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最近は近所の安物スーパーでもけっこう、値上がりしてたり、商品がなくなっていたり、と言う事が多くなっています。愛用の食材なんかが、入荷終了となると悲しいものがあります。で、今日は少し遠くのスーパーに行ってみました。ここはけっこうお魚のいいのを安くおいてる事が多い、穴場の店。今日もたまたま行ったけど、けっこういいのがありました。中くらいのトビウオの新鮮なのが、一匹百二十円、おなじく中くらいのニベ鯛も百二十円。ノルウェー塩鯖二百円。中くらいのトマト一箱、二十個くらいで五百円。あれこれ買い込んでしまいました。やすーって思ったら、もう買わずにいられない私の買い物依存体質。まあ、高価なものには興味ないので実害はありません。ニベは煮付けて家人やシェルター利用者の夕飯に、トビウオは刺身にして、スタッフや家人の夕食にしました。安ーい値段の買い物だけれど、おいしーってみなさんに喜んでもらえて私も幸せです。
2008/06/30
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今日は久々の休日。といっても最後に仕事が入りましたが・・。以前から庭の手入れもしたいと思ってもいたし、たまには休日もほしいし、でお休みの1日。なのに朝から雨。庭仕事もできず、バイクでのツーリングもヘルニア手術後のリハビリサイクリングもできず、ーん。で、一考、神戸の知人がお薦めのテーマパーク?に知人の案内で行ってきました。以前にも同系列のテーマパークにに行った事はあるので、興味はありました。今日のテーマパークは花と鳥、花鳥庭園 です。美しい花と人慣れした熱帯の鳥たちを目の前や手乗りの状態で眺める事ができて、その美しさを十分に堪能できます。さすがに結構の客入りでした。だけど、裏から眺めるのが好きな私は、管理され飼いならされた野鳥や美しさばかりの花々に少々違和感も感じないでもありません。これだけの動植物を管理し観光客とのトラブルもなく自由展示するスタッフの努力やら、経営者のハラハラどきどきが見えてきて、ご苦労さんと声かけしたくなりました。で、今日は1日仕事はお休みの予定だったけれど、夕方から急遽急ぎの仕事が・・・。で夜はバタバタしてました。上の写真は、その花鳥庭園のとりさんとオニバス、下の写真は花鳥庭園ならぬ、味庭園のトロ箱すいれん、どうじゃー、ひけはとらんじゃろー、なんて、嘘、桁が違いましたねえ。
2008/06/29
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私の事務所は普通のマンションなので、普通の家族が生活できるスペースがあります。事務所としてだけ使うには少しもったいないくらい。この春に入ってくれたスタッフが話していた事だけど、キッチンが普通の家族用で、それを日常的に使っていて、スタッフがそこでつくられた料理を食べるなんて、普通の事務所ではあり得ない、との事。確かに、大企業では、社員食堂があり、中小企業では、弁当屋の仕出しをとったり、近所のレストランや麺所に食べにいったり、はたまた、うちで作った弁当を自分の机で食べたり、という状況が目に浮かびます。私は昼前に、スタッフに何が食べたいか尋ねて、できるだけ要望に応えようとしたり、少し変ったメニューを出して少しびっくりさせたり、と、所長の仕事はさておいといて、とにかく料理を作ります。昼からも、シェルター利用者のための料理やら、自宅の家族のための料理とか、スタッフの夕食とかを作る事になります。だから、事務室も、たまに保育やビジテーションで使う仕事場のような部屋も、しょっちゅういいにおいとか、料理する音が感じられます。まな板の音とか、フライパンで炒めている音とか、ご飯の炊けているにおいとか、かなりノスタルジーを感じさせるみたいで、しばしば、うちにいるみたいとか、実家のにおいがする、とか、そういう声を聞く事があります。エネルギーを消耗し、疲れてしまう職場は当たり前に存在するだろうけれど、楽になり、ほっとくつろげて、なお仕事も進んでいる、そんな職場であってほしいな、というのが私の思い。なかなかそんなのはないでしょうけれどね。
2008/06/28
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昨夜は男のためのグループワークでした。随分遠くからの参加もあり、ありがたい事です。参加者の多くは、妻や恋人との関係が悪化し、暴力に発展した当事者です。世間では、DV加害男性はとんでもない悪意に満ちた存在で、許すべからず、妻は離婚すべし、というイメージでしようか。けれど、今まで何百人と出会った男たちの中で、そんな人は一人もいませんでした。ごく普通で、むしろまじめ、努力家、というイメージです。そんな彼らがとってもいとおしく感じられる私。彼らはみずからの過ちに気付き自らを変えようと努力しているのがよく伝わってきます。そして、毎回のように、とてもすてきな言葉を聞かせてもらう事になります。引き換え、いわゆる被害者はたいてい自身の問題もすべて相手の問題に転嫁していますから、反省もないし、自己成長もあまりありません。本当の癒しも得られず、憎しみと怒りに翻弄され続けているのです。痛ましく思います。
2008/06/27
