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『春泥・花冷え』久保田万太郎(岩波文庫) 以前久保田万太郎を取り上げた時にも引用しました山田風太郎の『人間臨終図巻3』に描かれている久保田万太郎の臨終の模様ですが、やはり興味深いので、前回と重ならないようにしてちょっと抜き出してみたいと思います。 昭和三十八年五月六日、万太郎は市ヶ谷加賀町の梅原龍三郎邸の美食会に招かれた。相客は、小島政二郎、美濃部亮吉、福島慶子、奥野信太郎、松山善三・高峰秀子夫婦らであった。 彼は上機嫌で雑談し、応接間の一隅に据えつけられた鮨のつけ台の前に奥野とならんで座った。赤貝が握られて、目の前におかれた。 万太郎はふだん刺身や生貝を食べない習慣であったのに、この日はじめて梅原邸に招かれてふだんの調子を失ったのか、何気なくその赤貝を口にいれたとたん、のどの奥から怪音を発して立ちあがった。 彼はハンケチで口をおさえ、トイレに走ろうとしたが、その途中大音響をたてて廊下にひっくりかえった。口から泡を吹き、みるみるうちにチアノーゼ状態をきたし、救急車で信濃町の慶応病院に運ばれたが、すでに絶命していた。午後六時二十五分であった。 死因は、赤貝が気管に貼りつき、完全に閉塞したことによる急性窒息死であった。 (略) あと「美食会」はどうなったものやら。 最後の一行に山田風太郎の皮肉な視点が見えますが、これは同時に、文中の「怪音」「大音響を立てて」「口から泡を吹き」などからも読める、風太郎が人の死に対して(おそらく自分の死も含めて)終始とり続けた「死」との距離=生きるものの無力さ、の表現でありましょう。 ところで、上記引用の(略)の部分に、久保田万太郎と小学校時代同窓であった画家の鴨下晁湖の文章をこのように載せています。 「赤裸々に言えば久保田さんは(中略)スタイリストでした。それが死因に結びつくのは悲しいことです。」 さて、冒頭の短編小説と中編小説とが入った作品集の読書報告ですが、これも前回私が久保田万太郎の作品について書いた時触れたことですが、「江戸前」もこれくらい気取って書かなければならないのなら、少し息が詰まりませんかねと言う感想を、……うーん、少々残念ながら今回も持ってしまいました。 例えばこんな部分。 「驚くな……」 いきなり半介は正平にいつた。……いへば叩きつけるやうに。……途端に、かれは、七段目の、平右衛門のりふをおもひ出した。……髪のかざりに化粧して、その日その日はおくれども…… なぜ、ヒヨンな、そんなことをかれはおもひ出したか? ……釣枝の、柳さくらをこきまぜて、ひくや霞、花のれん、掛行燈、正平の、風流ひとくち金鍔の店は、春、まさに、たけなはなのである。…… 「何をよ?」 半介が「驚くな」と話しかけて、正平が「何をよ?」と答えるまでの間に、これだけたっぷりと様々な情報を(少々外連味が感じられるほどに)ぶち込んでいます。 この「……」の多様は、どうでしょう。やたらと多い読点。歌舞伎の、和歌の本歌取り。 ここに筆者の、いかにも筆者らしい「スタイリスト」として面目躍如な文章テクニックが見られることは確かであります。見事な知識と技能でありましょう。 しかし、ここまでせねばならないもんなんでしょうかね。 かつて芥川龍之介は、自らの作品について「うますぎる」という批評を書かれた時、「うますぎる」というのは、技巧が目に付いてしまって下手な出来であると言っていることだという趣旨のことを書きました。 これは「うますぎる」などという、ある意味いい加減な用語を用いた批評子に対する彼一流の反論だとは思いますが、なるほどその様に言われるともっともで、私はこの度の万太郎の作品に対して、あまり良い感想を持たなかったのだと言うことでありましょう。 ただ私は関西人でありまして、狭い日本で関西も関東もないだろうとは思いつつも、どこか「坂東のお人」とは感覚が違っているかも知れないと言う気が拭えず、少々不安に思いながら書いた次第であります。 関西人のセンスには、グローバルには理解されないであろう「田舎臭さ」が、確かにあると一方では強く思うものであります。 (あ、これは関西に対しても裏切り者でありますか。) よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.11.25
