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痩せよう痩せようと思いつつもなかなか減量しない、とゆー訳でいっそうの減量強化をしたい所。今日も野菜こんにゃくうどんのランチ。たまらずアーモンドチョコ三粒。これが今日のランチです。先日からランニングも再開したし・・・筋力アップ、脂肪ダウン・・・といきたい所。なんでここまでこだわるのかってことだけれど、病気になりたくないという意味合いはあまり大きくありません。病気の不安はないし、なったらなったで受け入れるし・・ただ、預かりもののボデイーを粗末に扱ってはいけないと言う思いとか、最大限その機能を発揮したらどうなるかってことも確認したいし、結果報告もしたいから・・・・。男は身体的な美しさを抑圧されてて、身体的な強さとか精神的な闘争心ばかりを要求されていて、美しさを抑圧されているから・・このあたりも覆したい所・・・それが還暦ヌード、という目標になる訳。まっあまり期待しないでお待ちくださいませー♫そうそう、明日は銀座ワーク・・・テーマは自尊感情・・・の予定・・・関東方面のみなさんお気軽にご参加くださいね。
2014/01/31
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先日、ある方から連絡をいただきました。面会交流調停を取り下げました・・との報告です。相手が申し立てた離婚調停中の方です。その方のお話では、相手方の言動は理不尽で、子どもを巻き込み、本人から子どもを引き離している。そこに至るプロセスもとても感情的で不安定、周りの人たちや支援者にあおられて常軌を逸した行動をとり続けている・・・確かに、客観的に見ればその通り理不尽な行動なんですが・・・・。そんな相手の言動に傷つけられ怒りや悲しみにとらわれてしまうのは当然の事。その感情は相手に対する義憤となり闘争になってしまいます。弁護士に依頼して法的闘争に入り、泥沼の闘いにしてしまいます。少なくとも、法に正義があって、それぞれの言動を正しく正義に基づいて裁いてくれるならそれもまたひとつの選択として意味のあることでしょう。けれど、今の司法に・・・・司法なんてもともとそうなんでしょうけれど・・・・正義はありません。国家秩序(現状)の維持のためにあるのであって、正義とは無関係です。システムを変えるより、弱者の不幸に目をつぶった方が国家のコストは少なくて済みます。司法の無責任、無能力の中で、家族が闘い、家庭が焼け野原になって家庭崩壊するだけ。修復不能になるまで壊れてしまいます。私はそんな結果になってほしくないから、極力闘いは避け、法的には白旗をあげながらも心理的には長期的な修復的対応を目指します。調停の場で、闘うのではなく、伝えられない調停員に委ねるのではなく、自ら手紙を書いて直接メッセージを相手方に伝えるよう奨めます。そこでは、相手方に対する非難ではなく、自身の思いやいたらなさ、相手に対する感謝やねぎらいも書いてくださいねと助言します。相手の理不尽な言動も、相手にすれば根拠はある訳でその根拠について本人は理解できていない事がほとんどです。夫婦の問題では表面的な問題の下に、相互の対話不足、気持ちのすれ違いがあります。相手を変える事はできなくても自分を変える事は可能。自分が変われば相手も変わります。仮に相手は離婚と言う結果しか受け入れないとしても、離婚に意味を持たせ、相互に傷付く事を防いで離婚する事は可能です。その結果修復的離婚が可能となります。あるケースでは離婚後、再同居し再婚したカップルもおられます。別居し離婚後、共同養育の家族を再構築した夫婦もおられます。修復不能な焼け野原にはしなくて済みます。はじめに書いた面会調停を取り下げられた方、私の助言を受けて、いいお便りを書いてくださったようで、相手の態度が少し軟化した様子、との報告も添えてくださっています。理屈や常識では理解できない、人の感情についてちゃんと理解し、その感情を動かすべくスキルが司法の場でも必要です。もちろん弁護士にはそう言うスキルはありません。カウンセラーは法的対応について助言する事はできませんし、心理的な支援についても、係争事案には関わらない人が多いのも確かです。けれど、家族の問題について、法的闘争ではなく、心理的な修復的支援ができる専門家がいれば、こんなにも多くの当事者が傷付く事は防げるのではないか・・・・ああっ私の妄想・・・そんな修復的支援ができる専門家を育てたい・・・来月16日には京都でメンズカウンセリング講座が開かれます。本講座、一年間で四回ほどの講座を予定しています。当事者性に基づいた支援について学べます。将来何らかの支援に関わりたいとか、人間関係を修復的にケアしたいと思ってる援助職の方、我が国で唯一学べるメンズカウンセリングです。お気軽にご参加くださいね・・・
2014/01/31
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今朝は事務所のゴミ出しを忘れてたので、朝一に事務所にきてゴミ出しでした。その後は・・・・時間もあるしー、急ぎの仕事もないしー・・・修行の掃除はさぼって・・・じつくりと昔の曲を聴いてみよう・・ということに。棚から引っ張りだしたのは・・・マーラーの交響曲八番「千人の交響曲」と言われる曲。指揮はゲオルグ・ショルティー、シカゴシンフォニー。録音は1972年。レコード盤二枚、一時間半ほどの大作です。録音が悪かったりレコード盤が傷付いたりで、シャリシャリ、プチプチは多少やむを得ないけれど、ホールを揺るがす重低音もちゃんと拾ってて、四十年前の演奏をいまも楽しめます。曲は聖書の句をもとに歌を多くのシンガーが歌うのですが、主題はエロス=愛 の讃歌です。私の好きなマグダラのマリアのお話も歌われていて、学生時代の私にはとても刺激的で魅力的なものでした。これはドボルザークとブラームスの交響曲・・・こちらはマーラー八番よりも軽くて現代的ですが、この曲を聴くと高校生当時憧れてて・・忘れられなかった彼女の事も思い出したり・・・ほんと、四十年経っても当時のままの音が再現できるのも悪くないですね・・・レコードは当時一枚2000円ほどで、貧乏学生の私には月、二〜三枚買うのが精一杯。その頃収集した百枚ほどのレコードは今まで捨てる事もできず、引っ越しのたびにまとめられ、運ばれてきたけれど、捨てなくて良かったなっと、今にして安堵する私です。
2014/01/30
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最近の事例であるかないかに関わらず、DVも含む夫婦間の対立が相談の六割近くを締めています。法的対立に至っている場合もあれば、そこまで行って無い場合もあり、状況はさまざま。一般に女性相談に行くと、それはDVです、DVはなおりません。どんどんエスカレートして行くから危険です、早く別れなさい、逃げなさい、との助言を受ける事になります。当然、法的対立に至って双方が弁護士を立て、むしり合いの攻防をする事になりますが、結果がどうであれ、双方が深く傷付き修復が不可能なかたちで別れる事になりますし、単独親権の日本ですから子どもの奪い合いにもなります。このような支援の仕方はとても問題があると思うし、少なくともこんな女性相談はカウンセリングとは無縁のものではないかとも思います。カウンセラーは裁判官でもないし警察官でもありません。私はクライアントをジャッジすることもないし指導する事もありません。その人の世界に入って、ともに幸せを目指して物語り世界を歩んで行くだけ。クライアントはしばしば闘いの最中ということもありますし、これから戦闘にはいろうという場合もあります。けれど私が一貫して語るのは、非暴力の薦めです。怒りや憎しみも当然あるでしょうけれど、それを暴力に転嫁するのではなく、言葉によって伝える事を勧めます。とりあえず、白旗振って負けてみるのも戦略的に有効ですよ・・・などなど。もちろん私が押し付けるつもりはありません。憎しみをあおるのではなく、感情がおさまり、幸せに向かって冷静に判断できるよう対話しつつ物語りを紡いで行きます。闘う事でさらに傷付き、さらに大切なものを失って行くより、闘いを避け納得と安心とが得られるよう対話を重ねます。特に訴訟等絡む場合は、法的対立と心理的アプローチを分けて考えるよう助言する事も少なくありません。弁護士は闘うのが仕事だし、判事は白黒つけるのが仕事です。そこには正義も人権も・・・残念ながらありません。そんな人たちにすべてを委ねず、別のアプローチを考えてもらえるよう対話を重ねます。私自身、例の訴訟では部分敗訴となったけれど、司法の無能力をさらしただけの判決として見ています。上告しなかったのは、結果に納得した訳ではなく、司法に期待できないと考えたからだし、上訴して闘う事で喜ぶのはマスコミや世間。私には何の利益もないと判断したからです。怒りにまかせて闘うのは私の趣味ではありません。結果がどうあれ闘う事で私自身も傷付きたくはありません。私は人の嫌がる事をする人間ではないと言う事は私が一番知ってますし、なんら恥じる事はありません。そしてその体験をクライアントと共有する事で、クライアントの気づきや成長に寄与する事すら可能です。どんな体験にも意味を持たせる事は可能です。この体験があればこそ、司法の実態をリアルに伝える事もできると言うもの。闘わないと言う事がいかに意味深い事か・・・なかなかそれを自信を持って伝えられる援助者っていないんでしょうねえ。寝耳に水のセクハラで訴えられるなんて、そんな体験をしたカウンセラーなんていないでしょうからねえ。そうそう、こんな私だけれど、今夜のシネマのように闘いが溢れる映画は嫌いではありません。リアル世界とファンタジー世界とは、別もんですよね。どちらも大切だけれど・・・
2014/01/29
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今夜はシネマナイト・・・特に見たいーと言うほどでもなかったけれど、なんとなく見に行ったのが「エンダーのゲーム」ハリソンくんが出るので、そんなにひどいはずれではないだろうとの読みはあったけれど・・お子様向けの映画かなとも覚悟して出かけました。ストーリーは少し雑かなとも思ったけれど、映像はそこそこ楽しめました。それにしても最近のCG技術はとても進歩してて、とてもリアリティーのある映像を楽しめます。昨夜は光テレビで「リミットレス」を見たけれど、こちらはストーリーを充分楽しめました。まあいずれにしても、映画ってのは、感情移入しながらも一時のハラハラドキドキで結論がでてハイおしまいとなる気軽さがあります。これからも見たい映画が次々とあるようです・・・いろいろ期待してしまう私です。もうすぐ私はいつでも千円で見られる特典付きになります。これだけは歳取ってうれしいなと思えることですねぇ。・・・みなさん、映画みてますか?