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今夜、しばらくシェルター利用されていた方の荷物を駅までバイクで運び、東北に帰るその方を見送りました。彼女は暴力でかなり精神的なダメージを受けており、カウンセリング、ケースワーク、シェルター、アドボカシー、家事支援、など、複合的な支援がなければ、問題解決、回復へのプロセスはあり得なかったものと思います。足掛け二年、彼女だけでなく、家族全員が、とても困難でつらい時間を耐えてこられました。不信と憎しみだけで家族が崩壊していくのではなく、とりあえず、ぎりぎりのところで、修復的離婚とかろうじて言えるくらいには、推移しそうで、支援を続けてきた私も、ほっとできました。当面は分離家族という形になりますが、これまでのプロセスがあるから、それなりの対話のチャンネルは確保できています。やがて、それぞれの回復と成長が、家族としての和解、関係修復へと導いてくれる事に期待したいと思います。それにしても、ご飯作りから、カウンセリング、ワークやアドボカシー、となんでもこなしてきた私もスタッフも、頑張りましたよー。被害者に対してこんな事が可能な援助施設は日本では、私のところだけって言うのが、ほんと悲しいですねえ。金が動いて専門家も関わる公的施設が当事者にあまり評判が良くないのは、いろいろ理由もあると思うけれど、私にできる事がどうしてできないのか、その辺りの事、私の援助論を少しでも参考にすればいいのにね。
2008/06/26
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なんかこのごろ、シェルター利用者のための朝食づくりに朝が1時間ほど早く起きているからか、夜の食後がやたら眠くて、夜のニュース番組見てるうちにぐたっと寝込んでしまいます。きがつけば一時二時。重い体をよっこらしょ。それから息子の弁当作り。それから、メールチェック。ブログ書き込み。あれこれしてると、なんと、カラスがかあかあと。そうです、もうすぐ夏至ですからねえ。朝も早いはずです。とりあえず、もうすぐ五時なので、今日はもう寝る事にして、三時間ほど休みましょう。おやすみなさーい。
2008/06/25
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今日の料理教室では、玄米ひじきごはん、とりしゃぶサラダ、もやしの炒め煮、しそまきチーズ、とレアチーズケーキを作りました。レアチーズケーキは国産レモンがなかったので、甘夏みかんを用いました。そしたら、とてもおいしくできました。クリームチーズは1キロ千百円のものを使いましたが、以前はこの商品、独特の臭みがあって安かろう悪かろうという感じでしたが、ずいぶん努力して改良したんでしよう、臭みもなくなりいい商品に成長してました。今日は遠くから初参加の方がきてくださいましたが、最初に教室に入ったときは「えっ!」と驚いたとの事ですが、帰る前くらいになると、落ち着けるいい雰囲気、だとの事。ありがたい事です。ピカピカで合理的で、無駄のない空間や時間は、多くの人は落ち着けないものです。適度に雑然とし、流動的場当たり的で、ゆったりとしていてそれでもきちんと収まっていく、料理、人、時間。この感覚は言葉では伝えられないけれど、みんなに感じてほしいと願う私です。その象徴が今日のチーズケーキかな。おおざっぱに作り適当にアレンジし、でもちゃんとしかもとてもおいしくできてしまう、きっちんマジック。
2008/06/24
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今日は男の電話相談の研修日。話題が発達障害にも及びました。で、つらつら考えていると、私はやっぱり今で言うLD(学習障害)だったなあ、という事。以前にも私はLDだったと書いたような気がするけれど、小学生の頃の私は記憶する事がとても難しく、九九(くく)を覚えるのがとても難しくて、途中でなげてしまいました。半分で十分だからそれでもかまわないはず。今でも、9×5=?・・・だから 5×9(ごっくヨンジュウゴ)と頭の中で計算します。以降算数はなげてしまいました。(電卓ができたから、何の問題もない。)漢字も覚えるのがとても難しく、毎時間やらされる書き取りテストは、ボイコットも兼ねて毎回白紙で出してました。書いても十点中二点か三点だもの、あほらしくて。どの教師も言ってました、努力したらできる、努力が足りないのだと。あげくに、だっておにいちゃんはちゃんとできたよ・・・。誰一人言ってくれません、「がんばったけどできなかったね、でもそのうちできるようになるからね、だいじょうぶだよ」とは。努力してもできないものはできないのです。その事を認めてもらえない私は、そうそうに努力する事を放棄しました。それでよかったと思っています。なんにつけ記憶する事はとても苦手でした。けれど、意味を理解する事はとてもよくできました。漢字は書けないけれど、文章は読めるし、文脈もその意味も手に取るようにわかります。考える必要もなく理解できるのです。だから漢字テストは最低だけど、国語は勉強しなくてもそこそこのいい点をとっていました。理科や工作でも実験や制作は材料を見れば意味が分かるので、説明書を読まなくても作業できるので、たいていトップクラスで仕上げてました。けれど教師の話している事は理解できないし、板書も教科書も覚える事はとても難しく、たいてい授業中は机の下で「てわるさ」をしてました。今でこそLDなんて言葉があって多少は理解されるのかもしれないけれど、当時は努力しない子、根気のない子、落ち着きのない子、として理解されていたようです。