裁判官になってはならないと思います。で、当面、暴力の可能性があるとか、クールダウンが必用とか、保護命令が出された、とか言う場合は、女性が逃げるよりも、男性が避難した方が女性こどもの負担がすくないのは事実。保育園とか、育児とかは地域が変わるとややこしいし、こどもも長距離移動するのも引っ越しするのも大変です。それに比べたら、男性はシェルターから職場に行けばすむことだから、ほとんど負担は増えません。とはいうものの、いわゆる加害男性の話を冷静に聴いて、なおかつ客観的に脱暴力のためのサポートができる相談員はまず女性センター、配偶者暴力相談センターにはいません。今日も、子供に会いたい、つまに会いたいと言う悲痛な電話を頂きましたが、「あいつのやったことはとんでもないこと、鬱になろうが、苦しんで自殺しようが、しったこっちゃない、死んでくれたらせいせいする」というようなカキコみとか、発言を見聞きすることもしばしばですが、確かにそういいたくなるまでの苦悩を被害当事者がしてきた、それはよくわかります。けれど、援助者はその当事者のその気持ちを癒し、怒りや憎しみを成仏させてほしいと思います。決してあおってほしくないのです。誰かが死んでも解決にはならないし、痛みは終らないから。とりあえず、対立があれば、クールダウンするためにシェルターに入ってもらって、分離。カウンセリングで怒りや悲しみも成仏させる。その上で、別居か同居か離婚か、時間をかけて話し合えばいいだけのこと。そうやって修復めざして、再生センターのシェルターを利用された方は何人もおられます。ま、みなさんのお知り合いで、かなり激しくこじれている方がおられたら、ためらわず、とりあえず、シェルターに行ったらいいよって、ひとこと声掛けしてくださるとうれしいです。あとはこちらで対応させて頂きます。
2005/11/13
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今日はおじさん達のための料理教室。この料理教室はもう10年続いています。行政主催の教室を引き継いで自主運営しています。会員募集から会計、広報等も含め、全て自分達で話し合いながら運営されています。まふ、ほんと10年なんてよく続きました。私ははじめからこのグループに関わらせて頂いていますが、参加されるメンバーの個性もそれぞれに素敵ですし、役員の地道な活動にも頭が下がります。料理を教えるなんてたいそうなことは言えませんが、みなさんとあれこれやって行く中で、いろいろと学ばさせて頂きました。人生の先輩としてだけでなく、いろんな分野でいろんな仕や活動をしておられるその人達の語りからも得るものは多かったように思います。ほんといつも思うのは、ほんとに参加されるおじさんは謙虚でいじましく、そしてかわいらしいですぅ。
2005/11/13
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昨日の日記に書いた我が家の息子、現在21才フリーター。とはいうものの、律儀に無遅刻無欠勤で2年半も継続。せつかくバイトくんなんだから、もっといい加減にすればいいものを・・・若者らしく、二日酔いで休むとか、女に振られて早退するとか、・・・普通の若者がやるようなバカなことはまったくしないのです。変ですよこれって。私は息子が小学生の時、宿題禁止令をだしました。私がニュースステーション見てたら、2年の息子が宿題をはじめたので、怒り心頭、うちで宿題なんかするな、と言いました。すると息子はいいました。「おとーさん、こどもは宿題やらなあかんねん。」「そんなことはない、こどもはうちでは遊ばなあかんねん」「でもな、宿題せな、センセがおこるんやで」「そらセンセがまちがっとる」と言う訳で、私はセンセのところにいって「うちでは宿題させない方針なので宿題をしてなくてもいっさい息子に文句をいわんでくれ」と、センセに言っておきました。すると次の日から息子はいっさいうちでは宿題をしなくなりました。