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さるブログを読みながら考えさせられた。皆さん、自分が如何にも思想を同じにする組織、団体、又は偶像のような集団の代弁者、傀儡、のような論調で書かれている記事が誠に多いようですが、もう一度良く考えて見ませんか・・・???我々は、どう転んでも一、小市民でしかないという事を・・・!!!??筆者の中には、どこかに所属し、また、その構成員である方もおいででしょうが、それにしたって、その天辺からは、かなりかけ離れた地位にある方しか、ブログなんぞに投稿はなされますまい。確かに、あれこれ良くお勉強なさって、その筋の知識が豊富な方もかなり見受けられますが、知識に騙されたり、飲まれては、あなた方のお勉強も台無しになりませんか・・・???大戦の戦前、戦中、戦後や現在の社会の政治に於いても、我々小市民は結局無力な一小市民にすぎません。右翼や左翼、資本主義者や共産主義者、自由主義者や社会主義者がどうのこうのと言ったって、所詮それらが意味するものは、それらを振り翳して支配権を握った権力者達が市民を引きずって行く時の戯言に過ぎないのではありませんか・・・???小市民にとって大事なのは、権力支配者が大権を握った時の事を考えて、大権を握らぬよう監視し、握った時の人間がどんなに醜く、恐ろしいものかという事を知っておかなければならないという事では無いでしょうか・・・!!!?どんなに、ブログ如きで吼えまくっても、あなたが、大権を握って市民を圧する事など、万が一にも有り得ない事では無いですか・・・???むしろ、人間が如何なる生き物で、人間の本質とは、如何に醜く、空恐ろしいものかという事を発信の基本に置かれた方が宜しいかと存知ます。同系列の人間だと思っていても、権力者は虫けら如き小市民には目もくれないという事を知っておかねばなりません。人気blogランキングへ
2007.08.29
多くのブログを見るにつけ、かなり鬱屈とした生活をお送りになっている方々をお見かけする。かく言う私も、長い事、楽しいとは何かを探し続けている。辛うじて、唯一楽しみなのは、果物好きなブッダが、季節の折々に、生産地へ赴き調達して来る果物をお知り合いにお送りして食して頂く事くらいであろうか・・・???もう長い事、日本の余りにも堕落しきった世の中が嫌になり、ぐだぐだと思いの丈を書き綴るばかりが、日課となってしまった。全く青臭いと思われるかも知れないが、仏陀がそうであったように、毎日ブッダの頭の中から消えない世界中の抑圧され、弾圧され、飢えと迫害に苦しむ市民達の姿である。日本の何十分かの一の贅沢を彼の国の人々の一人立ちのための原資に回せば、いたいけな子供達の苦しんだり蹂躙されたり、人形のように無残に殺されたりする姿を見ないで、考えないで済むとしたら、これほど嬉しく楽しい事は無い。然しながら、ネット上に氾濫するブログは、これでもかという位の金儲けの追及や、贅沢の追求、暴力に怯えないで済む日常に、無理やり暴力を持ち込もうとするものだったりする輩の何と多い事か・・・???ブッダは、決して裕福ではなく、むしろ限りなく貧乏に近い生活をしていると思うが、それでもなお、ブッダの生活には贅沢があるのではと、日々悶々としている。物見遊山の報告ブログも沢山あるが、否定はしないが、地球上の何処か違う所を見てきたからと言ってどれ程の事があろうかと・・・!!!???言葉にならない。旅と旅行は違うのかも知れないが、旅行やただ何の当ても無く浪費する旅など絶対したくない。日本では、確かに下層階級の労働者は虐げられている。だから、政治、政府批判も続く限りし続けなくてはならない。他方で、税金を払うべき人間が、脱税の限りを尽くして私腹を肥やし、その付けが、全て下層階に住む市民に回ってくるという憤懣やり切れぬ腐敗した政治は、日本人全体が贅沢であるような言い方をして、下層市民ばかりに負担を押し付けて来る。決して、善良な日本の市民は贅沢なんかじゃない、と思いつつ、それでも、海外援助と偽って政府を牛耳る権力者やフィクサー共が、他国の支配者階級と吊るんで、血税を分け分けしている事を思う時、市民の側にも大きな責任のある事を感じざるを得ない。国民は、前々回の記事で既に書いたとおり、もっと真剣に国家に吸い取られる血税の使途、妥当性を具体的に検証し、税金不払いなどの問題提起を突きつけるべきであると考える。人気blogランキングへ
2007.08.28
[ 薄紫の山脈(ヤマナミ) ] う~すむらさきのや~まあなみは、は~るかき~ぼおのく~もをよび い~そかぜ、きいようき、ろくじゅううり み~どりの海に、はるたてば、お~おきのしまやま ゆ、めえのごおと あ~、あ~、うるわ~しの、わっが~しまね 何か急に島根県民の歌を思い出してしまいました。 一番は殆ど正確に覚えていたようです。 昔は、まず朝一番に有線放送から流れるこの歌で起こされていたような気がします。 今、島根県民でこの歌を正確に歌える人はどれ位いるのでしょうか・・・???人気blogランキングへ
2007.08.28