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『青年茂吉』北杜夫(岩波現代文庫) 本文中にこんな部分があります。 しかし、私は或る古本屋の主人より、こんな言葉を聞いたことがある。 「近頃の歌人の中にはもう茂吉の歌はむずかしくてわからないと言う人がおりますよ」 また、つい先頃出た「国文学解釈と鑑賞」(一九八八年十一月号)に、大学院修士課程一年の或る女性が、「今の若い人で、茂吉が好きという人を知らない」という書き出しの一文を寄せている。 1988年の時点で既にこうであります。 確かに私も、全くその通りだと思ってしまうんでありますが。いえ、じっくり読むと、まぁなんだかんだ言っても三十一文字の短歌ですから、判らないと言うことはないんですが、例えば歌集『赤光』中もっとも有名な連作「死にたまふ母」の歌。 みちのくの母のいのちを一目みん一目みんとぞただにいそげる のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり ……なんといーますかー、まず凄い歌だなー、と思うんですね。何といっても、これはとってもとっても凄い歌でありましょう、確かに。 「一目みん一目みん」ですよ。すごいですねー。全く気合い入りまくりではありませんか。 (全くついでの話ですが、斎藤茂吉の孫といってもよし北杜夫の娘と言ってもよい斉藤由香が、初めてこの歌を読んだ時、ひどく感心してご両親に報告なさったそうですが、その時この個所を「いちもくみんいちもくみん」と読んで、母親から叱られ、父親北杜夫もさすがに少し厭な顔をしていたと、確か斉藤由香の文章で読んだ覚えがありますが、冒頭の院生のセリフもさもあらんと言うところでありますね。) 要するに、やはりこんな凄い歌は、敬して遠ざけたくなるんですよね。 一方、冒頭に挙げた北杜夫の文章ですが、すぐ後にこんな一文が載っています。 いつぞや辻邦生氏が、「君やぼくが、何年もかかって大長編を書いたにしろ、茂吉の歌一首におよばないね」と言ってくれたことがある。辻氏の文学は別として、私はまったくその言葉に同感し、感謝したものであった。 もちろんこの言葉は、茂吉の子である筆者に対する「お世辞」の様な部分はありながら、しかしわたくし思ったのですが、さほどに斎藤茂吉の評価は高いのだ、と。 確かにそう言われてみれば、今まで何回か本ブログで触れている「筑摩書房・現代日本文学大系97冊」でも、茂吉は一冊丸ごとの配当であります。 正岡子規でさえ3人で一冊、その他の詩人、俳人、歌人は2人、3人で一冊がせいぜい、大抵は10人近くで一冊配当であります。 そんなに茂吉って、凄いんだ。 しかしね、しかしわたくし、はて、と考えるんですがね。 もしも斎藤茂吉の文学がそんなに凄いものならば(事実凄いとは思いますが)、なぜ全く読まれなくなるんでしょうか。読まれなくっていいんでしょうか。 北杜夫よりも辻邦生よりも遙かに凄くって(わたくし、北杜夫は『楡家の人びと』を読んで以来その凄さが判りました。辻邦生は一作くらいしか小説を読んでいず、それでも凄さは判りまして、その後『背教者ユリアヌス』全3巻とか『西行花伝』とか、やたら長い小説を買い、そしてその長さゆえにまだ手が出せないでいますぅ)、ということはどの当たりのレベルに位置するのでしょうか。 どちらにしても、そんなハイレベルの文学が読まれないと言うのは、とってももったいないことのように思うのですが、いかがでしょう。 例えば、実際に作られた平安朝の物語は、現存の物語の何百倍(何千倍?)もあったであろうと言われていますね。ほとんどの作品は歴史の中で散逸してしまったわけです。では、なぜ散逸したか。 それは簡単ですね。要するに面白くないからであります。 もっとも、1000年も昔の話であり、印刷事情が(そもそも印刷なんてない)全く異なった時代の話ですから、一概に比較はできませんが、読まれないものは、結局おもしろくないわけでありましょう。 さて、ここで誰もが感じる次の論点であります。 それは「おもしろい」とはどういうことなのか、ということですよね。 ……うーん、確かに『源氏物語』なんて、ストーリーとしても面白いし、登場人物の生き方などを考えてみると、ぐっと心に来るものもありそうですし。 なかなか、一朝一夕で答えの出てきそうな問ではありません。 ともあれ本書は、北杜夫が偉大なる父親を書いた4部作の最初の一冊ですが(実は息子が偉大なる父親を語るという本はほとんどありません。娘が偉大なる父親を語るというのなら山ほどありますのに)、ほとんど茂吉のことを知らなかった私にとってはとても面白い一冊でありました。 この後の連作も楽しみだし、北杜夫は『楡家の人びと』以外にも小説仕立てで他に父親を語っていそうですから、その辺の作品を読んでいく楽しみもまた生まれてきました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.11.18