まあ、それでも私はそれなりに人格形成できているから、いい時代だったのかもしれません。で、こんな私ですから、企業社会に適応するのもとても難しく、転々としたサラリーマンも十年でやめたという訳。で、好きな事をはじめたら、今のような私になったという事。記憶する事、記号を意味と結びつける事ができない私は数学がとても不得手だけれど、言葉とその意味を理解する事、身体感覚や妄想を言語化し意味付けていく事は、とてもとても非凡な才能がある事がわかり始めました。十数年前、コミュニケーションワークを仲間たちとやり始めた頃、私はワークを考案しみんなとやってみました。たくさんある様々な単語の山から単語をランダムにひとつずつ拾っていって、文章化していくというワークです。私は何気なく簡単にやってのけたけれど、だれもそのワークはできなかったのです。私はそのとき確信しました、私は特殊だと。その頃から、運動がらみで講演や講師を依頼される様になったけれど、私は原稿は書かないし、レジメも簡単なもの。その場に立って話し始めれば、言葉はどんどんわいてきます。どこからか降りてくるという方がふさわしいと思います。はじめは考えてもなかった言葉がつぎつぎつながってでてきます。これは不思議です。また不思議と言えば、私は誰かと話していても相手の心の中が透けて見えるように理解できてしまう(様な感覚になる)のです。まあ、こんな特殊な能力があるから、カウンセリングをしててもしんどくならないのかもしれません。ほんとに今の私は「アホでよかった」という事。だから天才ばかぼんなのだ。
2008/06/23
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今日はレターカウンセリングの研修で大阪に。モデル事例にお返事を書いてみて、それぞれの内容や思いについて意見を交わします。お便りでも電話でも面談でもカウンセラーはクライアントの訴えに寄り添うと揺さぶられます。時には挑んでこられたりという状況もあり得ます。そんなときカウンセラーが自己不一致になれば、カウンセラーは自分を守ろうとします。論理、技法、権威、様々なツールを持っているから、それはさほど難しい事ではないでしよう。これは、クライアントの問題ではなく、話を受け止められないカウンセラーの問題ですが、しばしばそれによって二次被害がおこります。しんどくならない援助者、あるいはしんどくなってもクライアントに転嫁せず、自身と向き合ったりスーパーバイズを受けたりすることで問題解決のできる援助者であってくださいね、というのが私の主張。知識や技法もあれば便利ですが、自分の心の力がない人が知識をたくさん獲得しても、クライアントを傷つけるだけという事になりかねません。そんなこんなであっというまに終わる二時間。その限られた時間の中で、みなさん大切なものを獲得されたり、少し心穏やかになられたりしているのがよく伝わってきます。もちろん、自分の問題がはっきり見えてきだして、それに向き合っていたらしんどくなってきた、とおっしゃる方もおられます。どんな人ともラポール、信頼関係を作れるよう、援助者として人として力をつけてくださいねっていうのが私の主張です。
2008/06/22
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今日・・ではなく、昨日はメンズカウンセリングに関わる女性たちとのささやかなあつまりがあり、少々本音で語る事ができました。とかく男同士はわかり合えるみたいな言い方をされますが、男でもわからない人にはわかってもらえないし、私のような変人は理解してもらえません。ましてや女性にはわかってもらえないと。昔なら、いじけてうらんで、自分をまもるために噛み付いてた私。いまは噛みつきはしません。なんてつたって、私に間違いはないし、自分の考えや生き方に自信を持っているから。そんな私は天才(ばかぼん)だから凡人に理解できるはずもない、当然の事、と納得しています。だから世間に理解してもらえない事に対して、怒りも不安もありません。けれど、私の事を理解できたら、楽になれるのにぃー、と少し残念。そんな私が以前メンズカウンセリング講座で、号泣したことを「私の考えや感じ方を理解してくれる人がこんなにいるんだってことで泣いちゃいました」と説明しました。昨日も、数人の女性と私とわかり合い、共感し合える心地よさを堪能しました。感謝
2008/06/21
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今日はひさびさにバタバタした一日でした。男性学会議のチラシを作ってたり、昼からはカウンセリングが二件。いずれも加害男性と言われる人たち。過去はともあれ、現在は暴力を振るわないどころか、妻の機嫌をうかがうのにけつこう神経すり減らして、そのしんどさを私に話してくださいます。妻は被害者という確信を持ち、自身は百パーセント正しい、と確信しているから、その妻との関係を夫の一方的な変容で修復するのはかなり難しい。逆転現象がおこり、妻は自身を変える動機がなくなるのだから。DV男が変らないとの同じだけれど、妻は自分がDV加害行為をしている事にはまつたく無自覚だから。とは言うものの、そんな妻との関係修復を望むなら時間をかけ、あれこれやり続けるしかないということ。一件は最近のケースでこれから修復の道を歩んでいかれる方。一件はカウンセリングを定期的に受け、すでに三年ほど経過している方。このかたの忍耐、努力には頭が下がりますが、妻さんは私ともつながってくれているので、彼女の努力にも大変なものがあることはわかります。相互の変化が少しずつ、形となって現れつつあるのを感じさせてくれる当事者の語り。それを聞かせてもらえる私はほんと、ありがたいです。そうそう、バタバタの話。カウンセリングの途中にシェルター利用者さんがいらして、その方の対応も重なり、バタバタしてたという訳。カウンセリングが終わって、すぐに晩ご飯の準備。我が家のとシェルターさんのと。今日のシェルター定食は、大根のあらだき、おから、コロッケ、とりから、ごはんみそ汁、でした。