2014/01/29
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先日いつも懇意にしてくださってる知人からりんごを頂きました。一個500g近いりっぱなりんごなんだけれど、形がいびつだったり、少しそばかすがあったり、大きすぎたりすると規格外ということで商品にはならなかったものだそうです。隣のお菓子も頂き物。私はほんといろんな人にあれこれ頂いて・・・有り難い話しです。だけど・・おいしいものはダイエット中の私には毒なんですけれどねえ(笑)私はみばはどうでもよくて、りんごがりんごならまったく問題なくて、有り難い話しなんだけど、生産農家にすれば無駄が多くなる訳で、この規格っていうのもどうかと思いますけれど。消費者と生産者が合意できれば、なんでもいいと思うけれど、なぜかあれこれ細かい規格ができて流通に乗るまえに排除されてしまう。生産者と消費者の双方の合意が取れない状況になってしまってますよねえ。これって無駄だと思うけれどなあ。これはりんごだけじゃなくて、人間もそう、学歴とか肩書きと言う規格が重んじられて、中身は二の次って、おかしくありません?私はりんごでも人でも貼られたラベルではなくて中身で判断してますからねえ。外見はきれいでも中身が腐ってたら話しにならないし。まあ、腐りかかってどうにもならないって思ったら・・・とりあえず、私に任せてください、ちゃんと再生してみましょう。大丈夫・・・(笑)規格外でもなんでも、世間でうまくいかなくても、ちゃんと立派に再生できますって。りんごの話しだけでなくて、人間の話しでも・・(笑)
2014/01/29
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DNA鑑定で生物学的な親子関係は証明できるけれど、子どものDNAは半分は父親から半分は母親からなので、その親子の遺伝学的な証明は半分でしかないということ。その半分も親の遺伝表現と子の遺伝表現は同じではない。嫌いなおじいちゃんの遺伝形質が表現されているかもしれないし(隔世遺伝)親とはまったく違う形質が出てきているかもしれないし(突然変異?)遠い先祖の形質が出てきてるかもしれないし(漂流遺伝子?)しばしば系統樹、家系図のような一本の線が枝分かれして行くイメージで遺伝が伝えられて行くという説明がなされます。そこに誤ったダーウィニズムが重ねられ、適者生存、すなわち優生思想が導かれます。これが現代人の遺伝を巡る親子幻想に繋がっているのでしょう。クラゲやミミズみたいな形質も行動もそのほとんどが遺伝情報に支配されている生物なら、かような(系統樹のような)概念で親子を語るのもウソではないでしょう。けれど、遺伝情報でも表現される形質とされない形質(優性遺伝・劣勢遺伝)偶然や条件で表現される形質等、様々な遺伝情報が個人を越えた社会の中に保存されています。ある程度の遺伝集団の規模がないとうまく遺伝情報が伝えられないと言う事でしょう。それを別の表現で言うなら「血が濃くなると家が絶える」ということ。しかもこれは人の親子関係の基本部分でしかありません。実はDNA情報よりもさらに多くの部分を大脳の学習機能に委ねていると言う現実があります。すなわち、DNAの情報は設計図を描く道具箱の情報でしかありません。パソコンの作り方という情報です。OSもアプリもDNA情報の中にははいっていません。生まれて以後環境に相応しいプログラムを大脳に書き込むことで、子どもは、生存可能性を高める事が可能になります。人類は大脳を進化させ養育(教育)の時間をとくに長くする事で生存のための膨大な情報を取り込めるようになったればこそ、他の類人猿が衰退する中爆発的に繁殖して行ったと言う事でしょう。チンパンジーが他の集団と殺しあいを続け子どもを殺して顧みない進化戦略を続けたのに比べ、言語による集団間の対話と共存を可能にし、子どもの安全を確保する事で種全体の個体数を増やして行った人類の進化戦略が別れたのが、およそ七百万年前くらいの事でしょうか。その結果の現在です。その中間的な進化戦略をとったのがボノボと言えなくもないのかもしれません。もちろん闘いと殺し合いと言う先祖返りを志向する行動様式も人類はまだ完全に手放せている訳ではないようですが。DNAは枝分かれする一本の線ではなく、女と男との間と親世代と子世代の間を編み目のようにつなぐレースの布のようなものと概念した方がより適切だろうと思います。レースの所々にまとまったこぶのような模様ができているのが個人と言う風に理解できます。このレースの布は一枚の平面ではなく、不定形な袋状になっていて、中には生存のためのデータツールがはいったボールがはいっています。このボールの中身はレースの素材とに関わりなく大人世代から子どもがコピーして保存するものでしょう。この中身こそが親子の本質と言えなくもないのですが・・・。親子関係をこんな妄想で形作ると、いわゆる世間の常識的な親子概念がいかに陳腐で荒唐無稽か、相対化できると思うんだけれど・・・こんな私の突飛もない妄想・・・理解不能でしょうかねえ・・・世間様にはとても理解できない事だろうとはわかるのですが・・・(笑)えっ私ですか?私の息子はもうすぐ三十歳。恋愛や結婚とも無縁な日々を送っているようですが(笑)特に家をつぐとか血が絶えるとかの言葉を私は使う事はありませんし、息子の人生は息子の判断に委ねています。むしろ、私の親としての行動は他人の生き方に関わる事で表現されて行きます。いろんな当事者に対して味ママとして関わったり、その子どもたちの成長に関わって育てる快感を感じたりもしています。血は繋がっていないけれど食べたり語ったり遊んだりする事で、生き抜いて行く力を蓄えて行く、そんな疑似家族としてのグルメナイトもそんな場でしょうか。個人と家族、社会とか人類とかの関わりも、いろんな可能性や選択肢があるってことで、一人一人が自分を自由に概念する事も可能、小さな親子幻想に縛られて辛い思いをする必要なんかさらさら無いってことですよねえ。DNA鑑定の結果がどんなものであっても。だいじょうぶ、あなたはみんなに愛されみんなに育てられているからねって、子どもたちに伝えてあげたい私。なんだけれどなぁ。「明日ママ」がいいとか悪いとかの議論もあるみたいだけれど、家族とか親子とかについて、あらためてその幻想についてもの申したい私でした。
2014/01/28
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今朝は一番に税務署に届け物。その後はゆっくりとお掃除・・・のつもりが、やにわに来談室のカーペットをはぐって掃除をしたくなりました。事務所移転以来、四年間来談室のカーペットは敷きっぱなしなので、はぐりついでにサイズも切りそろえて、フローリングも拭き掃除して、きれいに敷き直しました。来談室・・・不安がおさまり、心地よく心癒されるよう、落ち着いてこぎれいでしかもほんのりとした暖かみも感じられるような部屋にしたく、けれど金もかける事なく・・・・ということで、こんな部屋になりましたとさ。
2014/01/28
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最近はDNA鑑定でいわゆる親子の生物学的な関係を証明できるようになりました。現在の民法は明治時代のもので、そう言う技術がない事が前提で成り立っています。その民法では、籍の所在を前提としていていわゆる血の問題は二の次です。籍にはいっていれば親子とするのです。血は推論の範囲です。欧米では籍の問題はないでしょうけれど、結婚という契約に基づいた関係を前提としていたのが、愛と言う感情に基づいた関係に変化しつつあるし、愛は変遷すると言う事で離婚再婚を前提とした親子関係が成立しているようです。いずれにしても家族関係や親子関係は時代や文化によってその概念も形態も変化して行くものだと理解した方が良さそうです。ゴリラ・オランウータン・チンパンジー・ボノボ・テナガザルなどの類人猿はそれぞれ固有の家族形態・親子関係を持っています。人類はそのどれもあり得るという多様性も持っています。要するに人類の親子関係はなんでもあり、ということでしょう。そこに人類の発展があったと理解する事も可能です。男が育児に関わりだすこととか、女が発情をかくして父親の推定を不可能にしている(不倫する)と言う事とか、他の類人猿にはあまりみられない特徴があります。この特徴は子どもの立場で判断すると、子どもの生存可能性を飛躍的に高めたと言う結果になります。オスの繁殖戦略もいろいろあり、メスの繁殖戦略もいろいろあり、それぞれ異なり時には拮抗します。この葛藤を克服したのが人類の繁殖戦略で、それは子どもの生存可能性を高めるためのオスとメスの妥協、しかも群れ全体の子どもの生存可能性を高めるという高度な戦略です。子どもの養育を母メス一頭に委ねない、子どもの父親がだれであれ、群れのオス全体も含めた大人が子どもの養育に関わると言う人類固有の特徴です。その特徴は明治以前の近世社会では、生みの親、乳母、育ての親、里親、名付け親、など子どもの養育に関していろんな大人が関わっていたと言う現実になります。いろんな大人がいろんな子供を育てたのでしょう。けれど明治以来、そんな養育を巡る家族機能を個々の家族特に母親一人に押し付け、その他の機能はすべて捨て去り生産労働にシフトさせたと言う政策が続きます。それは国家機能が強化され、社会の近代化が進みます。その分社会の家族機能は衰退して行きます。母性的な社会が衰退して行ったと言えるかもしれません。かわりに強化されて行ったのが家族幻想・親子幻想でしょうか。籍と血と貞節で家族ができ親子が成り立つと言う妄想です。人類の親子関係はそんなに簡単なものではありません。親子をめぐるDNAに関しても、人々が抱いているのは妄想に過ぎません。・・・そのあたり難しいので・・また続きは次回に・・・
2014/01/28
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今夜はひと月半ぶりにランニングしてみました。昨年末に風邪をこじらせて慢性気管支炎のような状況が続いていて、負荷をかけるのを控えてました。久々なので無理をせず、七キロを50分かけて走りました。それでも久々なものだからふくらはぎの筋肉は少々痛みました。けれど、走るのはそれなりに心地よく達成感も得られます。ああっもっと走りたいー♫
2014/01/27
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還暦美ボディーヌード目指してダイエットを進めなくちゃならない私だけれど・・・なかなか減量が進みません。このひと月、慢性気管支炎の咳がおさまらなくてランニングも控えているのもあって、ちっとも体重計が・・・でチョコ依存をなんとかしなくてはと思いつつ、止められないので・・・今日もお昼は・・もやしと水菜のやさいうどん・・・もちろん澱粉の麺類はナシ。そのぶん、昨夜余ったぜんざいを一杯・・・嗚呼・・そうそう、昨夜はあれこれ腹一杯食べたけれど、体重計は・・ほとんど増体を指してなかったので、ほっ・・・