どうしてもしたければ、学校でしてくればいいんだから、ということは言ってます。そんな訳で小学校の間は成績はとーっても悪くて、中学も悪かったけれど、さすがに中学では、宿題禁止令は解除しましたが、2年の懇談で、センセは「味沢君、高校にいきたかったら、これからしっかり勉強しないと入れないよ」と言いました。私は「ということなんだって、センセはああいってるけれど、別にいますぐ高校に行かなくてもいってもどっちでもいいと思うよ、人生なんとでもなるからね」と私。この会話を聴いてた息子は真剣に、親父の言うことを聴いてたら、人生ダメになってしまう、普通の人生を送りたいのに、このままでは変な人生になってしまうっ!!と、考えたんでしょう。やにわに宿題をするようになりました。それから一年。3年の懇談では「随分頑張りましたね、これなら、たぶん大丈夫でしょう」とセンセ。「公立なら大丈夫だけれど、私立はお金ないし、だめだしね」と私。すべりどめも受けられずに彼はほんと真面目に勉強してちゃんと目的の高校にはいりましたとさ。こんなこと言うと、親として無責任だとか、こどもが可哀想だとか、いろいろ言う人はいるんだけれど、私はそんな親に言いたいのです。こどもにしっかり勉強させて、いい学校に行かせて、いい会社に入れることが親の責任をとることなのかって。そうではなくて、学歴とか名声とか、お金とか、そんなものに頼らなくても人に優しく、自分を大切にして幸せに生きて行く、そんな力をつけてやることこそ親の責任じゃないのかって。学歴とか金は親の責任じゃなくて、子供自身の責任で獲得すべきこと。親は子供の人生の基礎を作ってやることじやないのか。それは親しかできないのだから。世間の親ってあまいよなぁ。学歴や金で幸せが買えるなんて思ってるもの。ちゃうちゃう。学歴も金もある人でも、悩む人は悩むし、不幸になる人は不幸になってしまう。ほんとだって。
2005/11/11
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今夜も弁当を作りました。21の息子は毎日アルバイトに行ってますが、コンビニ弁当では、もったいない、とのことで、また、私としても息子の健康のために、ということで、毎日手作り弁当です。実は、弁当、朝のトースト(セルフサービス)晩ご飯、と、いずれも私が作りますが、その材料代として、月2万円を徴集しています。私は月収10万円の人なので、月2万の収入は大きいのです。材料代は当然2万どころか、4~5千円程度でしょうから、もうけは大きいのです。どっちみち、私は料理教室もしているし、食材のショッピング依存もあって、常に材料は過飽和状態なので、材料はくさるほどあるのですから。弁当のご飯は・・・というより我が家のご飯は五分付き米に雑穀を2割程加えてます。以前は玄米に雑穀でしたが、連れ合いが腎臓の透析を受けるようになり、リンを抑えなくてはならないということもあって、玄米はときどきにしています。野菜は近所の農家のものを買うようにはしていますが、最近は忙しいのもあって、スーパーで買うことも増えました。その他の食材に関しては以前はかなりこだわってましたが、最近は援助業務が忙しくなり、金と時間がかなり不足ぎみとなってきて、あまりこだわることが出来なくなりました。それでも、バランスは考えて作ります。そのかいあってか、息子はいたって元気。3才でやっと10キロになった、発達に???の疑問がつけられていただろう息子も、ほんと今はちょー元気。風邪をひくことも、ないし、病気も怪我もありません。有り難いことです。この息子のことはまたいつか書きますね。それにしても、毎日手作りでいろいろと考えた(ほんとは考えてないけれど、できる)料理を食べてると、体が自然と元気になるようです。もちろん、健康と言うのは食べ物だけでは作れませんが。息子のために何かしてやれるとしたら、私には料理してあげることくらいしかできません。親父のささやかな楽しみなんです。こんな楽しみをもてる私は幸せです。多くの父親はこの楽しみを知らないから、息子に何かしてやれるつて実感も持てないし、だから、威厳だの、父親らしさだの言ってえらそにするしかないんよね。弁当親父よ永遠に