人気blogランキングへ皆さんは、かなり真面目に自分の収入と税金、国の歳入、歳出について具体的に検証された事があるだろうか・・・?と、質問する私も、何となく政府発表の数字を目にして、ふう~んという感じでしか見て来なかったのであるが、ここに来て、ちょっと真面目に検証しなくては、数字のマジックに騙され続けるのではと思えて来た。ごく端的に、深い計算などを無視しての話では、現在日本の一世帯(約3人)当りの平均所得(年間)は、凡そ600万円である。つまり、一人当たりの年間所得が200万円(手取額)と言うのが、政府機関の計算するところの日本の収入の水準であるらしい。と言う事は、簡単に言えば、一世帯4人家族だとすれば、年間800万円の手取り収入の無い家は貧乏であるという事が成り立つのである。逆に、一人身(独身の老若男女の一人暮らし)の世帯で月に17万円の所得があれば裕福であるという判断が成り立つのである。これって何処かおかしいとは思いませんか・・・????????????つまり、一世帯といっても、大人(若い、壮年、老齢)の一人暮らしもあれば、平均的な夫婦と子供一人の世帯もあり、大人(成人)ばかりの大所帯もあれば母子家庭の子沢山の世帯もあるだろうと言うものです。そこでの生活費の掛かり方というのは、全く異なっており、平均的な生活費の掛かり方というのは当てはまらないのである。例えば 住居費 20~30% 食 費 15~20% 光熱費 水道費 通信費 計 10%以内 その他 40~55% 教育費 小遣い 被服費 教育費 保険代などと言うような具合の平均的モデルを考えているようであるが、上記で示したように世帯の構成人員によって全く生活費の掛かり方は違うのである。もしもあなたが、独身の一人暮らしとして、大都市圏で一人暮らし用のアパートを借りて生活していた場合、住居費は一体幾ら掛かるだろうか・・・????場合によっては、50%内外が住居費(家賃のみ)で飛ぶ事にはならないだろうか・・・???増して、一番お金を使いたい、使い道の多い時期である、17万円の収入が裕福であるというのは、些か引っ掛かりはしないだろうか・・・???恐らく、誰も計算上の数字を以って裕福であるなどとは言っていないというご反論もござりましょうが、この数字を元にあれこれ政策が組まれているのは事実である。現在の政治、政治家が怠慢だと言うのは、今日のように、多様化した住環境にあって、国民、市民の多様な生活実態を無視し続け、特定のモデルを作り上げ、虚構の中で政治を行おうという手抜き感覚が、政治家のみならず、役人全体に広がっているという事実である。手持ち無沙汰で、鼻毛を抜きながらぼうっとしている管理職役人の如何に多い事か・・・???そうでなければ、私利私欲のために奔走する金の亡者ばかりである。一人平均200万円の年間平均所得を確立するためには200万円×1億2千万人=240兆円の原資が必要となる。現在の日本の国民総生産が約500兆円と言う事になると、明らかに冨の公平な配分がなされていないという計算になりはしないだろうか・・・!!!????????そして、現在の国庫に入る歳入(税金)が直接税、間接税含めて80兆円というのも、何処かで税金逃れをしている人間が沢山いる証では無いだろうか・・・???冨の公平な分配を考えるなら、後100兆円位の税収があってもおかしく無い筈である。社会福祉を切り詰め、軍事を拡大し、年金財源まで猫糞して一体何が政治だというのか・・・!!!?所得の平準化を言うのではない、悪さをして私腹を肥やそうという輩を退治してこそ、真っ当な政治の回復が出来ようというものではないのか・・・????専門家では無いので、数字について詳しいお方がございましたら、修正、補足をお任せしたいと存知ます。兎に角、国民は、一度しっかりと自分の境遇について、具体的に疑問を持って考えるべきかと存ずる。
2007.08.27
私が野球に目覚めたのは、正直、何がきっかけであったのか定かではない。父親は野球好きで、建設省のクラブで草野球をやっていたそうであるが、三歳の時に生き別れたので面影さえ残ってはいない。母親に言わせると、足が遅くて、ヒットでもアウトになっていたとか・・・!!!???私も、小学校四年生の頃までは、さして運動に長けた子ではなかったが、四年生のスポーツテストの時になぜか、突然覚醒したのか、1000メートル走でいきなり結果を出し、それ以来、スポーツ大会の常連になっていった事を憶えている。全体的には、全てに於いて平均的で(短距離、長距離、跳躍など)傑出したものは何も無かったのであるが、好きだった(練習は何よりも嫌いだった)・・・???のが幸いしたのか、柔軟系の運動以外は大抵何でもこなした。今でも憶えているのは、小学校六年生の時、町内の小学校対抗陸上大会が終わった後のスポーツテストでの走り幅跳びで、大会で優勝した子の真似をして跳んだ記録が、3m87cmで当時ではまずまずの記録であった。先生からもっと早く跳んでいればと残念がられたものである。中学校に上がって、最初のスポーツテストでは1500メートル走での記録が5分20秒で幸いにも? 同級生に県大会で優勝した友人がいて彼がいなかったら一番の記録であった。その同級生は、小学校の頃から新聞配達をしながら健脚を鍛えていたらしく、怠け者の私なんかとは比べ物にならない位の、鍛え上げられたムキムキの足をしていた。結局、卒業するまでに私は1500メートル走の記録を5分調度にまでにはしたのだが、2000メートルでも3000mでも100m20秒の平均ペースは変わることがなかった。これが、努力の結晶であれば納得も出来るというものであるが、走るために走る練習をするという努力、勝つために勝つための練習をする努力、成績のために成績を上げる勉強をする努力というのは、今日まで私の身には付かなかったようである。恐らく、皆さんの中にもいらっしゃるのではないだろうか・・・?? 努力をしなくても、何となく自分の中に出来る自分を感じて努力をしないという、自分でも不思議な怠け者の言い逃れをする自分か・・・?前回の記事で書いた通り、私が最初に目覚めたのは相撲であったが、相撲取りになろうなどという夢は見なかった、次に目覚めたのが野球であり、小三の頃から上級生に混じって三角ベースに興じていた。