2014/01/27
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以前中国製の冷凍餃子から農薬が検出されたけれど、あの犯人に対する判決が出たと言うような報道がありました。あの事件の時には中国の管理レベルや中国人に対する拒否感や嫌悪感があおられたように感じます。現在は、群馬の食品工場で同じように農薬の混入があって、従業員の犯行と断定されました。報道では手当などの報酬が減額された事が原因ではないかとの推測も報道されていました。ニュース番組の解説者が、食品テロだから監視カメラ等を導入して徹底的に安全管理を行うべきだと言う正論を述べていました。確かに正論なんだけれど・・・・違うよねえ・・・というのが私の実感。三十年ほど昔の事、私がある会社の試験室に勤めていた頃、グリコの商品に毒を入れたと言う強迫がなされて「毒入り危険」と言う言葉が流行りました。私の職場でも毒物はあれこれ扱ってたし脅迫文に使われたタイプライターと同じものが使われていて、警察が何度か調査にきました。あの事件は結局、犯人もはっきりしないままうやむやになってたように記憶しています。今回の事件とは動機も方法も随分違いますが、食品に毒物を混入すると言う事が簡単にできるし、防ぐ事も難しいという事実を前提にしている事は同じ事。今後も同じような事件や事故は起こりうるでしょう。毒物や危険物の管理を強化しても人の心は管理しきれるものではありません。ハードでいくらガードしても、外部の人に対する防衛を強化しても、管理者や内部の関係者が犯行に及べば防ぐ事はできません。また、今回も会社の責任者が辞任したけれど、それで問題が無くなる訳ではありません。問題は防衛の弱さではなく、動機に対する無策でしょうから。これは食品テロだけでなく、政治的なテロでも国家間の紛争でも同じ事。パワー信仰にとらわれた人たちはハードな防衛力があれば問題を防げると考えますが、攻撃する方も新たな方法を考えますから、いたちごっこでエスカレートして行くのが落ち。戦略的に一番安全で有効なのは動機に対する対処でしょうか。犯罪やテロが起こる動機は当事者にしてみれば当然であって正義であるかもしれないし病理であるかもしれません。その人の心の世界ですから、世間にはそれは理解されにくいものです。理解されないから、テロや犯罪に走るしかないのでしょう。それも当然の事・・・・。その当事者の世界に入り込み、当事者の思いを別の形で具現化する事ができれば、犯罪やテロは不要になります。今回の事件、報道で推測されていたように賃金などの待遇の問題があるとすれば、不満や不信感が怒りにならないような社内の仕組みづくりが必要なのかもしれません。内部留保で利益を溜め込む経営側とギリギリまで絞られる不正規雇用の労働者の格差拡大が社会全体の不信感を高めているのは当然の事でしょう。一人一人が大切にされる社会であってその社会のひとりとしてアイディンティファイできていれば、社会を破壊する動機は生まれないでしょうけれど、社会の差別抑圧構造から孤立し生きて行けなくなったものにとって、どうせ死ぬなら社会に何らかのリベンジを企てるのもありだと判断するのも当然でしょう。食品の安全を確保するために毒物、危険物を管理するのも大切だけれど、最近は放射性物質と言う見えない危険物も存在します。これらをすべて管理するだけでは問題回避は不可能でしょうから、動機に対する対処に関してしっかり学んで欲しいもの・・・なんだけれど、無理だろうなあ。今の権力社会に適応した人たちには。今の社会、心理については専門家が無能力だし、経営者も心理についてはまったく無知だしねえ・・どうにもなんないか・・・まっ社会は混沌としていても、自身の安全や安心は確保できると私は確信してるのでなんも怖くないっすけれどね。こんな私、社会からみれば・・毒入り危険・・なのかもしれませんね。こんな私のいる所ってほんとは危険じゃないんだよー・・・一番安全で安心な所なんですよー
2014/01/27
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今夜は月に一度のメンズクッキング。夕方から男たちが集まりました。子連れのパパもいたりして。みなさん料理はまだまだ慣れない手つき。とは言っても、やればなんとかできるもので、みてくれはいざ知らず味はけっこうおいしくできました。もちろん、レシピ通りに合わせたら、大きな間違いにはならないけれどね。メニューは焼きビーフンに水餃子、大根フライに、もやしと大根の酢の物、白菜のそぼろあん掛け。もちろん餃子は皮から手作り。形はあれこれ愛嬌です。食後もいろいろと、体験や思いを語り合うのもなかなかいいもののようです。一人暮らしの寂しさや、家族の問題等、なかなか職場では話せない事でも、利害のない男同士ならではの会話です。どちらかというとおじさんたちのおばさんトークみたいかな。(笑)暮らしを自ら手作りして行く事を少しずつ身につけてくれればと思いつつ、おじさんたちの料理や会話を見守る私でした。そんな私・・・ほんとおばさんになつてるなあーって実感でした。
2014/01/26
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昨日はキッチンサロン?でした。私は料理はするけれど、ホストもこなします。メニューはさんま寿司、野菜天ぷら、豆腐ハンバーグ、茶碗蒸し、お味噌汁、デザートはバナナロールケーキ。食事の後はワークをおこない、それぞれの夢を巡る意識を言葉に変えて書き込んで行きます。それをみんなでシェアしていきます。バナナロールケーキは少しチョコも加えて、ほんのりチョコバナナケーキになりました。どれもおいしい♫と私が思うのは当たり前にしても、皆さんもそのように伝えてくださって、有り難い事でした。
2014/01/25
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昨夜は大阪で女と男のワークでした。こじんまりしてたけれど、深い話しがてんこもり。それぞれ厳しい状況の中で、苦悩や不安を抱えておられるのですが、ワークの中でそれを出し合い、共有する事もできたように思います。現実生活では職場だったり家族だったり様々な関係の中で、わかりあえない、通じ合えないもどかしさを感じるだけでなく、孤立してたり断絶してたり・・・・ほんと聴くほどに胸痛みます。それぞれがそれを一人で抱え、耐えていた事を思うと皆さん愛おしくて・・・・よー頑張ってるよなあ・・と叱咤撃沈にならないように、励ましの言葉を伝えました。大丈夫、一人じゃないから。ワークから帰れば、11時過ぎ。遅い晩ご飯して、お風呂して、少しゆっくりしたらもう二時・・でお休みして・・朝方長い夢をみてましたが、お昼の登場人物がそのまま夢に出てきて、同じ事を繰り返してる・・そんな夢をみてました。そいえば、今日のお昼のランチサロン・・・テーマは「夢」でした。これを妄想でも希望でもいいけれど、未来のベクトルへのガイドにできたらいいな・・そんな思いを伝えたい私です・・・・さあー、今日もがんばるどー・・・今日はホストもやるので・・・私のホストっぷりもまたアップしますからねー。請うご期待♫
2014/01/25
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今朝一番にカウンセリングが一件、お昼からもカウンセリングが一件。夜は男ワークです。昼過ぎから夜までの間が少し時間あったので、ロールケーキにトライ。少し前に買ってたバナナがスイートスポットをはるかに越えたので、黒バナナになる前にロールにする事にしたと言う訳。最近、ダイエットのために朝も昼も澱粉をほとんどとらずに生活してますが、その分口さみしく、ついつい手が出るのがチョコレート。食べ過ぎて体重が増える、とこまでは行ってませんが、減量がなかなか進みません・・(笑)以前、かすがいのピーナッツチョコがうまい、とかきましたが、最近GSでカバヤのアーモンドチョコも売ってました。重量あたりの値段はかすがいのピーチョコと変わりません。味もそこそこです・・ーんヤバいなあ、これもはまりそう(笑)まあ、依存が暴走する事もないでしょうし、特に病的な依存でもないので少しくらいならいっか・・・と言う事にしておこう。
2014/01/23
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今日の女ワークもこじんまりと深く濃く・・・テーマは「言葉と意味」 私たちは何気なく会話を交わし、喜んだり悲しんだり・・・。けれど、本当に対話がちゃんとできているのか、意味が通じているのか・・・その辺りについて検証してみました。ワークは「オリジナル四字熟語」自分なりの意味を持たせた熟語を妄想してみようと言うもの。私の考えたのが「叱咤撃沈」と「優柔負担」私の伝えたい事ってわかりますよね・・・ああ、明日の男ワークでこれやるつもりだったんだ、ネタバレになっちゃうけれど・・・いいですよね。私たちは何気なく言葉を使って対話しているけれど、言葉の意味する所は人それぞれ異なります。話し手と聞き手が完全に同じ意味で同じ言葉を使っているとは限りません。ですから、言葉の意味について確認しながら対話して行く事が大切だし、そのためには音感とか表情とか文脈とか複合的な対話能力が必要と言う訳。自分の思い込みで一方的に話しても、その通りのままで通じているかどうかわかりません。むしろ、通じてないとか間違って通じてると考えた方がいいのかもしれません。そんなこんなで、対話と言うのもけっこう難しいものだということ、誤解があっても悪意はないということなどについて語り合う事ができました。そんなこんなでいい時間のワークの後は、ランチしたのは簡単リゾット・・・ランチの後も時間があったので、昨日酢ジメにした鯖を使って鯖寿司も作りました。ついでにフリーズしてたカツオも解凍して、握り寿司に・・・それにしても、食べたい時にすぐ作れるって・・便利便利・・・言葉もすぐ自由に使えるっていうのは便利便利・・
2014/01/22
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今朝は寒さも若干和らいで、花園駅近くまでアドボカシーで出張に・・・仕事が終わって少しお散歩・・山陰本線、花園駅。京都駅から各停で五つ目くらい。駅前に「花の寺」がありました。いつか入ってみてみたいですね。仕事から帰って、お昼からは洗濯物を取り込んだり・・・記録を書いたり・・・安くていい鯖を塩で締めてたので、それを甘酢漬けに・・・・明日には鯖寿司にできるかな。なんと、トマトと大根のフライです。大根フライはカキフライみたい、という人も・・・トマトフライもこれまた新鮮美味大根は先日のでか大根を下ゆでしてフライにしました。トマトは頂き物のこれまたちょーデカトマトを厚切りにして衣をつけて揚げました。いずれも私の常識のなさがなせる技。こんな新しい味を楽しめるのも、妄想が世界を創る、ってことかな