2005/11/10
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女心と秋の空とか、女心をくすぐるとか、女心はわからん、とか、女の気持ちは男には理解しがたい、という言い方がしばしばされます。が、私は男の世界から女の世界に移住してみて、かなり女の価値観とか、女の行動様式とかについて、まぢかに接することによって、かなり理解できたように思います。たしかに、男の人間関係とはちがった力学が女の人間関係には働いていますし、コミュニケーションモードもちがいます。「あらぁ、素敵なセーターねぇ、似合うわよぉ、いいわあ」とか「うちのだんなったらねえ、若い女見るとでれでれしちゃってさぁ、うっとおしいったらないの」なんて、個人的なこと、感情的なことは、男同士ではまず話しません。「おや、部長、素敵なネクタイですね、どちらで御購入を?」とか、「うちの家内はねえ、若い男みるとなんかくねくねしちゃってさあ、腹立たしいよまったく」なんていう会話はまずしません。脳の構造がちがうだの、遺伝的な性差だとかいわンといてくださいね、それを議論するとまた何時間も必要だしぃ。私は異世界に移住して別の文化で生活してみて、バイリンガルになりました。私は女の感性でも語れるし、男の言葉も理解できます。で、そんな私からみて、女心は・・・と、定型的に言えるものではなくて、女でも十人十色。男が色々いるように女もいろいろ。ただ、強いて言えば、女は感情のファクターが大きく、男は論理のファクターが大きいということ。男は理屈を語り女は気持ちを聴こうとする。○○ったら、腹たつ・・・××なのよ・・・に対して、女なら、ええっそうなの、○○ってそうなの?!そりゃ腹立つわねぇ男ならええっそうなの、○○は常識を欠いてるよなあという反応の違い(傾向)があります。どちらがいいとか悪いではありません。内面化された、思考パターンは男女の違いがあります。バイリンガルに理解し話せたら誤解も少ないし、問題も起らないけれど、片方しか理解できないと、なかなか話しが噛み合わずに、誤解を招くことになり易いかもしれません。DVや、対立の背景にはこのコミュニケーションギャップもあります。自らの気持ちを抑圧して生きてきた男には、相手の気持ちを理解することも、自分の気持ちを語ることもとても難しいものです。ブログで自分の気持ちをやすやすと語る女達に対して、男達はなんと口数も気持ちの表現も少ないことか。そんなこんなで、妻の気持ちが理解できなくて、パニックになってる男達に、妻の気持ち、不安とか、恐怖とか、喜びとか、楽しみについて、いちいち解説して行くのも、私の仕事。女心がわからないでは、この仕事はできません。逆に被害者支援の女性が男心についてまったく理解できていないから、男にどう対応していいかわからず、全て厳格にシャットアウトすることで、却ってこじらせてしまう・・・・というのも、私にはよくわかります。今日の相談者も「妻との再会にびくびくだったけれど、会ってみると妙に機嫌よくて、すっかり拍子抜けした」とのこと、別居中は、怒り狂って離婚だとか、とんでもない男だ、どれだけ傷付いたか・・等々激しい言葉を投げ付けられていたから、彼の心配もわかるのですが、彼女の気持ちを翻訳して、気持ちをキャッチボールできるように、すこしお手伝いした、その成果なのかもしれません。もちろん、そうでないかもしれませんが。とりあえず、彼と彼女が対立を越えて仲良くなってくれたのは、有り難い、うれしい。こんなことを考えるに、。ほんと私はおばさんやねぇ、と思ってしまいます。
2005/11/09
