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『人間晩年図巻2008-11年』関川夏央(岩波書店) 珍しく日本古典文学の話から始まります。 といっても、本当は羊頭狗肉で、古典文学の事なんて私は何も知ってはいません。ただ、近現代文学を読んでいるとどうしてもそれに触れる部分は出てきて、結局の所、古典文学について書かれた本をけっこう読んだりはします。で、『源氏物語』はさすがに懐の深い作品なんだなーなどと、原文なんてろくに読んだこともないのに思ったりしています。 さて、私がこの度ちょっと触れようとしたのは、『大鏡』であります。 もちろんこれについても基本の所は何も知ってはいません。ただ、高校で「大今水増」なんて語呂合わせみたいな言葉を覚えたのと、もう一つは、「紀伝体」。 えー、私がまくらで触れようと思ったのはこの「紀伝体」であります。 この辺からちょっとしっかり順を追って説明していきますね。 本書は5冊本であります。「人間晩年図巻」の総タイトルで、1990年から2011年までを、5冊シリーズで書いているんですね。 今回私が取り上げたのはその最終巻で、最後に筆者の短いあとがきがあります。そこに、こんなことが書かれています。 この本の題名は山田風太郎の名著『人間臨終図巻』の変奏である。 山田氏がその六十代なかばに完成させた『人間臨終図巻』は、古今東西の歴史的有名人九百余名の臨終を、没年齢ごとに書いている。読者は、そのときの自分の年齢で死んだ人の記述から読み始め、英雄・天才の臨終時のリアリティと無情を味わった。 それと違って、これは現代史の本である。 このようにあって、これを読めば本書の内容がなんとなく分かります。 ただ山田風太郎のは「臨終」で、本書が「晩年」であることについては、このシリーズ第1巻の「まえがき」に確か書かれていたように、わたくし記憶します。思いがけない理由が書かれてありましたが、多分そのせいで、上記引用文の最後の一文が出てきたのだと思います。 「現代史」とあります。 私、じーとこの言葉をにらんだんですね。 で、ふっと、浮かんだのが、冒頭部の「紀伝体」である、と。 なるほど、紀伝体で歴史を描くとはこういうことか、と思いつつも、しかし、なんだか腑に落ちない部分が残ります。 実は上記の引用部は、さらにこのように続いています。 現代史を、直接にではなく表現する手立てはないかと思案し、時代の刻印を受け、また時代そのものをつくった有名人・無名人、その全盛期と晩年の記述で実践してみた。 この引用部には、どんな基準でその人物を取り上げたのかについて書かれています。「時代の刻印を受け、また時代そのものをつくった有名人・無名人」という部分ですね。 でも、これがけっこうわかりにくいというのが、読後のわたくしの感想でありました。 例えば、飯島愛を取り上げた章の冒頭にはこうあります。 一九八七年から一九九〇年までの「バブル経済」の時代は、タレント飯島愛の十四歳から十八歳にあたる。 十四歳で学校から遠ざかり、十六歳から六本木と銀座のホステス、十八歳でAV女優となって、やがてテレビタレントに転じ、二十八歳で赤裸々な自伝『プラトニック・セックス』を刊行、百七十万部のベストセラーとした飯島愛は、まさに「バブルの娘」であった。 なるほど「時代の刻印」というのは、こんな捉え方の結果であることが分かります。そのうえ、人物は有名タレントだから、けっこう興味深く読めたりします。 ただ、様々な分野の人物を取り上げつつ、そして同時に現代史を描く(さらには適度に面白く描く)というのは、ちょっと、詰め込みすぎではなかったか、と。 この人物が描かれているのについては、あまり面白くもなくかつ「時代の刻印」としてもちょっと強引じゃないかと、そんな風に、(勝手ながら)思う部分が少なからずありました。(でも、これについては、筆者=人物選者に一任すべきであるかなー、とも考えつつ。) あるいは、これは「紀伝体」の限界じゃあないのか、と。 そもそも、紀伝体とは歴史記述としてはけっこう「穴だらけ」の方法ではありませんか。その穴をなんとか少しでも埋めようとしたら、かなり雑ぱくになり、部分も全体も少しずつゆがんでいく、と。 いえ、そこまでは考えすぎかもしれません。 ポイントは、「情報量」あたりにあるのかもしれません。よく知りませんが、本書の各章は、『大鏡』より短く、『人間臨終図巻』より長くあると思います。 また「情報種」で考えると、『大鏡』は基本「政治家」(天皇・上皇に藤原氏)だけ、『人間~』は「歴史的有名人」だけで、わかりやすくあります。 ただ、相変わらずの、筆者らしい個性的な描写は健在でありました。(私が偏愛する部分ですね。) 上記、飯島愛の文章の中にこんな部分がありました。テレビ出演を始めた頃の話です。 初回からの遅刻は、やはり「どうせ、すぐやめる」と思っていたせいだが、九二年晩秋、生放送を「バックレ」た。出演者たちは、テレビ画面から「愛ちゃん、怒らないからおいで」と呼びかけたが、彼女は部屋を出なかった。「捜索」を警戒して、ピザの宅配もドア・チェーンを掛けたまま箱をタテにして受け取った。ピザは崩れた。 最後の一文が、なんともいいですね。見てきたような嘘をつく、と。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2022.12.31