その頃に出会った少年漫画の一つが、私をプロ野球に目覚めさせ、東映フライヤーズ(現日本ハムファイターズ)の熱狂的ファン、怪童尾崎を夢見る野球少年へと導いたのである。それからは、小学校から家が近かった事もあり、毎日、国旗掲揚台のセメント塀に向かって一人ピッチの練習が始まったのである。当時は指導者なる専門家もいないわけだから、唯、只管、肘が痛くなっても何でも投げ続けたものである。好きこそ物の上手なれとは良く言ったもので、それくらい物に打ち込むと自然と何事に於いても先が開けて来るもので、泣かず飛ばずのお勉強の成績もつられて上昇して行ったようである。けれども、生まれて直ぐに患った丹毒(ムカデに噛まれた事が原因というが・・・???)で、医師の誤診もあり、背中、腰をずたずたに切り裂かれた手術の後遺症もあってか、中学卒業の頃には、脊椎分離症の診断を受け、スポーツ選手への夢は、そこで終わらせてしまったのであった。今にして思えば、子供のやる気というのは、何処で発揚するか分からないもので、大人はきっちりと、そのやる気を受け止めてやらねば、子供達のやる気を削いでしまう事になりかねない。どんなに、努力しても報われる事の無い努力は虚しさしか生まないし、努力する事に無気力な人間になって行く危険性を孕んでいる。好きこそ物の上手なれとは、好きな事に打ち込めば、自ずと別の道も開けて来るという意味であり、好きな事を全員が極められるのではなく、打ち込む努力が必ず別の道を開いて行ける力になるという教訓のようなものである。全国の少年を指導する立場の方々にぜひお願いしたいのは、たとえどんな事であれ、打ち込む程好きな事にはとことん打ち込ませてやって欲しいという事です。その中で、彼らは自らを発見し、自然に成長して行くのだという事を・・・。主体性とは、そんな所から育って行くものだという事を信じて子供達の成長に手を差し伸べてやって頂きたいと思う今日この頃です。人気blogランキングへ
2007.08.24
正直言って、現今の日本の政治システムでは、最早、本当の市民生活、且つ日本国民のアイデンティティを向上させ、培って行く事は、望むべくも無いと思っている。 然しながら、敢えて、現実的に日本の政治を仕方なきものとして肯定し、批評を講じるならば、まず第一に本来政治家と言うものは、一般市民が自助努力して政治の場に立つと言うのが望ましいのであるが、そういうシステムになっていない(余りにもお金が掛かり過ぎて一般市民が簡単に選挙にすら立候補出来ない)限り、政党政治を原則とするのであれば、各政党は独自で政治家を養成する機関を構築すべきである。 いつも選挙に出てくる顔ぶれ(特に初めて立候補する新人の場合)を見ると、地方議会で年季を積んだ政党の柵(しがらみ)候補とか、中央官僚の天下り的候補、議席取り目的の有名候補など、全てが烏合の衆である。そんな候補者ばかりが目立つ中で、国民には、選挙権を行使しない者は、権利義務を放棄したと同じだと無理やり義務ばかりを押し付けられても国民にとってはいい迷惑である。そもそも、政党の在り方にも問題があり、株式会社が会社の意思を統一して株主、社員の利益と福利厚生の追求ために仕事を進めていくのと同様に、政党組織として機関の意思を統一して事に当るはずの政治活動が、他力本願で集めた議員ばかりになって、意思の統一どころか、利権の奪い合いばかりで、政治などとは程遠い集団に成り下がっている。つづく人気blogランキングへ
2007.08.23
近頃の相撲は、戦後から昭和三十年代の相撲に比べ、趣が無くなって来ている。朝青龍問題など起こり得よう筈も無かったあの頃は、相撲が楽しくて仕方なかったものである。相撲と野球に明け暮れた小学校時代が懐かしくてたまらない。小学校時代は、野球、ソフトボールのクラブ活動の無い日など、放課後、休みの日など1日千番を超える程相撲を取ったものである。自慢ではないが、当時痩せっぽちの私であったが、相撲は強く、千番取れば、700勝はしていたものである。私が、最初にファンになった関取は松登と言って、大関になったあと病気や怪我で平幕に陥落した悲運の関取である。ただ、私がはっきりと物心付く前だったので詳しい事は憶えていないのだが・・・!!!?何となく憶えていて好きだった関取が、若羽黒である。物心ついて、家にテレビが入ってきてからは、何にも増して相撲を見るのが楽しみとなった。その頃の全盛が栃若時代であり、先々代の朝潮が引退間近の頃だと思う。その後、柏鵬時代が訪れ、巨人、大鵬、玉子焼きの造語が生まれる程、相撲は隆盛を迎えていった。その中で、いつも私が相撲を取る時の四股名を選んでいたのが、琴ヶ浜、北葉山、豊国、先々代若三杉、明武谷、若浪、岩風、先々代豊山、開隆山、青ノ里、琴桜、長谷川など、資料を調べてみると秀ノ山親方の長谷川関が昭和38年新入幕らしくて、昭和10年前後から昭和20年頃迄に生まれの関取ばかりであった。考えてみると、昭和30年生まれの我々も、高度経済成長に向かう前の最も貧しかった時代の生まれであり、彼らのハングリー精神が、その時代は、未だ、生きていたのかも知れない。最近、つくづく思うのであるが、幼い頃に人のぬくもりを感じる程、人に触れない事が、ある意味いじめや理由無き殺人の原因になってはいないかと・・・?このように思うのは、私だけなんであろうか・・・!!!?人気blogランキングへ
2007.08.22