2014/01/21
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私は所得が極端に少ない人だけれど、生活は豊かだと感じています。昔、アルビン・トフラーが1980年代に「第三の波」で提唱した言葉に「プロシューマー(生産消費者)」があります。それはやがて「トフラーは2006年に発表した『富の未来』で生産消費者の無報酬の仕事が生み出す金銭では数えられない富と金銭経済によって生み出される富をあわせ「新しい富の体制」と呼んでいる」体制になります。私はこの言葉をとても違和感なく記憶しました。私が実践しようとしていた生活の概念だったからです。やがて私は正規雇用の賃金労働を、私には無理・・・早い話しが「仕事すんのいやじゃー」ということで、仕事を辞め、金がなくなってからは、パートのおじさんになってわずかばかりの収入で暮らす人になりました。その低収入は、いまもちっとも変わりません。けれど、低収入がストレスと感じた事はほとんどありません。それはプロシューマーと言う言葉で表される、自ら生産し分かち合うことの喜びを知っているからでしょう。ああ、もちろん、私はトフラーの信奉者でもなければ「第三の波」を読んでる訳でもありません。ですから私の実践は私の直感によるものです。第三の波以前から、私はそれを概念してたし、ある程度実践していましたから。このプロシューマーになるには、生活者としての生産能力が求められます。消費経済はあらゆるものを商品化して行きますし、その商品に生活を委ねる、そのために賃金労働をするという常識的な選択ではなく、自ら生産し分かち合う、と言う選択ができる意識や価値観を持たなければ、プロシューマーにはなれないでしょう。こんな私・・・そうそう先日のお散歩セラピーの帰り道、とあるお店が店頭にちょー立派な大根を並べてたので、つい衝動買いしてしまいました。2.5キロ超の立派な大根。なんとこれが140円・・・どんだけ食べられるか・・・ありがたい、うれしい・・・ハッピー♫葉っぱも立派なので、捨てるのもしのびなくて、ごま風味の佃煮風にしました。息子のおべんと作りも、私の日課だけれど、義務感というより、楽しみとか実益とか(低額だけれど食費材料費として息子から経費をもらってる)で作ってる側面があって、苦にはなりません。お菓子作りも楽しいし・・・みんなに喜んでもらえたらなおうれしい・・生活するって、楽しい事なんだけれど、多くの男たちはそれを学ぶ機会を奪われてます。これは男性問題ですねー。どこかの行政で、男も家庭参加を、なんて料理教室をやってたりするけれど、男が労働し、企業からも家族からも搾取されている事について、きちんと教えた上で料理教室するところなんて、ないしね。上っ面の男性研究ではなくて、男性問題とちゃんと向き合った人を男性問題の講座講師にしなくっちゃ、と思うけれど、そんな男って私以外にはあまりいないんじゃないかな・・残念な事だけれど・・・皆さんエラいセンセになっちゃってるから。今からでも遅くないですよー、ちゃんと人権について考える行政の方がおられたら、お声掛けくださいねー、いつでも馳せ参じますからねー。いつまでも私を排除してても世間も当事者も救われませんよー♫
2014/01/20
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先日の親子引き離しのミーティングでも当事者の語る言葉は、胸痛む事が多いものでした。法律や制度、家族意識の問題があって、家族の不信や対立がどこにでも起こりうるのが現実です。だれに起こってもおかしくない不幸です。けれど、多くの当事者にとって幸せに暮らしている時は、まさか自分がそんな事になるなんて考えもしないから、ニュースも事件もデータも、すべて他人事・・・ある日突然当事者になる人もいれば、ちょっとの相談があれこれ言われるうちにとんでもない事になって行ってもう引き返せない、と言う人も。なぜそうなったかについて、冷静に客観的にしかも心理学や社会学、歴史学やら人類学について家族を巡る様々な知識について理解して支援し助言もしてくれる人は皆無。当事者になって気づくのは法律や制度の矛盾、司法や行政の無能力の現実。それさえも弁護士まかせ行政まかせにしてたら気づかず、自分が不幸なのはすべて、相手が悪いからとの転嫁にいたって、憎悪や怒りに絡めとられてしまいます。何も信じられない、すべてが憎いという思いにとらわれれば、前向きな思考にもいたらないし、希望も見いだせなくなります。自ら毒を吐くことでしか生き延びて行けなくなるし、それさえできなくなれば生きる事自体を諦めるしか無くなります。目の前の現実は自ら選択して歩んできた人生の歴史の結果ではあるけれど、目先の暗闇が自ら選んだ結果とは思えず、他者の悪意によって作られた現実、と理解した方が気持ちとしては落ち着きやすく、怒りで自身を支えやすいということもあります。けれど、それでは目前の暗闇は晴れる事はないし、安心と信頼に満ちた日々は永遠に得られなくなってしまいます。こんな当事者の思いはよくわかるし、そんな当事者だからこそ、新たな希望の光を見つけて、幸せな人生を歩んでほしいと願わずにはいられません。そんな私、当事者の思いは理解しながらも、その方の歩んできた歴史を引き返し、育ち直しやら時には産まれ直しをしながら、新しい家族観やら人生観を獲得してくださる事を願って寄り添い、その道を共に歩みます。そのことで、失ったものより、これから獲得できる事の大きさに思い至り、新たな希望を抱いて新しい人生の中で幸せを獲得する事も可能になります。けれどそれは当事者一人でできるものではありません。魂の産まれ直し、育ち直しに寄り添う、魂の産婆が必要ですし、私もそんな存在としてのセラピストとしてありたいものと思います。そんなセラピストに求められるのは、近代の家父長制社会や経済合理主義に絡めとられた小さな枠組みの価値観ではなく、そんな常識的価値観をはるかに越えた、人類とか宇宙とかの妄想に近い思考様式かもしれません。幸い、私は常識的な価値観を取り込むには不十分な頭の能力だったし、天の思考を理解するには充分な直感力を持った脳力だったのかもしれません。ちなみにそんな私もいわゆる家族を持ってるし、それなりに満足して暮らしています。私は家族を扶養した事は一度もないし、家族に扶養された事も今の所一度もないし・・・・・年収数十万の私と、障害者一級で障害者年金をもらってる連れ合いと、高卒で真面目に働いてる三十の息子と・・・・みんなが好きなように暮らしている家族・・とくに問題はありません。連れ合いが障害者である事、私にまともな所得がない事、息子が高卒な事、おまけに私は無年金だし・・・これでも何の問題もなく暮らせているのは、社会の強制する家族をめぐる価値観を拒否し、自分なりの価値観を信じて自らに偽りなく暮らしてきたから、かもしれません。この思考の源は、子どもの頃から心に響く直感の力かもしれません。この直感力に関して・・・今読み始めたのがコリン・ウィルソンの「アトランティスの暗号」。正統派科学者からみればトンデモ本なんだろうけれど、正統派こそ、未熟で不完全な人類の知識、と考える私には、とても魅力的な著書。ジュリアン・ジェインの「神々の沈黙」、グラハム・ハンコックの「異次元の刻印」に並びます。私の思考様式がどこからきているのか・・・わくわくどきどき・・・常識の枠の外・・なんと面白い。
2014/01/20
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今朝は少し冷え込んでて、朝はうっすらと積雪。京都でうっすらとでも積雪があったのはこの冬はじめて。例年だと、この時期までには一、二度は十センチほどの積雪がありますからねえ。この冬はいつもより寒さもゆるめのようなきがします。先日のお散歩セラピーでは蝋梅が満開でした。疎水べりの山茶花。今満開です。
2014/01/19
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昨夜はフリークス。依存症当事者の会というのかな。これまで依存についてあれこれ語ってきたけれど、依存は絶つべき悪習と理解されやすいけれど、心が壊れるのを防ぐためにあれこれ依存を必要とするという視点でみると、依存を絶つと言う考えから、依存をよりヘルシーなものにシフトしていく、という方法をより現実な選択としています。という訳だけど、昨夜は依存というより食べ物の話がメインになりました。お好み焼きやら、明石焼き、もんじゃ焼きについて、いろんな人のいろんな体験が語られました。それぞれの地方であれこれスタイルがあるみたいだし、それぞれの家庭の文化もあるみたいだし・・いろいろ聞いてみると面白いものです。実は私はもんじゃ焼きなるものは食べたことはありませんし、関東方面で育った方も含め、参加者のなかに正当派もんじゃ焼きを食べた人はいませんでした。という訳で次回のフリークスはもんじゃ焼き大会をやろうと思っています。ところで、今日はシェルターにお泊まりしてた父子と訳あつてうちを離れていたお父さん二組の方の退出を見送ってお昼前に事務所を出て、神戸の向こうまで親子引き離しの問題で悩んでおられる方達のおしゃべり会に参加しました。こんな集まりでもそうでなくても、当事者の話を聞くたびにほんと胸が痛みます。子供を奪われた親の苦しみも大変ですし、引き離した親もそれなりのプロセスがあるのでしよう。けれど、そのこじれていくプロセスについて、適切に支援する専門家の不在があるばかりでなく、事例をたんなるビジネスの対象、事業の成績としてしかみていない、援助者や専門家が多いのも、ほんと聞くほどに絶望的。ほんと、今の日本の法律や制度、家や家族を巡る人々の意識も明治民法レベル。人権意識とはほど遠い現実があります。これでは、家族がうまく行かずに壊れていくのも当然のことのように思います。もちろん先進諸外国は離婚が多いという現実はありますが、離婚に際して子供が傷つかないように、親子の断絶がおこらないように法律や制度を整備しています。まあ、私はこの法律や制度、人々の意識を超えて、私のできることをちまちまとやり続けています。当然理解されないこととして反感や敵意を感じる人もいるでしょうし、私をつぶしたいと思う人もいるでしょう。けれど、現実に私のところに関わってくださる人たちの少なからずの方が、新しい人生を歩まれて、それなりに幸せに生活されている人も少なくありません。いろいろ辛いこと、しんどいこともあるでしょうけれど、それならなおその方達には幸せになってほしいと願わずにおられません。家族の形は変わっても、家族は再生してみんなが幸せになれることをねがっています。さてさて・・・・今夜は仕事が入ってないので、のんびりすごそうかなー♫