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この頃は忙しくて走る暇もありません。できれば週二回ほど、月150キロくらい走れたら理想的ですが、現実はとてもとても。先月は40キロがせいいっぱい、今月はまだ一度も走る暇がありません。ブログにはまってるから、よけいに走る時間がないのかも・・・トホホ。で、トレ不足で深夜食の増えた私の体は確実にぽよよん型になりつつありました。これではいかーん、以前公開したあのうるわしき肉体をとりもどさなくてわ・・。美しさを強制されるのは女、強さを強制されるのが男、美しさを揶揄されるのが男、強さを軽蔑されるのが女・・・だからあ、性格の歪んだ私は、美しい男の肉体をのぞみ、強い女に憧れるのですぅ。でぇ、美しい肉体の復活にわぁ、ぽよよん体型をなんとかすべしぃ・・・ということで、ダイエットをはじめましたん。食べないのは心の毒なので、たっぷり食べて、ダイエットしましょっということで、こんにゃくなのですぅ。糸こんにゃくをさっとゆがいて、アク抜きして、あとは、うどんとかそばのつゆ、とかラーメンのスープで普通に頂きます。お昼はこのこんにゃくうどんだけ。夜食も食べる時はこんにゃくです。その他はできるだけ、野菜を増やして、とにかくお腹に何かをいれておいて、あまり空腹感を感じないようにします。でないとリバウンドしちゃうと意味ないからなあ。あと半年くらいすれば、きっとあの美しい肉体が復活し、また、プログに登場いたしますう。請う御期待・・・なんかしてないか、失礼しました。
2005/11/08
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いやー、またまた見てしまいました。UFOちゃん。前回は7年程前の琵琶湖上空でしたが、今回は事務所マンションの前。6時すぎ仕事が終ってスタッフとマンションを出たところで、南の空、月の下あたりかな。三個の金色の星、さほど明るくはないけれど、月夜で明るい空でも充分に明るく見える明るさ。何の星?と思ってみたけれど、ゆっくり移動しているので、ああ、飛行機かなっ、と思いきや、上下三個の星が近付きながら移動していく・・あれれれれ・やがてみっつはひとつになって、また離れてこんどは移動する方向を東から西に向かって移動していたのが上の方向に方向をかえていった。そして、またみっつが重なって、こんどはすっとちいさくなって消えてしまった。飛行機とか人工衛星、あるいは流星の動きとはまったくちがう動き。時間は15秒くらいか。ほんとはぐわーんと近寄ってくれたら分かりやすいのにぃ、と思うけれど、なかなか目の前にはあらわれてくれないし、宇宙人がでてくるとか、私が宇宙船に乗り込むとか言うドラマチックなこともおこらず、ただただ、遠くから眺めるだけ。これじゃあ、飛行機だよ、とか、星の見間違い、人工衛星、とか、言われるのがオチ。そのどれでもない、UFO独特の動きなんだけど。でも、それがいったい何なのかわからない。決して私の幻覚ではない。二人であれあれ、と言いながら見てたから。誰か、こんなの見なかったかなぁ。目撃体験のある人はまた知らせてね。それにしても、私も7年ぶりくらいだから、そんなにしょっちゅう見ることができるというものではなさそう。でも人生では何度か見ることができてもいい確率。私がいつも星空を見上げる習慣があるから偶然見れたのか、誰かが私にそれを見せたのか、それもわからない。私の腕の三ツ星のお印と、今日の三ツ星のようなUFOとオリオンベルトと、関係があるのかないのかもわからない。????ほんとにただただ、今日も不思議な体験をしました。こんなことがあるからなぁ、私はやっぱり特別なんかも・・・と思ってしまうし、特別な力が私に作用していて、私は思し召しのままに、いてきいけばいいのだ、との確信も強くなる。ほんとやれやれ、アホくさって感じる読者もおられるでしょうねぇ。でもねえ、ほんと、私の周辺ではねえ、なんか不思議なことはしばしば起るんです偶然にしては確率的にあり得ないと言う感じなんですぅ。どう思います?