日本文化特有の、"出る杭は打たれる"の如く・さ・く・ら・のパパは打ち込まれてしまった。個人的には、彼の行っているゴルファー養成所について、内容を充分知っているわけではないが、一市民の活動としては、評価に値するものとして見ていた。簡単に、思い立ったからと言って誰にでも出来る事ではない。確か、彼の血液型はA型だったと思うが、調子に乗って墓穴を掘るのが特徴みたいだ。水商売は、何事も、わが道を行くB型に任せておくに限る。そもそも、水商売、ヤクザ商売を営む者が、表舞台に立って行動すると碌な事が無い。そのような職業を差別するつもりは無いが、元々庶民感覚とは、かけ離れた世界で生き、人生裏街道を歩く商売の人々が、表の社会に出て来ると、失敗の連続である。間違いなく、日本人には水商売について偏見がある。水商売とは、単にお水の世界に止まらず、芸能界、スポーツ界など多岐に渡っており、地道にこつこつという堅気の仕事以外は、全てこの部類に当て嵌まってしまう。昔も今も、ちょっと日本的常識に縛られている人々は、自分は元より、家族がその種の仕事につく事を良しとしない。なぜなら、それらの仕事には、安定、堅実という保証が無く、常に裏街道を歩く人々との拘りを拭い去れない掟があるからである。素人が、いきなり水商売で一発当てると、身も心もぼろぼろになってしまうのは、一般社会とその社会との大きな感覚の違いに翻弄されるからである。どんな社会にも暗黙の掟があり、掟破りは村八分の対象となり、エスカレートすれば抹殺の憂き目に合う事となる。今回も、彼の素人政治家は、踏んではいけない地雷を踏み、自爆に等しい行為をしてしまった。鵜の目鷹の目で獲物を探す、ゴシップハンターたるマスコミには、正に涎を垂らさんばかりの格好の獲物に見えた事であろう。庶民が、一介の水商売人面して裏社会を歩き出すと、人間の心をくすぐる誘惑ばかりで、一端それに乗ってしまうと抗体の無いヒーローは、社会の風圧に押し潰されてしまう。その世界で、良かれ悪しかれ何十年もの年季を積んで、やっとの事で、その社会の足掛かりを掴んでいた人達にとっては、別世界から割り込んできて自分達を蹴落とした悪魔に映った事だと思う。彼らは、この社会の恐ろしさ、仕組みを熟知している訳だから、決して自分を目立たせないよう充分な予防線を張っているし、素人が割り込んだ時の対処も良く心得ている。免疫力のないヒーロー達は、その社会の陰湿な攻撃の餌食となり力尽きて行く。丸川氏など割り込みが完了する前に攻撃の的となり、社会の一員となった後の行く末迄も既に決まったも同然の状況下に置かれている。この世界は、素人の悪乗りで泳いで行ける程甘くは無く、限りなく清廉な信念を持った人間でも、逆にそれが災いして嫌になるほど、おどろおどろしい世界なのである。さ・く・ら・パパもせめて、家族が皆そっぽを向いてしまわないよう身の処し方をきちんとして欲しいものであ。丸山弁護士も、改めて、この世界の厳しい風を感じられたようであるが、命を縮められぬよう頑張って頂きたいものである。人気blogランキングへ
2007.08.22
生物は常に進化を続けているか・・・???人間は常に進歩し続けているか・・・???非常に大きな難題である。何に対して進化と言うのか、何に対して進歩と言うのか・・・???形を変え、環境に適応し、種の保存の法則の通り自らの遺伝子を残して行くために生態変化して行く事、また、そのために、新しい技術を生み、発展させ、種の滅亡を防ぐために、対抗する危険を次々と征服していく事、果たしてこれらを進化、進歩と言って良いのか・・・???人間の存在意義とは、現時点では、地球の存在があって初めて語られるものである。宇宙開発がどんなに進もうと、人間にとっての故郷は、地球であり、これに優る環境は今の所宇宙の何処にも見当たらない。遺伝子を存続させて行く行為(極端に言えば、これより大きな意義は無い)のために生きると言う事に意義を見出すとするならば、人間はそれ程無理をしなくても生きて行けるのではないだろうか・・・???地球が時間の流れの中で、自然に変えていく環境変化は、ある意味地球の老化現象であり、人間がいくら頑張っても、その現象を止める事は出来はしない。であるならば、人間は、その老化現象を促進さす動機となり得ても、抑制する薬にはなれないであろう。つまり、進化は老化現象に平行する自然現象であり、進歩は、老化現象を促進させる触媒となり得る。進化は老化のお付き合いであるが、進歩は消滅を促進する毒薬であるから、進歩とは、大きな後退と言わねばならない。人気blogランキングへ
2007.08.21
朝青龍問題も、結局横綱をモンゴルに隠す事で一件落着という筋書きが見えてきた。私は、殊更のように、横綱をあれこれ批判するつもりも無ければ、そういう立場にあるわけでもないので、特にこの問題について論じるつもりも無いのだが・・・!!!? 一言、言わせて頂けるのであれば、何で今更の念を禁じ得ない。なぜなら、大方、最終的に、何れ横綱をモンゴルに帰し、穏便に肩を付けるのだろうという筋書きは見えていたし、そうしなければ、引っ込みが付かない所まで事態が悪化してしまったのだからである。 結局、大勢が傷付いて、見えなくて良い醜態が世の中に暴露されてしまった。 日本相撲協会の纏まりの無さと、指導力の幼稚さ、国技などと大きな事をぶち上げながら実際は民間の興業団体に毛の生えた程度のものであった事が、まるわかりになってしまった。 そもそも、この問題について一番大きな責任があったのは、日本相撲協会では無かったのか、横綱が怪我の診断書を提出し、協会から承認された時点で、その後に問題が起これば当然承認をした協会が全責任を負うのが筋である。 100年以上も続く相撲界で、プロとも言える力士経験者の集団が、診断書の中身を確認して、それに納得したのだから、文句は言えないはずである。 恐らく、あのサッカーイベントが中田英寿氏の参加するようなものでなく、一般的な遊びだったとしたら、誰もそれに触れるような事は無かったと思われる。 