2014/01/19
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今夜もまた、激しく賑やかなグルナイでした。私も無事乗り切りました。大人十人子ども八人の超過密。今日のお薦めのサラダ寿司こどもたちは狭い所が好き?豆腐の春巻きもうまかった・・・体を張った保育はおじさんたちの見せ所。ママたちは賑やかにお喋り・・・あっというまに夜も更けて・
2014/01/17
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今夜はグルナイ・・・最近はいつも大人子ども合わせて15〜17人くらいが集まって、わいわいガヤガヤ。年中さんから中学生までの子どもたち7人ほどに大人の男女十人ほど。みんなDVだの離婚だのの家族の危機を体験した当事者です。もちろん子どもたちもそんな家族の危機を体験しています。そんな人たちが家族や恋愛についても自由に語り合います。男も女も大人も子どもも、それぞれの価値観や思いがあって、人それぞれ、正解もなければ善悪も無意味と言う事がわかります。それぞれのあるがままを受け入れてもらえる関係はそれぞれにとって心地よいみたいで、大人もこどももいつも楽しみにしてくださいます。そんなグルナイ・・・私はせまいキッチンでオーダーをこなすのに戦争です。それはそれでけっこう楽しい♪・・・さてさて、今夜はどうなる事やら・・・
2014/01/17
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最近何人かの方に、カウンセリングや学習会で私と学びあったことが、職場や地域、家族関係の中で役に立っているのを感じる・・・と言うような事をお聴きしています。自身の問題が起こった時に、その問題を解決するだけではなくて、そのプロセスの中から問題の本質やその解決法について理解する力がついたと言う事でしょうか。それはクライアントの生き方や人間関係を変え、他者をコントロールしない価値観を社会に訴えるような働き掛けをすることになります。傷付いた当事者が怒りや憎しみを、社会に病理や犯罪としてネガティブな形で還元するのとは反対の行動と言えるでしょう。これが私の言うポジティブ還元です。以前「メンズカウンセリング実践テキスト」の中で書いた事です。おバカな私にはエラい先生方を納得させたり、行政を動かしたりする能力はありませんが、私の援助で成長したり回復した当事者は、人が人を抑圧しない生き方暮らし方について、私のかわりに伝えてくれているようです。おバカな私はだれに対しても、エラソにしたくないしできないし、共にある事分かち合う事をセラピーに基本にしてますからねえ。病理抑圧社会で傷付いた人が回復し、やがてそんな社会を脱病理化するために働きかけてくれるのは、私の目的とする所。有り難い事ですねえ。
2014/01/15
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昨夜のシェルターの晩ご飯はトマトソースパスタとササミのカツとたまごスープと。昨夜はいわゆるDV加害男性とラベリングされる男性と、夫のコントロールに少々疲れて息抜きをしたいと言って来られたママさんが向かい合ってお喋りしながらの食事です。三人でしばらく食後もお喋りした後、私はセンターを出て自宅に。朝になれば、私が出勤する10時頃はこのお二人も随分話しが弾んでいたようで、また私も交えてのおしゃべりになりました。ママさんは用事があるからとの事で帰られたけれど、お互い家族や親しい知り合いには話せない事も、ここでなら当事者同士ということでけっこう安心して話せたようで、妻やら夫やらに対する新しい気づきが得られたようです。もちろんこのお二人は初対面だけれど、それぞれ私との関わりはけっこう長いので私との信頼関係は深いものがありますから、初対面と言えどけっこう安心して対話が持てたのだろうと思います。シェルター利用の方だけではないけれど、グルメナイトでも各種講座でもいわゆる加害者と被害者が同席して話し合うどころか、飲み食いしながら面白おかしく語り合っているのだから、世間ではあり得ない話し。世間ではあり得ない話しがここでは普通にあり得るのだけれど、それは、私が暴力の本質を理解し、それに対する適切な対策を講じているから、と言えなくもありません。何もせずに加害者被害者を同席させている訳ではありません。一人一人に対する細やかなケアとそこから導かれる深い信頼関係があればこそ成り立つ場なのだろうと思います。その信頼関係は相手を疑っていては築けません。DV男は何をするかわからないとか、被害者は無力で可哀想な人、などの思い込みで当事者を上から見ていては、相互理解相互信頼はできるはずもありません。むしろそう言った差別的抑圧的な関わりでは当事者はよけいに混乱し問題が深化しハイリスクになり、思い込みのままの危険な加害者無力な被害者になって行きます。援助者の価値観が当事者の行動を決めて行く・・・まさに量子的な現象が援助の現場でも起こっているといえます。こんな面白いシェルターの存在って・・・・援助者って興味湧かないんでしょうかねえ・・・・まっ危険なカウンセラーだから近寄るな・・・との妄想にとらわれているのかもしれませんね(笑)一昨夜のシェルターの晩ご飯
2014/01/15
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いわゆる男性サイドからみて、現在の被害者支援はかなりバイアスがあって問題有りっていうのはよく聞く話しだし、実際に私がクライアントから聞く話はそう言う話しばかりです。では、女性からはどんな声が聴かれるか・・・私の所のカウンセリングの42%は女性がクライアントですから、女性の声がわからないはずもありません。その女性の声をまとめるとだいたい・・離婚ばかりを勧められて不愉快だった・・・夫のことは何もしらないのにDV男は酷い人間だと決めつけられて辛かった・・・夫の暴力をなんとかしたいと言ったらDVはなおらないと言われた・・・・・別れないのならどうなっても知らない、殴られたらまた来てくださいと言われた・・・などなど・・・シェルターに入ったけど監視されてるみたいでいやだった・・・シェルターの設備や人間関係がひどかった・・・家に帰るといってもなかなか帰してもらえなかった・・・・もちろんこんな話しばかりではないんだろうけれど、私の所に来られるのは女性相談や被害者支援のやり方で納得できなかった人たちが来る確率が高いので、そう言う声が多くなる、というのもわからないでもありません。女性相談にしてもシェルターにしても稼働率が事業予算に影響するから稼働率を下げるわけにはいかないし、DV被害者がいなくなっては困る、すなわちDVは無くなっては困るという構造があります。この矛盾を隠蔽するのはDVはなおらない、危険だから逃げるしかない、というロジックです。被害者支援の人たちは加害者対応では飯が食えないから加害者プログラムは無意味と言い続けるしかありません。こんな意味不明のロジックで被害者支援が行われているからDVは無くなるはずもないし、救われない被害者もたくさんいるのではないかと思います。被害者支援の有効性なんて、だれも調査しないから、当事者には無意味であっても援助者のためには有効だと言う事なんでしょう(笑)とはいうものの、現場の方達はとてもしんどい思いをされているのではないかと複雑な思いになります。もっといい相談ができるのにほんとの事が言えない、加害者対応について勉強したいけれど上に禁止されている、再生センターを紹介したいけれどそれも禁止されている・・などなど。先日もある女性が某女性相談に何年かぶりにいったら、昔の相談員がそのままいたけれど、随分顔も険しくなってて、いい仕事してないんだろうなって感じた・・・と話してくださいました。私が一昨年までワークショップを持ってたヌエック(国立女性教育会館)のフォーラムでは現場の相談員もたくさん参加されていつも満員御礼だったし、質問もたくさん出るし、皆さん納得して帰ってくださいます。けれど、ヌエックはそんな私の存在に危機感を覚えたのか、昨年は私のエントリーを拒否しました。そう言えば、一昨年のワークショップにヌエックの役員でR大学の理事でもある某フェミ弁護士がなぜだか私のワークショップに参加されてたから???だつたけれど・・・そーゆーことか、と納得、私を排除するためのリサーチに来てたんだ・・・と納得。そのときのテーマが「DV加害者支援の有効性」みたいな事でお喋りしたしね・・(笑)行政はバカな冤罪裁判以来、完全に私を排除しているし、私を排除した所で男性相談とか加害者対応などの講座等をやってるけれど、それでは加害者は減る事もないし、被害者も救われない。いずれそんな被害者支援が無意味だってことに世間の人たちも気づくだろうから、やがて利用者が減って行くのではないかな。その点、私の所ではちまちまとやってるけれど、カウンセリングの件数はあのバカな判決以来減るどころか少しずつ増えています。昨年はセンター立ち上げ以来二番目に多い来談数になっています。DVや夫婦関係が圧倒的に多いのですが、そのデータはホームページのカウンセリングの所で閲覧できます。行政からリファーされる件数はぐっと少なくなっていますが、ネットで繋がる人、口コミで繋がる人が増えています。私の援助実践が無意味だったら口コミで広がる事もないだろうし、リピーターもあり得ない事になるでしょう。そう言う意味では、行政と違って予算に縛られることもない私のやり方は、利用者本位でやれるから、いい援助にできると言う事かもしれませんね。そんな私のカウンセリング実践・・・不思議と女性のクライアントは毎年40から42%を維持しています。女性支援も無意味な支援をしてたら、この数字が維持できるはずもありません。こんな私からみれば、今の被害者支援・・これでいいの?と言う所かな・・・
2014/01/14
