2003年06月18日
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みなさんは、奥崎謙三という名をご存知でしょうか?

知名度は高いかもしれません。

先日、ドキュメンタリー映画『ゆきゆきて神軍』をDVDで見た。
この映画の主演(ドキュメンタリーなのに“主演”というのは
不適切かと思われるかもしれないが、あえてこう表現したい)で
ある奥崎謙三なる人物は、ただ一人“神軍平等兵”を名乗り、
「天皇の戦争責任追及」に代表される極左的活動を行なってきた
(現在も行なっている?)孤高の戦士(?)である。

や“天皇ポルノ写真事件”(劇中にも度々登場する名称なのだが、その
あらましが如何なるものかは、寡聞にして存じ上げません)、“田中角栄
暗殺布告”などなど極めて過激な字面がずらりとならぶが、それら一連の
行動は、どうやら彼の戦中の体験に根差しているらしいことが、作品を
見ている内に明らかになっていく。
映画『ゆきゆきて神軍』は、すでに一連の事件を起こし、ある意味有名人と
なった奥崎が、とある信念と目的に基づいて取った行動を追ったものだ。
映画の根幹を成す奥崎の行動目的……それは、「先の大戦中に自身が属した
部隊で起きた、部下射殺事件の真相を正す」こと。カメラは、
真相を探らんと欲する奥崎がかつての同胞を訪ね歩き、実際に引き金を
引いた人物、そして射殺命令を下した上官を探り当ててそれらの人物を

決して奥崎が追っていく事象の真偽にはない。奥崎謙三という人物そのもの
が、ひとつの命題なのだ。カメラの中の奥崎は、次第に奇異と思われる
行動を取るようになるのだが、それは、彼がカメラに撮られることを
十二分に意識し、そこに映し出されるものや、カメラが自分の背後に
居るという事実の効能を活用しようとしだす点にある。奥崎は

しだしたのだ。だがこのドキュメンタリー映画は、そうした奥崎が見たもの
見せようとしたものを通じて、奥崎謙三の人物像を一層浮き彫りにしていくのだった。

映画や本などを鑑賞して人が心を動かされる経緯やカラクリには、大きく分けて
二つあるように思う。
一つは、作品の主人公や主題に共感すること。「こんなことを考えているのは、
自分だけなのだろうか?」という不安や孤独感を掬い上げられたとき、あるいは
日常に対して抱いていたかすかな違和感や不快感に明確な輪郭を与えられ、その
曖昧模糊としていた感情を客観視できたとき、視聴者は大きな安堵感と
カタルシスを得ることができる。
もう一つは、あまりに作品で取り上げられる主題や人物が特異すぎてとても共感は
できないものの、そこで提示される特異性は、実は社会や自分自身にも潜在している
のではないか……と見る側に思わせるパターン。「作品内で描かれている異常性は、
あくまで自分や社会が気付かずにいた、あるいは見て見ぬふりをしてきた
問題点や歪が顕在化されただけの姿ではないのか?」と、見終わった後に
背中に空寒いものを感じてしまうことがある。

この映画は、間違いなく後者のタイプだ。
息子夫婦とともに平穏に暮らす元上官の家に押しかけ、孫の見ている前でその人物を
面罵する様や、病床で臥せっている初老の男性に向かって
「あんたが今病気なのは、天罰だ!」と断言する姿に、共感はできない。
だが同時に、かつて天皇は神だと教え込まれ、「神の国を護る事」を
使命として死地に赴かされたにも関わらず、わずかその数年の後には
「天皇も普通の人間でした。これからは国民主導の政治、国家を築いていくのです」
と言われるような状況を経験した人間にとっては、極めて当然の行動なのかも……
とも思えてくるのだ。奥崎に対して「どうしてあなたは、そこまで世間に同調せず、
そこまで過激な行動を取るのだ?」と問うことは、彼から
「なんであんたたちは、全てに迎合し、矛盾点を不問に付しながら生きていけるのだ」
と反駁されることでもある。
激変する価値観、倫理観、正義感……それらを実体験として体に刻んできた奥崎は、
虚と実を明確に分けようとすることのナンセンスさを、身をもって知っているのかも
しれない。

先に、「このドキュメンタリー映画の特異性は、ドキュメンタリーの形式を利用して
奥崎が現実を創造しようとした点にある」というようなことを書いた。だが、奥崎の行動原理や、その源泉ともなる時代背景などを
見ていった後では、そのような構造上の矛盾点も、この作品に
とって欠かせないファクターだったのだと気付くことになる。