2005/11/07
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今日はボランティアスタッフの研修の日。私は様々なチャンネルで援助を提供しているけれど、当事者の語りから必要なニーズを読み取ります。で、そのニーズにあわせた援助を提供していってたら、今の複合的な援助を提供する組織になりました。援助の理論もシステムも私自身が当事者として当事者同士の語りから導いています。だからエライセンセが、難しい理論に基づいて、こまかく分析しながら治療して行くのとはまったくちがうと思います。今日も、死にたい、殺したい、そんなギリギリの当事者の援助をどうやってすすめるかという研修の途中で、たまたま、死にたいです、死んでいいですかー、なんて泣きながらの電話が入りました。その電話で、あーしてこーして、と介入的な指示もしていきます。自分が安全な枠の中で、守られながら援助(というより、たんなる治療や相談)していく専門家とちがって、当事者に近い所で援助していく私には、こちらのプライベートな時間をある程度犠牲にせざるをえません。研修で話のテーマになったのが、手紙、メール、携帯、と、情報の時間的ゆとりのレベルがそれぞれ異なると言うこと、また死にたい人の追い詰められている度合いもそれぞれちがっていて、ひとくくりにはできないということ。怒りが外に向けば傷害とか殺人になるけれど、内にむけば自殺になる。まったくちがうキャラクターのように捉えられがちだけれど、中身は同じで、どちらが出るか人によってちがうし、ひとによっては、交互にあるいは同時にでることもあるということ。同時にというのは皆殺しにして自殺するというケース。いずれにせよ、世間では善悪の視点で人格を見ようとするから、事件の本質を見誤るし、その見誤った視点で援助に関わると、ケースが解決しないどころか、より重篤になる。それを専門家は当事者の病理化、犯罪者化で説明しようとするから、ますます、混乱して行く。とどの詰まりは刑務所か入院かになってしまう。問題は何も解決しない。当事者の語りから理解すれば一番簡単に理解できるし、援助プランもスムーズにたてられるのに。専門家は加害者責任だとか、病理所見だの、的外れなことを言って当事者の口を閉ざしてしまうから解決しない。心の病にはその心が病むことにならざるを得なかった社会の歪みを理解し、その歪みから当事者を解放すること。そのためにはその体験を語る当事者こそ真実の専門家だと認識し、回復の方法を知る援助者として私達が理解することが必要。フェミニストはこのことをやってきたはずなのに、なぜか暴力が絡むと、男が加害者と勝手なストーリーを作ってしまう。ミクロとマクロを混同する。虐待もDVも同じ。被害者支援の大きな落とし穴。被害者支援をやっている人達には謙虚になってほしいものだ。あーあ、こんな当事者の視点による援助なんて世間では理解されないよなあ。私の言ってることがわかるあなた、わかってるよーって答えておくれー。くだんの電話の当事者はあれから何度かかけてきたけれど、すこしずつ落ち着いてきて、たぶん、今夜は乗りこえて、明日は私の指示にしたがって動いてくれるだろう。事件、事故にはならずにすみそうだ。
2005/11/06
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ここ最近ブログにはまってて、ずっと映画を見てません。なんか、心のどこかでうずうずしてたんです。何か感じたい~。いちばんいいのは、全身を使って実際に感じることだけど、恋愛とかもひとりじゃできないし、スポーツもなかなか、体感する暇もない。仕事で対人関係におけるやりとりは楽しめてるけれど、それは、身体的な実感を伴わないので、なんか、うずうずしてくるってわけでした。で、今日はたまたま時間があう映画を見たけれど、それは「ステルス」です。ストーリーはB級ですが、CGがちょーハイパワーで映像化されてて、無人戦闘機とパイロットの闘いやらラブストーリーが絡みあって、とにかく破壊衝動が高速画面の視覚的音響的刺激やらで、なんか満たされたような気がします。やっぱ、私には刺激が必用です。