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『小さな貴婦人』吉行理恵(新潮文庫) 「まー皆さん、聞いてください。」 で、始まるのは、きわめて関西限定で申し訳ないながら、今は亡き人生幸朗・生恵幸子両師匠の偉大なる「ぼやき漫才」であります。(今、関西限定と書きましたが、便利な時代になったもので、ちょっとチェックをしましたら、ユーチューブでしっかりお二方の勇姿を拝見することが出来ました。) 「まー皆さん、聞いてください。今や世の中、国挙げてのペットブーム。どこの家も、犬飼うたり猫飼うたり。そこら中でペットペットペット。一方日本の国は今どんどん人口が減ってきて、もはや人間より犬の人口のほうが多いくらいや。この間も、ちょっと朝早う起きて外出たら、玄関出たとたんに道幅いっぱい犬と飼い主だらけ。朝の散歩してはりまんねや。うちの家のそばの河川敷の公園なんか、犬が行列作って歩いとります。河川敷公園の途中にある信号が赤に変わったら、あっという間に犬の大渋滞や。正月お盆のUターンラッシュやないぞっ!」 ……と、失礼しました。 ともあれ、世の中は国挙げてのペットブームであります。 私も今まで、幾つかペットがらみの作品を、本ブログで取り上げてきましたが(例えば尾辻克彦の『吾輩は猫の友だちである』とか)、今回の短編集は、見事に猫の話です。 現在我が家では、金魚以外のペットは飼育しておりませんが、かつては子供が幼かったこともあって、ハムスターや猫や兎を飼っていた時がありました。 私自身、犬派か猫派かと問われれば、たぶん猫派だと思います。 しかしわたくし、今回の短編集を読みつつ、どうしてもその中に入っていけないものを感じ続けていました。あまりに、「猫話」過ぎるのであります。 登場人物は、中年女性(老女)と猫が基本パターンです。それに何人かの人物が絡んでくるのですが、作品の特徴の一つが、ほぼ男性が出てこない(分かれた元夫ってのは出てきます)ということでありまして、うーん、ひょっとしたらこの筆者は、男になんかこの話は読んで欲しくないと言っているのかと思うほどであります。 そもそも漱石の『猫』を筆頭に、近代日本の小説にはよく猫が出てきます。(ひょっとしたら、近代だけではないかも知れません。例えば『枕草子』とか、『源氏物語』の女三宮の猫とか。) 上記に尾辻克彦の作品を挙げましたが、もっと遡れば谷崎潤一郎の『猫と庄造と二人のおんな』とか梶井基次郎の『愛撫』だとか、近代日本文学は猫と極めて高い親和性を持っております。 もちろんそんな作品には、猫についての描写がいっぱい出てくるのですね。梶井の『愛撫』の中の、猫の耳とキップ切りの話なんて全く絶品であります。 しかし、本書に出てくる猫の姿はどうも違うんですね。 それは、登場人物達が、猫に対してだけ心を開いて、他の人間に対してはきわめて「自閉的」であるからでありましょう。そこには、一種「客観性」と呼べるものがほとんど見えません。そしてそれが、いかにも私には読みづらかったです。 もとより小説とは、一切何を書いてもよい表現形態であります。 もしも唯一「縛り」があるとすれば、文字表現が作品のおおよそを占めること、くらいでありましょうか。(作品中に絵が入ってくる小説はよくありますし、よく知らないですが、江戸時代の「草子」なんかは、絵の要素がかなり強そうです。) 私は、自閉的に猫のことばかり書いた小説がルール違反だとは一切思いません。でも、あまりに「趣味的」ではないでしょうか。 しかし、一方で「小説が趣味的で何が悪い」という声も聞こえそうです。 で、あれこれ考えたのですが、一体趣味と小説はどのように交差しているのだろうか、と。 もちろん小説内に、いろんな趣味についての記述は(それも蘊蓄を傾けるほどのものが)しばしば出てきます。 スポーツ、釣り、賭け事、酒、などから始まって、芸術やそれこそ恋愛(恋愛? 恋愛は趣味なんでしょうか。女遊び、なんて言い方になると趣味っぽいですが)などまでフィールドを広げますと、小説の根幹とかなり重なってきます。 つまり、小説が人間のあらゆる行為を対象にしている以上、描かれたものが過剰に趣味的であっても、全く問題はないような気がします。 むしろそんな「過剰さ」や「自閉性」を描くには、猫が一番ふさわしいような気もします。 なるほど、ひょっとしたら本書の「猫」とは、象徴としての「猫」であるのかも知れません。そうだとすると、それがシンボライズする一種「病んだ魂」は、小説の描く第一専門分野であります。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.11.11