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最近というか、クリスマスとかお正月とか世間がハッピーやらめでたい季節は、家族問題やら仕事の問題などを抱えている人には辛い季節のようです。みんなが幸せにしているのになんで俺だけこんな惨めな思いをしなくてはならないのか・・・クリスマスやらお正月やら、幸せそうなカップルやら家族の風景が巷にあふれると、いたたまれない思いになるのも、当事者には自然な事。今日のカウンセリングは二件ありましたが、いずれも「死にたい」と話されていました。このお二人たまたまということもありますが、時期的なものも無意識にあるのかもしれません。もちろん死にたいと言う思いから、実際に死ぬまでにはかなりのプロセスやら時間が必要です。死にたい思いになって私に連絡して来られる方はそれほど希と言うものではなく、むしろ、普通と言うほどではないにせよ、しばしばある話し程度にはおられます。お聴きすれば、死にたい思いになるのもよくわかるし、その状況によく耐えているとか、それまでよく辛抱してきたこととかを確認させて頂きます。私としては死んで楽になる事を否定はしませんが、死なずに楽になってほしいし、状況は変えられなくても幸せに生きて行く事が本人が思ってるほど難しい事、だとは思ってもいませんので、そのことに気づいてくださるように、対話して行きます。一年ほど前、遠距離にあったクライアントが私に連絡する事もできなかったのか、無くなられた事がありました。3年ほど前には、オーバードーズ(大量服用)している途中で連絡して来られた方や、練炭に点火して連絡して来られた方がおられましたが、いずれも無くなる事はありませんでした。未遂にせよ、ギリギリの所です。ここに行き着くまでにはかなりの葛藤の時間やプロセスがあるのですが、私との関係が順調であれば、そこまで追いつめられる事はあまりありません。様々な事情で、私との対話ができないまま状況だけが悪化して行くと、ハイリスクな心理になって行くようです。それもよくわかります。私としては今日の方のように死にたい気持ちになったと話してくださる方には、状況に対すアプローチだけではなく、状況に対する見方を変えるようなアプローチも行って行きます。価値観や無意識の思い込み等いわゆる認知の変容ですが、それには時間もかかります。家族とは、人生とは、生きるとは、金とは、仕事とは・・・・etc どん詰まりの目先の道ではなく、ずっと身をひいて遠くからあるいはまったく別の視点から、状況を捉え直す事で、様々な多様な道筋も見えてくるもの・・・なんですが・・そのためには、その別の道をともに物語りとして歩んで行く援助者の存在は不可欠だし、なんせ時間もかかります。と言う訳で・・・今日の二人も、死にたい気持ちを、行き詰まった人生を変えて生まれ変わる気持ちにシフトして行ってほしいなと思う私でした。ほんとよく頑張ってるのだから、その分幸せになってほしいものです。死ぬ事も人生の選択のひとつであって、それは絶対にやってはいけないとは思わないけれど、死を選ぶ力があるのなら、絶対に別の選択をして幸せになれる方法もあるはず。そしてそのためには・・・・とりあえず、私に繋がってほしいもの。死を選ぶ前に・・・・
2014/01/13
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いやー、昨夜はよく寝ました・・・昨夜は二時ころから今朝8時ころまで、ぐっすりと。朝方はなにやら長い夢を見てたようだけれど、どんな夢だか忘れちゃいました。あったかい風呂にゆっくり入って、体も暖かく、お布団で横になって眠る・・・ああっなんて贅沢♪ 幸せー♡窮屈な夜バスで七時間を二晩続けるだけで、布団で眠れる事がこんなに有り難く感じられるのだから、人間の幸せって、相対的なもんなんですよねえ。
2014/01/13
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この週末・・・金曜から日曜夜まで、ちょーハードな日程で仕事してました。金曜の夜のワークの後はそのまま夜バスで東京に・・東京でワークを午前午後に行い、夜にはカウンセリングを終わらせた後、また夜バスで京都に・・今朝は朝一で事務所に入って、ビジテーションの準備を行って午前から昼まではビジテーションを二件。その後はカウンセリングを二件行って・・夜はシェルター利用の方をお迎えして・・・とまあ、二晩ほとんど寝ずに仕事しっぱなし・・・でよくこなしました。我ながらタフさには感心します。たしかに仕事が重なってたり続いてたりするのはストレスフルではあるけれど、ひとつずつ丁寧にこなして行けば確実にこなせるものだし、それぞれ利用者の方や参加者、クライアントの方が元気になったり、気づきや学びを得てくださったりしたら、それらは私に力を与えてくださるし・・・全部こなした現在は達成感も感じてるし・・・。とはいえ、こんなハードな仕事はあまりやりたいとは思いません(笑)ほどほどにしたいですねえ。それにはスタッフも育てたい所。仕事柄いろんな人に関わる仕事なので、人の話しに惑わされたり巻き込まれたり、不安定になったりする事のないしっかりした、しかも当事者の方がいてくださればいいのだけれど・・・。今日はしっかり寝る事にしましょう・・・お疲れさまでしたー。そうそう、カレンさんのコメント、手違いで消してしまいました・・ごめんなさい。
2014/01/12
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今日の銀座ワークでは、ユングの無意識の構造を理解する事で、自己概念や人間関係を理解してみようと言うお話しになりました。人は自我を持ち、自己概念を形成して暮らしています。アイディンティテイと言ってもいいかもしれません。けれど、自我やら自己概念の形成に、自己肯定感が伴うか否かは、その人の心の安定にとても重要な要素となります。他人の評価や愛情を得られてなくて、それに対する欲求が満たされてない心は、そりの欲求を満たす事を動機としてしまいます。自己実現ではなくて、人に認められたいから◯◯するという行動です。このあたりの意識については前回の銀座ワークで行った所です。心が成長すれば、いろんな感情が心に宿るようになり、多様で柔軟な人格になります。それはユングのいう無意識にあるアーキタイプと言われる様々な心のありように通ずるものでしょう。それらが宿る無意識領域について意識化することで、それらの自己の様々な心のありようを理解したり、言語化することもできます。そうする事で、思考や行動も多様で柔軟になり、対人関係もスムーズになるし、本人も随分と生きやすくなります。現実には、その無意識に対するフォーカスも普通の生活に置いてはなかなかできないし、抑圧を受けた感情は意識化する事も難しいものです。たまたま困難を抱えた時にセラピストがその辺りについて丁寧に寄り添いつつガイドしてくれれば、ゆっくりと、抑圧されてた感情が回復なり、育ち直しを始める事になります。このあたりの構造について、ワークを伴いながら、皆さんと語り合いました。ある参加者は、自分も人の話しが聞けるようになりたい、とおっしゃってくださいました。その方もいろんな困難を乗り越えて来られた方で、私も尊敬する人物です。当事者が当事者の話しを聴く・・・・・有り難い話しです。
2014/01/11
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大阪のモータープールで夜バスを待つ乗客・・・寒風の中椅子もなく・・・あげくに乗ったバスは最後部の五人がけの端の席、なんと。こんな窮屈な・・・嗚呼・・・途中で久々に車酔いで気分が悪くなったり・・・・朝まで、うつらうつらもできず・・・してるかな? なんせ窮屈で。・・・・七時間をなんとかやり過ごして早朝の池袋に到着。池袋からメトロで有楽町に。有楽町から時間待ちに皇居のお散歩に・・・・皇居に入ったのははじめてなのでそれなりに興味深く拝見させて頂きました。スズメに朝ご飯をあげましたこの橋の奥にかの方がおられるのかな・・以前みた「終戦のエンペラー」でもこのあたりのシーンあったよなあ、と思い出しつつ・・・
2014/01/11
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今夜の女と男のワーク、いつもながらにこじんまりとだけれど、新しい参加者もいらしてくれて、楽しい時間になりました。テーマは「影と転移」で、話したけれど、行ったワークは「女と男・・どのくらい」というワーク。ジェンダー概念は女と男の二分法しかないけれど、厳密には個人の中に男性性も女性性もあり、どちらかだけと言う事はあり得ません。ワークでは、自身のジェンダー概念のなかでその割合を検証してみようと言うもの。その中で、自身がジェンダー概念にとらわれて、自分を生きづらくさせているということに気づいてくれればありがたい。そのことで、もっと生きやすい生き方や人間関係を再構築する事も可能となります。そのためには一旦自己概念、要するにアイディンティテイー化した自己像を解体させなくてはなりません。それは不安で辛いもの・・・けれど、その辺りも本音でいろいろ語り合う事で見えてくるのではないかな・・・なんて考えるけれど・・。さてさて、これから夜バスで東京に向かいます。今夜のバスはどんなかなー・・・
2014/01/10
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昨夜は今年初の男のワークでした。といっても、久々に、以前参加観察されてた女性の方と、保育スタッフの女性の方が入られて、女のいる男のワークでした。女性がいると、女性でもいろいろだということ、女性と男性で違う所、など、新しい視点がえられて、決してマイナスにはなりません。暴力の背景にあるジェンダー理解には、男だけより女性の参加があった方がより有効性がある、と確信する私です。(女性は被害者です、女性は弱者です、女性は守るべき存在です、との圧力をかけた場で女性が参加するなら、それは逆効果なのかもしれません。)暴力の問題は性別で加害被害を分けられるものではないし、女性でも様々な存在があって、一人一人を尊重すると云う視点に立つなら、性別はことさら言い立てる必要はないでしょう。で、女性参加の男のワークは昨夜も元気に楽しく進められました。ファシリはテルさん。テーマはジェンダーバイアス。女性参加にうってつけのテーマでした。で、昨夜はその研究者の女性の論文が仕上がったとの事で、持参してくださいました。私の実践だけでなく諸外国のプログラムやその理論、有効性なども比較しておられます。ワークだけでなく、男性も使えるシェルター、当事者であるこどもも支援対象、加害者被害者がともに会食を楽しむ場の存在、など私のやっている多様な受け皿を用意した複合的な支援は諸外国と比べても最先端でしょう。教育でも更正でも治療でもない加害者プログラム、彼女は支援プログラムと言ってたけれど、その支援プログラムも他のどの国にもなさそうです。やはり私のプログラムは私の妄想の産物のようです。だから世界の最先端なんですけれど(笑)その私のプログラム、もちろん有効性は確認済み・・・すばらしいものなんだけれど・・欧米コンプレックス、専門家意識の強い日本の先生方は見向きもしない学ぼうともしませんしね(笑)論文の質が学問的にどう評価されるのか私にはわからないけれど、かなりの時間に手間ひま掛けて調査研究された名もなき大学院生、齋藤さんに、感謝と敬意を表したいと思います。この論文に興味ある方、私の所に来てくだされば閲覧可能です。
2014/01/09