2008/06/20
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今日は某テレビ局からデートDVの番組を作りたいから出演してくれる加害者を紹介してほしい、とのオファーがありました。番組の制作意図が分からないと当事者を紹介する事はできないし、当事者に話を持って行っても、当事者が了解するかどうかわからない、可能性は低いと思うけれど、と、畳み掛けてみました。デートDVには若者の教育が大切だから、そういうことも伝えたい、とか言ってたけれど、担当者の頭の中は、かわいそうな被害者=女性、悪辣な加害者=男性、という図式が入っていてその文脈で、絵になる当事者を捜しているのが見え見えで、そんな暴力的なマスコミに、当事者を売り渡すことは私にはできません。被害者として語るなら、同情や共感を得られて、非難、攻撃はあり得ないでしょうが、加害者として登場すれば、世間でどういわれるか陽を見るよりもあきらかです。以前、私のクライアント(男性)の相手方とおぼしき人がマスコミで話していました。名前とか顔は伏せていますが、話す内容を聞けばすぐにわかる事でした。彼女は自分の受けたひどい暴力について滔々と語り、相手の男性がどれだけひどいか、という内容になっています。その事が嘘とは言わないけれど、彼女が彼に対して行った、ストーカーのような行為、虚言、自殺未遂、その親族が行った金品の要求等々、男性の訴えから見える被害者像は、テレビで語られるものとは随分異なります。どちらが嘘か本当か、という話になれば、終わりのない話になりますが、どちらも本当なのでしょう。そしてどちらも問題を抱えていて、相手のせいに転嫁していては本当の意味での回復は難しいという事でしようか。少なくとも、彼は私との関わりの中で、自分の問題を受け止め、謝罪や償いは行い、自分の問題に向き合うという作業に入りましたから、関係を清算し新たな人生を歩んでいく事ができたけれど、相手方の女性はすべてを相手の問題として相手に転嫁し相手をを責める事でしか自分を支えられない状況にあるようでした。その報道を見ていて、いつまでも癒されていない被害者の痛ましさを感じないではいられなかった私。いったい被害者ケアってなんなんでしょう。私のところには、性被害を含め、たくさんの暴力の被害者がこられます。被害に対する怒りの表明は大切なプロセスですが、怒りをあおり被害者像を自身のイメージに固定するような、誘導的な対応は極力さけるようにしています。話は少し変わるけれど、今日別冊サイエンスが届きました。論文の一つに「偽りの記憶が生み出したPTSD」があったので取り寄せました。いっときアメリカで流行った「記憶回復療法」でどれだけ虚偽の記憶を植え付けられ、人生を困難なものにおとしめられた人たちがいたのか、胸が痛みます。人の体験や記憶はあいまいなもので、操作は容易い事、虚偽の記憶であれ実体験であれいったん患ったPTSDからは回復がとても難しいという事、この事実が論文には客観的に書かれています。日本では、父娘の関係が薄いので、アメリカのようにはならなかったけれど、パラレルな現象としてDVがおこっているように思えます。DV支援の中で被害者は被害者らしくする事、加害者を糾弾する事、加害者を排除する事、が求められているようで、その中では自身の問題点と向き合う事、加害者との対決や対話、自分自身の体験や思いに対する受容、真実の癒しや成長、などという、被害者にとって必要な回復のためのプロセスが無視されてしまいます。過去の体験をクライアントが語ってくれたとき、どんな内容であれ、語った事で不安や痛みがすこしでも緩和されるような、鎮痛剤や解毒薬としての力をカウンセラーである私が持ち得ていなければ、過去の体験にはいたずらに踏み込んではいけないな、とあらためて自戒した次第。今のところ、どんな話が出てきても、その傷の痛みをより深めるような、そんな聞き方はせずにきているのではないか、と自負はしているけれど・・・。もし私とのカウンセリングの中で傷ついた、と感じた方がおられたら、ごめんなさい。よければご連絡くださいね。
2008/06/19
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先週のグループワークは手術でお休みしました。ファシリテーターはNさんかOさんかだったでしよう。それにしても、私もよくも休まず、何年も続けて参加してきたものです。以前は地元行政とタイアップしてたこともあって参加者も多かったのですが、地元行政・・・といっても女性政策ですが・・・が、フェミ絡みで動いている事もあり、なぜだか誤解や偏見で排除されている私なので、ワークの協力が得られず、参加者募集が難しくなっているのも事実です。DVも虐待も減る事なく推移していますし、凄惨な事件も後を絶ちません。誤解や偏見で政策決定している場合ではありません。早々に法律や制度に加害者に対する脱暴力支援を盛り込む必要があります。法律や制度が変えられるには、百人や二百人の死亡事件がおこらなければ世の中動かない、としたら胸が痛みます。事件がこれ以上おこらないように一日も早く加害者プログラムを導入してほしいものです。フェミ主導のプログラムでは有効性はあがらない、とすれば、導入の経緯なり選択方法なりを公開公正にし、客観的な有効性判断が求められます。感情的、恣意的な判断や非公開で独善的な判断でプログラムが選ばれては、それこそ、被害者は増え続ける事になります。
