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2015.03.07
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『第四間氷期』安部公房(新潮文庫)

 「昭和文学」(こんな言い方があるのかどうか、……きっとありますよね)に興味がある人が(まぁ、その人は一応「純文学」に傾斜が掛かっている人としてー)、「昭和文学」について概論的なことを考えた時、三島由紀夫なんかと並んで、やはり安部公房は外すわけにはいかないですよねー。

 しかし、どうなんでしょうかね。冒頭で私は一瞬「昭和文学」で迷いましたが、実際の所、純文学どころか「はやり」の小説すら読まない、もっと言えば、メール以外久しく文字そのものを読んでいないという若者が、今どんどん増えているというニュースを少し前に見たのですが、一体どうなっちゃうんでしょうね。

 どうなっちゃうと言うのは、もちろん一つには、日本民族の教養体系の崩壊という憂うべき課題ですが、そんな難しいことは私が考えてもどうにもならないので、もうちょっとわかりやすいかつ今の私の「喫緊のテーマ」で言うと、安部公房亡くなって既に二十年以上となり、世紀も変わり、今でも公房は読まれているんだろうか、という疑問であります。

 というのも、わたくし自身かつては少しは公房を読んでいたつもりですが、新世紀に入ってここ十五年くらいで思い出してみると、まー、読んだのは二、三冊、ですかねー。

 でもそれは安部公房に限ったことではなく、私が学生時代に好きだった大江健三郎も倉橋由美子も三島由紀夫も深沢七郎も(あー、ご存命の方は大江氏だけですねー)、ここ十五年ならたぶん同じく二、三冊ずつくらいしか読んでいません。

 ……うーん、もちろんそれは、わたくしの読書履歴が浅薄かつ軽薄なことが主なる原因ではありましょうがー、……まー、そこは百歩譲っていただいてー、或いはこれが新世紀の現代文学の運命(あるいは「現代」を取ってもいい?)なのかも知れませんねー。

 さてそんな安部公房の小説を、久しぶりに読みました。読んでいる途中で「あー懐かしいなー」と感じるような部分が結構出てきました。
 それは主に「文体」というか、いかにも公房らしい描き方の「角度」といいますか、そんな部分に対する反応なんですが、例えばこんな個所です。

私は窓の外を眺め、心の準備をしながら待っていた。頼木に遇ったら、最初に言おうと考えている言葉の端を、いくども反芻しながら、じっと遠い夜景を眺めていた。空と屋根々々とのあいだに、薄く白い膜がはっているように見える。その下あたりが、国電の駅なのだろう。そこでは無数の経験や生活が、互いにぶつかりあいながら波立っているのだ。海だって、山の上からみれば平らに見えるのと同じことである。遠景にはいつも秩序がある。どんな奇妙な出来事だって、遠景のもつ秩序や枠からはみだすことなど、できはしない……

 情緒を抑制した報告文のような文体のなかに、ふっと割り込んでくるポエジィやアフォリズムが公房の文章の魅力だったんだよなーと、思い出します。

 ただ、SF仕立ての本作ゆえ、加齢のためいろんな感受性や感覚が摩滅してしまっているわたくし側の事情で、ちょっと分かりづらいところがありました。(若かった頃初めて本作を読んだ時、私はわかっていたんでしょうかねぇ。)

 例えば、コンピューターが予言機械として作動し(今の言い方で言えば「シミュレーション」という意味でしょうか)、現存する人物の未来の人格を造り出すとか、死体の脳がコンピューターを通して生前と連続する人格のままに語り出すとかの展開です。一応の説明らしきものは書かれてありますが、いかんせん私の方の脳みそがアバウトなせいでよく分かりませんでした。

 もう一つ。「あとがき」に、「はたして現在に、未来の価値を判断する資格があるかどうか、すこぶる疑問だ」という筆者の一文があります。そしてそれは作中において、最後には極めて否定的に扱われてしまう主人公科学者の言動に対する批評にもなっています。
 この視点は、公房一流の、当時の一般的思考の盲点を指摘したのではないかと思うのですが、今読むと(本作発表は1959年!)思わず「隔世の感」を持ってしまいます。

 それは結局、この半世紀の内に、本当に現在ではとても判断のしようがない「未来の価値」しか予想できない、つまり二十一世紀の我々は、現在と完璧に断絶した未来にしかリアリティを持てなくなっていることを表していると思います。

 もはや、未来は現在にとって不安材料以外の何ものでもない。多くの人がそんな暗黙の前提の元に生きている現在という時代。
 なるほど、冒頭で触れた二十一世紀の現代文学がどんどん読まれなくなっていくのは、ひょっとしたら、想像力にとっても極めて苛烈だと思えるそんな現在のたたずまいの中に、その原因があるのかも知れません。


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Last updated  2015.03.07 08:38:45 コメント(2) | コメントを書く
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Comments

シマクマ君 @ Re:思っていたよりも「重く」ない(02/21) 純文さんへ  あたたかいお返事ありがとう…
analog純文 @ Re[1]:思っていたよりも「重く」ない(02/21)  シマクマ君さんへ。  おや、思わぬお方…
シマクマ君 @ Re:思っていたよりも「重く」ない(02/21)  いつも読ませていただいてます。あのせ…
analog純文 @ Re[3]:無理筋仮定を考えてみる(12/28)  七詩さんへ、重ねてのコメントありがと…
七詩 @ Re[2]:無理筋仮定を考えてみる(12/28) analog純文さんへ 私もときどき読書日記を…

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