いわば、横綱にしてみれば、骨休めのつもりの帰郷の筈が、とんだ所で、有名人と出会って意気投合し我を忘れて遊び心に従ってしまったというところであろう。 そこには、悪気も何も無かったと思う。 協会にしても、彼の横綱が、治療に専念するために病院にでも入院して大人しくしているなどとは思ってもいなかったはずである。 日本で無く、モンゴルであれば、流石のマスコミもアラを探しに行ったりする事も無いだろうと協会は高を括っていた筈である。 普段の指導力、教育の成果は、往々にして、何も起こらない筈の所で起きるものである。協会の組織運営が一体どうなっているのか、詳しい事は知らないが、部屋制度があるにしても、所詮、部屋とは、協会に従属するもので、相撲協会としての問題の処理は、協会自身が責任を負うのであって、親方である朝潮の指導力が頼りなかろうが何であれ、協会が速やかに動いて対処していれば、国際問題などという野暮な問題にまで発展する事は無かった筈である。 今頃になって、巡業が本場所以上に大事な協会の仕事だと言われても、真の相撲ファンや一部の利権に肖る人々を除けば、本場所が大事であり、此処まで増えた外人力士にとっても、余程その意味や重要さを普段から伝えていなければ、晴天の霹靂のような仕業である。 増して、年6場所制を続けるようになってからの力士の負担は、大変なものだと思うのである。 人気blogランキングへ 日本相撲協会は、協会の立場を明確にし、規約、規則、その他を一般の相撲ファンに明確に示し、今後歩むべき、日本大相撲の道筋を確立して行って欲しいと望むものである。
2007.08.20
昨日は、終戦記念日という事もあり、国営放送では憲法改正と戦争についてのキャンペーンとして、討論番組を組んでいた。 暫く見ていたが、どうも違和感を覚えるので、第二部とやらに入る所でやめてしまった。国営放送に限らず、昨今のマスコミが張るキャンペーンに於ける討論番組には、最も必要な人間本来の姿が蔑ろにされ、何のための討論なのか見ていても意義というものが見えて来ない。 確かに現実の社会を肯定し、今日の日本や世界中の国々の社会構造が変化し得ないものだと断定して討論するのであれば、虫けらのような市民がいくらテレビで討論しても糞の役にも立たない。 現代の日本や世界中の国の社会システムでは、小市民の声が直接政治に反映される事など無いに等しく、反映されるとしても、小さな市民運動が大きな輪となり、うねりを起こす位の力となって初めて、やっと土俵の上に上がる事が出来る程度のものである。 これは、これまでの市民運動を見る限り、幾ら市民の声が正しかろうと、政治は善悪の如何に拘らず、出来る限り市民の声が政治に反映されないように画策するのである。 そんな世界の社会構造を肯定しつつ、右や左の旦那様方が議論しても、唯、虚しいだけである。肩に力が入って、息って意見を述べたがる人を見ていても、所詮、市民の側もまして政治家など誰も聞く耳を持たないという状況を考えると、可笑しくさえ思えてくる。 一つに、誰も、戦争や人殺し、他国への侵略、他国からの侵略を、一部の人々を除けば望んでいないと 言う事実がある。 二つに、日本においても、他国に於いても、一般市民の殆どが、自らの生活に手一杯で、他国について 良く理解していないが、いざ市民レベルの交流に於いては、殆どが友好的である。 三つに、現代の社会で、幾ら情報開示に不満が残る部分があるにしても、大戦前のように国家に煽動さ れる事によって国民全体が動く事は無い状況がある。(世界にはそうでない国もあるが・・・ !!!) 四つに、依然として、強大な暴力(軍事力、警察力、組織暴力)に対しては、人間は無力であること。 五つに、世界のグローバル化の波は、最早、一国の力のみでは抑え切れない状況にある。以上のような事実を鑑みた上で求められるのは、今後世界中の人間が、国境の隔てなく行き来し、平和な地球社会を築いて行く中で、宗教やイデオロギーなどという市民生活には程遠い嘘の鎧でごまかし続ける専横的な国家支配者達をどのように排除し、抑圧された大多数の市民の声を世界に導き出して行くかという事である。世界は国連という連合体を形成し、その枠組みの中で世界中の問題を討議し、各国の暴走を抑制するというシステムを作っている。必要なのは、軍事力ではなく警察力の充実と、国境を無くしていく為の世界に冠たる市民生活を守るための市民憲章を制定し、世界共通の市民生活の基準を平準化する事である。人間一人一人の人権が、世界的に平準化されれば、軍事力による争いなど無用となり、むしろ警察権の充実により、謀略を意図し、実行しようとする一部の勢力を未然に防ぐ事で、権力の一極集中を阻止出来ようと言うものである。 人間とは、兎に角、高度な知性、理性、感情を有するが故にデリケートな生き物であり、一人になるとこれ程弱い者は無いのであって、とかく、権力、財力、暴力を一度手にすると、コントロール不可に陥りやすい動物である。 そんな、危険な動物の持つ力を抑制する手段無しには、世界の平和と安全など、望んでも叶えられよう筈が無いと言う事を肝に命ずるべきである。 人気blogランキングへ
2007.08.16