2008/06/18
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我が家の庭に咲くあじさい苧環(おだまき)だの木いちごだのの葉にすっかり圧倒されていたあじさいだけれど、この時期になるとさすがに力を取り戻して、例年のように美しい花を見せてくれました。この春は芙蓉の苗木もご近所にいただいて、それを庭に植えたけれど、ちゃんと根付いて若葉が出始めています。昨年植えた山ぼうしは今年は花はつかなかったけれど、順調に生育しています。あと数年も経てば、つばき、やまぼうし、レモン、あじさい、芙蓉、キンモクセイ、と、と切れと切れではあるけれど、木に咲く花の色や香りを季節巡りで楽しむ事ができそう。ほんとに草花はちゃんと育ってくれるのがありがたい。特にむつかしいことはしていないけれど、どの苗木もちゃんと期待や信頼に応えてくれます。自然の力でしょうか。少なくとも私の力ではないですよねえ、植えた後は水をやってるだけだからねえ。そうそう、今日の料理教室では初夏らしく冷やし中華にしました。マンゴーやバナナのミックスジュースもおいしくいただきました。
2008/06/17
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二泊させていただいた病室ベッド私が鼠頚ヘルニアの手術のために入院したのは近くの総合病院。メッシュプラグ法という比較的新しい術式で、合成繊維のメッシュを筋膜に縫い付けて、たんに断裂した筋膜を縫合するよりも再発率の少ない方法です。ただし、この方法はメッシュを体内に埋め込む訳で局所麻酔では追いつかないので、一般に腰椎麻酔を行います。術後の痛みとかもあるので一般に四、五日の入院になりますが、私はどうしても仕事の都合が付かず、二日間の入院という事で、ドクターに了承してもらいました。その二日間お世話になったのが、このベッドです。術後は麻酔薬が腰椎から上に上がらないよう、上半身を起こすために少しベッドも頭側が高くセットされていましたが、ずり落ちて寝づらいので、二日目はフラットにしました。初日は痛みで仰向けに寝ているのが精一杯だったけれど、二日目は、多少体も動かせるようになったので、持参したパソコンでリアルタイムの記録を始めたという訳。ベッド上の黒いのはタオルです。
2008/06/16
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あるビジテーションの風景今月は三周連続で、土日のビジテーションサービスを行いました。五年間継続利用してくださっている親子、二年目になっている親子、ばじまって数回の親子、と続きました。立ち会っている私たちスタッフは、それぞれの親子がとても貴重な時間を過ごしておられる事を実感しています。はじめて会う場合、親も子も緊張しているけれど、何回か重ねるうちに、それぞれの適度な距離を見つけるし、子どもが少しずつ力をつけ、親との対等な関係をつくっていくことが多いような気もします。大人が考える以上にこどもはしっかり考えているし、両親の間で、板挟みになりつつもそれぞれとのの関係を気遣っているのもよく伝わってきます。一方の親の意思だけで、子どもと相手方の親子関係を無にしてしまうのは、子どものアイディンティティー構築には悪影響があるのではないか、と実感する私は今の法制度には疑問を感じてしまいます。親子面会の制度的保証を法律に盛り込む運動が全国展開してほしいな、と思います。関西でもそういった動きを起こしたいけれど、こういう事に関心のある、当事者の方、援助者、法律家、などなど、いろんな方のご協力がほしいなと、痛感しています。ぜひご連絡くださいね。
2008/06/15
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たらいまぁ、へろへろー。今自宅に帰ってきました。二日前の朝に入院して、ちょうど五十時間後の今日昼前に退院し、すぐにミーティングやらカウンセリングをこなし、やっと自宅に。腰椎麻酔のメッシュプラグ法という術式の手術では、ふつう四、五日の入院らしいのですが、日程がどうしてもあわず、二日間の入院としました。いろいろおもしろおかしく五十時間を過ごしました。予算は十六万円。けつこう安くあがりました。日本の医療費用は高くない、と言うのが私の実感です。なのにどうして保険やら保険金の事でもめるのでしょう。多分、無駄な医療行為が横行しているから、と言う事ではないか、というのが私の結論。安易に医療に寄りかかる人が多いし、製薬会社も医者も、過剰投薬過剰診療しなければ、回せない、医療制度があるからでしょう。私はこんな医療制度は信用していないし、負担もしていません。また、自身の健康管理は自分できちんとやっているし、今回のように医療を必要とするときはそれなりの負担はします。私がサラリーマンであれば、制度に組み込まれて負担も利益も制度の枠内で得られる事になります。