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加害者に対する更正教育、その必要性は言われているけれど、その有効性については疑問視もされています。実際更正プログラムを受けても再犯率にさほど改善はみられないという研究結果もあるようだし・・・けれど、米国の当事者組織であるアミテイーのプログラム受講者の再犯率は顕著に改善されているという話しも聴きます。その違いは、当事者性の有無でしょう。私が以前見学したマサチューセッツのメンズリソースセンターの教育プログラムは、私からすればこれでは限界あるよねえ、と言う所。男性に対するジェンダー理解もあり共感もあると彼らは言うけれど、知と権力というパワーで当事者をコントロールしている事に対する自覚が、私はスタッフからは感じられませんでした。スタッフが専門家であって白人であって当事者ではありません。当時14人いたスタッフの中でプログラムで回復した当事者はいるのかと問うた所、二人しかいないとの事。運営して既に10年ほど経過しているにも関わらず・・・。その点アミティーは当事者による当事者のためのプログラムで、ファシリテーターも当事者です。代表のナヤも薬物乱用で収監された元受刑者です。渦中の当事者にしてみれば、自分と同じ世界にいた者が回復している、その姿を見るだけでも希望になり得ます。当事者であるが故に理解しあい分かち合う事が可能なものは多々あります。ただ、難しいのは当事者が真に回復すると言う事でしょうか。暴力や薬物などを手放したとしても他の依存・・パワーや病理に依存先を代えただけでは、回復したとは言えません。知識や権威、権力で人をコントロールしていては、真に自由で対等な関係を作る事はできません。どんな弱者に対してもどんな攻撃的な人に対しても、資格や権威、知識や経済力などで防衛する事なく裸の人として相対する人に対してワンダウンポジションで向き合えるか・・・そのとても難しい事を可能ならしめる可能性を持つのが当事者の力です。この力はアカデミズムからは得られません。社会的権威によってもたらされるものでもありません。その人の人生を通じた体験や他者との関わりの中で培って行くしかないものでしょう。それが当事者性でしょう。権威や権力、知識や資格で、当事者を社会適応させようとする価値観こそ暴力的であって、DVはもちろん犯罪加害者を真に更生するには無力ではないのか、というのが私の判断です。塀の中では更正プログラムを真面目に受講し「辛抱仮釈」と言われるように早く出所するために演じているに過ぎません。DVでも狡猾な加害者を作るだけになってしまいます。当事者が真に脱暴力し人生を入れ替えるには、当事者による当事者のためのプログラムがなにより求められる所・・・な訳ですが、私を塀の中に呼んでくれる刑務所はないしねぇ。DV加害者に対するワークも細々と続けているけれど、なかなかその存在を伝える事も難しいし・・・とはいうものの、私の活動の中でも少しずつ力をつけてくれている当事者の方も出てきてるし・・・これからもちまちまと続けて行きますぅー♪そうそう昨年度のカウンセリングの件数が390件とこの十一年の中でも二番目に多い件数になりました。私のセラピーがそれなりに求められているし、クライアントの信頼を得ているのを実感します。うち女性は42%です。女性支援もそれなりに実績を積んでいると言えると思います。多くのクライアント、利用者の存在、そしてその方たちの回復こそが私の何よりの権威の源であって、私を支えてくれています。有り難いものです。
2014/01/08
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私の援助は基本的に有償の援助です。以前は無料の電話相談ボランティアも永年やってましたが、そちらからは足を洗って今は、再生センターの仕事に専念しています。とは言っても、私自身が援助の利用料から営業利益を得ている訳ではなくて、ボランタリーな活動です。お手当は交通費の手当で月額一万円のみ。とはいえ、ワークにせよカウンセリングにせよビジテーションにせよ、提供する援助には利用料を頂いています。カウンセリングでは一時間3000円なので、相場の半額から3分の一の破格値です。利用料が払えないばかりに問題を解決できないと言う方ができるだけ出ないようにしたいと考えています。もちろん、援助の質が悪いから利用料が安いと判断する人もいるかもしれませんが、料金の如何に関わらず、どこにもあり得ない高度な援助を私が提供していると言う自負はあります。こんな私の援助ですが、利用料は施設の維持費・経費に使われています。私の所は行政からの支援は一切ありませんし、寄付もほとんどありませんから、利用料に頼るしかありません。とはいえ、利用者の経済状況もわかると、なかなか規定通りに頂くのも心苦しく、1時間を越えた場合はある程度割り引いた料金を請求することも少なくありません。けれど、それは私とクライアントの相互理解相互扶助の信頼関係ができてこその話し。カウンセリングの後にカウンセリングが役に立たなかったから、金返せと言ってきたひともこれまでに数人おられます。もちろん、期待に添えなかったことには申し訳ないと思うけれど、こちらも、時間と手間をかけて援助を提供している訳で、金返せという言い方に対して納得できるものではありません。全額にせよ半額にせよ、返金した場合は、信頼関係もなくなるし、信頼関係のない所でのカウンセリングは無意味なので、以後のカウンセリング依頼はお断りすると伝えての返金としています。シェルター利用の踏み倒しも同様、返金がない場合はその後の援助利用はお断りする事になります。また、カウンセリングとまでは行かないけれど、窓口の電話に問い合わせのような形であれこれ話しかけてくる方もおられました。その方には来談して頂くか、電話で相談するにしても電話カウンセリングとして有料の設定でこちらも時間をとって対応させて頂くからと何度お願いしても、来談して頂けず、繰り返し窓口電話にかけて来られて同じ事を質問したり、あれこれ本人の主張を話されたりと言う事が続いたので、窓口電話は相談電話ではないと言う事をお伝えして、電話を切らせて頂きました。何度かそう言う事が繰り返されてやがて掛けて来られなくなりました。他にも、相談電話と言う形で窓口電話に掛けて来られる方もおられました。相談としては窓口電話では対応は難しいし、できれば来談してほしいし、来談できないにしても、予約と言う形で時間をとって電話でのカウンセリングとして対応させてほしいとお願いしましたが、忙しい、お金が無いとの事で、来談もされないし、予約と言う形もとって頂けず、窓口電話や私の個人電話に緊急対応として何回か掛けて来られたりしました。もちろんお聴きするに、いろいろと困難を抱えておられて心理的にも状況的にも辛いのはよくわかります。状況をやり過ごしていくにはそれなりのテクニックやコツもあるのですが、こちらも責任をもって助言するには、ある程度の背景や経過に対する理解も不可欠。さらに、相手の意識にない事でも相手に理解してほしい事も多々ありますし、それには相手と私がじっくり対話していく事が不可欠。また、状況に対するコンサルではなく、その状況に至る本人の認知や情動の問題もあります。このところを解決しないと、似たような状況が繰り返される事になって何も解決しないと言う事にもなりかねません。確かにその方にはいろんな支援が必要なのはわかるし、私になんとかしてほしいと訴える気持ちもよくわかるのですが、私がその方のために無償で援助を提供する訳には行きません。他のクライアント、利用者はそれなりに大変な中で費用を捻出して私の所に来られます。その努力に対しても私は敬意をもって対応させて頂いています。このあたりの事もあるので、胸痛む事ですがその方のなんとかしてほしいとのお願いに対してはお断りせざるを得ませんでした。私が無償ボランティアをやっている立場なら引き受ける事もできたかもしれません。ほんとに心苦しい事ですが・・そんな電話の後・・・カウンセリングがおわった方にダイニングルームでくつろいで頂いて・・・私は巻き寿司・いなり寿司を手作り実演しました。できあがった巻き寿司を、お裾分け・・・いろいろあって心痛んでいただろうその方も、いい笑顔になって帰ってくださいました。有り難いものです・・・
2014/01/07
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Stay hungry, Stay foolish. これは亡きスティーブンジョブスが2005年にスタンフォード大学で講演した際に最後に述べた言葉でした。大学生に対して語る言葉としてはとても意味のある言葉だったのでしょう。よくわかります。確かにいい言葉ではあるけれど・・・翻って私に向けてその言葉を語った時に・・私は・・スティーブに言われなくても、もともと hungryだしfoolishだし・・・・それで充分と思ってるし・・・自己信頼を少し高める事はできたけれど、大きな意味はないのかも・・なんて考えてたり。とはいえ、それは私が満たされていることとか、直感的理解ができる事と矛盾する事ではありません。自分のやりたい事に向かって終わりなき道を貪欲に歩んでいる事には変わらないし、世間的にはほんとおバカな思考回路しか持ち合わせていませんし。それでもなお、私は私としていつまでも成長を続けていきたいし、 天の与える直感やら言葉を世に問うていきたいとも思います。こんな事をふと書きたくなるのも、私もあと二ヶ月と少しで六十歳になるし、それから先の人生もこれまでの人生の半分ほどしかないと感じているからかもしれません。スティーブは私と同世代で若くして亡くなってますが、それなりに立派な仕事もし社会的に絶大な評価も得ています。私はこれまでの所、社会的な意味ではほとんど何もできてませんし、これからも何もできないままでしょう。けれど、私は私の存在や、人生に納得し、満足しています。そしてこれからも時間の密度を上げ、より豊かに・・・そして幸せも感じていたいと思います。そのためにはやはりこれからも他者との信頼や愛情、豊かな関係を作っていきたいとも思います。なんと贅沢な・・・これってお金では買えないし、地位とは無関係だし・・・結局は感謝や感動でしょうねえ・・・今年もそんな思いに満たされた一年にしよっと。みなさんも豊かな一年にしてくださいねー。
2014/01/06