映画でも小説でも、戦争や暴力はテーマになるけれど、愛やセックスと並んで破壊や暴力は、私を引き付けます。自分が死ぬのはごめんだけれど、人がバタバタ死ぬ映画は面白い。なんせ他人事、実際に人は死んでる訳ではないという前提がありますから。どんな動物でも食べる、繁殖する、身を守る、などの基本的な行動はプログラムされていて、人間も然り。けれど、それをかなり、文化的な文脈の中で行動をコントロールしていけるのが人の特徴だけれど、性とか暴力が私の心の奥底で、動機として発動しているのは納得しています。激しく身体を動かしたり、大きな音や光を楽しんだり、ねっとりとしたセックスを楽しんだり、ということは、やはり私の存在のありようと無関係ではないと思う。映画を見ながら、どこかで映画を見ている自分を見ていた私。我を忘れて入り込む映画ではなかった、ということか。我を忘れる映画ってないのかー
2005/11/04
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「攻撃」なんて書くとたいそだけれど、今日のお話はこれにしますね。今日知人の話で、とんでもないプログがあったよー、と教えてくれたので、そちらをのぞいてみました。あったあったありました。味沢道明が完全なフェミニストで、加害者を反省させて離婚させるためのワークをしているけしからんやつ、だとのことでした。これは私が11月に八尾で講演する内容を元にかかれています。反フェミニズムのZさんなる人物の報告だとのこと。反フェミの方が行政のチラシか広報を見て、メンズサポートルームのワークのことも知ったのでしようか。そのフォーラムのメインの露の都さんの講演料が30万で分科会の私は3万だとのことも書いているので、ある程度内部の情報が入る立場の人なんだろうか。それにしても3万の私なのに、ブログで一番行数が多く書かれていて、ワークの内容も全部書かれていたのは、喜ぶべきことなんでしょうかねぇ。ただ、私が完全にフェミニストだとの記述は完全に誤りで、非暴力ワークは離婚を目的とはしていないし、男の気持ちを大切にしているということでは、どこのワークにも負けない自負があります。フェミニストが私の事を理解できなくて、結婚修復センターをやってDV男の味方をしている、との誹謗のメールを流す感覚と、このZさんの味沢はフェミニストだという感覚は、どちらも似ているなあ、という印象。自分に自信がないと相手と向き合うことができないから、遠くでワンワン吠える、そんな感じ。自信があるなら、相手の主張に耳を傾け、冷静に議論して、相手からも学ぶ、そういうことができるはず。フェミニスト学者センセのごう慢さもジェンダーバッシングやってるバックラッシュグループの稚拙さも、それぞれの思いはわかるけれど、私はそれらに組みすることもないし、共感することもない。私は何も怖くないし、恥ずかしくもない。私は多くの当事者の支援をする中で当事者の理解を得、彼等ひとりひとりが私を支えてくれているから。多くの女や男が困難を抱えながらも生きて行く、その彼等こそが私の勇気と自信の源。フェミでもアンチフェミでも、私を攻撃したいひとはすればいい、喜んで受けよう。私はそんなにやわではない。また、当事者は私を守ってくれるし私は当事者の支援にすべてをかける。攻撃など恐れるものではない。といいつつ、ブログで、名指しで批判されたのはじつはすこしうれしー気持ちも。やっと一人前になれたかなって。
2005/11/03
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先日、付き合いの長いクライアントから電話がありました。「無事、仕事できました。当分使わなかった筋肉使ったので、バキバキに痛んでます。でも、身体使って、汗流して、何も考えずにもくもくとやれたので、すごくすっきりしました。ずっと、何年も仕事してなかったんで、とっても不安だったけれど、ほんとやっと一歩踏み出せました。また、いつ不安になるかわからないけれど、いつでも、つながれると思うと心強いです。これからもよろしくお願いします。」との結果報告です。彼は会社倒産、鬱、暴力、妻子の逃避行、OD、他未遂、離婚、と、最悪ギリギリの状況を生き抜いてこられた方です。