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2012.10.07
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カテゴリ: 明治期・明治末期

『銀の匙』中勘助(岩波文庫)

 こんな文章を読んでいると、ふと、既視感、デジャ・ビュというのでしょうか、そんな感じにおそわれるのですが、こんな文章です。

楽しみなのは栗のさかりであった。ひとりは竹竿をもち、ひとりは笊をかかえて鵜の目鷹の目墓地をあるく。めっきりと露がたれそうにえんだのをみつけたときのうれしさといったらない。竿のさきでちょんちょんとたたいてみるといかがぴょいぴょいと首をふってさもうまそうな手ごたえがする。そこでこつんとひとつくわす。ばらばらと落ちる。とんでって拾いこむ。そして三つにひとつは試し食いにくってしまう。いちご。柿。

 どうですかね。とっても丁寧な優しい感じのする文章ですよねー。
 中に、「えんだ」という表現が出てきますが、これはどういう意味なんでしょうかね。なんだかよく分からないですが、でも何となくイメージはできて、そしてその何となくな意味でいいかなという気のする、回りの言葉に包まれて互いに響きあっているような言葉であります。

 ついでながら、文というものは、一概に読みやすければいい、わかりやすければいいというものではありませんね。時々詰まりながら、少し行きつ戻りつをしながら進んでいく文章のほうが、結局十分にそれを味わえるように思いました。

 ついでのついでに、わたくし、誠につまんないことにも(ひょっとしたらつまんなくないかしれませんが)気付いたのですが、「、」読点ですね、これはより少ない方がいいということであります。
 今までの私の中の読点を打つ基準も、読点は少ない方がいい、迷ったら打たない、というものであったのですが、今まで思っていた以上に、もっともっと少ない方がいいような気がしました。
 まー、もっとも、これも文章の種類にもよるでしょうが……。

 えーっと、冒頭の既視感でありますが、この小説はわたくし、以前にも読んでおりまして、じゃあ既視感もあたりまえじゃないかと、いえ、そんな既視感ではなく、うーん、と考えてこんな文章を取り出してきました。

時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。匂いのいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。そこで一月ほど何も思わず横になりたい。希わくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。

 すさまじきもの 昼ほゆる犬。春の網代。三四月の紅梅の衣。ちごの亡くなりたる産屋。火おこさぬ火桶。地火炉。牛死にたる牛飼。博士のうちつづき女子うませたる。方違へに行きたるに、あるじせぬ所。まして節分はすさまじ。


 どうですか。上の文は、梶井基次郎の『檸檬』から、下の文は『枕草子』から取ってきましたが、何となく似ているような気がしますよねー。

 これは、影響関係とか言うものではなく、もっと大きなもっと根本的な伝統的文化享受の結果といったもののような気もします。それとも心理学的に、人間の精神の中の、無意識の領域にある「共同幻想」みたいものかも知れませんね。

 しかし私は今回こう考えたのですが、なるほど優れた文章というものは、それが優れていればいるほど、どんどん蒸留水のようにピュアに結晶していき、そしてそれら同士がどんどん類似したものになっていく、というふうに。

 さて、上記にも書きましたように、今回私はこの小説を再読し、前回読んだのはいつだったかよく覚えていないのですが、知識として知っていたこの小説の極めて高い評価ほどには感動しなかった記憶がありました。
 しかし今回は、まー、やはりとっても感心をし、小説とは詰まるところ文体だなと言う感想を持つに至りました。

 そのことを、この小説が岩波文庫の中でも「永遠のロングセラー」に位置するということとを重ね合わせて考えますのに、ストーリーの優れた小説は多くの人々に昂揚した形で読まれましょうが、文体の優れた小説というものは、どんどん読者の心を内向きにしていき、その結果「生きる」というような哲学的な命題に、靜かに、しかし力強く息長く導いていくような気がします。
 静かな感動は、実はかなりしたたかなものでもあります。


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Last updated  2012.10.07 16:04:38
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