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昨年暮れにコーヒーメーカーのガラスサーバーを壊してしまって、しばらく間に合わせで旧式のコーヒーメーカーを使ってましたが、こいつが容量が小さいのと、ペーパーフィルターでなくてかえって掃除に手間がかかるとか、サーバーは設計ミスでしょう、注ぐと必ず尻漏れするという粗悪品。ということで、お正月気分の抜けないうちに新しいものを買っておこうと近所のホームセンターに出かけました。買い求めたのは六人分でお値段もそこそこ・・・中国製だけれどブランドは象印。使い勝手も悪くありませんでした。右のコーヒーメーカーが旧式。それにしても、私は特にブランドにこだわる人ではないけれど、あまりに粗悪なものはやはり敬遠したいですねえ。いくら安くても・・・。失敗したのは掃除機・・・サイクロンタイプの掃除機でいいのがあればいいなと思って一年前に家電量販店に行ったら、超特価みたいな値段でサイクロンタイプの掃除機がありました。五千円程度だったので、騙されてもいっかー、の気分でつい買ってしまいました。確かに、モーター部分とか集塵容器周りは問題ないのですが、なんとホース取手のプラスチックが一年も経たずにバキバキと壊れていくではありませんか。はあー。こんな粗悪品ってあるかー・・・とりあえずガムテープみたいなのでぐるぐる巻いて使ってるけれど・・・(笑)これに懲りて、今度買い替える掃除機はじっくり研究して買う事にします。いい勉強になりました。(笑)
2014/01/06
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昨夜、今夜と、ほんとテレビ番組がつまんないので、光テレビでマトリックス三部作の1と3をみました。懐かしい思いでシーンを思い出しながらみてました。すっかり忘れてるシーンもあればしっかり記憶しているシーンも。当時はストーリーの流れを理解するのに精一杯で、それでも理解できない所が多々ありましたし、キャラクターの感情については私はあまりフォーカスしてなかったのにも気づきました。テーマはバーチャル世界のお話なんだけれど、リアルな人間のキャラはもちろんバーチャルなキャラにも個性があって、愛とか憎しみのような人間らしい感情がしっかり盛り込まれてて、愛のために死す、なんてアナクロなテーマもがっちり組み込まれてて、ストーリーに翻弄される観客にもわかりやすいイメージを与えてるのかな、なんて考えてみたり。もちろん、私自身が感情の世界により深く入り込んでいると言えなくもありません。理屈の世界はよくわからないけれど、感情の世界にはより親しみを感じる今日この頃の私です。それと、十年前はキャリー・アン・モスがとても美しく感じられたけれど、当時の陶酔感は減じてて、単に素敵だなっと感じる私になってたのにも気づきました。好みのタイプが変わったのか知らん(笑)もちろん、どう変わったって、当東洋系の女性にはその魅力はあまり感じない私だけどね。
2014/01/05
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昨日は久々に来談に来られた方のお話を聴かせていただきました。十年ほど前にとんでもない嫌疑をかけられて家族を奪われた方のお話はとても胸痛むものでした。家事司法は家族問題に役立たないばかりか、家族を解体し当事者の心に深い傷を負わせていると言う現実。当時の痛みは心に蓋をする事でサバイバルしていけたけれど、十年間で少しずつ痛みは薄れてきたとの事。けれどうっかり当時の関係資料を読み直して、また当時の痛みが戻ってきて辛くなり、私の所に来られたとの事。事件を考えない事にして心に蓋をしたり、誰かに怒りをぶつけ憎しみで自分を支える事で、傷付いた当事者はサバイバルしていけますが、失ったものや傷付いた心は回復する訳ではありません。この十年の体験や思いに縛られて未来を生きるのではなく、豊かで満たされた十年後の自分が過去を振り返った時にその変曲点の現在、何が現在を変曲点にならしめたのか・・・・このあたりを考えて頂きたくて・・・現実によって心が動くのではなく、心のありようによって現実が動いていく・・・・世界は心の投影・・・と言う私の考えは、モノは観測者の願うように振る舞うという量子論的な考え方と一致しています。その方自身、頭ではそう言う事はわかっておられるけれど・・・・こころはまだまだついてきていません。その方の人生が大きくステップアップするためには、過去に縛られない豊かな未来をともに物語るセラピストの存在が不可欠。決して充分とは言えないけれど、少しでもその物語りがともに紡げていれば・・・と願いながらカウンセリングの後その方を見送りました。
2014/01/05
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今年も老健に入ってる母、八重子ちゃんにご挨拶に行ってきました。姉に面倒を見てもらってばかりで、何もできてない私が唯一できる事は、この新年の挨拶くらいなもの、唯一の孝行ですのではずせません。今年は八重ちゃんもどうなるかわからない感じなので、私の息子も同道してもらいました。岡山の北部、落合までは新大阪発の高速バスで向かいます。当地についたのは夜でしたので、姉のうちでゆっくりと・・・・朝になれば、ペットのアカネちゃんにもご挨拶・・・・昨年、少し弱った八重ちゃんは痴呆も少し進んだかな・・・それでも元気にしてくれてるのは感謝です。久々に息子が来たとの事で、見送りにきてくれた、息子のいとこ、姪たちの家族、どれがどれやら・・・(笑)帰りのバスは田舎の風景を貫く高速道からの風景後1時間でバスは大阪に着いて、即京都に・・・夕方にはカウンセリングも入ってて、さっそく日常に帰ります。それにしても、いろいろあるけれど、争いも対立もない親族・・・・遠い家族のような人たちがいてくれるのも有り難いものです。私を筆頭にみなさんあまりお金とか名声とは縁のない人たちだけれど、気持ちを通じ合えているって安心感を感じさせてくれる人たちに恵まれて、八重ちゃんも・・・もちろん私も有り難い事と・・・実感させて頂きました・・・とさ
2014/01/04
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今日はこれから岡山の山奥に母の八重ちゃんに会いにいきますぅー。さてさて・・・
2014/01/03
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今日は一日、お喋りしてたみたい・・・。お昼頃昔メンズで関わってた方に、声聞きたいのと、実際お願いもあったりしてお電話しました。その方との語りの中で、はじめて出合った時の事もでてきました。二十年ほども昔の事ですが、そのときの風景は今でも私もはっきり記憶してて、あれから二十年も経っていると言うのが、ウソのような気もします。その二十年の間、メンズに関わり続けてた人たちの多くは、社会的な地位なり、評価を得て立派になられているけれど、その方も私と同じで、日々の仕事や生活に追われ、社会的な評価も何もありません。そして、価値観や行動は当時とほとんど同じ。違うのは、身体的な変化とか、家族状況の変化とか・・。それにしても、二十年経っても昨日の事のように安心して話せる友達がいてくれるって有り難いもんですねえ。ぶれないとか自分を偽らないということはこういう事なんだろうな、と実感させてもらいました。そして私にとってそういう関係が何よりの財産なんだろうなとも・・・。その方とのお喋りの後は、別の方とのカウンセリングでじっくりたっぷりとお話を聴かせていただきました。その方も少しずつ力をつけて来られているようで、生き生きとして来られたのを感じさせられました。そのかたがカウンセリングの後でメールをくださいました。私との対話の中で気づいた事や学んだ事が、友人たちや職場の中での子どもたちにも伝えられていて、生かされているように思う、との事。ほんと有り難いものです。地位とか名声とかとは関わりなくいきている人や、悩みや困難を抱えておられる人たちが私を勇気づけ、支えてくれているのを日々実感しています。そう言う方達が私とのセラピーの中で獲得した権力に依拠しない生き方暮らし方を、また私のいない所で多くの方に伝えてくださっている・・・こんな人たちが増えてくれたら世界は変わるのかもしれない。
2014/01/02
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謹賀新年昨年も多くの皆様の暖かいご支援と見守りを頂く事で、一年間を無事終わらせる事ができました。今年もまた、皆様とともに育ちあい学びあう一年にしていきたいと思います。様々な困難を抱えた方々にささやかながら支援を提供し、ともにある事の喜びを感じていただける私でありたいと願っています。本年も宜しくお願いいたします。
2014/01/01
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遠来のお友達のお土産、ご当地名産バターサンドとドイツのお菓子シナモンジンジャークッキーと。今日はそのお友達と初詣。事務所から疎水べりを散歩して神社とお寺の併存する豊川稲荷に。元旦の今日疎水べりは静かです。龍の地を潜る姿なんて、こんなもんかしら・・・豊川稲荷参拝のあとは、お散歩ついでに天智天皇陵に・・・パワースポットのひとつとは言うけれど・・・初詣から帰ったら野菜たっぷりの中華丼でランチ♪
2014/01/01
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昨日の大晦日、結局風邪は年越しとなりましたが、午前中は頂き物のりんごをなんとかしたくてアップルパイを作りました。お昼からは、カウンセリングが一件、その後は忘年会に来れなかった友人が年末のご挨拶におしゃべりに来てくださいました。晩ご飯は、てんぷらそばを作って年越しそばを頂いて、事務所に帰り、シェルターで年越しのお友達とお喋りが延々と。遠来のお友達とは付き合いも十年近くになります。その方、それなりに社会的な信頼もある方なんだけれど、その信頼に相応しい自己概念が無くてその不一致が不安になっておられます。私は産まれてこの方一貫して出来の悪い子、適応不全で生きてきたので、アウトサイダーとしてのアイディンティティーが揺らぐ事がなかったのですが、その方はなまじっか、途中でうまく行けた時代があったばかりに、社会適応したとの事で、その適応した姿を維持する事に対するしんどさや、落ちこぼれる事に対する不安を拭えないとの事。昨夜はあれやこれや話し込んで、結局そのまま年越しとなりました。それにしてもそんな話しでも本音で話しができるのは有り難いものだし、けっこう楽しいもの。この十年、状況としては変わらないものの、自身の中に社会的な評価以外に自分を確認する作業をして来られて自分を支えて来られたとの事。それがウルトラマラソンだったりお菓子作りだったり・・・・で、私はその社会的評価以外の自分で、自分を支えるだけではなくて、それを自分の社会的な表現にしてはどうかと、助言させて頂きました。その表現とは・・・・なんと・・・・・「ゆきぷりん」・・・・ああ、妄想はたのし・・・・
2014/01/01
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