さぞ右よりだと思って、あれこれ投稿する敢えて呼ばせてもらえば、右翼の皆さん、あなた方は、今以って終わらない戦後処理の責任について考えた事が有るだろうか・・・???戦争で痛めつけられ、奇跡的に助かった皆さん(日本と言う国家から見捨てられ、軍属からも打ち捨てられた)は、戦後ずっと戦争で負った心の傷跡に苦しんで来られたと思います。そのため、国から見殺しにされかけたのにもあらず、その良心は戦後の後始末への活動に向かわせたのであります。 日本政府は、国家間の条約や決め事を良い事に、全て解決済みなどとと、訳のわからない逃げ口上で、その責任さえ果たそうとはしません。更に、自国民である原爆被害者にさえ、辛い戦争の重荷を60数年もの間背負わせて、平然と裁判を長引かす事によって、彼の原告達の亡くなるのを待っている始末です。 中国残留孤児の問題や、自らの意思とは関係なく中国に残らざるを得なかった人々の問題、韓国、中国だけでなく、東南アジアで蛮行の限りを尽くした日本軍からの被害者、そして、原爆や空襲によって傷付いた人々に対する責任を、この国は本当に満足に果たしてきたと言えるでしょうか・・・???それらは全て、天皇の軍隊と国家によって命令されたものだと言い張る右翼の皆さん、天皇陛下様の代わりにあなた方は少しでも、その責任を取るための活動をされた事があるのでしょうか・・・???その活動を、何の補償もなく担ってきたのは、あなた方の尊敬する、大日本帝国軍隊やその支配政権、また、その統帥者によって打ち捨てられた、善良な一般市民ではなかったのか・・・???右翼じゃ左翼じゃという前に、本当になさねば成らない、問題が山済みされている事を知るべきだと思います。 中国の大地、東南アジアの密林、太平洋、インド洋、東シナ海、至る所に戦争によって打ち捨てられた遺骨が幾百万眠っているか、考えた事がありますか・・・???その殆どは、天皇(それに付き従った権力者の群)によって召しだされた、軍属ではなく、善良な一般市民であった事を、そして最も卑怯な事に、武士の端くれであるはずの、軍属の長が最もいち早く逃亡し、我が身の保身に走った事を考え合わせれば、生き残った軍属は全て打ち首獄門の刑が適当と考えるものである。 右翼も左翼も所詮権力を握れば、やる事は同じで、我々小市民からすれば、同じ穴の狢ではないか。右だ左だではなく、本当に平和で国民にとって良い国とはどんなものであるのか、具体的に隠さず説明して貰いたいものである。 ブログランキング
2007.08.12
これまでの記事の中で、ああだ、こうだと、いろいろ言って参りましたが、本当のところ何が言いたかったのかを綴ろうと思います。 まず、現代社会(世界)を見渡しますと、冷戦体制が終わってからの方が、明らかに地域紛争が増えています。一概に、多くなったとは言えませんが、少なくとも日本が戦場に借り出される事はなかったのであります。それと、米ソ両大国の力の影に隠された紛争のため、多くの一般市民には解り難かったものもあります。また、世界に於ける貧富の差は増大し、富める者、飢える者の格差はいよいよ拡大しています。そのため、暴力による紛争だけではなく、経済紛争の局面も以前にもまして増加しています。来年の北京オリンピックの参加国、地域の数に見られるように、確かに、見方によっては、世界の経済水準が上昇し、冷戦時に見られた国家、地域間の大きな壁が無くなった様にも思えますが、その影で苦しんでいる人の存在が見え難くなった事も否定出来ません。そして、冷戦の壁が取り払われた事で、地域間の融合、連帯が促され、ヨーロッパでは既にEU連合の結成や統一通貨の導入によって、更なる国家間の壁が取り払われて来ています。 そんな中で、日本はどうかと言うと、従来の日米安保体制が揺るがされる程のアジア各国の経済発展により、アメリカ合衆国の中国、ロシアへの接近が、日本を孤立化の傾向に押しやっています。日米安保体制のぬるま湯にどっぷり浸かって来た日本の政治家達は、自らの私腹を肥やす事に専念し、本来の政治家としての資質を磨くこともせず、今となっては、全く使い物にならない連中の温床となってしまいました。日本の右傾化やマスコミ、政治家、官僚への売国奴批判などが報じられておりますが、今の日本に本気で、それらの事が遂行出来る力があるのでしょうか・・・???闇の社会と政界や財界、官界、おまけに一般市民までが巻き込まれた三竦み、四竦みの手に負えない程堕落、荒廃しきった現実の社会が蔓延っています。他国からすれば、右でも左でも一本筋の通った信念のようなものを持った国程、扱い難い物は無いのに日本のように、アメリカ合衆国を中心とした、力の強い方に頭を振る国程扱い易い国は無いだろうと思います。ある意味、日本人の特徴として、和を以って貴しとなせりの精神から良い意味での柔軟性、どちらにも傾かないバランス感覚が示されているのであれば良いのですが、今の日本には、知性、理性、判断力、調整力などの欠落した抜け殻のような傀儡的権力者ばかりです。世界に冠たる国である必要は無いと思いますが、世界の警察国家としてアメリカ合衆国が君臨すると言うのであれば、世界の司法国家として、その調整力で世界中を懐柔し、逆上せ上がった警察国家に対し鉄槌を加える位の懐の深さを持った国でありたいと望むものであります。 確かに、現実社会の中で、細々とした問題は山積しています。然しながら、これまでのようなスタンスで、いくら付け焼刃的方策を講じた所で、問題が問題を生むだけの事にはなりはしませんでしょうか・・・???今こそ、我々一般市民の代表として組織された、利権に柵を持たない、真の政治力を持った代表者会議の出現こそ、日本の真の国民の願う、世界平和共存の在り方を模索できるものだと思います。 一番大事なのは、良識ある国民が、日本の良識をリードし、日本国民全体の良識を確実に向上させていかなければならないのではないでしょうか・・・!!!?人気blogランキングへ
2007.08.10