私はサラリーマンではなく、ボランティア活動を続けていますから、そんな制度内の利益もなければ負担もできません。家族はそれそれ私の扶養家族には一度もなったことはないので、それぞれに保険の費用負担をし、その権利として当然手当を受けることができます。私の社会契約とはまつたく違う事でしょう。家族と個人と、どこで社会とつながるか、そのあたりの理解ができないと私の活動の意味は理解できなくても当然かもしれません。医療にしても年金にしても、そもそも制度を立ち上げるときもそれを運営する段においても、問題にきちんと取り組まず、でたらめな運営を続ける官僚や政治家を許していた国民の民度の低さがそもそもの問題点なのでしよう。ちなみに私が今回全額自費負担という選択をせずに保険に入ったとしたら、今年度の医療負担保険料負担あわせて五十万になります。五十万はらって十六万の医療を受けることになります。こんな非常識な制度を利用することは今の私の経済力ではできるはずありませーん。それにしてもしりつあとが痛みますう。咳するとてきめん、ずっきーんと。歩くにも立つにも座るにも、いちいち痛みます。はぁ。この実録、ヘルニアパツチ50時間、次のわいわいわいに掲載しますので、興味ある人はご覧くださあい。
2008/06/14
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今日は三週間ぶりの女性のためのワークでした。久々の集まりだったけれど、参加者の皆さんが、この場を大切なもの、ありのままの自分を語れる待ち遠しい時間、との思いを伝えてくださった事に、深い感謝と、確信を感じる事ができました。今日のワークのテーマは「体験や感情の受容と癒し」だったかな。自身の記憶の底に隠蔽した体験を記憶の表層に戻し、言語化し他者との共有、共感によって、意味付けを変え自己一致させていくという作業です。用いたワークは「どつぼの日」と「偽りの自分」ネガティブな体験の記憶を隠蔽して日常を平穏に生きるのも人の心の力ですが、傷ついた痛みに囚われているうちは、常にフラッシュバックしたり、学習した行動様式を繰り返して、新たな価値観や行動様式を獲得できないという、終わりなき苦悩に苛まれる事になりがちです。多かれ少なかれ、現代社会に生きる私たちはそういう問題を抱えています。その問題に向き合うにはひとりでは不安ですし、危険でしょう。パンドラの箱をあけるようなものだから。けれど、不安や悲しみを分かち合える仲間がいること、サンクチュアリーの中で自分を解放する事ができること、この事があれば、人は自分を変える事ができます、いえ、そうではなくて、人は自ら成長していくのです。他者におびえる事なく、他者をうらやむ事なく、自己実現に向けて前に歩いていけるのです。私も今日のワークの中で、ひとつ、自身の重荷を降ろし、さらに勇気をいただいたような気がします。
2008/06/11
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今日の料理教室では、お好み焼きを作ってみました。私のふるさとでは、広島風お好み焼きです。薄焼きのクレープ生地にキャベツの千切りやらなにやらをたくさん盛って、また生地を流し、ひっくり返して焼く、というスタイル。大阪風の生地も具も練り合わせて焼くスタイルとは違います。子どもの頃の私は、肉とかイカとか入らない野菜焼き、というお好み焼きを時々食べていました。安かったから。高校生の頃になると、バイトなんかして少しは金も持ち始めていたので、モダン焼きとか言う、焼きそばを挟んだ、ボリュームのあるお好み焼きを食べていました。今日のお好み焼きもこの、モダン焼き風にしました。懐かしい味でした。今からすれば、特においしいってものでもないけれど、当時の私にはとてもおいしいごちそうのようなイメージもあるから、まあ、食生活全般に質素だったんでしょうねえ。いまの私も金がないのはほとんど昔と同じだけれど、今は自分で何でも作れるので、食べ物という意味では、随分恵まれているなあ、と実感でした。みなさんにも懐かしのメニューってありますかぁ。
2008/06/10
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秋葉原事件が池田事件の七年後の同日だということは、犯人はそれを知っててやってる確信犯ですよねえ。日本もアメリカ型の大量殺人型事件の発生する暴力国家になりつつあるのでしょうねえ。犯人の問題というより、そういう犯罪がおこる社会になったという、社会心理学的な問題意識はほしいところ。一人一人が大切に扱われない限り、人に対する不安や不信は怒りや暴力となって社会に還元されます。犯人に対する制裁、処罰は世間の処罰感情をおさめるにはいいけれど、問題解決にはならないし、おそらく抑止効果もないのではないか、と言うのが私の判断。すべての大人たちに私が伝えたいのは、子どもたちのあるがままを大切にし、自由と個の尊厳の中で育ててあげてほしいな、という事。他人の子どもも自分のこどもも・・・。死刑を恐れない確信犯には死刑そのものが殺人の動機にもなりえるもんねえ。
2008/06/09
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今日も無差別殺人事件が秋葉原でおきたとか。六人だか七人だとかなくなられているので、かなりショッキングな事件です。犯人は一人です。池田小事件以来、大量に死亡する事件は久々ですが、一人でも何人も殺せるという事。また厳罰化してもこういう事件は防げないという事も。ほんとに、世間もマスコミも暴力の本質の理解も防止策も持ち合わせてないから、事件はなくなりません。せめて秋の男性学会議で、いろいろ学んでほしいものです。