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『死者の奢り・飼育』大江健三郎(新潮文庫) 多分高校三年生くらいの時に私は一度本書を読みました。 あの頃、大江健三郎というのは、多分文壇の「アイドル」みたいな存在じゃなかったかと思うのですが、さらに考えると、いわゆる文学というものの価値や評価が、今とは全然比べものにならない時代だったという気がします。 例えば大江健三郎や、安部公房といった「文壇アイドル」が新刊小説を出すというのは、一種の社会的事件みたいなものだったように思うのですが、それほどでもなかったのでしょうか。 いずれにしても、現代とは隔世の感があります。 さて、高校生の私は、その頃本書を含め、新潮文庫のラインナップにあった大江作品をかなり読んだ記憶があるのですが、分かって読んでいたのだろうかという思いは、ずっとありました。 もちろん今でもしっかりと分かっていない(この度の読書のことですね)くらいですから、完璧な理解なんてことを言っているわけではありません。 ただ、この度、うん十年ぶりに本書を再読して、多分高校生の頃の私は、収録作品の「死者の奢り」や「他人の足」「人間の羊」などの主人公に対して、かなり感情移入をしていたことを思い出しました。 例えばこの3作品だけに絞っても、これらの主人公の無力感、喪失感、徒労感など、マゾヒスティックなまでの卑屈さは、若者には共感され得る主題であると、なんだか自分自身のその頃の感覚がふわっと立ち上がってきたような感覚と共に納得できました。 なるほど、そういうことだったんだな、と。 例えば村上春樹のデビュー作から始まる「鼠三部作」を読んだ時、私がこれらの作品から一番に強く感じたのは、やはり喪失感ではなかったか、と。 そう考えれば、喪失感や徒労感を語るデビュー作は今まで多くあろうし、またそのことに大いに納得がいきます。 この感覚は、相対的弱者であることが多い若者にとって、社会性への入り口であるのかもしれません。 と、久々の再読で私はそんなことを感じたのですが、実は、この短編集で一番感心したのは上記3作ではなくて、「飼育」でありました。 「飼育」のストーリーは、なんとなく覚えていました。(あらすじにしやすいストーリーなので、筆者に関係する文章を読んだ時に、何度か記憶を上書きしたのかもしれませんが。)ただ今回驚いたのは、「完璧」という言葉がつい出てきそうな文章力でありました。 しかし、黒人兵はふいに信じられないほど長い腕を伸ばし、背に剛毛の生えた太い指で広口瓶を取りあげると、手元に引きよせて匂いをかいだ。そして広口瓶が傾けられ、黒人兵の厚いゴム質の唇が開き、白く大粒の歯が機械の内側の部品のように秩序整然と並んで剥き出され、僕は乳が黒人兵の薔薇色に輝く広大な口腔へ流しこまれるのを見た。黒人兵の咽は排水孔に水が空気粒をまじえて流入する時のような音をたて、そして濃い乳は熟れすぎた果肉を糸でくくったように痛ましくさえ見える唇の両端からあふれて剥き出した喉を伝い、はだけたシャツを濡らして胸を流れ、黒く光る強靱な皮膚の上で脂のように凝縮し、ひりひり震えた。僕は山羊の乳が極めて美しい液体であることを感動に唇を乾かせて発見するのだった。 長い引用になりましたが、書き写しているとどうしても切るところが見つからず、この恐ろしく豊饒なイメージに惚れ惚れとしてしまいました。 特に感心したのは、本作は文庫本で70ページほどの短編ではありますが、最後までこの濃厚な文章で描ききったことであります。 ひょっとするとピントはずれなのかも知れませんが、一つの虚構世界を作りきったという意味で、私は谷崎潤一郎の『春琴抄』を頭に浮かべました。 そしてその後、改めて確認したのは、これがいわゆる文壇への登竜門である芥川賞の受賞作であるということでした。 こんな「完璧」な文章を書く大江健三郎は、まさに文壇の新人であったのだと思うと、なんだかくらくらするような感覚を味わいました。 そんな再読体験でした。 改めて言うには及ばないことなのかも知れませんが、小説とは、結局の所この文体の力なのだなーと、つくづく考えた体験でした。 ただし、6作収録されている短編小説の後ろの2作において、筆者は文体的苦悩をしているようだということも感じました。 それは、極めて独自性の高い文体を持ってデビューするということは、その後の成長にとっての最初の「敵」が、まさにそれであるということでありましょう。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2022.12.18