原爆許すまじ浅田石二 作詞木下航二 作曲ふるさとの街やかれ身よりの骨うめし焼土に今は白い花咲くああ許すまじ原爆を三度許すまじ原爆をわれらの街にふるさとの海荒れて黒き雨喜びの日はなく今は舟に人もなしああ許すまじ原爆を三度許すまじ原爆をわれらの海にふるさとの空重く黒き雲今日も大地おおい今は空に陽もささずああ許すまじ原爆を三度許すまじ原爆をわれらの空にはらからのたえまなき労働にきずきあぐ富と幸今はすべてついえ去らんああ許すまじ原爆を三度許すまじ原爆を世界の上に上に記した歌をご存知の方は、今どれ位おいでになるのだろうか・・・!!!?私が、初めてこの歌を知ったのは、小学校六年生の修学旅行の道すがらであった。島根県の田舎の小学校の修学旅行は、昭和42年頃としては、一泊2日のバス旅行が一般的であった。島根県から一泊2日で行けるバス旅行と言えば、当時まだ高速道路も整備されていない時代であるから、せいぜい隣県の名所旧跡を訪る位が相場であった。母校西日登小学校を出発したバスは国道54線を一路南に向かい、中国山地の峠越えを目指した。赤名峠を越え三次の街に差し掛かる手前だったか、三次から広島へ向かう途中だったかに、バスガイドさんが、これから向かう、原爆記念館や原爆ドームの説明をする中で、東京オリンピック最終聖火ランナー坂井義則氏の事や原爆について説明される中で、歌って頂いた、小学生ながらも心にずっしりと響いて忘れられなくなった歌が上記の歌である。52才になった今でも、一番の歌詞とメロディーは自然に湧いてきて、涙ぐむほどに胸を締め付けるものがある。母校の日登中学校は、ちょうど国鉄木次線の日登駅の間近にあったことから、広島の原爆被害に遭った人々の野戦病院さながらの臨時治療施設と化し、当時を知る人は、その光景について語りたがらない。私の母の伯父も徴兵され、満州で砲兵隊の一員として戦い、頬に銃弾を受け帰還し、治療の後再び応召され、広島に原爆が投下された頃、ちょうど広島にいるという知らせを姉である私の祖母が受けていたので広島に駆けつけたそうである。たまたま、前日、四国に渡っていたため原爆の災禍には遭わずに済んだそうだが、このような話を持った方は、他にも多いはずである。その伯父も、終戦後は防衛庁の事務官として大阪空港開設のため随分苦労(いつ殺されるか解らないと言っていたそうである。)したらしい。伯父は49歳という若さで急死(病死)し、祖母も10年前に91歳で逝ってしまった。戦争の事から、昔の様々な話を、ちょっとした先進的教養を持った祖母(昭和初期地主だった家は、働き手を失い、おまけに火事で家の殆どを消失したため、祖母は田畑を売り払い、大阪の池田でカフェを始めたそうである。)から沢山聞き、儒教的訓等を受けたつもりなのだが、性根を据えて聞かなかったのかどうか、今となっては、もっとちゃんと聞いて置くべきだったと後悔する事、頻(しき)りである。今日は、長崎に原爆の投下された日(8月9日午前11時2分の事)であります。修学旅行の在り方、戦争についての学習、人間としての在り方、日本人の本当の姿、諸外国との関係など本当に、この国を考えて行く事の出来る人間を創るために、昔を知る人々は、声に出して伝えなくてはならないと心から願うものであります。人気blogランキングへ
2007.08.09
昨日は広島に原爆が投下されてから62回目の記念日であった。マスコミも様々に原爆の日に因んだ特集を組んでいたようである。今回は、特に原爆被害の当事国としての日本と、被害者(当事者はそうは思っていないが)であるアメリカ合衆国との原爆投下に関してのスタンスの違いを比較するものがあったようである。被害者である日本人の多くが、核兵器使用について、断固反対の意思を明確に示すのは至極当り前ではあるが、戦後60数年も経過する中で、この国がアメリカ合衆国を始めとする世界中の国々を相手に無謀な戦争をしたという記憶さえ多くの日本人から消え去って行っているようである。現代の若者にとって、核兵器が唯一投下され、阿鼻叫喚の地獄絵図を味わった日本の体験が、何処か遠い世界での出来事なのか、はたまた、戦争体験の生き残りである祖父母、曽祖父母からの伝承、教育での伝達が途切れてしまっているのか、頭の片隅にも無いといった状況である。これには、むしろ、外国人の方が驚かされる始末である。 アメリカ合衆国にとっては、むしろ、好都合である現代人の核兵器使用についての忘却は、途にも直さず、日本政府と合衆国政府との暗黙の了解の中で意図された国策によるものなのかも知れない。仮に、被害を受けた当事国が、アラブの何処かの国だとしたら、彼らは、その怨念を、日本人があっという間に水に流すが如く忘れ去さるように許容してくれるだろうか・・・!!!??アメリカ合衆国のように勝者、強者至上主義の国と、目には目を、歯には歯をの国との間に、果たして現在の日本対アメリカ合衆国のような関係は築かれはしないだろう。だからこそ、アメリカ合衆国大統領の駄々っ子ブッシュが言うようなアメリカ型の資本至上主義的民主主義など根付くはずがないのである。そのアラブの国に、大量破壊兵器を隠匿しているなどとのあらぬ疑いをかけ、無理やり戦争を始めた国アメリカ合衆国こそ、世界で最も大量の大量破壊兵器を所持し、有史以来唯一、大量破壊兵器を非戦闘員たる市民に向けて使用した鬼畜国ではないのか・・・???このことで、日本の戦争責任が無くなる訳ではない、ナチスドイツ、日本帝国陸軍の犯した野蛮な非人道的行為も消えはしない。それにも増して、一部特権階級による、思想統制、弾圧によって、戦争を想起させ、善良無垢な市民を煽情し、幾数百万の尊命を失わせた、戦争当事国の統帥者達は、戦勝国、敗戦国を問わず万死に値する戦争責任を有するものである。 元に戻って、合衆国では、学校教育に於いて、広島、長崎への原爆投下は、より多くの人命を失わせずに、より早期に戦争を終結させた手段として正当化されているらしい。