2008/06/08
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今朝はたまたまカウンセリングがキャンセルになったので、お庭の草引きです。しばらくほっておいてるうちに、ずいぶん雑草も伸びていました。けれど、草引きをしてるとき一緒に朝顔の若葉を引っこ抜いてしまいました。埋め戻してたっぷりの水をやったから多分大丈夫と思うけれど。二週間ほどまえにご近所にいただいた、芙蓉の苗木もちゃんと根付いたようです。そうそう、今日はゴールデンキゥィの苗木がホームセンターで売られていたので、即ゲット。いつになれば、このキウイに実がつくのでしょう。レモン、やまぼうし、木いちご、のいちご、なども実がなる植物で、うちの庭に植えています。さてさてどーなることやら。
2008/06/08
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昨夜は抗菌生活の事で、書き込んでアップしようとしたら、メンテナンスでした。書き込んだ文章がパアです。くっそー、三十分ほどかけてかきこんだのにぃー。銀イオンの抗菌商品が実際には銀が少なく、抗菌効果はないとの事で、公表されてました。それにしても、抗菌グッズはよく売れていて、除菌、抗菌、殺菌、などの効果を皆さん期待してるけれど、生物学的には、無意味とおもうけれどねー。医薬品にせよ、家庭内農薬似せよ、殺菌剤、抗菌剤にせよ、薬剤耐性菌が現れるのは時間の問題。使えば使うほど、耐性菌の発生率は高まるしねえ。抗菌で常在菌(善玉)が死滅したところに悪玉耐性菌が侵入すれば、悪玉は大繁殖、これで病気になります。病院内での耐性菌の発生が多いのはこういう理由。だから日常生活では抗菌、殺菌はしないで、私は好菌生活。善玉常在菌を増やしておくと悪玉菌が侵入しても増殖できないので、病気になりません。また、日常的に菌類と共生していると、人体も免疫力が高まるので、感染、発病の可能性が低くなります。十年ほど前にコレラ騒ぎのバリ島で、現地の人と同じ食事して感染を期待したけれど、なんにもならずに帰国した私。知人曰く、バリの人たちより汚い生活してるからねえ、だってさ。
2008/06/08
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昨日は私の子供時代の教師との対立について書きました。あの頃の私に対して、当然、いとおしい思いがありますし、私に暴力を振るった、それぞれの教師の行為については、今も許さないけれど、教師一般に対する悪感情はいまはありません。私が男性運動を続ける中で、個人の中に加害者性も被害者性もあるということを理解していったし、暴力を振るう教師もまた、社会に抑圧される弱者であると言うことも理解し得たからです。もちろん、教師も人様々、一般論で、個々の教師を判断するべきではありません。今、官僚の居酒屋タクシーが叩かれていますが、公務員すべてが、ああいう状況ではないでしようし、むしろまじめに働いてる方が多いのだろうとも思います。公務員や教師を叩いても、問題は解決しませんから、彼らがより、いい仕事をできるようにするには、私たちは何をすればいいか、それを考えた方がいいように思います。いろんな事を話して下さる教師も少なからずいて、彼らの苦悩や努力も知っている私は、簡単に公務員叩き、教師批判はできないし、今の教育制度の矛盾や限界についても、彼らから学びを与えられます。ほんとに、悪人、善人とラベリングできたら楽だろうけれど、それでは解決しませんしねえ、人の心も人間関係も。そんなことを私に教えてくれる来談室です。
2008/06/06
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今日たわいない話をしていて、子供の頃の教師の暴力の話になりました。教師の指導に納得できない子供の私は反発したけれど、こどもに反発されてメンツのつぶれた教師は暴力で子供の私をコントロールしようとしたし、こどもの私はますます、教師を馬鹿にして対立が深まった・・そんな事を話しました。他の生徒の前で馬鹿にする、殴る、土下座させる、いろいろやられました。四十年ほど以前の当時はそれが特に問題にもならない時代でした。「味沢君、そんなに勉強がいやなら外に出なさい」「おう、外にでちゃるわい」と私は机を廊下に出してひと月ほど授業をボイコットしたのが、たしか六年生のときだったかな。あれが虐待だとは思わないけれど、外に出ろと言って、そのまま授業を受けさせなかったのは教師としては、問題ありだよねえ。まあ、いいけど。おかげで、教師や学校果ては社会全体に対する不信感や嫌悪感を身につける事ができました。こんなおかしな社会に取り入っておいしい目をしようなんて、まっぴらごめん、とこどもながらに決意して、いやな勉強はせず、教師とけんかばかりし、毎日遊んでばかりのこどもの私でした。教師の暴力はある程度わたしの行動をコントロールできたけれど、私の教師に対する不信感を確たるものにしたばかりで、教育としては失敗でしかありません。葛藤を抱え込んだ私は高校生の頃にはアルコールで自分を支えるしかなくなつていました。