近代日本文学史メジャーのマイナー

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2011.09.28
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カテゴリ: 明治~・劇作家

『オットーと呼ばれる日本人』木下順二(講談社文庫)

 まずは『夕鶴』の話から。
 これも今となっては昔の話ですが、山本安英さん演じる舞台を見に行きました。
 すでに名演の評価は高くなっていましたので、私は十分に期待をし、わくわくした思いと共に観劇に臨みました。

 私の知人に、カラヤンが日本に来た時のコンサートに行ったヤツがいますが、そいつは演奏の始まる前からひどく感激して極度の興奮状態に陥り、とうとう嘔吐してしまったという、まー、冷静に考えたら「すかぽんたん」ですわね。

 私の場合も、それほどではありませんが、まるで何か『夕鶴』の舞台の上にミューズが直接舞い降りてくるかのごとき加重な期待をし、その結果、いい舞台だったですが、当然ながら加重な期待ほどのものではなかったという、もちろん私の心得違いのせいの結果に終わりました。

 何事もほどほどが大事であります。太宰治も言っていますが、ほどほどの兼ね合いが私もいまだできないでおります。

 ところで、『夕鶴』の舞台ですが、その時「群読」を一緒にやっていまして、こちらの方はとても迫力があったのを覚えています。(今、落ち着いて考えてみたのですが、きっとこの群読の方が先に演じられ、それがとってもよかったものだから、私は次の『夕鶴』にますます期待を高めたのだと思います。思わぬ仇ですなー。)
 しかし、あれは、本当によかった。

 さて、木下順二戯曲ですが、私も民話を題材にした作品をいくつか読みましたが、私としましては、何か少々物足りないものが残った印象が続きました。もっとも、戯曲と実際の舞台との差はありましょうが。

 そして今回の『オットー…』も、そんな若かった頃一度読みました。
 今、この作品が初めて世に出た年を調べてみたら、1963年(昭和38年)なんですね。……うーん、全く、隔世の感がありますねー。
 何が特に「隔世の感」かと申しますと、それは「政治と文学」についてです。

「政治と文学」

 まー、この頃は何といっても、例えば安部公房とか大江健三郎なんかが、ばりばりの現役で絶好調の頃ですものねー。
 この木下順二の作品が、ほぼ完璧に正面から共産主義を扱った戯曲であったとしても、何ら違和感はなかったのかも知れません。
 しかし、それからちょうど半世紀が過ぎて、単独に本作だけを改めて読んでみれば、その政治への深入りの仕方に、ほとんど読んでいてついていけないものを私は感じました。

 本作の構造は、かなり端折ってまとめてみればこんな感じですかね。

 もはや軍国主義となってしまった祖国がこのままでは崩壊してしまうと考える主人公が、国家としてより優れていると確信する共産主義国家に祖国を変えるため(共産主義革命ですね)、祖国の機密情報をソビエトに流します。
 その時の主人公の行為は、愛国的なものか否か。

 ……わたくし思うのですが、どうなんでしょう、それが愛国的なものか否か以前に、もはやこういった問いかけ自体が、現代文学にほとんどそぐわないのではないでしょうか。それともそんな感じ方が「ひよった」見方なんでしょうか。

 例えば、主人公の最後の台詞はこうなっています。

男 ぼくはこれまでの行動について、一つだけぼくにいえることは――
  ぼくは、オットーという外国の名前を持った、しかし正真正銘の日
  本人だったということだ。そして、そのようなものとして行動して
  きたぼくが、決してまちがっていなかったということ、そのことな
  んだ。


 これは感動的なラストシーンなんですが、このように作品内で、政治と文学が真正面から切り結ばなくなって、どれほどになるのでしょうか。
 政治と文学がほぼ併走していた時代が、かつて間違いなくあったはずなのに、今では両者は遙かに隔たった場所に散り散りにいます。

 文学に民衆を動かし得る力はなくなって既に久しく、文学に政治的能力はもはやありません。
 一方政治にも、そこに人類を幸福に導く可能性があると考えるものはもはや皆無で、政治に文学的魅力はほとんどありません。

 ひょっとすると、高度市民主義社会とはそんな構造を持つ社会なのでしょうか。
 もしも本当にそうなのなら、歴史的発展とは一体何の意味のあるものなんでしょうか。

 いえ、歴史に意味を求めること自体が無意味だという考え方のあることは、私なりに承知しているつもりではあるのですが……。


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Last updated  2011.09.28 06:31:39
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