原爆投下の当事国にあっては、日本の一部戦争賛美主義者のように、如何に野蛮な行為と言えど、その事実を認め、真摯に反省するという誇り(プライド)は持ち合わせていないようである。今日のニュースでも、ヒラリー・クリントンは、合衆国大統領が核のボタンを押す可能性について肯定的見解を述べている。 つまり、この事は、これから先の時代に於いて、あくまで核兵器の使用の可能性を否定せんがための正当性堅持のためであり、何としても、世界の警察国家として君臨するための論理である。 皆さんは、日本が、世界の最先端技術の保有国である日本が、なぜ、航空旅客機を外国にばかり頼らなければならないか、不思議に思われたことは無いだろうか・・・!!!?日本は終戦後暫く、航空機を飛ばす事も、もちろん製造する事も連合国(アメリカ合衆国)によって禁止されていた、その上、戦争中までの航空機の技術資料は全て接収され、戦争で技術者の殆どを失ったため、生産の構想を練ることさえ出来ないでいた。朝鮮戦争の勃発で、日本での戦闘機製造の必要に迫られた合衆国は、講和条約締結などによって、その縛りを解くことになった。しかし、その頃の日本には、その力も無く、技術力も復活していなかったため、ライセンス契約による製造再開などによって徐々に体力、知力を回復していった。今日、資金の上に於いても、技術の上からも、日本が本気で旅客機を生産したとしたら、どれだけ高性能なものが造れるか知れない。然しながら、航空機は国家産業に等しく、それだけ外圧も厳しく、アメリカ合衆国からは、クレームのつけられ放題である。それ以上に、もし、日本が自国で、航空機を始めとする軍需産業を展開するようになったとしたら、(仮にあなたがもし、殺人の加害者だったとして、被害者の庇護者の感情を考えた時、加害者に対する被害者側の感情は八つ裂きにしたい程苛烈なものになるとは思いませんか・・・!?)北朝鮮民主主義人民共和国など問題にならない位、恐ろしい国になってしまうのです。核弾頭ミサイルはもとより、核兵器、戦闘機(UFOのようなものまで)、戦艦、空母、ありとあらゆるものが脅威の対象となる事でしょう。そして、60年以上も前の時代では、アメリカ合衆国は遠すぎたけれども、現代に於いては、日本とアメリカ合衆国は余りにも近くなった事で、本土防衛が儘成らなくなってしまう状況にあるという事です。 今後、日本人はアメリカ合衆国の最大の脅威が他ならぬ日本にあると言う事を自覚して行かなくてはならないでしょう。人気blogランキングへ
2007.08.07
アフガニスタンでの韓国人人質事件の解決が長引いている。一番大事な事は、どちらの命も失われない事である。本当のアフガニスタンの情勢を知っている人は、日本でもそれ程多くはないと思う。ある意味、人質事件を起こしたタリバンの側に一方的に否があると感じている人が圧倒的に多いのではないかと思う。 韓国人ボランティアの側にも、戦時中の危険地帯に安易に行くことの是非を云々する批判があるのも確かである。 私は、彼の韓国人ボランティアの方々、イラクで人質になった日本人ボランティア、命を落とされたジャーナリスト、政府職員の方々に対して、一部には無謀との批判はあるにせよ、勇気ある人々と思っている。 なぜなら、たとえ、私の内なるものに、彼の地の困窮する人々を助けたい念が沸き起ころうとも、決して彼の地に進んで赴く勇気を持ち合わせていないからである。 また、戦時中の地が状況把握の付かない場所であり、文化、言語など、全く違う世界で、自分の役割が果たせる確信がもてない事にもある。 そうした中で、命の危険に晒されながら、活動する勇気(覚悟の上)は、評価こそすれ一概に否定はすべきでないと思う。 タリバンの側にも、彼らの主張があるのだろうけれども、安易に罪無き人々の命を奪うのは、許された行為ではない。 アフガニスタン政府は、前回の人質事件で交換条件を呑んだ事に対する外国からの非難を随分気にしているとのマスコミ報道であるが、命と命の交換であれば、安いものではないかと腹を括るべきである。 タリバン皆殺し作戦など、出来ようはずも無く、また、アメリカの言いなりになって、皆殺し掃蕩作戦など強行しても、犠牲ばかりで、何も得られない事は明白である。 早く、話し合いの糸口を見つけて、平和裏に解決されることを望むものである。人気blogランキングへ
2007.08.06
わたくしは、此処に宣言致します。いちいち、知ったか振りをして、彼の時代に存在し見てきたような事を仰る、軍国主義国家擁護派の皆様、わたくしは、あくまで、日本人の前に、人間としての在り方について、主張しているのであって、右でも左でも、中でもありません。 事実誤認だとか、政策、条約がどうだとか言われても、私の関わり合いのない所で、しかも生まれる前にどうこうされたものについて、全て認めろと言われても、それは無理です。 私の主張は人間としての信義について語るものであって、細かい事実を研究するためのものではありません。 よって、今後、ご自分の主張につきましては、お答えさせて頂きますが、誰にも真実が解らない事に関しましてはコメントを控えさせて頂きますので、悪しからずご了承下さい。 尚、出来ましたら、人として感服致すような、ご自身の信義のこもった主張をお願い致します。 政府や官僚や国家が何なんでしょうか、結局は自分がどうなのかという事が大事なのですから、ご自分の偽らざる信義を主張して頂く事を望みます。
2007.08.01
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