(笑)自分の考えがどうして通じないのか、大人がこどもをどうして傷つけおとしめるのか、こどもの私が結論したのは、社会が間違っているからであり、私が馬鹿であるせいではないという事。そんな私はそれ以来社会に適応してステイタスを上げていくことを拒否し続けて、社会の押し付ける価値観を拒み続けて、独自の自分の存在の意味を確信したのが三十代。直感的な私の判断に論理性を与えてくれたのがフェミニズムです。そして関わるフェミニストの暴力性に教師と同じ抑圧のにおいを感じつつ、男である自分を社会の抑圧から解放するための活動を始めたのがメンズリブです。二十年ほど前の話。結局いろいろいた暴力教師からもちゃんと反面教師として学びを得た私です。そんな私はいま、病理に蝕まれた社会のありようを根底から覆したいという、無謀な妄想に取り付かれています。こんな私だからあれやこれや新しい援助を展開し現実化していけるんですよねえ、自画自賛、きゃー、私って天才ばかぼんですぅ。そうそういつか私は天才ばかぼんだーって書いたら、それは苦しんでる当事者に失礼とのご意見もいただきました。その言葉にこめられた気持ちはわかるけれど、私は当事者が苦しんでるのをほっとけないから、自分の事として、活動しているし、活動を続けるには、楽しみとか、喜び、ユーモアもないとね。いまの私はこんな気分かな。ことしもうちのトロ箱で咲いた睡蓮の花です。
2008/06/05
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先日もDV殺人事件が岡山で起こりました。DV・虐待事件があとをたちません。DV件数も昨年は二万件を超えたとの警察の発表です。防止法ができているにもかかわらず、事件は増え続け犠牲者がでてきます。法律や制度の見直しは三年ごとになされて、厳罰化が少しずつ進んでいます、が、減る事はありません。私ははじめっからこうなるだろう事は危惧していました。暴力の本質、脱暴力の方法などについて、何も知らない専門家たちが、法律や制度を作っているのだから。もともと警察にしろ裁判所にしろ、権力装置であり、力で解決するのが前提です。市民はその権力が市民に由来し、公正であり、正義であるとの価値観があるから、それにゆだねる事ができます。けれど、当事者にすれば、公正も正義もなく、権力で支配しようとする国家暴力に対抗するには自らも暴力で対抗し、形は自滅であっても自己の正当性を主張する事は、正しいという事になります。たしかにむちゃくちゃな当事者の考えです。が、暴力をなくすためにそんな当事者を力で支配する、という社会構造がある限り、当事者の動機や信念を変え、非暴力化する事はできません。暴力先進国アメリカでどんな厳しい法律や制度にしても、暴力はなくならない、という現実がそれを証明しています。アメリカは人口の1パーセントが受刑者として収監されている、犯罪大国です。暴力をなくすためには、DVや虐待で事件が起こらないようにするには、司法や警察という権力行使の制度とは別に、社会学的、心理学的、に力の支配に頼らない脱暴力の仕組みを導入するしかありません。このことに司法や立法、行政が気付き、有効な手だてが作られるまでに、後何百人死ねばいいんだろう。私が総理大臣なら、五年でDVを半減するくらいできると思うけれどね。実際私のところに関わるケースでは様々な形でケースが終結していきます。何らかの形で終わるのです。その中に殺人事件というケースはありません。そうそう、ただいま、家族再生センターのホームページを改変中、なかなか手間ひまがかかっていて、当面、ずっと旧式のページを掲載していますが、じき、でき次第アップします、あとしばらく、ご迷惑をおかけする事になる事と思いますがご容赦ください。
2008/06/04
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今日の料理教室では、久々のオリジナルレシピのそうめんサラダレタス巻きを作りました。他には豆腐の揚げ浸し、大根ステーキ、黒豆玄米ご飯に、デザートに水無月も。今日もいろんなメニューで楽しい時間を過ごせたけれど、なにより久々のゲストがうれしかった私です。彼女はほんとに数年ぶりに、料理教室にきてくださいました。食後にも、いろんな話で盛り上がりました。教室のメンバーも様変わりしているけれど、昔の人の話題がでたりしてなかなか懐かしい思いになりました。それにしても、こうして忘れず来てくれるってのはうれしい事ですし、ありがたいことでもあります。
2008/06/03
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昨日はスーパーのチラシに魚の特売が。朝一でスーパーに入り、特売商品のビンチョウやつばす、カツオなどの他、おおっ冷凍の一塩さんまがいっぴき三十円、買わない訳には行きません。決局あれこれ買い込んで、魚の半分は冷凍に、のこり半分で、スタッフランチや家人の晩ご飯のにぎり寿司に。さんまはたっぷりの塩でしめ直してさらに酢で一晩しめました。そのしめさんまを使って今日はさんま寿司。おいしくできましたー。さすがです、自画自賛。ほんとはねー、さんま寿司なんかつくつてる場合ちゃうけどねー。ちゃんとカウンセリングやら講座企画やらして収益のあがる仕事しなくちゃいけないんだけれどねー。ははは、ま、おいしいからいいかぁ。それにしても三十円のさんまでこんなにおいしいさんま寿司ができるんだから、しあわせー。
2008/06/02
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