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最終更新日  2003年06月18日 18時12分04秒
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Re:久々の日記は、なんか重い内容……(6/18)  
おたりま さん
久々の更新、重たく拝読させていただきました(^_^;)<br>映画の名前は聞いたことがありますが、まだ見たことはありませんでした。ネットで検索してみたら、けっこうヒットしました。<br>「天皇ポルノ」は、男女が絡んでいるいわゆるポルノ写真の顔のみを皇族のものに差し替えたビラを銀座などのデパートの屋上から歩行者天国の路上へまいた事件で「わいせつ罪」で捕まったようです。<br> この映画のタイプであるとakiさんがご指摘の「映画や本などを鑑賞して人が心を動かされる経緯やカラクリ」の「後者」については、最近読んだ本の一節を連想しました。香山リカ氏が最近の人(若者)にはネガティブな感情に対し、自分の中にもそういう部分があると感じる感覚が失われてきている気がすると対談の中で述べています(『「愛国」問答』中公新書ラクレ)。対談相手の福田和也氏は「アウグスティヌスの著書に「関わりのない罪を自分のことのように感じられる力、すなわち他人の犯した罪を自分のこととして感じることが寛容の基礎だ」と書かれている」と返しています。そうすると、akiさんのように、この映画を「見終わった後に背中に空寒いものを感じてしまう」のは寛容の基礎があるということで、最近、そういった感覚が乏しくなっているのだとしたら、この映画を見ても、なにこれ?って思う人が多くなるってことなんでしょうかねえ。<br>(ちょっと論点がずれてますね) (2003年06月18日 23時07分01秒)

Re:Re:久々の日記は、なんか重い内容……(6/18)  
☆aki☆  さん
どうも、読んでいただきまして<br>ありがとうございます。<br>香山氏と福田氏の対談は、興味深い内容ですね。<br><br>でもわたしは、彼らが指摘している通りではなく、<br>最近の人たちは自分の中のネガティブさに対して<br>より鋭敏になっているがために、あえて<br>それらと直面せねばならないような状況を避けて<br>いるように思えることがあります。<br><br>このあたりの分野に関しては全くの門外漢なので、<br>感覚的なことしか言えないんですけれどね。 (2003年06月19日 18時28分20秒)

Re:久々の日記は、なんか重い内容……(6/18)  
おたりま さん
レスをいただきありがとうございます。<br>対談の引用では言葉足らずでしたので、補足させていただきます。福田氏は「そんなに人間単純になるのかな。」と疑問を残しています。そして、「ネガティブな感情は移りがち(感情移入)だから、逆にその回路を切ってしまうのでは。」とも発言し、香山氏は「それが病的になると「解離」(自分でやったことすら自分で引き受けない。記憶喪失のようになってしまうとか)のメカニズムになる」とも言っています。「解離は自分が精神崩壊しないための防衛とされていますが、若い人をみると、解離しないでいることが実は非常に精神的にエネルギーが要ることなのかなと思う。その話を東浩紀氏にしたところ、「解離するほうが人間は自然状態じゃないか」と言ったそうです。<br> このあとも話は続くのですが、ここでは割愛させていただきます。<br><br> たしかに、私(若くありませんが)も含めて、割り切り、切り捨てていないと悩んでいる時間が長くなってやってられないってこともありますからね。この割りきりって言うのは一種の解離でありますものね。それについては考えないことにしているってやつですね。<br><br> 解離とまではいかなくても、「避けているようにみえる」というakiさんのご指摘、さすがです。<br> 思わず、しつこくお返事を書いてしまいました。 (2003年06月19日 21時14分39秒)

Re:Re:久々の日記は、なんか重い内容……(6/18)  
☆aki☆  さん
“解離”という言葉を聞いて、わたしは映画『マトリックス』を<br>連想しました。今更説明するまでもないと思いますが、『マトリックス』<br>は、この現実と思われている世界こそは人類全員で一斉に見ている夢の<br>ようなもので、現実は別のところにある……というものです。<br>この作品内で再三繰り返される言葉に“違和感”があります。<br>「誰もが、今の世界に違和感を覚えているはずだ」という風に。<br><br>違和感とは、広く世間に認識されている価値観と自身のそれが、<br>ホンの少しだけずれている時に覚えるものでしょう。<br>世の中と自分の認識の歯車みたいなものがあって、これが半分だけ<br>ずれちゃったような感じ。完全に歯車ひとつずれていれば、これは<br>これで「主観の相違」とか「価値観の差異」ということで片付けられ、<br>前に進むこともできるけれど、半分ではどうにもこうにもかみ合わない……<br>というふうに。<br>そんな“歯車半分のずれ”が、自身の経験の中でマイノリティであれば<br>それを“違和感”として片付けられるが、ずれの方が肥大してしまい<br>合致した部分を凌駕したとき、違和感と常識の主客は顛倒し、歯車が<br>かみ合っていない状態こそが現実となる――というのが『マトリックス』<br>誕生のモチーフだと思います。<br>こういったモチーフ事態は、実はそれほど目新しいものではないはず。<br>ただ、この世界観がここまで広く受け入れられた背景には、もしかしたら<br>多くの人の中で“違和感”こそがマジョリティになりつつあるという<br>現実があるのかも……と、ちょっぴり思ったりもします。&… (2003年06月29日 18時20分04秒)

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