いろんな意味での力の支配で自分を支えてきた人物。なのに、金も地位も、家族も・・・すべてを失い、生きて行く意味も勇気も失っていました。行政も裁判所も何をしでかすかわからない危険なDV男として色眼鏡で見られていた様です。ずっとカウンセリングを続け、自分の問題点も克服し、自殺衝動の波もなんとか乗りこえ、今は、子供達との面会も達成し、すこしずつ、家族にサポートも続けられるようになりました。あとは、自己実現としての労働とその対価としてのお金を得ること。そのお金で自らの生活を成り立たせ、家族にも支援をすること、が目標になっていました。その彼が、数年ぶりに労働できたということ。自分の存在に自信を持ち、外にでて働く、という当たり前の事ができるようになるまでに、どれだけ彼が苦悩したか、その苦しさの中、一緒に考えてきた私には、ほんとに他人事には思えず、うれしさ一杯です。暴力は犯罪だ、と他人事を言い立てる人には理解し得ない、回復を共にする者の喜びを感じています。ほんとに有り難いことです。暴力で人を傷つけ、自らを死線においやってきた男でも、ケアがあれば、回復して行くし、社会の中で自らを肯定的に存在させうるように変容していきます。私は彼によって、自らが加害者支援の援助者足りうる存在へと成長させられました。私の援助論にさらに自信を持つこともできました。共に苦悩し、ともに成長した3年間でした。クライアントのたった一日の労働で、こんなに喜びを感じれる私はやっぱ天才バカボンですねぇ。ははは、うれしいよー(涙)
2005/11/02
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先日は二日間のハードワークでした。DVで避難、別居と言う形になった夫婦の面接交渉(面会=ビジテーション)です。弁護士や調停員が間に入っても、暴力の本質や修復の為のメンタルケアはできません。ですから、被害者がシェルターを出て別居という形になれば、たいていもめてこじれて、面会は難しくなります。親子の面接交渉を強制執行する法律は日本にはないので、こじれたら親子生き別れということになってしまいます。先ほどのクライアントは一回目が弁護士事務所で行われたけれど、心理的なサポートがないので、こどもも親もかなり不安を感じたとのことで、二回目を私のところに依頼してこられました。そのクライアントのケースでも面接交渉の前に双方のカウンセリングを何度か行い、信頼関係を作った上で面接交渉をおこないました。双方の安全と安心を確保し、何より子供が親と素敵な時間を過ごせるための時間や空間が確保されないと、いいビジテーションにはなりません。このビジテーションを業務として行っているのはたぶん日本では私の所だけでしょう。面接交渉の時間と場所の設定だけをやってる所は、あるにはあるのですが、保育や心理、暴力に対するケアのできるスタッフがいて、なお法的な知識もすこしはあるところなんてのは、まあ、どこにもないでしょうねぇ。だから、当事者は癒されない、解決しない。カウンセリングやビジテーションを行うことで、双方の誤解や不信が解け、すこしずつ心が通うようになって行きます。離婚するにしても再同居するにしても、双方が納得し、子供が傷付かないように双方が責任を分かち合うのはとても大切なこと。暴力がからんでいれば、被害者の不安は当然で安全や安心の確保は大前提ですが、その為には加害者に対する適切な対応ができないと無理でしょう。ビジテーションを通して、関係が修復され、傷付いた心が修復され、新たな関係としての再出発を果たし、親も子供も再び成長をはじめる、その姿を見ると、少々の苦労も値うちあるよなあ、と、お手伝いできた自分をほめてあげたくなります。前述のクライアントも、「彼女の気持ちがよくわかりました。やっと安心できました。」と答えてくれました。今までは彼女の気持ちがわからず、パニックになって怒りと正論だけで彼女を追い詰めていたことに気がついてくれたのでしょう。すこしずつ修復がはじまりだしたようです。感謝
2005/11/01
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