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『白鳥の歌なんか聞こえない』庄司薫(中公文庫) 上記本の読書報告の後半であります。 前回述べておりましたのは、本来青春時代に感動と共に読んで、その後は感動の記憶として心の中だけに留めておいたらいいのに、もう「老境」に入らんとする歳になって再読なんてしたものだから、意地悪な二つの疑問を持ってしまったという愚かな話でありましたが、それはこんな疑問でした。 (1)あんな状況下で本当に男は○精するものなんだろうか。 (2)で、由美は、どうなる。 まー、(1)については、まー、何といいましょうか「人それぞれ」ですからねー。 気合いの入った人もいるでしょうし、も一つ気合いの乗らないケースもありましょうしぃ……(「気合い」って、一体なんだ?)。 ま、18才の健康な男の子ですから、フライングもありましょう。 (ところで、薫くんは射○後、その始末はどうしたのでしょうか。つまらないこわばり、あ、間違った、こだわりですがー。……まぁ、書かれていないだけで、一応の始末はしたんでしょうね。だって登場人物のすべての行動を、小説は描写するわけではありません。小説の登場人物のほとんどに用便場面はありませんものね。) 続いて(2)についてですが、本文では一応この件についても、その後「薫くん」は大いに反省し、今後を懸念しているように書かれながら、いつの間にか「或る言いようもなく懐かしくやさしい気持がしみじみとぼくの心を包みこんで」きて(このパターン、薫くんシリーズに結構あるような気がするんですがー)、あっさりペンディングしてしまいます。(そんな簡単でええんかな?) もとより、私の(2)の疑問は、小説の後日談についての話で、これはどうでもいいと言えばどうでもいいものなんですね。 有名な後日談疑問に、芥川龍之介の『羅生門』ケースがあって、その後下人はどうなったかというのがあります。(高校の時に学校でやりませんでしたか?) 先日たまたま読んだ本にその話が載っていたのですが、ある大学の国文学者は、筆者がそこまでで終えている話のその後を想像することには何の学問的意味もない、という趣旨の発言がありましたが、うーん、そうなんでしょうかねー。 「学問的」と言われればそうなのかも知れませんが、私は漱石の『こころ』の想像される後日談として、「私」と「奥さん」が結婚するという文芸評論を読んでとても面白かった記憶があるんですがねぇ。 そもそも「学問的」というなら、文学研究は本当に学問的なのかどうか突き詰めればよく分からないところがありますしねー。(わたくし、こっそり思うのですが、文学研究というのはウィキペディアみたいな部分がかなりある、と。適当な部分がかなりありつつも、表現されたものの分量が、質の向上を少しずつ図っている、と。理系学問とは、かなり違いますよね。) ということで、今回の小説『白鳥』ですが、なんか「人の死」に対してとてつもなくウブでナーバスな話であります。 主人公達は、いったい今まで身近に知人親族の死を経験したことがないのでしょうか。 ところが、これが、ないんですよねー、きっと。 若い頃って、様々なことに経験不足なものですが、知人の死すら、ほぼ未経験なんですね。だって、両親はまだ取りあえず元気な場合が多いでしょうし、祖父母と言っても同居していないことが多いものだから、その死に出くわしても人間性に関わる本質的なショックを受けることがほぼありません。 (歳を取るとそうじゃないんですよねー。身内親族のリアルな死に加え、年末近くになると賀状欠礼はがきがいっぱい来たりします。) ひょっとしたら本作は、「老人文学」の草分けのような位置づけのできる作品になった可能性がありつつ(現在の日本文学は老人文学と貧乏文学が花盛りですものね)、そうならず青春文学に留まったことは、当たり前とも思いますし、大きな枠で考えますとやはり時代の影響でしょうねぇ。 あの頃は、戦後の日本の国自体が一つの青春期であり、老人問題なんて考えてみたこともないような時代でありました。 そしてその様に考えるなら、実は私は本書を読みながら、よく指摘される庄司薫と村上春樹の類似性についても考えてみたのですが、その指摘には充分納得できる部分があることを実感しつつ、しかしトータルとしては、小説が起承転結で終了し得た時代(小説の「青春期」)と、もはやそれが出来なくなっている時代(小説の「老成期」)との違いという理解に及び、さて、なかなか現代文学とは大変なものだと、改めて思ったのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.11.04
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