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『美しい星』三島由紀夫(新潮文庫) 先日、アマゾンプライムで『シン・ウルトラマン』を見ていたら、宇宙人同士が居酒屋で酒を飲みながら今後地球人をどのようにするかと話し合っている場面がありました。 そこを見ていて私は、何というか、変なデジャブ感にとらわれました。 あれ、何か、どこかで見たような気がすると、あれこれ考えていたら、あっと気がついたのは、この三島由紀夫の『美しい星』でした。 それは、どこかで見たのではなくて本の中で読んだ、本書の終盤1/3くらいから描かれてた自称宇宙人同士の、地球人をいかにするかという「大論争」の場面であったわけです。 そしてさらに、私は『シン・ウルトラマン』を見ながら、この映画の宇宙人には、それなりに「リアリティ」(ひょっとしたら「リアリティ」という言葉はふさわしくないのかも知れませんが)を感じるのに、なぜ三島の小説の宇宙人には違和感を感じるのかが、少し気になりました。 うーん、と考えたのですが、やはりよく分からなかったですね。 ただ私は本小説を読んでいて、特に前の半分くらいまでは、結局の所この「宇宙人のリアリティ」が引っかかって、あまり面白く感じられませんでした。 そして、なんだかとても「古くさい」感じがしました。 でも、「古くさい」って、変じゃないですか。 もっとも、「古くさい」という感覚は、われわれは近い過去のものに対して感じるもので、遠い過去のものに対しては感じないという説を読んだ気もしますから、先日読んでいた夏目漱石の小説には感じなかった「古くささ」を、この度の三島由紀夫の小説に感じるのは、さほど変な話ではないのかもしれません。 ただ、読んでいて思ったのは、この「古くささ」は、筆者が誠実に宇宙人のリアリティを、展開を通して作り上げているからじゃないかということでした。 そしてそれは、おそらく現代の小説家は、もはやあまり用いない手法じゃないか、とも。 少し前の拙ブログにも書きましたが、例えば村上春樹は『騎士団長殺し』で、そこに至るまでは様々の謎をちりばめつつも(村上春樹「得意」の、回収しない伏線ですが)、それなりのリアリズムで描いていた小説に、いきなり「騎士団長」を出してきます。 現代は、そんな小説が主流とはいわないまでも、そんな展開でもリアリズム小説としてわれわれは読む(読まされる)訳ですね。 だから、三島由紀夫が、三島一流の明晰かつ絢爛な語彙と論理性で「誠実」に宇宙人のリアリティを形作る特に前半の展開は、今となってはかえってなんだか「古くさい」と感じてしまうのではないかと、わたくしはそんな風に考えたのでした。 一方、一応宇宙人のリアリティが「保証」された中盤以降は、私は結構面白くを読み進めていきました。 そして、2/3ほど読んだ先に、上記にも触れた自称宇宙人同士の、人類の存続を(非存続を)いかにするかという大論争が始まります。 実はわたくし、この小説は、うん十年を隔てての再読でありました。 前回読んだ時のことはほぼ覚えていなかったのですが、この大論争が、宇宙人的視点で描かれた、人類の長所短所の比較をしていたというのは薄い記憶の中に残っていました。 今回再読して、やはり筆者はここが書きたかったんだろうなという気が強くします。 では、書きたかったこの部分とは何だろうとふと思い、そして、少し考えました。 世界の東西問題や核など、時代的なものもかなり影響していたと思います。 ただ私が思ったのは、あれだけ様々な作品で戦後日本の民主主義に対する嫌悪を描き続けた作者が、それを改めて分析したのではなくて、なぜ自分はこうまで戦後日本の民主主義に嫌悪を持つのかを分析したのじゃないか、ということでした。 解説文によると、本書連載の前々年には『憂国』が、前年には『十日の菊』が書かれ、翌年には『剣』などが書かれています。自らの資質に則った作品の間に、自らの問題としての嫌悪の正体を探るというのは、いかにもありそうなことではないかと、わたくし愚考した次第であります。 さて、冒頭に「宇宙人のリアリズム」についての私のこだわりについて書きましたが、本書を読み終えて、やはりその違和感は拭いきれなかったものの、ひとつ思いついたことがありました。 いえそれは、相変わらずわがまま勝手な私の思いつきに過ぎないものなのですが、それはこんなことです。 筆者にとっての宇宙人とは、筆者にとっての、例えば『憂国』で描いた「割腹自殺」と同じものではなかったか。 筆者が宇宙人を本当に信じていたか否かという問いの立て方自体が、あるいはピントを外していたのではなかったか、と。 この考え方には、その先の筆者自身の亡くなり方も含まれてはいるのですが……。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2022.12.11
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